世界に刃向かう者 4
最悪だ。
崩落した天井から降ってきたのは、逃走したはずのサガドとリプレラ。運悪く地割れに呑み込まれ、同じく地上へ生還しようとしぶとく生き延びていたのだろう。
砂埃が晴れていく。肥大した影が奥から姿を現す。
「昆虫顔ですら、ねえじゃねえか」
洞道を塞いで押し迫る白蟻蟲。極悪人を追い詰めていたのは、こいつか。
頭部全てがすり鉢状の、醜怪な口腔。岩を砕いて食す長い牙一つ一つが餌を求めて無数と蠢いていた。悪食だ。触れる物全てあの顎で掴んで、噛み潰すだろう。
「やあね、道が一つしかないじゃない」
リプレラが溢した通り、逃げ込めるような横穴など空いていない。崖をよじ登って生き延びようにも、連中がそれを許すとは到底思えなかった。
「つう訳で通るぜ」
隙とみたサガドは表情一つ変えず踏み込み、斬り上げ。
剣戟が響く。
「させると思うか、殺人鬼がッ」
激昂するアサメが小太刀で弾き返し、回転しながら尻尾による追撃を振るう。警戒していても予測し難いそれを、サガドは紙一重で避けた。
「はい、残念」
軽快な風切り音。主身の陰から現れたリプレラは細剣を振るい、アサメの首を目掛け。
「黙って喰われてろッ」
捨身と割り込んだゴクロウが刺突を弾いて阻止。同時に後頭部を砕かんと護人杖を返す。撲殺したと確信した瞬間、杖先に乾いた感覚。
呆気なく空振った。馬鹿な。
にたりと笑む化け女に怖気を覚え、アサメを庇いつつ飛び退る。
何が起こったのか、ゴクロウは瞠目したままだった。
リプレラは背負う長刀を僅かに抜刀しただけ。電光石火の一振りに対し、柄尻を正確無比に当てて小突き逸らしたのである。それも横目で、片手間に熟すなど、有り得ない。
「蟲に食べられてあげる趣味はないの、私」
ぞっとする。
この化け女、一体どれほどの戦闘能力を隠しているのか。
「でも貴方ならいいわ、ゴクロウ。逞しい男に貪られるのは心地良いもの」
青紫の舌を長く長く伸ばし、艶かしく舐めずる。
「薄気味悪い」
アサメが敵意を剥き出しに噛みつく。
身構えたままのゴクロウは落ち着かせるように鼻で笑い飛ばし、サガドへと顎をしゃくった。
「遠慮なくぶちかましてやるよ。野郎もろともな」
だが、じりじりと崖へ後退するゴクロウとアサメ。
迫る巨蟲を背に前進するサガドとリプレラ。
時間はない。
「相変わらず威勢が良いな、ゴクロウ」
追い詰められているのは、どちらだ。
戦えば遅かれ早かれ行き詰まり、退けば瞬間、足元を掬われる。奴等は戦う以外に道はなく、それも一押しで済む。
「互いにな。どうすんだ、おい」
逡巡の時は過ぎた。
四者の瞳の奥に覚悟が漲った瞬間を、誰もが見逃さなかった。
サガド、リプレラは一糸乱れず同時に突撃、交差して入れ替わり標的を変える。速い。
袈裟斬り走る曲刀はゴクロウへ、狂い舞う細剣はアサメへ。
杖で刃を受け流しつつ、ゴクロウは身をくるりと翻した。サガドの背後を取って谷底へ蹴落とそうとして、妙に手応えのない斬撃に危機感を覚えた。
(主身狙いかッ)
矮躯のアサメなど端から眼中にない。壁を蹴って軽々と跳躍するリプレラを察知。
時間が止まったのか、感覚が冴え渡っているのか。
紅柑子の憎々しい笑みが鮮明に浮かぶ。一寸先の地獄を、奴に案内されてたまるか。思考回路を爆速で回転させ、最善手を導き出そうとして。
強引に手を伸ばす。
サガドの胸倉を強引に掴んで寄せた。
超高速の決断敢行。閃くその速さは、一足先に退こうとしていたサガドに僅差で優った。
にやけていたリプレラの表情が凍てつく。
「チッ」
目前からサガドの舌打ちが聞こえた。
苦し紛れに曲刀を振るが、杖で阻止。ゴクロウはそのまま力任せに谷底へ引き寄せようとし、サガドはそうはさせまいと掴み返して踏ん張る。膠着。
無駄な足掻きはここまでだった。
想像通りの鈍い衝撃。妙にゆっくりと姿勢が傾ぐ。
既に跳び掛かっていたリプレラは空中制動など出来るはずもなく、組み合う両者へ突っ込んだ。重さの乗った勢いに耐え切れない。背筋を突き上げる悪寒と浮遊感。
崖下の軍都へ、墜ちる。
「ゴクロウッ」
一人残されたアサメは、ついに彼の名を叫んでいた。
だが、何もかも遅い。駆け出した少女の脚ではまるで届かず、非力な手では何も掴めない。
屈辱。
「もう、どうして」
地獄へと遠ざかる一蓮托生の相方を、ただただ見つめて。
不快。
「この身体は、何もかもがああああああッ」
激怒。
鬱積が爆発する。暴走する心を止められない。
頭部に巻かれた包帯を、額ごと掻き毟って捨てた。心の底からその全てを噴火させた。垂れ流れてくる血と痛みが、より感情を煽る。
「うあああああッ」
もはや間近まで迫る蟲を背にしたまま、気にも留めず猛り狂っていた。
全身が、腹の底から、いや魂の底から、紅蓮が燃え盛る。
それは裏を返せば、一つの願望でもあった。
怒りとは、変化を望む者にのみ発露する一途な感情。
この肉体が、強ければ。
地の底から湧く穢土の瘴気。満ち満ちる精素が、呪いにも似た意志を見逃すはずがない。
ドクン、と。少女の身に、明らかな変化が起こる。
血の涙が、頬を伝う。
鋼瞳から翠瞳へ、翠から鋼へ。
銀髪から茶髪、茶から銀へ。
目紛しく変遷していく。
「こんな、ちっぽけな身体は、いらないッ」
怒りに震える小さな拳に、ビキリと鋭い腱が浮き出た。
開かれた指は目に見えて伸長、爪が鋭敏に研ぎ澄まされていく。窮屈な足袋を蹴って脱ぐ。着込んでいた装束にびり、と裂け目が走った。
全身の骨格が、急激な成育を遂げようとしている。
胸が徐々に膨満し、苦しく締めつける。着ていたものを爪で毟って全て破棄。肩掛けの帯鞄を腰に落として引っ掛け、小太刀を鞘ごと抜く。
尾骶骨から伸びる尻尾も併せて発達し、強靭性を獲得。内骨格が僅かに隆起し、太さが増す。鋭い尾先はより重厚を帯びてククリ刀の様に変形していた。
延々と伸び続ける銀髪の奥には、激昂に血走る鋼瞳。
その視線も当然、高く伸び上がっていく。
骨格が蠢く異物感と激痛に呻き、涎を溢して耐える。
「まだ、大きく、もっと速く、誰よりも鋭くッ」
それでも足りないと唸る声音は、少女から一人の女へと変声していた。
かつては異常を忌み嫌うアサメだったが、内なる彼女はもはやどうでも構わないと吐き捨てていた。
成熟の時を迎えた瞬間、痛苦が嘘のように消え去った。
清々しい。
ぐち、ぐちゅと不快な咀嚼音がすぐ背後から立体的に響く。聴覚だけではない。土、血、糞尿、脂、複雑に混じる臭いすら嗅ぎ分けられる。
振り向けば、眼前の凡ゆる方向から無数の牙が。
「静かにしなさい」
底冷えする声音で、蟲の奥底に命令。
内に視える精素が凝結していく。ぴたりと静止した。
側からみればその蟲が、眼前の鬼人に慄いているかのようだった。
単純な生物なら止められるという確信。感応術の精度が格段に向上している。烈しい怒りにより、アサメは理性の一側面をも深めていた。
達成感はない。ただ、解き放たれていた。
ふくらはぎまで伸びた銀髪。伸び過ぎた前髪を鋭い爪で掻き上げ、邪魔だとばかりに乱雑に掻き切った。
額を掻き毟った五条の傷が、みるみると治癒、完治、完了。
戦塵に銀糸を散らして露わるは、近寄り難し美貌の羅刹女。
「足りない」
火炎の踊る橋を、鋼瞳が冷たく睥睨する。
穢土の軍勢、泥暮らしの先鋒部隊。総数およそ三千超。
憤怒に錯乱した眼差しは、転落したゴクロウや憎き敵の姿を追っていなかった。
分かりやすく不愉快で、騒々しく苛立ちを煽り、思う存分に怒りをぶつけても差し支えない標的の破滅を望む。
「何もかも、足りない」
美妙なるアサメの表情が、恐ろしく歪む。
毛先は八つの束になって角の如く捻くれ、鬼の如く尖鋭な歯牙を剥いた。
「全てを殺し尽くしても、満ち足りないッ」
憤怒の産声を発し、地獄へと身を投げる。




