半斤、二百十六円
公園と言うには遊具が一つもない。ただ整地されただけの人を呼ばない広場だ。
学校帰り、帰路の途中にある広場のベンチに座る。
コンビニで買った五百ミリのサイダーをプシュリと開けて喉に流し込む。
ばちばちと弾ける泡が胃の腑に浸みて心地良い。
空を仰げば、それなりに雲がある。空気は少し湿っている。
多分、明日は雨が降る。
目の前には小さな噴水がある。
誰にも見られてやしないのに、延々水を噴き上げている。
その噴水に背を向けて、カーキ色のジャケットを羽織った男が、ビニール袋から食パンを取り出しては千切りばらまいて、広場に鳩を集めている。
男は髪に白髪が混じっていて、それなりに老いているのだと知れた。
挨拶なんかする必要もない。
噴水や、茂っている木なんかと同じ、景色の一つに過ぎない。
一人の女が現れた。淡紅色のスカートスーツに傷一つない白のヒールを痛めつけるように広場を闊歩して、俺の前を通り過ぎる。向かって左に設置されたベンチにシャンパンゴールドのハンドバッグを叩きつけると、尽き果てたように腰を下ろした。俯く顔は両手に隠され見えなくなる。
女の耳元で真っ赤な石がきらきらと揺れているのが見えた。
噴水に視線を戻し、乾きを潤す。
水しぶきの隙間から、女の嗚咽が鼓膜に響いた。
鳩に群がれ啄かれている男のブーツは元からカーキ色なのか、もしくは泥にまみれてそうなったのか、イマイチ判別つかない。
食パン丸一枚を鳩共にやった男は、ビニール袋を片手にぶら下げ、びっこをひいて女の方へと歩いた。
俺は端末を取り出した。
女の前に立った男はビニール袋に手を突っ込んだ。女は男に気付いていない。気付いているのかもからなかったが、構わずおいおい泣いている。
俺は電話画面を開いた。
男はビニール袋から食パンを一切れ取り出すと、俯く女の前に差し出した。
何がしたいのか勘ぐって、途端馬鹿馬鹿しくなって端末を閉じた。
(アホかジジイ)
今どき鳩なんかに餌やって慰められるのはあの男くらいだ。女の方だって、事情も知らない他人になんか、それも小汚い男になんか構われたくないだろう。
目の前を動かない男に、漸く顔を上げた女は、涙で赤くなった眼で差し出された食パンを眺め、それからぐしゃぐしゃの面したまんま男を見上げた。
男はだんまりしたまま、ただニカリと笑った。
女は再び視線を下ろすと、目の前の食パンを長いこと凝視した後、おもむろにそれをわし掴み、ついで大口あけて勢い良くかぶりついた。
(・・・・・・?)
食べるというより食らっている。ばくばくと食べ零しにも頓着せずに、ものの数秒で完食した。
食い終わった女は、再び顔を覆っておいおい元気に泣き始めた。
男がゆっくりと俺を見た。
(こっちみんな)
びびった鳩みたいな面を見るに、どうやら男にとっても予想外だったらしい。知らん顔してサイダーを仰ぐ。中身は一気に半分を過ぎてしまった。
怖いもの見たさで視線を飛ばせば、男は再びビニール袋から食パンを取り出していた。
(アホかジジイ?!)
若干腰が引けているのを見るに、どうやら男も怖いもの見たさに負けたらしい。
しかし、女に差し出した食パンは、女が顔をあげる前に飛び上がった鳩に奪われてしまった。
丸一枚強奪した鳩は強かな面して地面に落としたそれを仲間と共に啄んでいる。
「ぅ、うぅううぅ〜〜っ」
心なしか嗚咽が大きくなった気がする。
そんなに食べたかったのだろうか。
結局、男はそれから三度差し出し、女は三度食らった。
計四度の食パンを食らい終えるころには、女の涙はすっかり乾いていて、嗚咽のやんだ口は、衣擦れのような些細な声音で「ありがとう」と呟いた。
ぐしゃぐしゃな面に笑みさえ浮かべ、颯爽と歩き去る背中を、どこか放心したような空気を漂わせる男と共に見送る。
そんなに腹が減ってたんだろうか。
ゆっくりと振り返った男と目が合った。
すぐに目逸らして立ち上がる。絡まれるのは勘弁だ。
(気味の悪いもん見ちまった・・・)
残り少ない炭酸を飲みながら歩く。
広場から家までの間にある自販機の傍にはゴミ箱がある。
いつも中身が一杯で、ゴミ箱の周りは入りきらない缶やらビンやらが転がったり立てかけられたり、絶妙なバランスで積み重ねられたりしている。
自販機の前で立ち止まって、残り少ない中身を一気に飲み干す。
空になったペットボトルを、ゴミ箱の口からはみ出た缶の上に、慎重に乗せる。
ゆくゆくは、このゴミ箱を道行く輩が度肝を抜くようなアーティスティックな状態にしたいと考えている。
振動を与えぬよう、ゆっくり後退りをして、今日もやってやったと息を吐く。
満足気味に眺め、ふと、自販機とゴミ箱の間に挟まれたビニール袋に意識が寄った。
微妙に自分の思う完成形にそぐわないように思えて、ためしにゴミ袋を引っぱってみる。
奇跡的に状態を維持したまま取り除くことに成功したそれの中には、妙に状態の良いカッターナイフと、そのパッケージが入っていた。
刃を出してみても、使われた形跡が微塵も見当たらない。未使用のものと思われた。
勿体ないことをする輩がいたもんだ。
だが折角なので、頂戴しよう。
乱雑に破られたパッケージをビニール袋の中に戻してゴミ箱の裏に挟まる瓶の上にのせた。
頂戴することにした黄色のカッターナイフをポケットに捩じ込み歩き出す。
何か、硬いものを踏んづけた。
俯き足をずらすと、ひしゃげたフックに繋がれた真っ赤な石が、踏んづけられたことにも頓着しない様子できらきら光を返していた。
何の石だったか勘ぐって、途端馬鹿馬鹿しくなって噴き出した。
壊れたピアスを拾い上げ、雲に隠れた光に翳してみる。石はまるで本物みたいにキラキラと輝いている。もしかしたら本物なのかもしれなかった。
あの男は何にも知らずに今日を終え、明日明後日にはぽかりと忘れているだろう。それで良い。
自己満足のお節介は気味が悪くて虫唾が走る。
知らないくらいが丁度良い。
手にしたそれをポケットの中に捩じ込んだ。歩き出すと、カッターとぶつかり合ってかちゃかちゃと喧しい。
空気は湿っている。空には薄くはない雲が膨らんでいる。明日は雨が降るだろう。
もしも明日雨が降らなかったら、またあの広場に行ってみよう。
もしもあの男がいたら、これを黙って突き出してみよう。
はたしてどんな勘違いをするだろか。
盗んだと思うだろうか。奪ったと思うだろうか。
もしかしたら、鳩のようにきょとりと首を傾げるかもしれない。
話す気はない。挨拶なんかするはずもない。
ただ赤の他人を困らせるのは気分が良い。
明日は雨が降るだろうか。
翌日、雨が降った広場には、一羽の鳥もいなかった。
ゴミは噴水の受け皿に投げ捨てた。
爺さんの日常
爺さんに群がる鳩
「わあー!鳩がいっぱあーい!」
駆け寄る子供
\舞い上ーがーれー♪/ブワッサァ
取り残される小汚い爺さん
「うわぁあん!」
怯える子供
「近づいちゃいけません!」
走り去る親子
\舞いもーどーれー♪/フワッサァ…
仲良し(餌台)