敗走 6
男は言葉とは裏腹に極めて冷淡な口調であった。
よく磨かれた黒革の軍靴。
陰から銃を放ち、蹴りを入れたのはこの男で違いない。目の前の敵に気を取られ過ぎた。
脱獄野郎は仰向けに倒れたまま睨みつける。
鋭い目つきの男だ。無表情で思考がいまいち読めない。やけに小綺麗な印象を窺える。濡羽色の髪を几帳面に撫でつけ整髪していた。隙がない。優秀なのだろう。絶対的な自信と隠し切れない凶暴性に満ち溢れている。
この男が賊の長だ。間違いない。
「羨ましい肉体だな。大きいが太過ぎず、実に機能的ときた」
負傷した左腿を靴底で踏み躙られた。
「ぐううッ」
脱獄野郎は歯を食い縛りながらも蹴り払って退けた。後転して大きく距離を取る。
対する男は特に身構えない。
「まだまだ活きも良い」
男二人、睨み合う。
一方は無表情のまま、もう一方は手負いの獣の様な目で互いを見定めていた。
強い。脱獄野郎は正当に敵を評価した。
男の右手には硝煙を吐く骨董の小銃。遊底を手動で弾き、装填と排出を行う旧い機構の代物。腰には大小の短剣一つずつと、肉厚な曲刀。身長はほぼ同じか低い位。体格差は優っている。とはいえ上着の膨らみから察するにかなり鍛え込まれていた。日々の積み重ねがあっての賜物だろう。
そしてこの男にぴったりと寄り添う化け女。
リプレラと呼ばれていた。戦闘能力は味わった通りで底が見えない。
実によく似た二人だ。
表情は対称的だが凶暴な顔つき、傾向は異なるが凶悪な性格。否、見た目の問題ではない。阿吽の呼吸と言うべきか、言葉以外の手段で意思疎通を図っている様な気さえする。
漂う気配に色があるとしたら、二人とも全くの同色、それも紅柑子だろう。
魂で繋がっているとでも言うのだろうか。
だとすればそれは、絶対的な脅威。
「二対一か」
脱獄野郎はぽつりと呟いた。
男は辺りをゆっくり一瞥する。
「十四対一だ。この状況でまだやる気か」
気付けば残りの賊共が遠巻きから野次を飛ばしていた。あの程度、数にも入らない。
「逃さないだろ」
「ああ。背後を見せれば撃つ。立ち向かえば斬る」
男は曲刀を抜き放ち、鋒を向けた。
「そして跪くというのなら、受け入れてやる」
脱獄野郎は眉を吊り上げる。
成る程、にやりと笑った。
「手前の手下を散々殺した敵に向かって、手を組もうってか」
男の眉に力が込められた。
「生き方を選び、何を掴み取るかは手前次第だ。サガドという俺の名を、この曇天郷の地で最も名高く轟かせると決めている。俺は俺の道の為に、お前が必要だと閃いた」
サガドと名乗ったこの男、本気で言っている。口から出任せとはまるで思えない。
願ってもいない馬鹿が現れた。生存への道が開けた気がした。
「面白いな、お前」
負傷した脚を庇いながら、立ち膝をつく。見ようによっては跪いて見えるだろう。
「俺はサガドだ。羆野郎」
小銃を女に預けると歩み寄った。相変わらず、無表情を保ったままである。
眼前に手が差し伸べられた。
「脱獄野郎って名乗るつもりだったんだがな」
「言い辛い。獄郎。ゴクロウはどうだ」
脱獄野郎、ゴクロウはサガドの手を取った。
「良いな。気に入った」
力を借りて立ち上がる。
脚はまだ折れていない。
やはり逞しい腕だ。殴り合えばただでは済まない。握力は勿論、蛇の様に絡む指力。柔な指ならば簡単に圧し折ってしまうだろう。
離れない。
両者、固く手を結んだまま、離さない。
交差する視線。
猛禽の如き眼差しのゴクロウ。
狼の如き眼力のサガド。
「それで、答えは」
獰猛な笑みを見せつけたゴクロウは、吠えた。
「くたばれ、自己中野郎」
膨れ上がる殺気。
怒声罵声があちこちから響いた。
ゴクロウは腕力で強引に引き寄せた。天狗鼻目掛けて頭突きを見舞う。サガドの鼻から盛大に血が噴いた。
腕を振って振り解。
「愚かだな、ゴクロウ」
けない。
冷酷な視線が突き刺さる。眠れる闘志に火を近寄せただけだった。
急に手放される。手がすっぽ抜けた。
後の先を取られたゴクロウは体幹を崩した。重い下段蹴りを負傷した太腿へ、まともに喰らう。
大腿骨の折れる不快な音が、体内から聞こえた。