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無知の行き着く先 19

 吹き(さら)しの祭祀場(さいしじょう)を目指す。

 巡回者を先頭にし、続くは大族長を担いだ御輿(みこし)、その後を氏族長達が続く。

 本来であれば老若男女問わず、ぞろぞろと夜光の人々が付き従って参道を埋め尽くすのだが、今回は(はばか)られた。彼等の殆どが日陰の園に残って雷鳴のみ聞き、一夜を明かす。

 代わりに続くのは物々しい装備に身を包んだ親衛隊。

 腕の立つ恐れ狩りがケイラム含めて五名、巡回者が五名、そしてシクランにゴクロウ、銀髪鋼瞳に戻ったアサメの十三名である。

 ハルシはいない。厳戒部隊への編入を婚礼の儀を終えた後になっても志願していたが、今宵は新婚として夜を明かせと皆で言い聞かせた。今頃は仲睦(なかむつ)まじく過ごしている筈である。

 張り詰める緊張と、暗い雪の(とばり)

 陰に目を凝らし、風を嗅ぎ、些細な音も聞き逃さず参道を往く。

 樹々と雪像の間を潜り抜けた。風は凍え、踏み出す足が妙に重苦しく感じながらも、無事に雲仙四天名(うんせんしてんめい)の広場に出た。

 だが、一体この夜は、何だ。

 天、全てを覆う雲はどす黒く淀み。

 地、盆地の底は一切の闇に暮れ、深淵(しんえん)の様相を(てい)す。

 そして禍々(まがまが)しく屹立(きつりつ)する真朱、()びの塔。

 漆黒の天地に浮かぶ縦長の巨柱は、まるで(よこしま)なる瞳孔(どうこう)

「本当に気味が悪ぃ」

 恐れ狩りの誰かが寒々しく漏らした。ケイラムが彼を窘める。だが(むべ)なるかな、とゴクロウとアサメも心中で同意した。

 (くら)い国から此方(こちら)を覗こうとする(おぞま)しい眼差しに、誰もが射竦(いすく)められていた。

 この闇こそが、自然としてのあるがままの世界。これが禁足域(きんそくいき)の本来の姿か。


「例年ならば、向こうの稜線(りょうせん)上まで登った見物人の灯りでずっと連なるものだが」


 長年見届けたシクランでさえも、この闇を前にして重く息を吐いていた。

 雲仙四天(うんせんしてん)の広場を通り過ぎ、点々と並ぶ石柱の灯籠(とうろう)に火を灯しながら天井のない社へ。

 構造上見通しは良く、何かが潜んでいる気配もない。死角を素早く確認し、大族長及び氏族長達を送り届けた。

 老人らは誰もが振り返らず、己の為すべき業を遂行せんと邁進(まいしん)する。


「任せろ」


 ゴクロウは独り、はっきりと呟いた。

 彼等の背を見届けると、祭祀場(さいしじょう)から少し離れて雷拝(らいはい)の儀を見守る。

 寒さに身体を慣らしつつ(しばら)く見つめていると、青ばんだ狼煙が立ち上がった。一定の抑揚(よくよう)がついた何事かの読経(どきょう)が響く。

 組み上げられた大篝火(かがりび)の前で、一晩中唱え続けるという苦行に今、入った。

 ただ直向きに曇天を崇める信奉者(しんぽうしゃ)達が、深い理性を(もっ)て万を超える雷を(まね)く。心身に痛苦を課し、不壊(ふえ)たる意志を渦巻き(あわ)せ、尋常(じんじょう)ならざる感応術(かんのうじゅつ)を起こそうとしている。

 ゴクロウは決死の声をしかと聞き届けていた。

 (やしろ)から遠巻きに響く呪言は、狼煙(のろし)を伝って天へと昇る。

 瞬間、雷光。

 闇を(はら)んだ曇天に、幾つもの細い稲妻が走った。まるで血管だ。遅れた雷鳴がころころころと(うな)る。明滅する赤紫の閃光はどくりどくりと鼓動、拡散(かくさん)し、()びの塔の上空へと収束。

 轟雷。

 網膜に焼き付く鮮烈な光に、誰もが眉間を潜めた。

 放射状に波打つ雲放電が再び、集結、轟雷。

 幾つもの雷がうねり、曇天が荒れ狂う。

 音の衝撃波が全身を何度も突き抜ける。祭祀場(さいしじょう)から塔までの距離はかなり離れている。だが、(さえぎ)る物が周囲に何もない上、幾つもの雷が絡まった極太の雷撃は壊滅的な威力と衝撃波を全方位に撒き散らしていた。

 暗闇が稲光(いなびかり)によって裂かれ、眼球の奥に(まばゆ)さが残る。

 発射から再充填までの間隔は次第に短くなり、(たば)ねた縄の如き雷が()びの塔へ延々と突き立つ。

 それでも真朱(しんしゅ)の巨塔はびくともせず、相変わらずギトギトと照り返していた。


(これが雷拝(らいはい)の儀か。凄まじい)


 ゴクロウは珍しく神妙な面持ちで、厄災にも似た光景から視線を切る。

 やはり想像通り、途轍(とてつ)もない轟音が連続して響いていた。異常だ。アサメの元へ寄るとしゃがみ、聞こえるようにやや顔を寄せて耳打ちした。


「不気味以外に、何か伝わってくるか」


 小さく首を横に振る。


「私達がちっぽけに思えます。すごく、息苦しい」


 アサメは銀髪を(なび)かせ、怯える鋼眼で見据えていた。


此処(ここ)は曇天と穢土(えど)古戦場(こせんじょう)だからかもしれないな」

「言われてみれば、確かに」

「俺も何か感じたらすぐ知らせる」

「私も」


 頷き合うと、それぞれの配置に付く。

 不吉な気配を背後に付き纏わせたまま、雷の夜が更けていく。


 正午を(また)いだ。

 どす黒い曇天から絶え間なく雷が降る。轟音と稲光(いなびかり)に、耳と目は馴染(なじ)んでいた。

 空模様以外に異常はなく、山道を見張る巡回者達からも不審な報告は上がっていない。喜ぶべきだが、安堵するには早過ぎる。夜はまだ続く。

 ゴクロウは暗い森の奥に目を光らせ、立ち入りを禁じるだけの紐の柵を乗り越えて闇の崖下を可能な限り覗いては這い上がる者が居ないか注視していた。

 底は暗く、ほぼ垂直に切り立つ氷雪の断崖。

 氷塊を穿ち、岩を掴む爪があったとしても、登り切るには相当な技術と体力がいる。

 確認するならばもっと身近な箇所にするべきだが。


(もしも俺がこの儀式を何としても潰そうとするなら、無茶を通してでも裏をかく)


 危険極まる登攀(とうはん)地点だろうと侵入経路となり得るのならば、つぶさに観察する。

 見張りと交代で入れ替わり立ち替わり、アサメに視線を送り合っては首を横に振る。異常無し。

 今はただ忍耐との勝負だ。

 たかが五時間少々。血眼(ちまなこ)になって気迫を放ち続ければ良いだけのこと。

 睨みを利かせていると、次の交代が歩いてきた。


「ゴクロウよ。肩に力が入り過ぎてみえるぞ」


 シクランである。

 落ち着き払った眼差しは、警戒と冷静を絶妙に保っていた。

 長年、ユクヨニと共に曇天郷を駆け回り、決して少なくない修羅場を乗り越えて来たのだ。経験でいえば、ゴクロウなど足元にも及ばない。

 年季の入った武官の面構えはやはり頼りになる。ゴクロウは軽く笑った。


「忠告助かる。確かに熱を上げ過ぎかもな。また悪い癖が出た」

「それでいい。いつも通り飄々(ひょうひょう)としていろ。特別、頭に血を昇らせる必要はない。何度も言ったろう」

「承知承知」


 アサメがヒクラスキから感応術(かんのうじゅつ)を学んだ様に、ゴクロウもシクランと毎朝杖を打ち合った。いわば杖術の師匠だ。


「結局、負け越しだったか。一度も勝てずに去るとは思わなかったよ」

「俺も一本取ったのは一度だけだ」

「次こそは絶対に取り返す」


 シクランは鼻で笑い、急くようにゴクロウの肩を叩いた。

 話が過ぎた。交代しなければ。


「次は無い」


 背中に重い衝撃。

 踏ん張りがまるで追いつかない。不意に蹴り飛ばされた。誰に。

 思考、真白。

 その先は一切の闇底。

 転倒、転落、死。


「なにをッ」


 馬鹿な。そんな。何故。

 全身で踏ん張るが、踏み固められた雪上は想像以上に滑る。

 咄嗟(とっさ)に回転を掛け反転、起きようとして、目前へ、恐るべき一突き。

 防御不可、回避可。

 足裏に呆気ない浮遊感。


「さらばだ、好敵手よ」


 終わった。

 絶望の底へ、堕。


「敵だ、シクランだああああッ」


 雷鳴を塗り潰す絶叫。

 噴き上げる風圧に髪や羽織りを無茶苦茶にはためく。

 本能のままに護人杖(ごじんじょう)戦斧(せんぷ)を断崖へ突き立てた。反動。反発力に手が持っていかれそうになり、渾身の力でぎりぎり抑え込む。砕氷を()き上げてやや減衰。更に爪先で崖を蹴り込む。

 滑るだけ滑り落ち、近付きつつある底を覗いた瞬間、ふっと抵抗感が抜けた。

 脆い氷壁を砕いたと思った頃にはもう遅い。

 ゴクロウは体勢を崩し、真っ逆さまと剥き出しの岩に叩きつけられた。


「ッ、ァッ」


 がらんごろんと戦斧(せんぷ)護人杖(ごじんじょう)が盆地の底へ転がっていく。それはゴクロウも同じ。地を擦る勢いは止まらず、何度も何度も何度も転げ落ちて全身をくまなく打ち付けていく。

 全身の臓腑(ぞうふ)が反っくり回る致命痛。

 ゴクロウは無意識のまま、横転する姿勢を縦方向へと曲げた。

 大きく縦に一回転、跳ねた。だが勢いは殺せた。

 瓦礫の上を暫く擦りながら、漸く収まる。

 顔面に刺さる砂利の感触。

 突っ伏していたのはごく僅かだった。

 びくりと全身を震わせる。

 ゴクロウは痙攣(けいれん)をはね退けるように歯を食い縛り、動くのを止めろという脳の信号を無視して砂利を掴み、立ち上がろうとした。

 ばたばた、と全身から血液の糸が引く。常人ならばとうに絶命している。

 ごふ、ごふ、と何度か咳き込んで食べた物を吐き戻した。口の中を切ったせいで未消化の吐瀉物には鮮血が混じっていた。

 揚げ芋の残滓(ざんし)と、口の中に残る妙に甘ったるい味を吐き捨てる。


「シクラアアアアアアッ」


 ゴクロウは血と咆哮(ほうこう)を吐き出した。怒りで激痛を呑み込む。

 鬼の形相で崖上を仰いだ。

 敵はシクラン。理由など知った事ではない。奴に流されたこの血で充分だ。

 奴だけか。まさか。単独な筈が。

 曇天に、幾千撃目かの稲妻が走った。

 明らかになったその姿に、愕然(がくぜん)とする。


「馬鹿な。お前、いつから」


 銃を構えた異形の女が、崖淵(がけぶち)で標的を狙っていた。


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