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ゴクロウとアサメ 9

「どれ、動けるもんなら場所を移そうかね。まったく狭苦しい小屋だよ。老体に床座りは(こた)える」


 夜光の族長ヒクラスキはぶつぶつと小言を呟きながら重たそうに腰を上げた。

 立て掛けてあった木彫りの棒をゴクロウに手渡した。


「八角棒か」


 さすって手触りを確かめる。丁寧に削り出され、薄い文様彫りが適度に馴染む。堅い樫の様な材木であり、全力で人を殴りつけても五、六人程度までなら折れずに耐えそうである。両端は無数の三角錐が細かく規則的に並び、滑り止めとして削られたものらしいと推測する。ゴクロウはひとまず杖として扱うことにした。


「丁寧な得物だ」

護人杖(ごじんじょう)は名の通り、護身にも長旅にも役立つあたしらの手足だ。粗末にするんじゃないよ」

「おう」


 襟を正してのそりと立ち上がったヒクラスキの後に、ゴクロウとアサメが続いた。

 内戸を潜って草履を履き、玄関を抜けた先の冷たい外へ。


「おお」


 広い広い、雪闇の穹窿(ドーム)だった。

 天井が実に背の高い樹々の枝葉と白い(もや)で覆われている。決して暗さは感じず、青や白の燐光(りんこう)が羽虫のようにそこらじゅうを漂っているおかげで仄かに明るい。半分が雪、いや地面に埋まった背の低い茅葺(かやぶき)小屋が点在し、または大掛かりな円形の天幕からは湯煙が昇っていた。

 行き交う人々は皆青く(おぼろ)げな夜光の民。車座になって竪琴(ハープ)を鳴らす若い男女の一団、その間を子供達が元気に走り抜け、荷を引く馬に付き添う老父の手伝いをする。

 穏やかで平和な営みがたしかに息づいていた。


「綺麗だ」


 ゴクロウは思わず感嘆の声を漏らした。


「日陰の園は夜光族の休息地さ。曇天様の加護があるお陰で夜光族以外は容易に入れないし、あたしとお前さん達は日中でもこうして顔を合わせられる」

「じゃあ今は昼か。灯りがあるから夜だと思った」


 物珍しく周囲を見回す。人々は夜光式の礼を交わし、ゴクロウとも目が合えば拳を額に合わせて会釈していた。同じように返しながらヒクラスキの後に続く。


「風もなくて思ったより寒くないな」

「確かにそうだが気温はほぼ氷点下だよ。お前さんの身体が強靭なのさ」


 確かにゴクロウは夜光の黒い羽織り一枚と(はかま)、防寒性能皆無の包帯くらいである。


「でも族長殿も、他の者も薄着だろう」


 夜光の一族は皆、ゴクロウと似たような格好の上、それぞれ自由に着飾っていた。むしろ包帯を巻いていない分、肌面積が広い。


「あたしらは暑さや寒さに適応する術を備えている。茅葺小屋じゃなくてもそれなりには過ごせるんだよ」

 なるほど、だが薄着の者はもう一人いた。

「なんですか」

「アサメ、お前はどうなんだ。寒いだろう」

「寒くないです」


 ぴしゃりと返された。かなり機嫌が悪い。

 どうしたものかと困っているとヒクラスキがやれやれと嘆息した。


「その辺りも含めてゆっくり話そうじゃないか。この子について、私達について、そして世界の成り立ちを語る上でとても大事な話だ」


 二人は族長の住う一際大きな茅葺小屋、いや屋敷に招かれた。凹凸の丘陵(きゅうりょう)地形を駆使した二階建てで、広い地下もある。

 族長の直系とされる家族に案内され、ゴクロウは地下に湧く天然の温泉に浸かっていた。


「これは、すごいな」


 仄暗い浴場で八角棒を突き、ひたひたきょろきょろと一人歩く。腰掛け岩に座り、見えない汚れや老廃物を薬草入りの石鹸(せっけん)で綺麗さっぱりと洗い流した。これでもう臭いとは言わせないと歯も念入りに洗う。剃刀(カミソリ)の代わりに借りた石刃をまじまじと眺め、ふと岩壁を見つめる。よく研磨された石製の黒い鏡だった。

 浅黒く精悍(せいかん)な男と目が合う。

 癖っ毛の赤髪、猛禽(もうきん)のような眼は金色。骨格もしっかりしている。引き締まった筋肉、太い骨格。まともにやり合えば片方は致命傷を負い、片方は絶命するだろう。


(俺だな)


 浴場に漂う橙光に反射して映る者は紛れもなく、ゴクロウ自身である。

 記憶は無い。だがこんな顔だった気がする。全くの別人とは思えなかった。いつか記憶が戻れば真偽を確信するだろうとあまり深く考えず顎に手を当て、石刃で髭を剃った。見た目よりも意外と切れ味が良く、ついでに鬱陶(うっとう)しい側頭部も剃る。右側を終え、左側を刃で添わせると刀傷が露わになった。化け女リプレラに刻まれた傷は瘡蓋(かさぶた)が剥がれかけていた。明らかに治癒が早い。


(サガドとリプレラ、だったか。奴等も客人とやらだろうな)


 あの二人は特別強く、そして強固な絆で結ばれていた。

 すでに他人ではない。こちらを執拗に付け狙う敵である。この一帯は夜光の一族以外、容易に近寄れないらしいが、もしも今、襲われたのなら。


(片方は殺せても、もう片方に、いや)


 まるで驕った思考だと却下する。ふざけて刃を振るっていたリプレラを思い出した。

 ゴクロウは眉間(みけん)(しわ)を寄せ、全身に刻まれた刀傷をなぞる。脚の怪我はほとんど治ったが全快とは言い難い。骨折がこうも早く治るなど、並みの人体では不可能である事くらいは理解していた。尋常ならざる回復力には必ず理由がある。痛い目を見るか、活かすかは自身における治癒過程の仕組みを知らねばならない。

 次に敵と出会す時は本気だ。大量の血が飛沫(しぶ)く死闘が必ず来る。


(武器。たくさんの武器だ。俺に、俺とアサメに仇なす敵を(めっ)しうる知恵の武器が)


 心も身体も整えたゴクロウは今一度汚れや細かい毛を洗い流し、立ち上がる。

 広い湯船に浸かり、脚を伸ばした。身体の芯を温め、内側から発汗させる。適度な圧迫感と、臓腑(ぞうふ)が浮く感覚が気持ちが良い。目を閉ざすと心に溜まった(おり)すらも溶けて流れていく気がした。

 ゴクロウは少しだけ、一時の休息を心ゆくまで楽しんだ。


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