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無知の行き着く先 18

 演奏が止んでもなお、耳朶(じだ)に残る太鼓の音。


「第一五三七記雷拝(らいはい)祭を執り行う」


 年老いた大族長ルエイニユに代わり、次期候補と名高いムヘナ氏族長カコヤが主となって宣誓(せんせい)した。絵に描いた様な好好爺(こうこうや)だ。そんな似た様な老人達が連なる中、炯々(けいけい)とした瞳を(たた)えたヒクラスキだけがやけに浮いて並んでいた。

 粛々(しゅくしゅく)祝辞(しゅくじ)が述べられ、式が執り行われていく。

 そして、待ち兼ねた婚礼の儀が執り行われようとしていた。

 氏族の新郎新婦は一組ずつ壇上に上がり、誓いの句を詠む。

 新婦から新郎へ。新郎から新婦へ。

 今宵(こよい)を境に人生を結ぶ二人は、証として己の想いを贈り合った。

 一組は薪と酒を。

 一組は歌と弦鳴を。

 そして一組は、羽織りと武を。

 集まるほぼ全ての者は皆、驚きに口を開いていた。

 のしのしと神聖なる壇上に上がったのは、夜光族ではない。客人ゴクロウである。

 その手には二本の護人杖(ごじんじょう)

 飴色の軽そうな一方を放り投げると、新郎ハルシは軽々と受け取り、向き合った。

 彼の顔をよく見ると(あざ)が薄ら残り、正装の隙間からは包帯が覗いている。万全とは言い(がた)い。

 対する大男ゴクロウは傷一つ見受けられず、気力に満ち溢れていた。その手には黒みがかった護人杖(ごじんじょう)。使い手の闘志が精素と混じって染み込み、感化した得物である。

 素人目であっても、何が行われるのかは誰もが容易に想像していた。

 一方的な試合になる。

 固唾(かたず)を飲んで見守る中、両者、夜光礼ののち、構え。

 接敵。


「ゼエエエイッ」


 静粛(せいしゅく)な場にまるでそぐわない気迫の声。

 鋭い踏み込み、一歩間違えば頭が砕けかねないゴクロウの一突き。決死の形相で迎え撃つハルシ。


「らアッ」


 何百何千と繰り返し鍛錬した足捌き、体捌き、手捌き。

 乾いた音が一つ、鳴り響く。

 上方へと弧を描いて跳ね上がったのは、ゴクロウの黒護人杖。

 落下する凶器の行方に悲鳴を上げる者が何人も居たが、観衆の陰から飛び出たアサメが難なくそれを掴み取って事なきを得た。

 壇上を見つめる人々のどよめきは、まだ収まらない。

 たった一手で息を荒げ、汗を流すハルシ。

 口をぽかんと開いた新婦のウヤリ。

 夜光礼をしたまま壇上に居残るゴクロウ。


(もう、バカ、なんで退場しないんですか、恥ずかしいッ)


 そそくさと隠れたアサメだけが、堂々とし過ぎなゴクロウの代わりに顔を赤らめてむにゃむにゃと唇を結んでいた。


「我、ハルシは宣言するッ」


 凛と張りのある一声に、どよめきがしんと静まった。


「この地の安寧と秩序を守り(たも)う主、曇天様。そしてヨラン氏族長ヒクラスキ、偉大なる父ユクヨニの名の下においてわ、我、ハルシは」


 緊張している。二度言った。

 新郎ハルシはぎこちなく新婦ウヤリへ向き合った。

 早くも涙ぐむ彼女はごく小さく、大丈夫、と励ます。

 応じるようにハルシは頷き返し、一呼吸。


「全ては護る為に技を得た。全ては愛するウヤリの為に鍛え抜いた。いつの日か足腰が立たなくなろうとも、この杖と貴女の手を取って家族を導く」


 ハルシは左手に護人杖を携えたまま、右手を差し出した。

 手を繋いだままならば、遠く離れはしない。

 無理に走り出したりもしない。

 歩幅を合わせて、共に歩もうという魂からの現れであった。


「受け取ってくれるか」


 ウヤリは(うやうや)しく一礼した。

 上げた面には幸せに満ちた笑みと、一筋の涙が流れていた。


「はい。心から」


 二人は手を取り合う。

 静寂(せいじゃく)の中、どうしようもなく微笑み合っていた。

 最初の拍手が響く。

 伝統を重んじる氏族長らが苦虫を潰した顔つきで並ぶ中、ヒクラスキだけが嬉しそうに祝福の音を贈っていた。我が馬鹿孫らしいと言わんばかりだった。

 一つの拍手はヨラン氏族へと伝わって音を増やし、気付けば今までに一番大きな喝采(かっさい)が巻き起こる。収集がつかないほどの大演奏へと発展する中、か細い声のムヘナ氏族長では到底抑え切れなかった。


「おめでとう、二人とも」


 ゴクロウが真っ先に御祝いの声を掛ける。

 ウヤリは涙を拭いながら恥ずかしそうに笑っていた。


「ありがとう。まさか、貴方が出てくるとは思わなかったわ」

「だろう。みんなの驚いた顔。いや、たまらなく気分が良いね」


 呵々大笑(かかたいしょう)巨軀(きょく)を揺らすゴクロウの肩を、ハルシがぱしりと小突いた。


「君さ、本ッ当に手加減無しじゃないか。死んだらどうしてくれたんだよ」

「はは、危うく新婦の仇になるところだったな」


 ゴクロウとハルシはじゃれ合う様に肩を叩き合う。

 ウヤリの(にこ)かな表情が、より心地良い。


「本当に仲が良いのね。兄弟みたい」

「だったら義姉上と呼ばせてもらおうかな」

「じゃあ俺は義兄上か」

「ハルシはハルシだろ」


 三人共に、心の底から笑い合った。


 婚礼の儀が終わり、日没まではしばし歓談の無礼講となった。

 ゴクロウ、アサメは世話になった夜光の人々に別れの挨拶をして回る。

 言葉を交わす度、思い出が次々と蘇った。

 馬飼の(おきな)、伝書鳩の(おうな)からはいつも味の濃い芋煮をお裾分(すそわ)け頂いた。荷物を軽々と運ぶゴクロウとすれ違う度に、見上げた男だと手を叩いて褒めた。

 炭焼きの夫婦が作業をしている間は、子供達に掃除の仕方を教えた。遊び心を交えていると次第に本腰を入れて遊んでおり、ゴクロウの背や腕には子供達がぶら下がっていた。終始黙々と手を動かしていたのはアサメであった事など言うまでもない。

 そんな彼女がゴクロウよりも一番得意としていたのは調理以外の家事全般だった。

 床拭き埃取り洗濯風呂磨き整理整頓。物言わない相手には気が楽なのだろう。無言でせっせと(こな)しては次のお宅へ、また次のお宅へ。無愛想だが礼だけはしっかりとする勤勉な少女は誰からも持て(はや)されていた。ハルシの姉ヘトエは特にアサメがお気に入りだった。小さい手で裁縫(さいほう)する姿を眺めて癒されていたと告白され、当の本人は若干引き気味で礼をするのであった。

 ゴクロウは単純作業よりも動物の世話や多人数での力仕事を好む傾向にあった。

 自然と輪に入っては打ち解け、力自慢達を腕相撲で全員薙ぎ倒し、気付けば先頭に立って指揮を取っていた。誰よりも長く早く働き、時間が空けば助けを呼ぶ声の方へ。ハルシを含めた巡回者達は彼を見習い、差し伸べる手を次第と増やしていた。

 一体どれほどの感謝と、笑顔と、涙と、夜光礼を交わしただろうか。

 これが旅の始まりだというのなら、これ以上喜ばしい門出(かどで)はあるのだろうか。

 此処(ここ)が帰るべき家なら、もはや彼等は家族だ。


「お前さん達」

「ヒクラスキ」


 ゴクロウとアサメは同時に夜光礼を示す。

 いつ頃からだろうか、族長殿とヒクラスキという呼び名が混ざったのは。

 夜光の僧衣(そうい)に着替えたこの(たくま)しい老婆は、二人の精神的な支えとなり、進むべき指標を提示してくれた。

 ゴクロウの命を救った恩人。アサメの師匠。


「もう立派な夜光人だね。その礼を皆から、何度受けたか、数え切れるかい」

「全くだ」

「お前さん達がそれほどまでに礼を尽くてくれたからだよ。皆の為によくやってくれて、ありがとう」


 深い深い礼だった。

 胸が熱くなるとはこの事か。

 こみ上げも感極まりもしないが、ゴクロウは一心に想いを受け止めていた。

 だが、アサメは(うつむ)き、肩を震わす。


「悔しい」


 小さくも沈痛の込められた一言だった。


「もっと早くに気付いて、学んでいれば」


 感応術(かんのうじゅつ)習得の成果が(かんば)しくなかったという自責に、耐えられないでいる。

 ヒクラスキは屈み込み、アサメの肩を優しく触れた。


「出来なかったんならそれでいい。それもきちんと踏まえて、また出来る事を必死になって考えて、何度でも挑戦するのさ。そうすれば」


 大きな腕を回し、抱き寄せる。

 人々からの(あら)ゆる感情を貰い、受け止め切れなくなったのだろう。


「アサメよ、お前さんなら必ず成し遂げられる」


 漏れる嗚咽(おえつ)を押さえ込むような、それでいて優しい抱擁(ほうよう)だった。

 喉の痞えが治るまで、ヒクラスキは胸を貸す。


「そろそろ準備しに向かう。あたしの背中は頼んだよ」

「勿論だ」

「はい」


 ゴクロウは深く、アサメは目元を拭い、強く頷いた。

 日没を知らせる太鼓が響く。

 本祭が始まる。


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