【ヒースと、スプリングの現実】
【ヒースと、スプリングの現実】
七海恵はHINAのVRゴーグルを外し、ふぅっと大きな息を吐いた。
(―――椿さん。新しいお友達が増えましたね)
黄昏の時間、白髪の女性は嬉しさに唇の両端を吊り上げる。HINAのゴーグルを外し、眉間をおさえた。
長い時間、VRMMOをプレイするのは疲れる。
(―――今日はスプリングちゃんに会えた。あの子、楽しくレッドマレリイカで遊んでいるのね。良かった―――)
恵は、夕焼けに染まる空を見上げた。
レッドマレリイカの中でのスプリングの姿と、現実世界の彼女の姿がどうしても思い浮かぶ。
(つむぎちゃん)
和室に置かれた椅子に腰かけながら、恵は彼女に想いを馳せる。
たった1人の、自分の孫娘。
◇ ◇ ◇
(···あの人···一体何のつもりなんだろう······)
柊つむぎは溜息を吐き、レッドマレリイカの自身のキャラクター『スプリング』のステータス画面を見つめる。
レベルは現在の上限であるレベル60。
魔法剣士であるが、どちらかと言えば攻撃力重視型だ。なおかつ、レベル60のユーザーにだけ与えられる『覇者』の称号も獲得し、期間限定クエストもこなしているためスキルも100以上所持している。
(···ヨシノ王さんに聞いた話では······あの人は、レベル10程度···。···ただの老人の気まぐれ···?確かに、このゲームはあの人に買ってもらったものだけど······)
2年前の誕生日、欲しいものがあるかと訊かれたから、このレッドマレリイカを購入するための金を貰っただけのことだ。何に使ったかと訊かれたから答えたら―――まさか、『ヒース』などという名前でユーザー登録してくると思わなかった。
(······この後、時間限定のクエストが······)
「······きゃっ!!」
つむぎがステータス画面を閉じようとした瞬間、無理矢理にHINAをはぎ取られ、痛みに顔を歪めた。視界が突然VRMMOから、現実世界に変わるのは―――気持ち悪い。
「あーーーっ!つむぎ!ゲームなんかしてるのかよっ!しかもレッドマレリイカ!?今の時代、WWの方がおもしれぇのに!」
「な···渚、くん······っ!」
ここは、柊家のリビングのソファ。
従兄弟にあたる渚は中学3年生で、18歳の自分よりも背も高く、力も強くなっている。HINAを奪われても、つむぎは取り返すこともできない。
「やぁだー、ゲームなんかしてたの?勉強してるのかと思えば···ゲームする時間があったら、夕飯作りを手伝って頂戴」
「······ご、ごめん、なさい···。真奈、さん···」
「ゲームばかりしてるから、うちの進よりも頭が悪いのよ」
叔母である真奈は、カウンターキッチンの奥で悪態をつく。
進というのは真奈の長男、つむぎの同い年の従兄弟であり、同時に渚の兄でもある。
―――つむぎは実の母の弟、つまり叔父の家に引き取られ、2年になる。叔父の勉は母の他界後に自分を引き取ってくれたのだが、あまりに仕事が多忙な故に土日くらいしか姿を見せない。
そしてつむぎは引き取られてから、自分の部屋を与えられていない。4LDKの2階建ての戸建ては、つむぎが引き取られる前からすべての部屋が満室だった。リビングのソファベッドが自分の寝床になっており、勉強するにもダイニングテーブルで行う必要があり、VRMMOをするにもリビングでするしかない。
―――常に衆人環視の目にさらされているのも、ストレスが溜まるものだ。
(···お母さんが死ぬまで、こんなこと、なかったのに······)
2年前に母が他界するまで―――母の再婚相手の七海琉希との3人生活は、自由だった。渚に意地悪をされることもなく、真奈に見下されることもなかった。
(年頃の姪っ子が、血の繋がらない男と同居を許さないとか言って···全然面倒見てくれないくせに······おとうさんと、引き離されて······)
七海琉希は自分の実の父親ではない。つむぎが10歳の時、母が再婚した男性だ。とても優しい男性で、つむぎのこともとても可愛がってくれた。
なのに、母が他界後、柊家は世間体が悪いとつむぎと琉希を引きはがした。
(―――あの人も、叔父さんと衝突してたな)
自分とは血が繋がらない、事実的には祖母にあたる彼女のことを思い出す。
『つむぎちゃんは、とっても良い子ねぇ』
いつも、そう言ってくれた彼女―――彼女の温かな言葉を思い出すと、胸がきゅっと締め付けられるような思いだった。
「つむぎちゃん、何ぐずぐずしてるの?」
「······ごめん、なさい······」
「もう、どんくさいんだから」
大きくため息を吐く真奈に、つむぎは静かに歩み寄る。
(現実世界なんかより···ずっとVRMMOにいれたらな······)
こんな不自由な現実世界、全く面白くもなんともない。
え、ヒースって・・・?
次回の話は本日の21時更新予定です。