第74話 アイリ・エンデュア・ストラトスフィア
「はわ〜! ここのカレーはとても美味しいですね、腹が減っては戦は出来ぬといいますが、これなら安心そうです」
目の前でカレーを頬張る少女。
薄い金髪は差し込む光で輝き、一層たおやかな印象を持たせている。
彼女こそが、ストラトスフィア王国の第1王女、アイリ様だ。
わたしなんかでは一生お目にかかれない天上の存在。
そんな王女様が、下士官以下の利用する食堂で幸せそうに食事する姿は、非現実的のそれ。
いやいや、ってかアポなしで王女様って来るもんなの!? ストレスから開放された? 前言撤回、胃が緊張でもう痛いなんてレベルじゃなくなってる。
もはや胃に穴が空いて溶解しそうだ......!
「全くアイリ様......気まぐれが過ぎます。しかもここは大食堂、他の騎士の迷惑になりかねませんよ」
わたしが戦った近衛のトップ、イグニス・ハルバード中佐が、諭すように言う。
彼はアイリ様の背中を守るように立っていた。
「そうですわね、しかし......なにぶん時間が無かったものでして」
軍人用の大盛りカレーをペロリと平らげたアイリ様は、ナプキンで口元を拭う。
その動作一つ一つさえ、洗練された美しいものだ。
「まあ良いではないか、少なくとも幹部食堂よりか居心地はマシじゃろうて」
アイリ様の後ろに立つフォルティシア中佐は、なんの躊躇もなくいつもの口調でハルバード中佐へ笑いかけている。
「えーっと、アイリ様ッス......訂正! アイリ様であられますよね? な、なぜ大食堂へ?」
ガクガクと震えるセリカが、噛みまくりながら質問を試みた。
「思いつきです! うちのイグニスを倒したアクエリアスの英雄、そんな彼女が普段食べているものを、わたくしもぜひ食べてみたくなりまして!」
爛々《らんらん》と答える王女様。
フリーすぎない!? 想像していた王族と全く違う実像に思考が追いつかない。
「お、お味の方は......?」
あのクロエが敬語!? 佐官相手でも普段からタメ口なのに......! それだけ眼前の王女様は、彼女にとって雲の上の存在なのだろう。
「最高ですよもう! 絶妙に調合された香辛料、お米が溶けるような錯覚をさせるこれはもう飲み物です!! まさに人類文明の宝ですよ」
熱弁を振るう王女様。
まあ、こっちは予想外と緊張の連続で味なんて感じないわけで......。
ただただ相づちを打つしかないのだ。
「アイリ様、ただ食事にきたわけじゃないでしょう? 他の騎士のためにも、ご用件の方を」
スペアらしきメガネを取り出すハルバード中佐。
現在大食堂は、わたしやクロエ、たまたま居合わせたセリカを除いて"自主的"に外へ出ている。
周りを見渡したハルバード中佐が、アイリ様の拭き終わったナプキンを受け取った。
もしかしたら、あの人は近衛のトップであると同時に、王女様の側近に近い存在なのかもしれない。
「全くせっかちねイグニスは、まあ良いわ、ではそろそろ本題に入りましょう」
スプーンを置いたアイリ様は、ゆっくりと顔を上げた。
清廉な顔立ち、だがどこか覇気のような迫力を纏っている。
「王国軍騎士ティナ・クロムウェル、あなたには王国へ牙を剥く"エンシェント・ドラゴン"、これを討伐してもらいたいのです」
気絶しそうになった。
これはつまり、1人で突っ込めとでも言うのだろうか。
あまりの言葉に思わず口を挟む、もはや相手が王族だということは、この時点ですっかり頭から抜け落ちていた。
「そ、そういうのって......、もっと大軍とかがやるんじゃないんですか?」
「戦車や砲兵はもちろん支援に付きます、ここにいるイグニスやフォルティシア、遊撃連隊も参加します。ですが――――ドラゴン相手にはまだ足りないのです!」
アイリ様は机に身を乗り出す。
「イグニスとの試合で見せたあの力――――――あなたの持つ、『血界魔装』が必要なのです!!」
無茶だと言いたかった、断りたいと切に願った。
立場的にはもちろん拒否などできないのだが、何よりお皿へ落ちた数滴のしずくが、わたしから肯定以外の選択を消し去った。
「さきほど、防衛線が破られたという知らせが入りました。無茶なことは承知しています! でも......もはやこの国には......一刻の猶予もないのです!」
涙ながらに訴えるアイリ様を前に、わたしは――――わたしたちは、もう覚悟を決めざるをえなかった。