無知の行き着く先 7
鈍い頭痛がどくどくと脈打つ。
それでも眼球は動き、重い瞼をこじ開いていく。息が荒く、心臓も早鐘を打つ様だった。身体が汗ばんで気持ちが悪い。
茅葺の小屋。
既視感のある光景。
ゴクロウは部屋の片隅に横たわり、中央の小さな焚き火の方へ寝返りを打つ。
灯りの向こうには、丸まって眠る氷の少女がいた。
縮れた髪は霜を纏った小枝の様で、細かな氷を辺りに散らしていた。
「アサメ」
腕に力を込めて気怠い身体を起こし、壁を頼りに立ち上がると、アサメの隣で何とか腰を落とした。
胸を安らかに上下させる少女の矮躯は酷く冷たく、頬に触れた指を思わず引き離した。
人肌の体温を遥かに下回る、氷の肉体。
尻尾の鋭い先端さえも微細な氷を煌びやかに纏っていた。
どうせ疲れて寝ているだけに違いない。
「アサメッ」
だが、思いとは裏腹に強く呼び掛けていた。
華奢な肩をびくりと震わすと、眉間に皺が寄って瞼が開いていく。紺碧の瞳は少々彷徨い、なんとかゴクロウを見つけた。
「びっくり、させないでくださいよ」
ふと膝に触れた小さな掌。
固形炭酸じみた鋭い感触。
「冷、熱ちいッ」
「うるさッ」
ゴクロウは思わず大声を上げる。
二人は一先ず、焚き火を挟んで落ち着く。
「俺、どこでどうしてた」
身体はまだ気怠くふらつく。
「知りませんよ。日陰の園の門に入ってすぐ、急に倒れたから。私も驚いて助けを呼んで、運んで貰ったんです。ヒクラスキが言うには単なる過労だって言ってました」
確かに誰よりも睡眠時間は短く、それでいて誰よりも働いた。身体が疲れているとは微塵も思わなかったが、どこかで無理をしていたのかもしれない。
「それよりも私は、また」
アサメは沈んだ表情で、凍雪の爪先に視線を落としていた。
「戻せないのか」
こくりと頷く。
ゴクロウはアサメの見た目に心当たりがあった。
「凍土の王とそっくりだ」
え、と少女は首を傾げる。
「縮れた髪、眼の輝き。あの馬鹿でかいのをもっと凝縮して女の子にしたら、たぶん今のアサメみたいになるんじゃないかな」
「頭打っておかしなものでも」
「見た。人でも獣でも化け物でも幽霊でもない。生命を超越した何かをな」
確固たる言葉にアサメは何も答えられず、ゴクロウもどうすればいいのか戸惑う。
あのよ、とぽつりと切り出す。
「そのとんでもなく冷たい身体、何か不自由はないか」
「いえ。いつも通りというか、いやいつも通りじゃないけど、とにかく今までのやり方じゃ元には戻らなくて」
尻込んでいく声を聞きながら、ゴクロウは考えた。伸びっぱなしの髭を摩り、思いつく。
「ちょっと試してみたい」
そう言いながら、アサメの頭上に掌を翳した。
数日前、麓の日陰の園でヒクラスキが感応術の一端を見せつけた時を思い返す。
いまいちなアサメは訝しんでゴクロウを見上げた。
「転換だ。今の姿を受け入れるんだ。その上で自分を思い浮かべてみろ」
「試しましたよ、でも」
「一人でダメなら二人だ。俺も一緒にアサメの姿を思い浮かべる」
「わかりました」
不承不承といった具合だが、二人で念じた瞬間、あからさまに一変した。
矮躯の奥底に、冷たい力が渦巻いて流入していく。人間の深い部分に定着、固定する感覚とでもいえばいいだろうか。
アサメはいつも通りの銀髪鋼瞳を取り戻していた。
「上手くいったぞ」
アサメは掌をくるくると返し、髪を振ってほっと一息した。
「因みにさっきの姿に戻せるか」
ううん、と眉間に皺を寄せたり、眼を瞑ったり、もう一度ゴクロウが掌を翳して協力してみるが、凍土の王の姿に近付く気配は一切無かった。
憤懣やる方ないと細い腕を組む。
「何だったんですか、もう」
「ま、何にせよ」
力が抜ける。
「え、ちょっとッ」
ゴクロウは仰向けで倒れ込んだ。
アサメが側に駆け寄るとへたり込み、大きな肩を揺さぶった。
「大丈夫ですか、ねえ、起きてください」
「生きてるよ。安心しただけだ」
少し冷たい少女の掌。
ゴクロウは大きく深呼吸し、目を瞑りながら微笑んだ。瞼の裏は暗く、焚き火の灯りがわずかに焼き付いている。
「曇天のスイジャクシャだか、ヒキリだか。アサメは何も見てないんだよな」
「何の心当たりもないです。貴方はおかしな夢から覚めたばかりで、まだ寝惚けてるんですよ」
突き放すような、だが優しさを内包した落ち着く声音。ゴクロウはアサメを見上げた。
仏頂面はどこか心配の色を帯びていた。鋼の瞳を暫く見つめると、居心地悪そうに身動いだ。
起き上がる。
「じゃあ証明しようか」
「どうやって」
「敬虔な信者に尋ねるのが一番だ。ヒクラスキの所へ行こう」




