ゴクロウとアサメ 8
アサメはやはり黒髪と紫紺の瞳のままで、全身が黒一色。ゴクロウとは一切目を合わさず、焚き火を挟んで族長ヒクラスキの対面に座る。
「じゃ、俺はこれで」
「ハルシ、あとで私のところに来な」
「はぃ」
あからさまに気分が落ち込んだ。一体何をしでかしたのか。すごすごと去っていく。
「さて」
ヒクラスキは吐いた紫煙を追うようにして天井を見上げると口を開いた。
「改めて、遠路はるばる曇天郷までやって来たね、古の客人よ。我等夜光の一族は覚せし自然、曇天の使いとして主身ゴクロウ、半身アサメを心から歓迎し助言する者である」
「半身。気に食わない言葉です」
アサメが焚き火を睨みながら静かに噛みつく。この数日間で何かを知った様子であることは間違いなかった。
「アサメ、お前さんの気持ちはわからんでもない。同じ内容にはなるがもう一度我慢して聞いておくれ。あたしは語り部として義務を果たさねばならんのだ」
穏やかだが断固として譲らない口振りに、アサメは口を固く閉ざした。
ヒクラスキはゴクロウに向き直った。
「客人、時渡り、人潜み、宣告主の使い、二度死ぬ者、連命者たち。お前さん達を表す言葉だ。この地球上には今や、数え切れない客人達が目覚めては再び天寿を全うして死んでいく。お前さん達の共通点は一つ」
ゴクロウは黙して言葉を待つ。
「一つの身体に二つの魂を連れているという事」
どういう事だろうか。青白く朧げな語り部をじっと見つめた。
「語り部らしく少し昔噺をしよう。今から約三十万年前、この“幾重の地上”に最初の客人が訪れたという。ふらりと現れたその男には確かな過去の記憶があった。この世界を旅するのが使命だと語っていた男の傍らにはいつしか、とある怪鳥が寄り添っていた。三つ目で赤羽の鳥は自らの意志を以て言葉を発した。曰く、男の内から生まれ、だが肉体には入れず行き場を探していたところ、毒華の蜜を啄んで死んだ雛を見つけて不憫に思い、宿ることにした。そう各地で語り回ったらしい」
いかにも昔噺らしい。だが信憑性からはかなりかけ離れている。
「一人と一匹は放浪する内に幾度と他の客人らと出会った。彼等の傍にもやはり、己の内から生じた存在が居たそうだ」
『我等主たる客人らは自らを主身、自らより生まれ落ちた者を我が半身、半身と呼ぶ事とした』
『半身は主身とは全くの異形となる。だが主身と半身は対の存在である』
『互いが触れると互いが何者かを会得し合う。表と裏、冷気と熱気、男と女。我等同胞ならば言わずとも解る。主身は魂の幹、半身は分たれた枝である』
確かに思い当たる節があった。
アサメと初めての邂逅を果たし、肩に触れた一瞬。
時間が止まり、対極の概念が寸分の隙間無く合致するかのような感覚。
主身と半身。
それが過去から現れた人間に課せられた理か。
「この言葉は最も有名な客人“ファブロ”の文献、此方彼方彷徨記にも記されている。これがお前さん達にとってどんな意味を示しているのか、わかるかいゴクロウ」
ゴクロウはアサメをみた。
彼女は険しい顔で焚き火に視線を落としていた。
人間の身体にあるはずのない鋭利な尻尾。色彩の変わる髪や瞳、爪。
なるほど異形だ。言いたいことは解った。
ゴクロウはヒクラスキに視線を戻した。
「ああ、全くわからんな。俺は俺だし、アサメはアサメ。己の道は己で決める」
ヒクラスキは一瞬、きょとんとした。
そしてにこりと、さらに皺を深めて笑う。
「あっはっは、ああ、その通りさ。あたしも心からそう思うよ。お前さん達は確かに客人だ。どちらが主身でどちらが半身か見分けも付く。だが私の知っている客人の理と完全には当てはまらない。三百年近く生きるあたしにとっても、ましてや三十万年間も保たれた客人の概念にとっても、お前さん達は未知の存在だ」
ヒクラスキは、視線を落としたままのアサメに向かって語る。
紫紺に染まった瞳から、前を向いてみようとする意志が静かに見え隠れしていた。
「世界の理を知って解き明かすんだよ。そして望む自分を掴むんだ。どうなんだい、アサメ」
アサメは覚悟と決意を以て顔を上げた。
「知りたい。本当の姿を取り戻して、一人の人間として生きたい」
「いいね。人を殺しにいくよりよっぽど健全な望みだ」
ゴクロウは膝をついて這い、アサメの横に跪いた。
右拳を差し出す。
「俺も付き合ってやるぜ、アサメ」
紫紺の瞳がちらりと一瞥する。相変わらず仏頂面の横顔で色々と物申したそうだが、多くを語らないところが彼女らしい。
アサメは岩みたいな拳を小さな掌でひっ叩いた。
「すっごく臭い。先に汗流してから、戻ってきてください」
これは手痛い仕返し。今回はゴクロウの完敗であった。




