敗走 5
にたにたと笑う化け女と鍔迫り合う。
まるで押し退けられない。
「下衆共の臭い寝床に戻ったとして、お前は大人しく寝かせてくれるのかよ」
「気付いたら疲れて寝ているかもしれないわね。腐敗するまで、ずっと」
押し飛ばされる。
上手く力を利用して距離を置くが、詰めが速い。
蛇眼の女は笑みを深めたまま、長刀による猛攻を開始。
重い。速い。激しい。
刃と刃が熱く触れ合う度に橙の火花が闇夜に散る。
掌から伝わる金属が割れる感触。
もう使い物にならない。鈍の刃を投げ付けるが蹴り返され、明後日の方向へ弧を描いていった。
雪が舞う。
冷たい白煙を割いて現れた拳打。
脱獄野郎の右頬を擦過、血が飛び散る。鋭い鱗に覆われた拳の連打。腕で払って弾き返す度に斬り裂かれる。
防戦一方だった。妙に気怠く、動きが鈍い。蹴り飛ばされる。跳び退いて威力を殺し、間合いを取った。
脱獄野郎は敵を睨む。
にたつく化け女は長刀の柄に毒牙を立てた。刀全体に琥珀色の液が伝う。
「妙な毒を盛りやがったな」
脱獄野郎は吐き捨てるように唸る。頭部から滴る血で、雪上には点々と赤い飛沫が飛んでいた。
「貴方も只者じゃなさそうねえ。もう治りかけているじゃない」
化け物は拳に付着した血を味わうように舐め取る。生粋の嗜虐者だ。血祭りを上げたくて堪らないのだろう。
一気に仕留めなければ。
「なあ。本当に殺し合わないと駄目か」
「命乞いは怯えた顔でお願いするものよ」
脱獄野郎は眼をかっ開く。
槍を振って唸らせ、上段から突きつける様な構えを取った。
「ならば斃す」
脱獄野郎は己の底に潜む不撓不屈を強く求めた。
それは本能的な呼び掛け。
それはより強い意志のある者に力を与える、この世界の理だった。
呼吸を整え、冷めた外気を大きく吸い込む。
肺胞に達した酸素とそれは血液に溶け込むと自浄効果を更に高め、複雑に噛み合う蛋白質毒素を強力分解し、無力化。それだけでは留まらず、心臓の鼓動に乗って全身に生命力を滾らせていく。
屈強な体表から蒸気が発散。
浮いた血管がほんの一瞬、真紅の輝きを放った。
頬や腕に刻まれた傷も塞がっていた。
「ふうん」
化け女のにやけ顔が消えた。
毒牙を剥き出し、縦長の瞳孔が拡充。
凶相の笑みを露わにする。身構え。
「破ッ」
させない。
冴え渡った踏み込み。予備動作無しの走法により急加速した脱獄野郎は一瞬で間合いを詰め、全力突きを放つ。狙い違わず心臓へ。
銃声。
「あ」
脱獄野郎の左太腿。突き抜ける重い衝撃。
平衡感覚を破壊され、姿勢を保てず滅茶苦茶な転倒を繰り返す。激痛を抑え殺し、射線を切らんと全身全霊を込めて横転。更なる銃撃に備え遮蔽物を探す。
鳩尾に食い込む鋭い蹴り。
「ごッふ」
横隔膜が迫り上がり、肺を圧迫。呼吸困難に陥った。槍の柄を蹴り飛ばされ、手放してしまう。
「リプレラ。何が起こった」
「客人が湧いたのよ。そんで大暴れ」
「ほう。幸運だな」
冷淡な男の声が聞こえた。