無知の行き着く先 9
無常の脅威が迫ろうとしている。
それもただの自然災害ではあるまい。
「その氷霧殿という天災が、わざわざ忠告しに俺の前に現れたってのかい。親切なもんだ」
ううむ、とヒクラスキは頷いた。
「そう単純なものではないわ。氷霧様、いや垂迹者らとは多くを語らぬ」
「あんなとんでもないのが他にも居るのか」
「覚えておくといい。氷霧様、灼雷様、闇雨様、廻彩様。これらは雲仙四天名、曇天様が重用なさるお方々よ。お目に掛かるだけでも光栄なのに、お声まで授けるとは余程のことじゃ」
ほう、とゴクロウは太腕を組む。
「ありがたいね、御利益の効果覿面だ。今日は酒飲んでゆっくり眠れるんだからな」
皮肉って茶を濁す。
「孫ならこの罰当たりがと叱りつけているところだよ」
ヒクラスキはじろりと睨むが、ゴクロウは肩を竦めるだけであった。
「それにしても曇天の信奉者だらけのこの地で、わざわざこの俺に声を掛けるとは物好きだよ。アサメ、氷霧殿は俺のどこに惚れたと思う」
じとりと横目で睨まれる。
「すごく調子に乗ってますね」
「そうじゃな。氷霧様のお言葉通りなら、お前さんはつねに観られているのだ。妙な振る舞いをしていると赤子の首をひねる様に殺されてしまうぞ」
二人の鋭い視線に、ゴクロウはどこ吹く風と頭の後ろで手を組んだ。
「俺は俺だ。だから選んだんだろ。取り繕う方が偉い目に遭うってもんだ」
「お前さんらしいというか、ま、一理あるが」
「あ」
アサメはふと何かを思いつくと、天に向かって夜光礼を示した。
「ん、どうした」
少女はにやりと珍しくほくそ笑む。
「どうせ観られているならお願いしておきました。貴方が私に嫌がらせをする度に、天罰を十回与えてくださいって」
「アサメ、そんなことしたらお前も道連れだぞ」
「いや、だから貴方が何もしなければいいじゃないですか」
「悪戯一回につきご利益を百回くぅださい。はい俺の勝ち」
「本当に幼稚。馬鹿。ヒゲゴリラ」
ヒクラスキはぴくぴくと眉間を引き攣らせていた。
「こんの不敬者共おッ、氷霧様で弄ぶでないわあッ」
喝が入ったところでゴクロウとアサメはぴんと背筋を伸ばした。
「お前だぞ」
「共って言葉知ってますか、貴方もですよ」
「まあだ続ける気か」
口を噤むが、それでも二人は目で言い合いを続けた。
「とにかく、危惧する一大事がより真実味を帯びたのだ。泥暮らしどころじゃない。穢土の災禍が遅かれ早かれ訪れる。すぐユクヨニに話して可能な限りの応援を、無理なら対策してもらうよ。爺どもの意見はもう無視だ」
「大忙しだな、ユクヨニさん」
「根っからの仕事人だ、大喜びするだろうさ。お前さんと同じさね」
誰もが皆、やるべきを抱えている。
そう思うと、俄然と心の底から力が湧き上がる。
ゴクロウは心の底から湧く戦意を凶悪な笑みに変えて露わにした。
「任せな。俺が一番得意な仕事だ。好きなだけ暴れてやるよ」
「頼んだ」
二人が意気込む中、アサメだけが不安そうに身を任せていた。
「あの」
少女はおずおずと声を上げる。
「お前をみている、って。言葉足らずにも程があると思うんです。氷霧様はどうしたいんでしょうか」
「面白い奴が来たからツバつけとこ、ってところじゃねえの」
絶対に違う気がする、とアサメはじと目で睨む。
ヒクラスキはといえば頬の皺を伸ばしながら考え込んでいた。
「我らの心に問うておられるのだ。みているという意味を己で考え導き出さねば、早晩行き詰まる。それも取り返しのつかない処でね。あたしはそう思うよ」
静寂とした空気に包まれる。暖炉の火だけがばちりと爆ぜて主張した。
老境に至って久しいヒクラスキの智言に、若い二人は難しい顔つきとなって唸るのであった。




