マイ・フェア・レディ
駆け寄る君に両手を広げる。
急がずおいで。私はのんびり待っている。
はしゃぐ君がいると、私も楽しい。
つまずく君に両手をのばす。
両目一杯に涙を溜めた君が、一生懸命に立ち上がる。
ゆっくりおいで。私はどこにもいかないよ。
アスファルトの真ん中で、君は真っ赤に崩れて散った。
◆◇
南のベンチには紺色の作業着の女が横になっている。
西のベンチでは黒いパーカーの男が端末を弄っている。
老人はまだ来ていない。
俺のベンチに、子どもが座っている。
赤いスカートを履いた子どもが、座っている。
「先客がいたのです」
(俺のコメントだよ)
広場は今日も停滞した空気を漂わせている。
空は、黄金になるにはまだ早い。
「はじめまして、ユーレイです」
ベンチから降りて淑女風のお辞儀をする少女を勿論のこと無視をして、空いたベンチに座る。脚を開いてど真ん中に座る。
視線から逃れるために空を仰ぐ。良い天気だ。
立ち去る気配がない。
見下ろすと、両脚を開いて空いたスペースに、少女が腰を下ろしている。
「えへ」
動けない。金縛りのようだ。
前にも後ろにも進めない。自ら罠に掛かった気さえする。
(・・・・・・良い天気だなー)
「そうですねー」
現実逃避に呟いた言葉に、少女はまるで応えするように言った。流石に気のせいだろうが。
先日の食パン女が現れ、ベンチに眠る女の世話を焼き始めた。よそよそしく見えるから、知り合いというわけではなさそうだ。
(どいつもこいつも世話焼きか)
「よいことです」
気のせいだと思う。
「ユーレイはなんでもわかるのです」
(勘弁してくれ)
尋ねてもいないのに、少女は滔々と自己を紹介しはじめた。
「ユーレイはミカともーします。ミカはキューサイです。サンネンせいです」
(学校通ってんじゃねーか)
「ギムきょーいくです」
どうでも良いが、何故ここに座るのだろう。
横取りした此方にも非はあるが。謝罪はしないが。
「私、なんで女になんか生まれちゃったんだろ」
ふと、女の声が耳に入る。視線を向けると、食パン女が作業着の女を膝枕していた。恐るべき進展の速さ。
少し冷えた風が吹いた。
いい加減、炭酸に凍える時期だ。
ベンチに転がしていたボトルに目を落として、いつものサイダーでないことを思い出した。
ベンチの脚部にぶちまけるために、四十八円高いコーラを買ったのだった。
この子どもは、いつ消えるのだろう。
「ユーレイはトモダチとまち合わせをしているのです。ヒマなのです」
(知らねえよ)
「よいところにヒマつぶしがみつかったので、ユーレイはウレシイのです」
楽しんでやがる。俺が困ってんのに気付いていて、それを楽しんでやがる。
(コノヤロウ)
「その通りだ嬢ちゃん!!!!」
やたらデカい声が、広場に響き渡る。
西のベンチに座っていた男が、南のベンチに座る二人に何事かを喚いていた。
「俺は会社をつくる!!会社をつくって、俺みたいな奴らが自由に働ける職場をつくる!そんで、今ンとこよりデッカくなって、アイツら全員見返してやる!」
気付けば、互いに身を寄せあっていた。
男の声にはそれだけの覇気があった。
腰に縋りつく少女にうっかり回した腕の収めどころがわからない。
「有難う嬢ちゃん!あんたも負けるなよ!!」
男は馬鹿デカい笑い声を発しながら広場を立ち去っていった。
大声で気づいたが、その男は昨日溺死をはかっていた酔っ払いだった。
(・・・・・・失敗したのか)
「すくわれた。ですよ」
気付けば、空は黄金色を過ぎて、橙色に染まり始めていた。
少女は、存外にあっさりと手元を離れた。
「ありがとーございます。たのしかったです」
(・・・なんもしてねーよ)
「後ろのかたにも、ヨロシクなのです」
背後を振り返る。誰もいない。
向き直ると、少女はにっこりと微笑んでいた。からかわれたのか。
(・・・帰ろ)
立ち上がると、少女はひらひらと両手を振った。
「ばいばい、またアシタ」
明日は土曜日だ。
食パン「セックシーなの♪」
幽霊「キューットーなの♪」
菓子「どっちが好きなのー♪」
俺(仮)「乳」
溺死「お前最低やな」