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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

未完短編と織田作

作者: 藤海昇

エッセイってこういうものでよろしいんでしょうか


 皆もすなるエツセイといふものを、私もしてみむとてするなり。


 さあ、自殺行為に走った私のエッセイ第1段は、「流行りに乗る」というオリジナリティの欠片もないものから始まりました! 控えめに言って作者は頭が弱い為、どうか優しく大阪国民のように突っ込んでいただきたい!(大阪の方ゴメンなさい)


 さて、ここの所のエッセイのランキングに幾つか見られるテーマ、それは……


「起承転結が成立していない短編」


ですね。ええ、私もたまに見かけることがございます。


 まず大前提と致しまして、ここ最近まで非ログイン読み専の側だった私からしますと


「書いているだけ皆さま基本偉い! スゴい! 最高!」


ということは、まず声を大にして主張しておきたい次第であります。そうなのです、書かなきゃこの批判は成り立たないのです。不特定多数の人が見ている場所で普通に自己表現をなさっている皆さま方は、それだけでビビリでチキンの私からすれば雲上人なのです。

 余談ですが、小学校の図画工作の時間での作品ですとか、国語の時間での作文ですとか。そういったものを授業参観の日に見られたり、発表されたりするのがとてつもなく恥ずかしかったという方は私の同志です。顔から火が出るというのは、ああいう状況で起こるのでしょう。


 さて、大前提をお話ししたところで、1つ例を挙げようと思います。どうにも自分の言葉で語るのが苦手なもので、大概引用が多いのはご容赦願いたいです。

 皆さまは織田作之助という作家の方をご存知でいらっしゃいますでしょうか。大阪生まれで昭和前期を代表する作家の1人です。同世代で言いますと、太宰治の4つ下、坂口安吾の7つ下です。しかし玉川上水に身投げした太宰や、脳出血で急死した坂口よりも早くに亡くなったという事実は、彼が如何に短命であったかをよく表しています。死因は肺結核、享年満33歳でした。通称で織田作、などとも呼ばれたりいたします。


 彼の代表作として絶対と言ってよいほど挙げられる作品が『夫婦善哉』です。さて、ここから先は同作のネタバレを含む可能性がございますので、そういったことが嫌な方はどうかブラウザバックの方をよろしくお願いいたします(できればネタバレをしないようにしたいのですが、多分無理なので)。













 『夫婦善哉』は昭和15年と言いますから、西暦は1940年の4月に発表された作品です。簡単に言ってしまいますと、大阪の街で暮らすとある男女の物語です。男は安化粧問屋のボンボン、女は貧乏な家の生まれで芸者をしていました。男の方は妻子ある身だったのを、実家ごと投げ出して女と一緒になってしまいます。

 ところがそこまでしたにも関わらず、男の方はダメ人間で浮気者のまま。しかし女性の方もそんな男に散々騙されたり裏切られたりしながら、それでも男と離れず、必死で稼ぎ続ける……そんなお話です。およそ文庫本で50数ページほど。まあ一般には短編の範疇に入るかもしれない、なろうですと中編でもおかしくない程度の文量の小説です。


 実はこの『夫婦善哉』には『続 夫婦善哉』という続編があるということを、皆さまはご存知でしょうか。こちらは文量的には前作の半分強といった文量で、中身も紛うことなき『夫婦善哉』の続編です。どうやらこの続編は織田作之助の生前には発表されず、つい最近未発表原稿として発見されたもののようです。

 さて、ここからは引用文です。


「『夫婦善哉』の読者は、オープンエンディングに味わいを感じながら、(中略)<解決=終わり>を期待していたはずなのだ。だから『続 夫婦善哉』を書いた織田作之助は、『夫婦善哉』の最良の読者でもあったということなのだ。」(『夫婦善哉 決定版』 織田作之助 新潮文庫 平成28年、p.303、10~13行目、石原千秋による解説より引用)


 上記の文章に『夫婦善哉』をお読みで無い方へ補足を加えますと、実は『夫婦善哉』のエンディングは、しっかりとした起承転結がついているか、と問われればある種Noであるということなのです。詳しくは述べませんが、『夫婦善哉』のラストシーンは、結局これまでの流れの延長線上にしかなく、明確な終わりとは言い難いのです。明らかにこれから先も変わらない2人のやりとりが続いていくだろう、そういう含みをもたせたエンディングなのです。

 ところが『続 夫婦善哉』は、それに比べるとしっかりオチが付いているのです。2人の境遇に明らかな変化があり、起承転結の結の部分として成立しているのです。続編であることを考慮すると、続編に移った段階が全体の転の部分に近いでしょう。


 上記の引用文は、それを「織田作之助という作者が、一読者としての立場をもとって書いた作品なのだ」と、そう主張している文章なのです。







 この『夫婦善哉』の例を出したのは、つまり「結末に含みを持たせる作品とは如何にあるべきか」という1つの解答例なのです(1つではありますが、唯一では無いことに注意!)。

 例えば長編のプロローグ的な作品を短編で書こうとした時、つまりプロローグな訳ですから、事実上起承転結の起しか書かれていない訳です。その時「果たしてこの短編はその先の承転結をどの程度空想・妄想可能なのか」ということなのです。


 もしここで、「人気なら続編を書きます」という言い方を作者側がしてしまうと、途端にその可能性が狭まってしまうのです。それは「えっ、つまり作者さんにはこの後の構想がある程度あるの?」という所から始まり、「続きを想像して余韻に浸る」のではなく「作者さんをせっついて続きを書かせる」方向に読者の考えがシフトしてしまう可能性があるからです。そうすると、これが短編で終わってしまった時、折角の作品の魅力が半減してしまいます。

 勿論、作者さん側の気持ちは想像できなくも無い……かもしれません(間違ってたらゴメンなさい、ひとえに私の想像力欠如です)。設定やプロットを作ったはいいものの、これでウケるか不安だ。あるいは、何だか面白そうな設定を思いついたはいいけど、続きを思いつかない。でも仕舞い込むのもなんだし、筆がノッたら書けそう……そんな感じでしょうか。


 某動画サイトで「包囲網」という概念があります(ありました? 不明ですが)。つまり単発で出した動画に対し、「続きを作れ、作るんだよ!」とコメント欄で催促する行為のことです。「作者が続編を作らずに逃げ出さないように」という意味でこういう名前になっているのでしょう。恐らくこの「短編の名をしたプロローグ」はその辺りを想定しているのだろうと私は憶測で物を語っています。

 ですが、そもそも動画と小説では様々な面で違いがあります。動画はただ垂れ流しにしておくことが可能ですが、小説は垂れ流しにはできません。小説はどうしても能動的に読ませなければいけないものです。加えて適当にガチャガチャ打ち込める動画コメントと違い、なろうの感想は中々書くのも書かれるのも頻度が高くありません。

 その為、どちらかというと動画サイトは動画サイトでも、登録者求む系の方向にシフトしがちなのでしょう。そして、「続きを書いて欲しいか否か?」という質問であれば、感想に最悪「はい」か「いいえ」かで答えられます。「いいえ」と態々書く人はいないでしょうから、実質「はい」かその他の意見で埋め尽くされる訳です。


 ある意味戦略としては正しいのかもしれません。別に短編の投稿要件に「起承転結がハッキリしていること」なんてものは存在しませんし、引きを作って「続……かない!」みたいなネタはよくある話です。

 とはいえ、私個人としては「勿体無い」となんとなく思ってしまうのです。どうせ意欲的な人が山ほど集まっているこの界隈です。「はい」か「Yes」でお答えくださいだなんて、全くもって勿体無い!(アンゼロット様並感)


 そこで上記の例を出した訳なのです。「作者は、その作者の一流の読者たることができる」ということです。実はこの点は人によって分かれるところです。作者は作者として書きたいものを書くべきで、読者目線だなんてトンデモない! という方もいらっしゃいます。かたや、作者は同時に読者たることを意識すべきだ、という方もいらっしゃいます。


 それも込みでこのエッセイの意見を真に受ける必要性は一切ございません。ですが個人的には、「短編でプロローグを書くのは別にいいのでは無いか。ただ、どうせなら読者側に立って、もっと想像力が働くような思わせぶりな短編としての結末を用意した方がいいのでは?」というご提案な訳です。


 正直、その思わせぶりな引きが続編を書くときにプロットから消滅していても、最悪構いやしないと思います。逆に書きたいものがそこまでガッチガチに固定されていなければ、その短編のオチに合わせてプロットを書き直すのも乙なものです(作者さんの負担倍増しなのは見なかったことに……)。

 結局設定集は作者の妄想のままなのです。でもそれに結末をつけて作品として昇華させてしまえばあら不思議、読ませる形式となって妄想からワンランクアップします。オチをつけると作品の方向性がある程度固まりますし、続編も書きやすくなるでしょう。それこそ織田作のように、やっぱりこのキャラはこの結末じゃなんだなぁ……などと思い出したら勝ちです。キャラへの感情移入ができている訳ですから、キャラを動かしやすくなるでしょう。


 そして何より、引きをつけたオチは、具体的な他の読者さんの想像を伴った感想を増やす余地を生み出します。例えば「なるほど、これこれこういう設定とは斬新だった! 個人的にはこの後○○と△△がこんな絡みをするのを想像してニヤニヤ」など、こんな感想が増える可能性がある訳です。

 起から承転結を考えるのは意外と難しいのです。何故かというと、ifのifのifを考える羽目になるからです。起のifとしての承、そのifとしての転、そのifとしての結という具合です。それくらいなら起承転結で一括りにして、そこから派生した起承転結の方が自由度も高いですし、ifを繰り返す必要もなくなるでしょう。作者さんも読者さんも面倒が無くなります。せめて織田作のように結を軟着陸させると、実はもうちょっと続くんじゃ、がやりやすくなります。やっぱり作者さんにも優しい。


 どうせなろうの作品というのはタイトルとあらすじで閲覧数が決まってしまうのが常です。ともなれば内容をより充実させ、見てくださった読者さんからより濃い感想を貰える方が嬉しくありませんか? 最悪続きを思いつかないなら、感想のネタから派生して物語組み立てる方法もありです(勿論感想案の丸パクは事実上の剽窃ですからね? あくまで参考にする程度です。もしくは使わせてくださいと感想を書いた人にお願いするか)。

 何より、一度オチをつけると、続編を書いた時最終的なオチとのギャップを作り出せるというメリットもあります。そうすると物語が勝手に二段構造になり、物語が深まるという塩梅です。


 何々? そんなオチを思いつくくらいなら起だけで書いてない? こちとら素人で織田作みたいな腕前は持ち合わせてないんだぞ? いやいや、最悪こじつけでも構わない訳です。だって作者さんが見たいのはその設定に対する反応なのでしょうから。「結末はおかしかったけど、設定は良かった」なら実質勝ちです。

 ……はい? お前のここでの処女作は結末がろくすっぽできてない上、伏線を設定集で回収するとかいう卑劣な手段を取っておいて、どの口が言うかって?


 ……それを言っちゃあおしめぇよ(ブーメラン)

こういう下らないものを書いているということは、そもそもの私自身が長編のネタが思いついてないのですよ、ええ。


……ネタが思いつくだけスゴいなぁと思う次第です(頭が貧弱貧弱ゥ!)

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