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ゴクロウとアサメ 6

 弦鳴楽器(ハープ)を弾く優雅な音色が、静かに余韻を残しては消えていく。

 (ほの)暗い灯りから眼を背け、だがしっかりと凝らす。狭い正方形の住居、その中央で燃える小さな焚き火が室内を暖めていた。笹葺(ささぶき)がぎっしりと詰め込まれた天井からは木の根や薬草、干した果実が数珠(じゅず)繋ぎに幾つもぶら下がっており、整然と揃えられている。木組みで補強された土壁には馴鹿(トナカイ)に似た角や複雑な模様の装飾品が立て掛けられていた。

 小さな祭壇からは線香が漂ってくる。微かに甘く、ありがたい気持ちになる香りだった。

 雪山の闇を思えば、此処(ここ)は天国の住まいである。ただし死後の世界ではなさそうだ、とゴクロウは上体を起こした。

 質素だが丁寧な仕上がりの墨染の羽織りに着替えさせられていた。衣は肌蹴(はだけ)ても、包帯だらけの身体。折れた左腿は違和感が残るものの、患部の腫れが引いて治まっていた。凍傷もなく五体満足。多少の気怠(けだる)さと目眩(めまい)を覚えるが、他に異常は無し。


「美味そ」


 あとは腹を満たせば、無事生還できたと心から言えよう。

 壁に寄り掛かって立ち、ぶら下がる干し果実を一列分、一気に取った。胡座(あぐら)をかいて、ぶら下がっていた干し柿のようなものを齧る。乾いた表皮の内にはねっとりとした繊維質の果肉。しっかりと咀嚼(そしゃく)すると舌の上に深い味わいの甘さが広がり、唾液と合わさって濃い果汁が口内に溢れる。吟味すればするほど変化する含み香は薔薇(バラ)か、(いぶ)された(オーク)か、別種の実を思わせる酸い風味がする。


(天国でもいい。美味い。美味過ぎる)


 ゴクロウは一つずつ、(まこと)に味わって食べる。

 あっという間に平らげ、二列目をもぎ取る。手が止まらない。もう終わりかと三列目に手を出した。

 外の引き戸の開く音。ゴクロウは人の気配がする方を見た。向こうも気配を感じたのか、慌てて部屋の戸が開く。

 互いに驚き、目を見開いた。


「起きた、か」


 若い男の幽霊、だろうか。

 だがきちんと手足がある。全身、身に着ける黒衣さえも半透明で(おぼろ)げな青白い肌。知性的な紫紺(しこん)の瞳と夜闇の髪。人だ。だがゴクロウの知っている人種とはどれも当てはまらない人間。そしてどこかで見覚えがあった。


「おお、あの時の、死神殿」

「おおい、誰か。ゴクロウ殿が起きたぞ、アサメ殿を呼んでくれッ」


 急に外がざわざわと慌しくなる。


「よく無事だった。具合はどうだ」


 (おぼろ)げな男は驚き半分、喜び半分といった様子だった。


「腹が減っている最中だな」

「よし。誰か、栄養のあるものも頼む。たくさんだ」


 また外に向かって叫ぶ。賑やかな青年である。

 広がっていく歓声がどうしようもなく心地良かった。


「ありがたい。改めて世話になるよ」

「俺は夜光(やこう)族のハルシという」


 ハルシと名乗った青年は右手を軽く握ると(ひたい)に当て、深々と腰を曲げて礼をした。彼ら独自の挨拶なのだろう。ゴクロウもそれに(なら)って礼を返した。


「ゴクロウと名乗っている者だ。勝手に食った分は働いて返礼させていただく」

「構わないさ。その為の保存食だ」

「じゃ、遠慮なく食うぜ」


 もしゃもしゃと咀嚼(そしゃく)しながら窓を一瞥する。夜光族というらしい種族が顔を寄せ合ってこちらを覗いていた。皆ハルシと同じく、幽霊によく似た人々であった。


「お話通り、見た通りの剛毅(ごうき)なお方だ」

「ハルシ殿こそ正直な男だな。見ていて気分が良い」

「ハルシでいい。他に入用は」


 そうこうしている内に、ばたばたと足音を立てて家の中に飛び込む者がいた。

 銀髪鋼眼の少女を想像して、だが予想を裏切った。

 闇によく溶け込みそうな黒髪、紫紺(しこん)の瞳。

 麻布ではなく、夜光の黒衣を着た褐色少女は困惑した様な、だが安堵の表情を浮かべ。


「アサメ、お前、真っ黒くろじゃないか」


 すぐ柳眉(りゅうび)を逆立て、どすどすと出て行った。


「ゴクロウ殿。なんというか、声をかけるにしても、もう少し他にあるかと」

「似合っているぞ」


 ハルシはやれやれと肩を竦めて微笑んだ。


「うむ、先にそれを言うべきであった」

「無事なら何だっていいさ。本当に良かった」


 ゴクロウは用意された食事を今度こそ思う存分に楽しんだ。

 聞きたい事は山ほどあるが、まずは目の前の食事。

 穀物(こくもつ)が溶けるほど柔らかく煮た灰色の(かゆ)、干した果実が何種類も入ったパン、蝋燭(ろうそく)のように濃厚な癖のあるチーズ。花と果実の香りがする果物水。空腹ほど美味しいものはないと言うが、満腹でも充分に楽しめそうなものばかりだった。全体的に塩味は足りないが、起きがけには最適だろう。ただ、軽く四人前は平らげたので適量は明らかに(いっ)していた。


「酒があれば最高なんだが」

「健啖家なのは結構だが、君は病み上がりだぞ」

「三日三晩も寝ていたんなら百人力だ」

「まあ待て。じきに初物の乳酒(ちちざけ)が出来上がるから、それを飲ませてやるさ」

「なら、それまでにしっかり働かせてもらおう」


 ゴクロウは食事を取りながら、夜光族の青年ハルシからこれまでの経緯をだいたい聞いた。

 彼等、夜光の一族は古くからこの曇天郷という地に住う流浪の民とのこと。夜にのみ姿を現す彼等にアサメが助けを求め、ゴクロウは奇跡的に命を繋ぎ止められたのであった。


「さて、族長殿にご挨拶伺うとするか」

「もう少し安静にしたらどうだ。気の短い御婆だが、今すぐでなくても許して」

「誰が短気だと、馬鹿孫」


 ハルシはびくりと肩を震わせた。窓の方へ向く。

 野次馬(やじうま)の居なくなった窓には、(しわ)だらけの老婆が大きな顔を覗かせていた。


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