ゴクロウとアサメ 3
アサメは火に寄り添うようにしゃがんだ。矮躯を必死に震わせ、掌を擦り合わせた。
「暖まらないんですか」
「まだちょっとやることがある」
ゴクロウは腰を落ち着かせず、ぼろぼろになった毛皮を脱いだ。露わになる鍛え上げられた上半身には刀傷が縦横に二条、生々しく刻まれている。血はこびりついたままだが、血は止まっていた。
「おかしなほど丈夫な身体だ。薬も何も塗っていないのに傷の治りが早い。脚もあまり痛くない」
アサメの視線が冷たく刺さる。
「凍え死にたいんですか」
「まあまあ」
毛皮をじゃぶじゃぶと川に浸し、洗う。ずぶ濡れたそれを丸め、焚き火に寄せて炙った。全体的に暖まるまで腕立て伏せをして待ち、頃合いをみて毛皮にしゃぶりついた。ぬるい液体が喉を潤す。顔に押し当てるとじんわり暖かい。氷ついた末端神経が溶けていく。少量だが、身体の深部へ熱が染み込んだ。
「アサメもやってみろ、気持ち良いぞ」
「いえ、結構です。とても野蛮。臭そう」
「ん、味は確かに不味いな。うん、なんというか、汗と、うすめた小」
アサメは耳を塞いだ。
喋るな、と睨みつけて訴えてきたので感想を言うのは止めた。
気が済むまで水気を吸い、ついでに身体を拭って羽織ると漸く座り込んだ。岩場で烏貝に似た二枚貝を見つけ幾つか剥がし取っておいたので、焚き火で炙る。その間に蔓を解し、折れた太腿に枝を巻きつけて添木した。赤く腫れ上がった箇所を縛り上げる度に激痛が走る。歯を食い縛り、ただ耐えるのみ。脚の中に弾丸も残っている。早く手術しなければ後遺症も有り得るが、焦りは禁物だと強く暗示を掛ける。疼く神経の感覚を冷静に捉える。痛いと思わなければただの鈍い脈動。ゴクロウは一息ついて焚き火の横に寝転がった。
「何処なんだろうな、ここ」
貝を割りながら呟く。
「検討が付きません。地球上の何処かである事には間違いなさそうですが」
「地球ね」
貝から溢れてくる汁と身を吸う。ほんのりと甘い。砂利がなければもっと食べたかった。
「生まれ故郷は覚えているか」
「いえ」
「そうか。でも言葉が通じているから、同じ国だったんだろうな」
「貴方は覚えているんですか」
ゴクロウは一人ですぐに食べ終えると、貝殻を川へ投げ捨てた。
「ぼんやりとな。国の名前は忘れた。色んな国籍の人間が大勢住む大きな街だった、と思う。少なくともこんな雪山で育った覚えはない、と思う」
思う、思う、思う。何の確証もなかった。
アサメといえば手持ち無沙汰に枝を拾い、火に焚べていた。
「そんな野蛮なのに、ですか」
「新鮮なら動物の死骸だって食うぞ俺は。冒険家の両親に生きる為の術だって叩き込まれたんだろう、多分な」
「本当に野蛮。信じられませんね」
二人は視線を合わせず、淡々と会話していた。
ふと、ゴクロウはアサメを一瞥する。焚き火の暖色に照らされた鋼色の瞳は、ほんの少しだけ眠たそうだった。
「アサメはきっとお嬢様育ちで、きちんと砂抜きをした貝ばかり食べてたんだろうな」
年頃の少女らしさは一瞬の出来事だった。
「まともな御令嬢なら、人を殺したりはしません」
整った顔立ちに影が差す。
陰気というよりかは、闇に近い。
「多分、な」
ゴクロウは陰鬱な空気を吹き飛ばすように勢い良く起き上がった。
「分厚い肉が食いたい。アサメ、美味い肉が食える飯屋、一緒に探しに行こう」
溜息が聞こえた。
「それより貴方は脚を」
ゴクロウは彼女の方を向き、目を見開いた。
ほつれたような老婆の白髪、不純物を含んで凍結したかの如き白濁した眼。
「おい、どうした、それ」
それ以外は紛れもなくアサメだ。
だが、変貌を遂げるにも程がある。
「何です、か」
困惑するゴクロウを前にして、アサメもようやく自身の異変に気付いた。髪を触り、よく見れば爪の色までも雪の様に白く染まっている。
ゴクロウは急ぎ詰め寄り、小さな手首を取った。脈を測る。
「大丈夫だ」
「そんな、こんなの」
落ち着こうとしているが、明らかに動揺している。
まさに悪霊に取り憑かれた様だった。
「おかしい、コンナノ、オガジイッ」
突風。
叫びを聞きつけたかの様に風が吹き荒れ始めた。火の粉が高く舞い上がり、薪がばちばちと激しく燃え盛る。
耳朶を這う低い音。
それは言葉無き声に思えた。
「誰だッ」
ゴクロウは虚空へ向かって吠えた。左腕でアサメを守る様に抱き、右手で短剣を抜き放つ。視線を飛ばす様にして周囲を睨むが、粉雪が散る闇ばかりが広がっていた。
だが、いる。何人もの悍ましい声がはっきりと聞こえる。
一つ、粉雪が渦を巻いてゆらゆらと立ち昇った。
『ほしい、ほしい』
呻き声を漏らす旋風など聞いたこともない。
一帯の温度はみるみると低下し、味わった経験のない強烈な寒気に見舞われた。




