世界に刃向かう者 3
敵地のど真ん中で怒鳴り散らしたのだ。連中が嗅ぎつけて当然だった。
三方向から挟み撃たれる。振り向けば未だ呑気に岩壁を喰う白蟻蟲。ばらばらと崩れる岩壁と暗い闇の虚。
閃く。
「アサメ、あの亀裂、潜れないかッ」
指示を飛ばしつつ、落ちた松明をアサメの方へと蹴って放った。
短く頷くと灯りを掴んだアサメは蟲のすぐ傍を走り、僅かに開いた岩壁の割れ目に飛び込んだ。
「このまま先まで進めますッ」
「先に行けッ」
弓を引き絞りながら背後へ飛んで後退。
曲がり角から飛び出してきた泥暮らしの足を射抜く。転倒。後続が引っ掛かってまごついた一瞬の隙に、割れ目を潜った。
「食事中、失礼」
白蟻蟲の横腹を、戦斧杭で刺突。
手応えが重い。分厚いゴムの様な甲殻を抉るようにして戦斧を引き抜くと白っぽい体液が飛び出す。時間差で身を捩り、重々しい体躯をくねらせた。
退路が巨体で塞がれていく。
すぐに戦斧を背負い、先行するアサメに追い付く。
とにかく上層を目指し走り抜けなければならない。この穴倉は泥暮らしのねぐらだ。地の利は敵にあり、飛び交う怒声罵声がどこから飛び出してくるか常に気配を探る。
「コッチダ、土足人を追い込めッ」
前方から這い上がるように敵襲。
脇道へ逃げ込むが、その先にも醜悪な面が待ち構えていた。挟み撃ち。
(回り込みが早い。こりゃ相当な数に追われているな)
素早く腕を伸ばしてアサメの肩を掴んだ。
何をする、と鋼の瞳が睨んで訴えかけてくる。
「裏を掻く」
言うや否や、背後蹴りをかます。
骨を砕く手応え。泥暮らしが飛び込んだ勢いと不意の重撃により、なす術なく後続へと激突。五人程度、訳もない。
「俺に続け」
反撃戦、開始。
旋回し、重々しく唸る護人杖が顎を殴り抜いて粉砕。転身して奥の泥暮らしの鳩尾を潰し、あまりの早業に思考が追いついていないもう一人の脳天を割る。瞬く間に三体撃破。
アサメは連中が取り落とした鈍刃を拾うと止めとばかり突き立て、追手に悪臭放つ血を嗅がせ、散らばる刃を全て投げつけた。爆発する怒号の波。
瞬く間に積まれた屍の山を踏み潰し、血路を見出していく。
前方から更なる増援。きりがない。
真正面から迎え撃つ。
「背中、借ります」
肩に乗る頼もしい衝撃。
ゴクロウの体躯を踏み台にしたアサメは天井を尻尾で蹴って更に加速。烏合のど真ん中へ急襲。一転、二転と小太刀が乱れる。尾が舞う。黒い血飛沫が岩壁や天井にも飛び散った。
傷を振り撒くアサメに、泥暮らしはまるで近寄れない。
半壊した前列をゴクロウが突き飛ばす頃には決着がついていた。走りながらも計七人の死因を瞬時に見抜く。脚の腱、または動脈を小太刀で浅く鋭く、とどめの尾で首に追撃の死を斬り裂く早業。
(ずいぶんと気分のいい連携だった)
初見の動作だったにも関わらず、触れられた瞬間に何をすべきかすぐに閃いていた。
これが主身と半身。
高揚する。阿吽の呼吸が噛み合ったのだと気付いて初めて、肌が粟立つ。
「このままこいつらを根絶やすか」
「一掃し尽くせる体力があるなら、こんな逃げ回りませんよ」
アサメの調子が戻ってくる。
後方を一瞥。同胞の死骸をもぎって貪る者はともかく、より臭みのない美味い血肉を求めて迫る者共から足早に遠去かった。
「ごめんなさい、私が撒いた種です」
「アサメ、よくやった。この前進は大きいぞ」
「え」
逃走しながら、思わず見上げる。
ゴクロウは凶悪な笑みを剥き出していた。
「今の速攻でついに確信を得た。やれる。お前の天才的な技と、俺の腕っぷしはこの上なく噛み合う。薄汚い罠だろうが、窮地だろうが、誰が立ち向かおうが、俺達なら全て蹂躙できるんだ」
力の拳を、改めて差し出してみせる。
それはアサメに幾度となく払われてきた想いだった。
「いいかアサメ、失敗なんざ恐れるに足りねえ。俺達に歯向かう連中なんざ蹴散らせばいい。静かに燃えるお前の心、そいつが俺に響くことのほうが、よっぽど肝心だ」
前方から体躯の逞しい泥暮らし三人と雑兵が迫る。
腹に力を。いや、言われたばかりじゃないか。
ありったけの感情を込めて。
「聞かせてくれ、俺達は地獄を切り拓けるか、アサメッ」
痛快な音を立て、拳を打ち合わせた。
心が奮う。
「決まってます、どこまでもッ」
瞬間、二人は手首を掴み合った。
電撃の如き一手は、何の示し合わせもない。それでも理解したゴクロウは踵を軸に一回転し、水面を切るようにアサメを投げ放つ。瓦礫を弾きながら大柄な泥暮らしの股下に滑り込み、脚の腱をまとめて斬り払った。
醜い首の揃った前列が瓦解していく。ゴクロウは凶悪に笑んだまま。
一気に間を詰めると鋭く息を吸い、杖を旋回。半開きの顎を粉砕する一振り。飛び散る歯牙。薙ぎ倒す。転身、臓腑を潰す一突き、血と泥を吐きながら後方へ激突。脳天を割る一打、白目を剥いて卒倒。
一呼吸で三人葬るが、まだ迫り来る。来い、闘志をぶつけながら戦斧を抜く。
愚直な縦振りを甲高い音を上げて受け流し、肩をめり込ませた。壁に激突。不意打ちを見切って戦斧を振るう。面白いほど軽快に生首が吹き飛んだ。
「やるじゃねえか」
先手先手を仕掛け続けるアサメは臭う血を浴びるのも厭わず、雑兵の懐に潜っては撫でる様に致命傷を刻みつけていく。ゴクロウは止めの一撃を冷徹に下すだけだった。
泥暮らしを死骸に変え、血肉を蹴散らしながら遅々と前進。
余所目に雷光を浴びながら、外壁へと寄っていた。
前方に敵影無し。
後方に気配のみ察知し、背を見せつけたまま後方を突く。くぐもった奇声。踵を返してがら空きの胴を更にもう一発、返す杖捌きで横っ面を薙ぎ倒す。姑息な泥暮らしは首ごとひしゃげて絶命した。
死屍累々の洞道。
だが、妙だった。
背後を突こうとする輩が、たった一人だけなはずが。
「どうかしましたか」
ぱらぱらと砂礫が降る。見上げて、戦慄した。
天井に走った亀裂。
「来るなッ」
ゴクロウは息を呑み、弾かれるように跳び退く。
崩落。
轟音を撒き散らし、間一髪で逃れたゴクロウを砂埃が覆う。駆け寄ったアサメの手を借りて抜け出し、なお後退る。
ふと背筋に冷たい予感が走った。
振り向けばすぐ底。
焦熱と、泥暮らしの軍都。
細かい瓦礫が転がり落ち、腐敗した屋根の石塔に降った。
篝火をそこら中に掲げた不朽の石橋が横たわる。武装した穢土の軍勢は重苦しい行進を踏み鳴らし、遠くの終端に屹立する鉄格子の大門前に集結。外征の時を今か今かと待ち望んでいた。
少なくとも三千はいるあの中へ、もし滑り落ちたら。心胆を寒からしめる。百と屠る前に心臓を止められ、手足をもがれ、髪の毛一本すら残らず喰い尽くされるだろう。
いつ崩れるやもしれない壁を伝って地上に登る方が、まだ。
「貴様らあッ」
憎悪の籠もったアサメの怒声に、咄嗟と砂煙へ目を凝らした。
蹲っていた二人の影。
思いつく限りの最悪な再会だった。
「こんなクソまみれの巣穴で奇遇だな、兄弟」
「ちょっと、挨拶してる場合なの」
降って来たのは、サガドとリプレラ。




