無知の行き着く先 3
雪風を凌げる林間を利用して天幕を張り、少々長めの休息に入る。
だが巡回者達に腰を落ち着かせる暇はなく、中継地点までの調査を急ぎ行いに向かう。
此処から目的地点である凍土の王の沐浴地まで、直線距離にすると実は意外と短い。
向かう先は一五〇〇程の高地だが、途中何度も高低差の激しい山道を横断して登らなければならないのが難関なのである。
ゴクロウとアサメは周辺調査を巡回者達に任せ、民の警護に徹した。
幸いというべきか、一度の襲撃も起こっていない。
人を襲う恐れのある肉食獣の痕跡も無いわけではないが、姿を現す気配は感じなかった。夜光の光に獣避け効果がある後者は兎も角、不気味なのは頭の悪い不届き者達、泥暮らしの方だ。
ゴクロウは護人杖を片手に、もう片手で冷たく硬いパンを齧りつつ警戒する。
アサメも鋭い視線を丘陵の方へ飛ばしていた。
「お前さん達」
振り向けばヒクラスキがのしのしと歩み寄っていた。
ゴクロウとアサメは揃って夜光礼を示す。
「少し痩せたんじゃないのかい」
「ああ、摘み食いは控えているからな」
当たり前じゃ、と鼻で笑う。
「アサメよ、何か見えたか」
「いえ。恐ろしいほど何も」
ヒクラスキは厳しい眼で灰雪の丘陵の彼方を見つめた。
「じゃのう」
二人も倣って遠くを眺める。
相変わらず視界は悪く、凍えている。
「泥暮らしは穢土の眷属。聞いておるな」
「ああ。大戦の予兆だ、と」
ゴクロウとヒクラスキは遠方を睨んだまま、会話を続けた。
「そうだな。あたしも過去に何度もあの醜い相貌を見てきたが、だがすぐに返り討ちにされては退いていった。実際に勃発したのは大昔だ。あたしが生まれるよりもずっと昔の話さ」
「過去に尾鰭がついて伝わっただけなら良いんだがな」
「そうじゃな。いつか来るその日を信じて恐れる者もいれば、迷信だと一蹴する者もおる」
「族長殿はどっちだと思う」
「どうかの。事実は偶然の重なり合いじゃ。今回は特にな」
含むのある言葉を、ゴクロウは抜け目なく察知した。
「雷拝祭か」
族長はちらりとゴクロウを鋭く見つめた。
濃い紫紺の炯眼が品定めするように、ゴクロウの奥を覗く。
「森の日陰の園に着いたら、二人であたしのところへ来い。静かにね」
ヒクラスキは返答も待たず、踵を返して天幕へと戻って行くのを二人して見届ける。
「何だと思いますか」
汗を流せずにべたついた銀髪を、アサメは鬱陶しげに掻き上げた。
「愉快な話だといいんだが」
「そうは思えませんね」
二人は会話を中断し、警護に戻る。
アサメが語った恐ろしいほど何も、という言葉通り、邪な気配が襲撃する事は無かった。
程なく巡回者達が戻り、安全確保と進行可能の判断を下す。
ヨラン氏族の夜光の民は中継地点である小さな日陰の園へ、丸一日遅れで到着した。
大天幕の外から、弦鳴の音楽が微かに伝わってくる。
ふと覗けば懐かしい。光珠虫が若い楽団の周りを漂っていた。平和の徴だ。
夜光の人々は巡回者も含め、張り詰めていた警戒を解いている。六日分の汗を小さな温泉で交代交代に流し、いつもより多めの食事を取って、寒さに強いとされる身体を焚き火で温めている。
ゴクロウとアサメも身体を洗い、巡回者達の大天幕の中で寛いでいた。今はハルシ率いる巡回隊と共に干し果実入りの温かいパン粥をゆっくり味わっている。
隊長同士の会議が終わり、ハルシが戻って来た。
「どうだった」
「行程の短縮は無し。予定通り、一日休みだ」
「だな」
ゴクロウは大きな欠伸をかました。ハルシや他の皆もほっと息を撫で下ろして密かに喜び合う。
「皆、今日はゆっくり休んでくれ。ゴクロウも、アサメも本当に感謝している」
「婚約者に逢わせる為だったら何でもするぜ、師匠」
「いやあ、弟子ぃ」
「なんだこいつ」
聞いていた誰もが笑い声を上げた。アサメも何をやっているんだか、と苦笑する。久しぶりの弛緩した空気に誰もが安堵していた。
「解散する前に一つ。行商隊からの伝書鳩で、凍土の王の沐浴地に無事到着したと報告があった。日付から察するに三日前には着いている」
「早いな」
「こっちは余裕を持たせて行動しているから余計早く感じると思う。シュルハ氏族、レレフ氏族、ケヌ氏族とは合流して、あとは俺達ヨラン氏族とムヘナ氏族の到着を待つだけらしい」
ゴクロウは腕を組んだ。
到着する頃には大勢の夜光の一族で大変賑わっているだろう。
「それと泥暮らしについてだが、各地で出没報告が上がっているとのこと。今のところ大きな損害はなく、討伐隊も立ち上がっている。夜光族からの被害報告はまだ上がっていないとも書いてあった。最初の被害者にならないよう明日以降も油断せず、無事に辿り着こう。解散」
拳を額に当てるだけの短い夜光礼にて了解を示す。
各自、食器を片付けたあとは荷物を整理したり、他の隊と情報共有したり、待ち望んだ睡眠を取ろうと散り散りに去っていく。
ゴクロウはアサメに視線を送ると小さく頷いた。二人は静かに天幕を後にし、小さな族長屋敷へと向かった。




