表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/166

ゴクロウとアサメ 3

 アサメは火に寄り添うようにしゃがんだ。矮躯(わいく)を必死に震わせ、掌を擦り合わせた。


「暖まらないんですか」

「まだちょっとやることがある」


 ゴクロウは腰を落ち着かせず、ぼろぼろになった毛皮を脱いだ。(あら)わになる鍛え上げられた上半身には刀傷が縦横に二条、生々しく刻まれている。血はこびりついたままだが、血は止まっていた。


「おかしなほど丈夫な身体だ。薬も何も塗っていないのに傷の治りが早い。脚もあまり痛くない」


 アサメの視線が冷たく刺さる。


「凍え死にたいんですか」

「まあまあ」


 毛皮をじゃぶじゃぶと川に浸し、洗う。ずぶ濡れたそれを丸め、焚き火に寄せて炙った。全体的に暖まるまで腕立て伏せをして待ち、頃合いをみて毛皮にしゃぶりついた。ぬるい液体が喉を潤す。顔に押し当てるとじんわり暖かい。氷ついた末端神経が溶けていく。少量だが、身体の深部へ熱が染み込んだ。


「アサメもやってみろ、気持ち良いぞ」

「いえ、結構です。とても野蛮。臭そう」

「ん、味は確かに不味いな。うん、なんというか、汗と、うすめた小」


 アサメは耳を塞いだ。

 喋るな、と睨みつけて訴えてきたので感想を言うのは止めた。

 気が済むまで水気を吸い、ついでに身体を拭って羽織(はお)ると漸く座り込んだ。岩場で烏貝に似た二枚貝を見つけ幾つか剥がし取っておいたので、焚き火で炙る。その間に(ツタ)(ほぐ)し、折れた太腿に枝を巻きつけて添木した。赤く腫れ上がった箇所を縛り上げる度に激痛が走る。歯を食い縛り、ただ耐えるのみ。脚の中に弾丸も残っている。早く手術しなければ後遺症も有り得るが、焦りは禁物だと強く暗示を掛ける。(うず)く神経の感覚を冷静に捉える。痛いと思わなければただの鈍い脈動。ゴクロウは一息ついて焚き火の横に寝転がった。


何処(ドコ)なんだろうな、ここ」


 貝を割りながら呟く。


「検討が付きません。地球上の何処かである事には間違いなさそうですが」

「地球ね」


 貝から溢れてくる汁と身を吸う。ほんのりと甘い。砂利がなければもっと食べたかった。


「生まれ故郷は覚えているか」

「いえ」

「そうか。でも言葉が通じているから、同じ国だったんだろうな」

「貴方は覚えているんですか」


 ゴクロウは一人ですぐに食べ終えると、貝殻を川へ投げ捨てた。


「ぼんやりとな。国の名前は忘れた。色んな国籍の人間が大勢住む大きな街だった、と思う。少なくともこんな雪山で育った覚えはない、と思う」


 思う、思う、思う。何の確証もなかった。

 アサメといえば手持ち無沙汰に枝を拾い、火に焚べていた。


「そんな野蛮なのに、ですか」

「新鮮なら動物の死骸だって食うぞ俺は。冒険家の両親に生きる為の術だって叩き込まれたんだろう、多分な」

「本当に野蛮。信じられませんね」


 二人は視線を合わせず、淡々と会話していた。

 ふと、ゴクロウはアサメを一瞥(いちべつ)する。焚き火の暖色に照らされた鋼色の瞳は、ほんの少しだけ眠たそうだった。


「アサメはきっとお嬢様育ちで、きちんと砂抜きをした貝ばかり食べてたんだろうな」


 年頃の少女らしさは一瞬の出来事だった。


「まともな御令嬢なら、人を殺したりはしません」

 

 整った顔立ちに影が差す。

 陰気というよりかは、闇に近い。


「多分、な」


 ゴクロウは陰鬱な空気を吹き飛ばすように勢い良く起き上がった。


「分厚い肉が食いたい。アサメ、美味い肉が食える飯屋、一緒に探しに行こう」


 溜息が聞こえた。


「それより貴方は脚を」


 ゴクロウは彼女の方を向き、目を見開いた。

 ほつれたような老婆の白髪、不純物を含んで凍結したかの如き白濁した眼。


「おい、どうした、それ」


 それ以外は紛れもなくアサメだ。

 だが、変貌を遂げるにも程がある。


「何です、か」


 困惑するゴクロウを前にして、アサメもようやく自身の異変に気付いた。髪を触り、よく見れば爪の色までも雪の様に白く染まっている。

 ゴクロウは急ぎ詰め寄り、小さな手首を取った。脈を測る。


「大丈夫だ」

「そんな、こんなの」


 落ち着こうとしているが、明らかに動揺している。

 まさに悪霊に取り憑かれた様だった。


「おかしい、コンナノ、オガジイッ」


 突風。

 叫びを聞きつけたかの様に風が吹き荒れ始めた。火の粉が高く舞い上がり、薪がばちばちと激しく燃え盛る。

 耳朶(じだ)を這う低い音。

 それは言葉無き声に思えた。


「誰だッ」


 ゴクロウは虚空へ向かって吠えた。左腕でアサメを守る様に抱き、右手で短剣を抜き放つ。視線を飛ばす様にして周囲を睨むが、粉雪が散る闇ばかりが広がっていた。

 だが、いる。何人もの悍ましい声がはっきりと聞こえる。

 一つ、粉雪が渦を巻いてゆらゆらと立ち昇った。


『ほしい、ほしい』


 呻き声を漏らす旋風(つむじかぜ)など聞いたこともない。

 一帯の温度はみるみると低下し、味わった経験のない強烈な寒気に見舞われた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ