無知の行き着く先 4
「来たね」
暖炉の前で椅子を揺らして寛ぐヒクラスキに出迎えられた。
こじんまりとした応接間は狭いが故に距離も近く、静かに話すには最適だった。
風が通り抜ける屋外と違い、暖気に包まれて気分が解れる。ゴクロウとアサメはヒクラスキの対面にある長椅子に腰掛けた。
「会議はどうだった」
「日程が一日ずれるだけだ。ゆっくり休んでくれとさ」
そうかい、と事も無げに呟いた。
淹れておいた香茶を注ぎ、二人に渡す。
「それにしてもアサメよ、感応術の扱いが身に付いてきたようじゃの」
「おかげさまで」
「どれ、見せてみよ」
アサメは頷くと瞳を閉じる。
銀髪が毛根からみるみると夜色に黒く染まり、瞼を開くと紫紺に変じていた。
ヒクラスキは満足げに何度も頷く。
「結構。今、お前さんの中でどうしている」
む、と考える。
「夜光の精素を受け入れました」
「戻す時はどうする」
「入り込んだものを押し出す感覚で」
そう言いながら目を瞑ると元の銀髪鋼瞳に時間を掛けて戻っていく。
「ふむ」
ヒクラスキはおもむろに腕を伸ばした。アサメの頭上に節くれた掌を翳す。
「これならばどうじゃ」
掌が退けられると、ゴクロウは目を丸くした。
何のことやらと訝しむアサメだったが視界端に揺れる黒髪に気付く。
夜色の黒髪と紫紺の瞳に戻っていた。それも一瞬の出来事だった。
「戻してみよ」
アサメは目を瞑るが、一向に戻る気配は無い。目を開けても紫紺のまま。染まったままの黒髪を掻き寄せ、困惑の表情を浮かべた。
「どうして」
「その姿を、ありのまま受け入れてみよ」
「これを」
戻らない。
「落ち着いて、己というそのものを受け入れよ。そして改めて取り戻してみよ」
通じたのか、戻った。
それも眼を瞑らず、一瞬で銀髪鋼瞳に転じた。
アサメは己の髪を摘み、あからさまに安堵する。むっとヒクラスキを睨んだ。
「何をしたんですか」
「なんてことはない。お前さんが元々持つ染まりやすい精素を、あたしの持つ夜光の精素で誘引させて故意に変化させたのじゃ」
アサメは大きく首を捻り、疑問符を幾つも浮かべた。
「お前さんは言ったな。夜光を受け入れて、押し出したと。あたしがやったのは元々持つ性質を夜光の方へ傾く様にひっくり返した。こうなるとそもそも受け入れてないのだから、出て行く道理がないじゃろう」
「ナルホド」
アサメはかなり適当に頷いた。
恐らく半分も理解し切れていない。論理的に考えるのはあまり得意ではなかった。
「気になったんだがな」
ゴクロウは伸びてきた顎髭を摩りながら問いかけた。
「どうしてアサメは夜光人の様に半透明化しないんだ」
「確かに、なぜでしょう」
アサメ本人もあまり考えた事がなかったのか、腕を組んで考え始めた。彼女からの答えは元々期待していない。
ううむ、とヒクラスキは少し唸る。
「これは予想だが、あくまで染まりやすいというだけで表面的な部分しか影響を受けないのだろう。それか、もしも一定以上踏み込んでくる性質を無意識的に遮断しているとするのなら、感応術に対する理解を深めることでより近付けるのかもしれん」
相変わらず首を傾げるアサメであったが、ゴクロウは成る程、と言わんとしている内容を理解した。
「アサメ。感応術だ。これでお前の身体の秘密を解き明かせば、真実に近付けるかもしれない」
アサメは俯いた。
「そうでしょうか」
不安そうな顔だった。
前に進むのを望み、だが恐れている様にゴクロウは思えた。だがそれも違うとすぐに思い至る。ふっと笑った。
「悪いな、俺が決めることじゃねえわ」
二人はそれ以上、何も答えなかった。
本題はまだ終わっていない。
泥暮らしと雷拝祭との因果関係について、ヒクラスキの見解を聞きに来たのである。
ゴクロウとアサメは、族長が語り出すのを黙して待つ。
「さて、よいかの」
二人揃って頷いた。
ヒクラスキは香茶を啜り、一息吐く。
「泥暮らしと雷拝祭。どう結びつけた」
邪魔な顎髭だ、と摩りながらゴクロウは思った通りに話してみる。
「泥暮らしが戦争を仕掛けるなら雷拝祭は恰好の標的に思える。意味のある儀式を邪魔する事で、災いをもたらす引き金を弾く気がしただけだ」
ふむ、とヒクラスキは深く頷く。
「点と点はぼんやり浮かぶが、線と線がどう結びつくかは判らないといったところかの」
「まさにそんなところだな」
「実を言うとあたしも似た様なものさ」
アサメといえば手持ち無沙汰そうに香茶の器を両手で包み、時折ちびちびと啜っていた。
「先に断っておくが儀式がいかにして執り行われ、成立していくかについては詳しく語れん。よいな」
ゴクロウは頷いて応じた。
口外できない事情があるのはなんとなく察している。
「雷拝祭とは、時の経過に疎い『覚せし自然』である曇天様に定刻を知らせる祈祷を捧げ、大地の奥底、穢土に無数の雷を喰らわせる。これが雷を拝むという名の由来じゃ。曇天様と穢土は太古から因縁があっての。我等が安寧と地上で息づいていられるのは、かつての大戦を曇天様が制したおかげよ」
ほう、と顎をなぞる。
「泥暮らしが邪魔をする大義名分が立つな」
「だが、少なくとも六千年もの間、この儀式がある年に連中が現れたのはあたしが知る限りでは史上初さ。祭祀場が狙われるという事態すら起こっていない」
「異常だな。今まで何も起こらなかったのが不可解だ」
よくぞ言った、とヒクラスキの目がかっ開いた。
「そうさ。あたしはいつか来るんじゃないかとずっと危惧しとった。戦える巡回者を増員せよと何度も発言していたが、他の族長どもは能天気なもんさ。何も起こらないならそれに越したことはないし、今後もどうせ起こらないってね。ふざけるなよ。おかしいじゃろうが、劣勢側は必死なんだよ。あたしなら今の平和ボケした隙を狙うぞって怒鳴ったら今度はどうだい、氏族長としての品格に欠けるだの、安寧と平穏を司る曇天様の教えに反するだの。しまいにゃ心配し過ぎだ御婆上ときた。阿保か。身内も頭の天辺まですっかりぬるま湯に浸ってやがったんだッ」
ヒクラスキは一気に捲し立てた。
一旦落ち着くと残りの香茶をがぶがぶと飲み干す。
その怒り心頭ぶりにゴクロウは可笑しそうに声を漏らしていた。アサメも長引きそうな話に片眉を吊り上げて聞いていた。
これ以上は暴走しそうだとゴクロウは口を挟んだ。
「俺達が警護に付く。金は要らない。いいよな、アサメ」
「構いません」
「ぐぬ、そうかい。助かるが、しかしね」
ヒクラスキはまだ話し足りなさそうである。
ゴクロウとアサメは顔を見合わせる。良い機会だ。二人は頷き合った。
「この際だから改めて話しておきたい。雷拝祭が終わった後だが、貴方達にはきちんと別れを告げて、二人で旅に出ようと思う」
ようやく落ち着きを取り戻したヒクラスキはうむ、と頷くとお代わりの香茶を注いだ。
「それがいい。お前さん達はこの世界を歩くための立派な脚を得た」
「本当に世話になった」
節くれた手をしっしと鬱陶しげに振る。
「もう何度も聞いたよ。そろそろ耳に穴が開く」
だが別れを惜しまず微笑んでくれた。
「行くなら煤湯の街かい」
「ああ、ユクヨニさんが教えてくれた。今の世の縮図だと」
「そうかい。あたしも行った事はあるが、どこも彼処もやたらと眩しい上に、酷い空気と複雑な精素の気配でね。嫌気が差してすぐに帰ったもんだ」
ヒクラスキは遠い目つきで椅子を揺らしていた。
甘く優しい香りを嗅ぐと、何か思い出したかのように茶葉の入った木筒に触れる。
「アサメはこれがお気に入りだったね。いくつか持たせてやろう」
「あ、ありがとうございます」
アサメは少し寂しげな声音だった。
今は別れを惜しむ時ではなく、まだやるべき仕事が幾つも残っている。
「曇天郷に居る限りはあたしらは何処かで暮らしている。道に迷ったらいつでも訪ねればいいさ。ユクヨニも居るしねえ」
「その時には面白い土産話と美味い酒でも持っていくよ」
「ふん、期待しないで待ってるよ」
夜も深く、疲れで眠り落ちそうなアサメを連れてこの日は解散となった。




