敗走 2
身体の奥底まで染み込んだ戦闘知識だけが、過去の断片として残っている。
戦闘続行。
「殺れッ」
四人が続々と強襲。
槍の鋭い一突きを最小動作で回避、一息で詰めて股間を蹴り上げ。
悶絶に歪む顔を余所見し、後続の一人目掛けて短刀を投擲。喉仏を貫通する刃。
手元の槍使いを更に蹴り上げ、ダメ押しとばかりに肘鉄で顎を砕き抜く。蹲ろうとしていた手から槍を奪取、長柄を振り回すついでに顔面を石床へ叩きつけた。
同時に三人目の太腿、心臓、喉と瞬く間に三連穿ち。力が篭り過ぎた。深く突き刺さってすぐに抜けない。
隙有りとみた四人目。段平を振りかぶってきたが、織り込み済み。充分引きつけて槍を手放す。回避と同時に手首へ手刀、鳩尾に拳の二連撃。即座と胸倉を掴み、力尽くと背負い投げ。硬い床を存分に喰らわせ、側頭部へ追い討ちの蹴りを叩き込んだ。ごしゃりと頭蓋をかち割る感触が足裏に伝わる。
死骸から槍を引き抜く。
なんとか起き上がろうとした一人目の元へ大股で歩み寄ると、とどめを背中に突き立てた。
人数不利などものともせず、四人を殺害。
この間実に十二秒ほど。瞬殺である。
武器になりそうな短剣、右手に段平。腰巻と草履を奪って素早く身に付ける。
おかげで身体が少し暖まってきた。追手が駆けつける前に、安全を確保しなければ。
廊下の奥から複数の足音が響く。
逃げながら振り向く。何人かが弓を引き絞っていた。
充分に引き付け、風切り音に耳を澄ませる。矢が放たれたと同時に滑り込み。射線を切りつつ、広間へ躍り出た。
「おっと、危ねえ」
高い吹き抜けの上。
落下しかけるが、なんとか踏み止まる。
松明のおかげで周囲は明るいが、天井のない頭上を見上げると暗闇。曇天が広がるばかりだった。
上下と這う螺旋階段。
四階建ての最上部から、脱獄野郎は底を睨みつける。
「居たぞ、上だ」
下方から敵が迫って来ている。数えて十名。
壁を盾に後方を一瞥。幾つもの矢と目が合い、陰に隠れる。風を切って擦過。ざっと八名ほど。
挟み撃ち。
物量、地形共に圧倒的不利。
何か使えそうな物は、と視線を巡らす。此処は通路であり、物資を置く余地などない。
進むべき退路を屋上と定め、階段を駆け上ろうとした。
極寒にも勝る悪寒。
何者かの影が、音も無く降下。
交錯する刃。
直後、奇襲者の膝が顔面に突き刺さる。飛び散る鼻血。脱獄野郎はたたらを踏みながらも、姿勢を保ったまま階下へ飛び退った。
強敵を見上げる。
長い髪に隠れてはいるが、それは嫌らしくにたついていた。
「こんばんは。不運な客人さん」
長刀と細剣、弓を携えた、笑っている筈なのに冷たい印象を与える美女。
限りなく漆黒に近い赤髪を鬱陶しげに掻き上げる。覗くは無数の青筋と、縦長に開いた紅柑子の瞳孔。病的なほど白い肌には細かな鱗が散りばめられていた。
青紫の舌で紅唇を舐めずり、脱獄野郎をあからさまに見定めている。
人ではない。
人に限りなく近い化け物。