敗走 3
化け女と一瞬、一手交えて理解した。
今までの雑魚よりも遥かに戦闘力が高く、己よりも格上である。不用意に斬りかかるのは悪手。
「よう。綺麗な眼してんな」
上っ面の言葉を知ってか知らずか、にたりと悍しく笑む。
「貴方も。猛禽の目みたいにぎらついてる」
「あとで出会い直さないか。百年後くらい先で」
脱獄野郎は眉一つ動かさず応じてみせ。
「百年後。そうねえ」
対する化け物は余韻をたっぷりと響かせた。
答えなど、とうに出ているであろう。前にも背後にも動けない虚勢を知った上で弄んでいるのだ。背後から雑魚が追いつく。
背中に剣先の鋭さ。下卑た笑い声。
化け物は細剣を抜くと、異様に長い舌の伸ばして刀身を舐め上げた。
「私、今すぐ貴方と殺り合いたいわ」
膝裏に衝撃。
脱獄野郎は強制的に跪かせられる。
膨れ上がる殺気。万事休す。一触即発の限界まで勝機を探る。
そうか、と呟いて覚悟を決めた。
「今のベロで萎えちまった。蜥蜴か蛇みてえじゃねえか」
場の空気が凍てついた。
化け物の蛇眼が一層邪悪に見開き、凄絶と笑う。
不味い。身を捩った瞬間、予備動作もなく鋒が擦過、血が飛散する。左側頭部に激しい熱。即死の剣速を、脱獄野郎は薄皮一枚で回避。
「じゃあな」
今が好機。
背後でたじろいだ雑魚の脚を掴むや否や、吹き抜けの底へと身を繰り出した。
「うおッ」
落ちてたまるかと咄嗟に隣の仲間の腕を掴む。
大人二人分の体重を急に支える羽目になった雑魚は当然落下しかけ、だが寸前で隣の仲間の脚を、また腕を。
急拵えの人間梯子が、吹き抜けへとずり落ちていく。
「おい離せッ」
「おっ落ちるッ」
背筋を這う浮遊感。
脱獄野郎は連中が解ける前に、一つ下の階へ飛び降りた。
案の定、四人の雑魚が成す術なく吹き抜けの底へと落下。間一髪で成功。
「なんとかなるもんだ」
刀傷から血が流れるのも気にせず、見届ける間もなく更に階下へと駆け下る。
底から雑魚共の怒声罵声。
直後、接敵。
我先と生首を欲する頭の悪い雑魚共、その先頭へ思い切り突進。此処は階段である。転倒を連鎖させるのは容易い。人の群れの上を無理矢理前転しながら難なく局所を切り抜け、再び階下へ疾走。
底は近い。抜け道がある保証は無いが、先ずは逃れる事が先決。
ふと上を見上げる。
罵詈雑言を飛ばしながら迫って来る残りの雑魚共はどうでもいい。
爬虫類めいた化け女だけが酷薄な笑みを浮かべたまま佇んでいた。
危うい予感。殺気。そう思った瞬間、目にも止まらぬ速さで弓を番えた。段平を持つ手、一本一本の指に力が込められる。
射出される幾つもの矢。
疾走する脱獄野郎の進行方向へ突き刺さらんとする。正確無比な偏差撃ち。迫る死を前に思考が加速。
飛来する六つの鏃。視える。
段平を右手に、短剣を左手に携え、剣舞。
快音と火花を散らし、全弾撃墜。
(やるじゃねえの、俺)
見上げると、化け物の女は一層笑みを深めていた。面白い玩具を見つけたと言わんばかりの嬉々とした表情。この程度で終わる気がしない。
脱獄野郎は残りの階段を無視し、最下層へ飛び降りる。
先に身投げしていた雑魚共がそこそこの緩衝材となった。連中は起き上がれそうにないが念の為、強めに踏みつけておく。逃走。
視線の先には一本の通路。
奥には暗い真冬の外が広がっていた。地獄が口を開いて待っているかの様だった。