そこに住まう者たち 16
手製の串に刺さった魚が焚き火に炙られ、皮目が乾いて香ばしい焼き色が浮いてくる。染み出た水分が炭に滴り、食欲を刺激する煙で充満。塩はない。そのままだが美味いだろう。
アサメは流木に腰掛け、小さな膝を抱え込んだ。遠火でじっくりと調理されていく好敵手を、じっと見つめる。
闇に揺れる火炎。細かに爆ぜる薪。雪に照り輝く陰影。
見渡せば黒い樹々の合間や、翠に透き通る不凍の池を光珠虫達が行き交う。日陰の園とはなんと幻想的な境地か。
気付かなかった。アサメは旅立ちの夜に初めて思い知るのであった。
池を覗き込む大きな後ろ姿が一人。ゴクロウである。
「お、釣れた」
アサメは言葉には出さず、だが仏頂面の表情には明らかな不服が露わになった。ものの二〇分で曇天岩魚を釣り上げるとはお株を奪われた気分である。膝を抱えて顔を埋めた。
「もっと早く試せばよかったなあ」
ゴクロウは鼻歌を調子良く歌いながらのしのしと焚き火に寄り、雪のすっかり溶けた石の上に座った。
行商隊から借り受けた短剣を岩魚にあてがい、鱗を剥ぐ。ぱらぱらとそこら中に飛び散り、手に張り付こうともゴクロウは気にも留めない。手頃な枝を二本拾うと魚の口に突っ込み、慣れた手付きで鰓や内臓を捻り出した。背骨をうねらせる様に串を打ち、焚き火の側に突き立てて完成。見事である。
手際良く下処理されていく岩魚を、アサメは腕の隙間から覗いていた。
「む、む」
ゴクロウは二匹の魚を交互に、わざとらしく指差す。
「俺の方が大きいかな」
むか。
もぞりと顔を上げてじっと睨んだ。
「だから何が言いたいんですか」
「俺の勝ち」
「子供か」
ふん、とアサメは食べ頃になった曇天岩魚の串焼きを手に取った。
立派な御姿だ。
いざ、と小さな口を大きく開いて豪快に齧りついた。熱い。だがざくざく感が香ばしく、続いて脂の旨味がじわじわと広がっていく。白身はほろほろというよりほくほくとした食感がしっかり残り、塩がなくとも充分に美味しさを感じられた。骨も気にならない。手が汚れるのも気にせず一心不乱に食べ進める。
「美味いだろ」
ゴクロウの当たり前な問いかけに深く頷く。
頭から尻尾まで余さず食べ尽くす。これほど食べ物に集中した日は今が初めてかもしれない。アサメはそれほどまでに感動していた。
岸辺で手を洗い、口を濯いで、土製の手鍋に水を汲む。一息吐いて流木に腰掛け、焚き火で湯を沸かす。
背中を炙られ徐々に焼き上がっていくもう一匹をじっと見つめていると。
「欲しいか」
「もう満足です」
「知ってる」
短く、どうしようもなく他愛のない会話だ。
今は夜光族が常に側にいる。
いずれ二人旅となれば、こんな日常が増えるのだろうか。
闇の中、赤熱を放つ薪の爆ぜだけが小さく響く。
たまにどちらかが身動いで絹擦れる音と、二人の規則的な息遣いが静けさをより際立たせていた。
細切れの干した果肉と茶葉が入った土瓶にお湯を注ぎ、お気に入りの甘い匂いを嗅ぐ。色づいた温かい液体を一口飲んでまた一息吐くと目を瞑った。
穏やかだった。
アサメはこの沈黙に安らぎを感じていた。
暫くじっとしていると肩に薄い毛布が掛かる。寒冷に慣れた半身の身体にはこれで事足りた。薄目を開けて、向かいに座るゴクロウを一瞥する。
「ありがとうございます」
「寝る時は寝袋使えよ」
アサメは返事をせず、もう少しで焼き上がりそうな魚の白濁した眼をじっと眺めていた。
「私達はどこへ向かうんでしょうか」
気付けばぽつりと呟いていた。
これからどこへ向うかなど、はっきりしている。
凍土の王の沐浴地と呼ばれる、最も広大な日陰の園。
半月掛けて移動し、半月掛けて三年に一度の祭事、雷拝祭の準備を行うのである。この計画は巡回者達と綿密に練り合った。忘れるはずがない。ゴクロウが目を丸くするのも当然である。
「どこって。そりゃあ次の日陰の」
口を突いて出た呟きがあまりにも言葉足らずだと、アサメはすぐに訂正しようとした。
「えっと、目的地を確認したいんじゃなくて。なんというか、今後の事というか」
まとまりそうで、やはりまとまらない。
目を丸くしていたゴクロウもそうだな、と一緒に考え始める。
「人生の哲学的な話か」
「そんな壮大じゃなくて、もっと直近なもので」
「明日に向けて、飯食って寝る」
「いや、近過ぎます」
「雷拝祭が終わったら、どうするかとか」
「そうですかね」
「なんで疑問形なんだ」
「もう、忘れてください」
「なんだそりゃ」
徐々にふて腐れていくアサメに、ゴクロウは可笑しそうに声を漏らした。
「どこへ向かうか、なんて他人事みたいだ」
アサメはむっとした。もういいです、と言いかけて。
「行きてえと心に決めた場所へ向かう。誰がなんと言おうとな。これでいいか」
ゴクロウはそう締め括って、よしよしと魚の串焼きを取って頭から齧りついた。これでもかと眦を開けて仰け反る。
「美ん味あ、これやっぱたまんねえ蛋白質だこれ」
ばりばりもりもりとあっという間に平らげる。念願の肉、魚肉だ。嬉しかろう。
「本当、野蛮ですね」
「これ、さっきのアサメの真似だから」
「そんな馬鹿っぽくありません」
「はい悪口」
「もう寝ます。静かにしてください」
「はいはいおやすみ」
アサメは返事もせず、とうとうへそを曲げて寝袋に包まった。せっかくの穏やかな気分が台無しになった。
(貴方みたいに割り切って考えられるのなら、誰も苦労しない)
声に出せばまた口論になる。それも稚拙な言い合いだ。
目を瞑ってもこの心の蟠りをどうすれば良いのかなんて答えは出ない。ゴクロウもまた明日に向けて眠る準備を整え始める。
がさ、ごそ、と極めて小さな音。
(言い過ぎたかも)
アサメは耳に入ってくる気遣いに気付いて、すぐむきになった事を反省するのであった。




