第70話 遠き炎の記憶
『嫌ッ!! 夜の海になんて飛び込みたくないわよ!! バカじゃないの!?』
それは忘れて久しい記憶――――、夜を照らすように燃え上がる火災を背に、1人の男がわたしを崖に立たせていた。
『大丈夫です! 貴方なら必ず助かります!! 勇気をもって海へ逃げてください、すぐにでも追手が来ます!』
『やだっ! "カルロス"も一緒に来てッ!! 1人でなんていやだよおっ』
いつの記憶だろう、そしてカルロスという男をわたしは思い出せない。
ただ、これまで断片的に見たことのある夢だった。
『私の代わりはもういますよ、とても優秀でひねくれた士官が2人も! ですが貴方だけは代わりがいません、騎士の私と違い、貴方の血は特別なのです』
血? 騎士? わけがわからない。
そもそも後ろで燃えている建物はなんだろう、やたら大きいみたいだけど、イマイチよく見えない......。
『やだ! カルロスも来て!! 1人でなんてやだあ!!』
わたしは泣き叫ぶ。
夢だというのに妙に生々しい、レンガや血の焦げたような臭いまでしていた。
「いつか必ず迎えを寄越します!! それまでどうかお達者で!! ティナ・エンデュア・ストラ――――――」
漆黒の海へ突き飛ばされた瞬間、わたしの夢はプツンと途切れた。
真っ暗な視界を破って飛び込んできたのは、真っ白な医務室の天井。
ベッドに横たわっているわたしへ、聞き慣れた声が掛けられた。
「ん、やっとお目覚めのようじゃのー、久し振りによく眠れたかえ?」
わたしの上官にして恩人、アルマ・フォルティシア中佐が、椅子へ腰掛けながらいつもの老人口調で伺ってくる。
「中佐......? あれ、試合は?」
「おぬしの勝ちじゃ、よくもまあアイツに一発お見舞いできたもんじゃ。見ていてスッキリしたわい」
本を置いた中佐は、いつもより一層嬉しそうに微笑んでいた。
わたしも微笑み返したつもりだったけど、頬を伝うなにかに気付いた。
「あれ......、なんでわたし泣いて――――」
指で拭ってわかったそれは、久しく流す涙だった。
「どした? 怪我でも痛むのかえ?」
一転、心配そうに寄り添ってくれる中佐。
「いえ、変な夢を見たもので......」
「メルヘンチックな夢でも見たかの?」
「全然違いますよ......、なんかこう、海に突き飛ばされたんです」
「ワシの可愛い部下になんということを! そやつは一体どんなゲス野郎だったんじゃ?」
一呼吸置き、おどける中佐に夢でわたしが叫んでいた騎士の名をつぶやく。
「確か......、カルロスって言ってました」
もうほとんど曖昧だけど、ギリギリ思い出せたその名を中佐へ教えた。
だけど、肝心の中佐から一向に返事が返ってこない。
聞こえなかったのかな......。
「あの......中佐?」
瞬刻にも関わらず、その時間はただひたすらに長く感じた。
「――――いやすまぬ、少々席を外すでの......、代わりにクロエ・フィアレス騎士長を寄越す。しばらくは安静にしとるんじゃぞ」
急に部屋を出る中佐。
どうしたんだろう......お腹でも痛いのかな。
そして、しばらくして騒がしく近づいてきた足音が、医務室の扉を蹴り開けた。
「イヤッホー!! ティナ、試合勝利おめでとーッ!!!」
飛び込んでくるクロエ。
このマイペースっ娘は! 人の怪我関係なしにハグしてくるのでわたしとしてはありがた迷惑すぎる。
でも――――――
「......ありがと!」
それはどことなく、嬉しかった。