Case.07 高嶺の花と僕
「……賑やかだなぁ」
周りを見渡せば浴衣を着た人が道を往来していた。
そして道の端には幾つもの屋台が立てられ、焼きそばやたこ焼き、チョコバナナなんてものが売られている。
僕は今、地区の自治体主催の祭りにやって来ていた。
それも結構力が入っているらしく、祭りの規模もかなり大きい。
「…………」
これまでに毎年、近所でやっているこのお祭りだが参加したのは今回が初めてだ。
もともと人混みがそんなに好きでもなく、今更お祭りにも参加するようなこともないだろうと思っていた。
ただ今回僕がこうやってお祭りに参加することになったのにも理由がある。
来るように、言われたのだ。
一方的に待ち合わせ場所と時間を告げられてはどうすることも出来ないだろう。
「……もうすぐ、時間か」
僕が待ち合わせ場所についたのは、待ち合わせの時間の少し前。
そこにはまだ誰もおらず、僕はただ待っている。
「種島くん」
その時、祭りの空気に凛と響く声。
ゆっくりと振り返った先に彼女はいた。
「……冴島さん」
「こんばんは。待たせちゃいましたか?」
待ち合わせ時間ぴったしにやってきた冴島さんは、ニコリと微笑みながら僕に聞いてくる。
まるで答えなんて分かっているとでも言いそうな余裕が見え隠れしていた。
そんな冴島さんに僕は一度だけ首を横に振ると、溜息を吐く。
一体どうして冴島さんとお祭りに来ることになったりしたのか、それは僕が冴島さんに『好き』と言われたあの日まで遡る。
◆ ◆
「種島くんって、自分に対する好感度は見えないんでしたね」
「……ぇ」
僕は冴島さんの言った言葉を呑み込むことが出来なかった。
なんて言われたかは分かる。
言われた内容は理解している。
でもどうして、どうして冴島さんが《《それ》》を知っているんだ。
「な、なんで」
僕が好感度を見ることが出来ることを、君が知っているんだ。
掠れる声で何とか口にする。
頭なんてとっくに働くのをやめてしまっている。
そりゃあそうだ。
こんなことが二つも続けて僕に突きつけられたのだから。
『冴島さんが僕のことを好き』
『冴島さんが僕の能力のことを知っている』
これが冗談じゃなくて、一体何が冗談と言うつもりだろうか。
「……やっぱり覚えてなかったんですね」
何を、という尋ねることは憚られた。
だってそう呟く冴島さんは、寂しいなんてもんじゃ言い表せないような笑顔だったから。
冴島さんが今何を思い、何を思っていないのか、僕には分からない。
分かろうとしていないわけじゃない。
むしろ分かりたいと思っている。
でも、僕がそうするにはあまりにも無遠慮すぎる気がしたんだ。
「……好くん」
そんなことを考えていると、冴島さんが僕の名前を呼ぶ。
普段は呼ばれることのない、名前だ。
僕をそんな風に呼ぶ人は、家族を除いて誰もいない。
誰も、だ。
そんな家族とも特段顔を合わせることもないので、ここ最近では呼ばれた記憶がない。
親友の田中くんでさえ、僕のことは「種島くん」で定着しているほどだ。
なのに、なのに。
どうして僕は、僕の頭は、その呼びかけに対してこんなにも懐かしさを覚えているんだ。
まるで冴島さんにそう呼ばれるのが当たり前のような感覚さえする。
そんなことあるはずないのに。
「……思い、出せませんか」
冴島さんは一体僕に何を求めているのだろうか。
僕にはそれが分からない。
「…………」
僕たちを沈黙が支配する。
それはきっと僕のせいだ。
冴島さんは僕に何かを伝えようとしている。
そしてそれは、好きとか好感度のこととはまた別のことなんだ。
でも僕に伝わらないから、今みたいな顔をしているんだろう。
「……好くん」
「……はい」
呼ばれ慣れたような気がする呼びかけに、僕は応えた。
冴島さんはさっきまでの表情とあまり変わることはないけれど、その中で微かに何かを決めたような色が見える。
「……昔も、こうやって、二人でたくさんお話ししましたよね」
「……むか、し?」
「はい、昔です」
冴島さんの言う昔とは一体いつのことだろう。
少なくともつい先日とかそういった話ではない、と思う。
もしそうだったらさすがに僕も何か覚えているはずだ。
じゃないという訳は、もっと前のことということだろう。
……だめだ。
頭の中がぐちゃぐちゃで何が何か纏まらない。
いっそのこと一つずつ、聞いていった方がいいかもしれない。
「冴島、さん」
「……なんですか?」
少しの間の後、僕の呼びかけに答える冴島さん。
その声には若干の緊張が含まれているような気がした。
「冴島さんは、僕のことが嫌いだったんじゃなかったの……?」
僕の疑問はそこだ。
『好き』ということに対しての疑問ではなく、どうして嫌われていないのかが分からない。
「好きですよ」
「でも、冴島さん言ったよね。『好き嫌いがそう簡単に変わらない人だっている』って」
あの言葉には少なくとも冴島さんのことが含まれていたはずだった。
だからこそ今までどんな恋愛相談も成功しなかったんだろう。
それなのに冴島さんが僕のことを好きになるってことは、自分の言葉と矛盾していることと同じなのだ。
「好くん、何か勘違いしてませんか?」
「……?」
もうその名前で呼ぶことは決定なのかなんてことは置いておいて、今は冴島さんの言葉の意味だ。
僕が勘違いしているって何を、だろう。
もしかして『好き』っていうことに何か勘違いでもあって、そしたら僕は「勘違い男」みたいな感じになるということだろうか。
さ、さすがにそれは恥ずかしいんだけど。
「好くんのこと、好きになったんじゃないんです」
僕の焦りを他所に、冴島さんは言葉を続ける。
またよく分からない言葉だ。
「好き」って言ったり、「好き」になったんじゃないとか――
「ずっと前から、好きだったんです」
――――本当、どれだけ僕の心の平穏を脅かせばいいんだ。
「ずっと、好きだった……?」
思わず聞き返す。
「そうです。ずっと前から好きだったから、簡単に嫌いになったりしないんですよ」
「…………」
それは、なんというか。
さすがに僕がそんなこと分かるわけがない。
でもまた分からないことが増えた。
僕は昔、冴島さんと会ったことがあったのだろうか。
高校じゃないとして、中学――いや違う。
だとすれば小学生のとき、か……?
僕も昔のことを全部覚えているわけじゃない。
人並みには色んな思い出を忘れて、新しい思い出を作っていく。
一生消えないと思っていた友達との思い出も、今では顔も何も思い出せない。
自分が『好感度を見ることが出来る』というところまで教えてしまうほどの仲だったというのに、だ。
「…………」
そこで、気づいてしまった。
僕の中で蠢くすべての疑問を解消するだけの辻褄合わせを。
でもそれが本当にそうなのか、さすがにそれは偶然を通り越して運命的ですらあるんじゃないかと思ってしまうものだった。
「……気付いて、くれましたか?」
僕が黙り込んでいたのを見て、冴島さんは声をかけてくる。
そんな冴島さんにゆっくりと視線を向けると、その表情は曇りが晴れたように、どこか嬉しそうな、苦笑いを浮かべていた。
不思議なものだ。
あれだけ思い出せなかった、友達の顔も、友達の声も、友達の表情も、二人の思い出も。
靄が晴れていくみたいに記憶の中から呼び起こされていく。
「……あかりちゃん」
それは永らく口にされてこなかった、友達のあだ名だ。
どうして忘れてしまっていたのか。
こんなにも近くに、彼女はいたというのに。
「思い出すの、遅いですよ……好くん」
「……ごめん」
僕は仲の良かった友達を忘れてしまっていた。
彼女は僕のことは覚えてくれていたというのに。
……謝らずにはいられなかった。
でも、これで全部辻褄が合う。
昔から好きだと言われたことも。
僕が『好感度を見ることが出来る』ことを知っていることも。
好と呼ばれることに対しての妙な懐かしさも。
「好くん」
冴島さんが僕の名前を呼ぶ。
思い出したせいか、妙な気恥ずかしさを感じるのは僕だけだろうか。
それとも、冴島さんもそう思ってくれて至するんだろうか。
「私は、好きとか嫌いとか、そう簡単に変わるような人じゃないです」
「…………」
いつかの言葉を、もう一度呟く冴島さんの頬は少しだけ赤い。
「だからずっと、好くんのことだけが好きでした。他の人なんて好きになる余地がないくらいに、大好きです」
「…………」
「もしよかったら、私と付き合ってください」
初めて自分に向けられる告白に、僕は黙り込む。
僕はここで何と答えるべきなんだろうか。
確かに、僕と冴島さんは昔、そりゃあ仲のいい友達だった。
でも今は、どうだ。
こうして告白されて、僕はどうしたいんだろう。
「……少し、時間を置いた方が良さそうですね」
答えに悩む僕に助け舟を出してくれたのは、冴島さん自身だった。
すぐにでも答えを聞きたいはずだろうに、こんな猶予まで与えてくれる。
きっとこんな彼女だから、僕も自分の能力のことを話そうと思ったんだろう。
「あの……」
「……?」
「こ、今度開かれるお祭り、一緒に行きませんか……?」
「お祭り……?」
僕は冴島さんの言葉に首を捻る。
お祭り、って何のことだろう。
地域の行事ごとに関しては正直あまり僕の知るところではない。
「はい、今週の週末に大きなお祭りがあるので、出来ればそこに一緒に行きたいんですが……」
「えっと、僕は……うん、行こうか」
心配そうにこちらに視線を向けてくる冴島さんに、僕は少しだけ迷った挙句、一緒に行くことに決めた。
ただでさえ僕は告白の返事を待ってもらっているというのに、それまで断るなんてさすがにひどすぎる。
そしてお祭りなら告白の返事をするタイミングとしても、外すことは出来ないだろう。
それ以上待たせるのも、気が引ける。
「えっと、じゃあ待ち合わせとかは、どうしましょうか……?」
「あ、あー……」
今ここで待ち合わせの場所や日時を決めるにはさすがに僕が情報を知らなすぎる。
何かもっといい方法はないだろうか。
「えっと……連絡先、交換しませんか?」
「……あ、そ、そうだね」
冴島さんの言葉にハッとする。
それはこれまでの恋愛相談でも定石と言っていいほどまでの手段だ。
なのに思いつかなかったということは、僕も僕なりに緊張しているということだろうか。
「じ、じゃあ交換しようか」
僕は携帯を差し出し、電波を介して連絡先を交換する。
自分の画面に表示される冴島さんの連絡先に、僕は少しだけ緊張しながら、登録を終了させた。
「ではまた、れ、待ち合わせとかは連絡しますので……」
「……あ、うん」
冴島さんはそう言うと、そのまま帰っていく。
確かに今の状況で一緒に帰るのは、ちょっと難易度が高いかもしれない。
僕ももう少しだけゆっくりしたら、帰ろう。
少しだけ静かになった裏門で、僕は一人、さっき交換したばかりの連絡先を見つめていた。
◆ ◆
それが事の顛末。
そういう理由で僕は今、こうやって冴島さんと二人でお祭りに参加している。
「こんばんは。待たせちゃいましたか?」
少しだけ心配そうに聞いてくる冴島さん。
そんな冴島さんに僕は首を振る。
僕自身、ここに来たのはついさっきで、特に待たされたとも思っていない。
すると冴島さんは安心したように小さく息を吐く。
「えっと、じゃあ……行きましょうか」
「は、はい」
前を歩いていく冴島さんの後を追う。
普段見ている制服とは違って、浴衣に身を包む冴島さんは後姿からでも魅力的で、視線を奪われてしまう。
事実、正面から見た時はそのあまりに整った容姿に喉を鳴らしてしまうほどだ。
「そ、そういえば、なんですけど……」
突然、冴島さんが振り返り何やら口を開く。
しかしその視線はどこか僕じゃないところに逸らされている。
「ゆ、浴衣、どうでしょうか……?」
おずおずと聞いてくる冴島さんは、普段関わることのない冴島さんからは想像出来ないほどに淑やかで、僕は歩みを止めてしまう。
浴衣の感想と言うか今日の冴島さんに関しては、さっきからずっと考えていたことだ。
あとはそれを正直に言えばいいだけ。
それに服装についての感想なんて、恋愛相談においては初歩中の初歩だ。
これまで何度もそういうアドバイスをしてきた僕にしてみれば、こんなの楽勝……と思っていた時期が僕にもありました。
「……あ、あぁ」
感想を求められて、僕の口から出たのは何とも間抜けな言葉にもならない言葉だった。
ずっと考えていたはずのことが、いざとなってみれば全く口から出てくれない。
これが緊張によるものなのかどうなのかは分からない。
でも僕の口は固まってしまい、それ以上言葉を紡ぐことが出来なかった。
これまで僕が恋愛相談を受けてきて、服の感想を言うなんてこと簡単だろうと思ってきたけど、体験してみて初めて分かった。
皆が揃いも揃って『難易度が高い!』というのも頷ける。
「に、似合ってるよ……?」
結局、僕の口からようやく出てきたのは、そのたった一言だけだった。
しかも疑問符つきという何とも情けない結果だ。
でもこれ以上僕に何か言えるとも思えない。
これが今の僕にできる限界なんだろうか。
「あ、ありがとうございます」
ただそんな僕の言葉でも、冴島さんは少しだけ嬉しそうにしてくれている。
正直今のは罵倒されても仕方ないレベルだったと思うのだけど、運が良かったというべきだろうか。
けど冴島さんからしてみれば、似合ってるよなんてこと今更で、普段からもっと格好いい褒め言葉を貰っているはずだ。
あんな一言で良かったのか心配になるけど、冴島さんの顔を見てみると何か付け足すのも気が引けてしまい、僕はそれ以上の言葉を呑み込んだ。
「うわぁ、美味しそうですね」
「そうだね」
僕たちは歩きながら屋台を見て回っていた。
目を輝かせながらどんどん進んでいく冴島さんを見ていると、やっぱり年相応の女の子なんだなと実感させられる。
いつもは落ち着いて見えるからといって、それが冴島さんの全てではないんだろう。
そしてそれは決して冴島さんに限ったことでは無く、他の皆も……。
「好くんっ、りんご飴ですよっ!」
いきなり僕の手を引いたかと思うと、冴島さんは屋台を回っていく。
その中でもりんご飴はいたく気に入ったようで、目の輝きが一層増している気がする。
「えっと、りんご飴二つください」
そんな冴島さんの横から、僕は店のおじさんにりんご飴を頼む。
隣で冴島さんが驚いたような顔をしているが、一応これでも男だ。
こういう時に女の子に財布を出させるわけにはいかないだろう。
「はいよ! 彼女さんと仲良くな!」
「あ、ありがとうございます」
どうやらそんな僕たちにおじさんは何やら勘違いしてしまったようだが、僕たちの後ろにも列が出来ているのでそのまま屋台を離れる。
ただ今の一言で、せっかく解れてきていた緊張がまたぶり返してきたのは事実だ。
僕は今、冴島さんからの告白を待たせている。
そして出来れば今日、答えを出そうとも思っている。
きっとそれは冴島さんも何となく察しているんじゃないだろうか。
でも、僕はまだその答えを決めかねていた。
別に今日答えを聞かせてくれとか何か言われたわけではないけど、それでもこれ以上待たせていいという理由はない。
だからやっぱり今日、僕はこの告白に決着をつけようと思う。
そのためにはこの祭りの中で答えを見つけなくてはならないのだ。
どうしたら、いいんだろう。
この告白に僕はなんて答えるべきなんだろうか。
これまで生きてきた中で、僕にこんな経験があるわけがない。
好感度が見えるからという理由で、これまで色んな人から恋愛相談を受けてはきたが、自分では何一つとして経験していないのだ。
「…………」
結局何も思い浮かばないまま、僕は無言でりんご飴を一つ冴島さんに渡す。
冴島さんは頭を下げながらゆっくりとそれを受け取ると、一口頬張る。
僕もそんな冴島さんに釣られてりんご飴を一口食べてみた。
「……甘い」
久しぶりに食べたそのりんご飴のほのかな甘さに、思わず呟く。
告白の返事も、こんな簡単に、正直に伝えられたら。
そう思えば、目の前のりんご飴が少しだけ憎らしくなった。
「……ふぅ、人多いね」
「そ、そうですね……」
祭りの人混みにやられてしまった僕たちは、少しだけ離れたところにあったベンチに腰掛けて休んでいた。
これまでほとんどこういった祭りに参加してこなかっただけに、あそこまで人がいるなんて想像できなかったのだ。
冴島さんもかなり厳しかったようで、肩で息をしている。
「…………」
あのリンゴ飴の屋台での一言以来、僕たちの間には妙な緊張感が漂っていた。
自分の言葉もどこかぎこちないのがよく分かる。
話題が尽きてしまえば、すぐに今みたいに黙り込んでしまうのだ。
「そ、そういえば、僕は冴島さんに嫌われているんだとばかり思ってたよ」
「そうなんですか……?」
「ま、まぁ……うん」
何で今僕はこんな話題を提供したんだろうか。
ただでさえ僕は今、告白の返事を待ってもらっているというのに。
自分で一瞬前の自分を殴りたくなるが、既に話題として出してしまった以上、話さなくていいというわけにはいかない。
「ほ、ほら、僕が恋愛相談を受けている時とか、あからさまに不機嫌でしたし」
それに実際、そのことは僕自身ずっと疑問に思っていたことで、もし仮に冴島さんが僕のことをずっと昔から好きだったとして、じゃあ何であんな態度をとっていたのかよく分からない。
「そ、そんなあからさまでした……!?」
「か、かなり」
しかしどうやらそのことを冴島さん自身が自覚していなかったようで、僕の言葉に大きく驚いている。
「……っ!!」
しかもそれがまた恥ずかしかったようで、腕で顔を覆ってしまった。
少しだけ震えているのがまた何というか、可愛い、かもしれない。
「でもどうしてあんな不機嫌だったの?」
どうやら不機嫌だったことは本当だったようだけど、まだ理由を聞いていない。
ここまで来たらちゃんと最後まで疑問は解消しておきたいところだ。
「…………からです」
「え、なに?」
相変わらず顔を腕で隠したまま冴島さんは何かを呟く。
でも腕が邪魔になっているのか、よく聞こえない。
僕は少しだけ耳を冴島さんに近付けて、言葉を待つ。
「………やだったからです」
「な、なに? もう一回」
もう少しで聞こえそうな言葉に、僕はさっきよりも耳を近づける。
無意識だったけど、これは意外に密着しているような気もする。
ただ今はそんなことよりも不機嫌の理由が知りたい。
「好きな人が私以外の女の子と話してるのが嫌だったんです!!!!」
「っ!?」
そんなことを考えていた僕に、冴島さんは顔を隠すその腕をどけたかと思うと僕の耳元で大きく叫んだ。
あまりにも突然のことで僕は訳が分からず、ただ大きな声に頭を揺らされていた。
ただそれでも冴島さんが不機嫌だった理由だけはちゃんと聞きとることが出来た。
それは予想していたものの斜め上をいく解答で、その言葉を自分の頭で整理した僕は思わず顔を背ける。
好きな人が自分以外の誰かと話しているのが嫌、というのはこれまで恋愛相談をしてきた中でも聞いてきた言葉の一つだ。
それはきっと独占欲なんて言葉では収まり切れないほど、相手を思っているからこその言葉なんだと思う。
そしてそんなことを思われている人はきっと幸せなんだろうな……なんて思っていたけれど、まさか自分が言われるとは思ってもみなかった。
なんていうか、本気で、恥ずかしすぎる。
「ご、ごめんなさい」
そんな僕が出来ることと言ったら、少しだけ不機嫌そうに頬を膨らました冴島さんに謝るくらいで、それ以上何を言えばいいかも分からない。
自分でも分かるくらい顔が火照っているのが分かる。
もしかしたら耳まで全部、赤くなっているかもしれない。
「ほんとですよ!」
冴島さんは怒り心頭といった風に手を振る。
そして何やら数を数えるようにして指を一本ずつ立てていく。
「同じクラスの佐々木さんとか園田さんとか、一年生の女の子とも仲良さそうにしてましたよねー」
ジト目を向けながら僕との距離を詰めてくる冴島さん。
正直、怖いです。
しかし冴島さんは一度大きく息を吐くと、詰めていた距離分だけ離れる。
「……分かってるんです。それが皆、恋愛相談が関係していることくらい」
冴島さんは小さく呟く。
確かにそうかもしれない。
恋愛相談なんてものを僕が受けていなければ、そもそも僕が女子に話しかけられることはない、うん。
「それに、恋愛相談って言って、危ないことにも巻き込まれたりとかしてるじゃないですか」
「危ないこと……?」
「不良さんたちに囲まれましたよね」
「……あー」
冴島さんは心配そうな顔を浮かべてそう言う。
そう言えばそんなこともあったかもしれない。
最近はもっと強烈なことがあったりですっかり忘れていたけど、確かに危険な目にあっていた。
「あれ、でもなんで冴島さんがそれを知ってるの?」
あのことを知っているのは恐らく当事者である僕と星川先輩、そして神崎先生くらいのはずだ。
もしかしたら他の先生にも知られているかもしれないけれど、それでも冴島さんが知っているのはおかしい。
「……え、えーっと」
冴島さんは妙に落ち着かない様子で、僕から目を逸らす。
でも確かあの時、一つだけ腑に落ちないことがあった。
「もしかして、警察を呼んでくれたのって冴島さんだったりする?」
「う……」
冴島さんは何とも分かりやすい反応を見せたかと思うと、頭を抱える。
どうやら隠し通しておきたいことだったらしい。
「ありがとね」
「うぅ……!」
僕のお礼に、一層恥ずかしそうに頭を抱える冴島さん。
でも僕たちがあの時、冴島さんのお陰で助かったのは事実だ。
少し遅くなってしまったけど、ちゃんとお礼を言えてよかった。
「……好くんのやっていることが、皆の幸せに繋がっているのは分かってます」
少しの間の後、冴島さんは小さく口を開く。
いつの間にか、ゆっくりと頭も上げていて、視線も徐々に上に向いてきた。
「それでも、やっぱり私は、大好きな人が、私以外の女の子と話しているのは……嫌だったんです」
「…………」
その時、冴島さんの視線と僕の視線が重なる。
お互いの気持ちを読み取ろうとしているのか、少なくとも僕は冴島さんの気持ちは分からない。
でもそう言われて、嬉しくないわけがないことだけは僕にも分かった。
告白の返事をするなら、今しかない。
冴島さんの紅く染まった頬を見て、僕は拳を握りしめる。
これ以上のタイミングなんて二度とやってこないだろうし、そしてこれ以上待ってもらう訳にもいかない。
今ここで、答えるんだ。
「…………」
周りには誰もおらず、僕たち二人だけだ。
そういえば祭りの終わりには花火があるとどこかで聞いたし、もしかしたら皆それを見に行っているのかもしれない。
ただ今の僕には花火を見るよりも、もっと大事なことがある。
目の前の彼女が、僕に「好き」と言ってくれた。
目の前の彼女が、僕と話す人たちに嫉妬してくれた。
目の前の彼女が、頬を紅く染めてくれた。
目の前の彼女が、僕に「大好き」と言ってくれた。
僕はこの告白にどう答えればいい。
どう答えるのが正解で、不正解なのか。
冴島さんとの関係を、どうしていけばいい。
その問に僕は、
僕は……
僕は――――
◆ ◆
僕は昔から他人から他人に対する好感度』が見えた。
初めは自分にだけ見えるその数字が何なのか戸惑い、悩んだ。
そんな中で出会ったのが「あかりちゃん」だった。
悩む僕を暗闇からすくい上げてくれるように手を差し出して、満面の笑みの花を咲かせる。
きっとそんなあかりちゃんのことが僕にとっては一番大きくて大切な存在だった。
だから僕は誰にも話したことのない自分だけの秘密をあかりちゃんにだけは話して、秘密の共有という約束を結んだ。
あかりちゃんは優しかった。
僕みたいなやつに懲りることなく毎日構ってくれる。
そう、あかりちゃんは優しかったんだ。
その優しさが僕にだけ向けられているという訳ではないことに気付くのにさほど時間は必要なかった。
あかりのことが好きだったのか、そうじゃなかったのかは分からない。
ただ醜い独占欲に溺れた僕は、二人の関係をそっと無かったことにしたんだ。
僕には、好感度が見える。
それは絶対的な事実として僕の目に焼き付く。
これまで受けてきた恋愛相談も、僕はその数字をあげることだけを考えればそれで良かった。
そこに相談してきた人に対しての思い入れがなかったわけじゃない。
でも僕が最終的に頼って来たのは、自分自身だった。
『好感度が見える』
確かに凄いのかもしれない。
恋愛経験なんて皆無の僕がこれまで人の恋愛相談を受けて、成就させてこれたんだから。
じゃあ、《《見えない好感度》》はどうすればいいんだろう。
僕にとって数字として現れる好感度は絶対だ。
でもそんな僕にも見えないものはある。
『他者』が『自分』に対して抱く好感度。
そういう例外が確かにある状況で、それは僕にとってどういう意味をなすのだろうか。
答えは――――『無』だ。
好感度が見える僕にとって《《好感度が見えない》》ということは、好感度が0であるということと同義だ。
実際のところ好感度が0なんて数値を示しているところなんか見たことが無い。
だから見えない好感度と言うのが実際はそんなことないのは分かっている。
でもそういう問題じゃないんだ。
僕にとって、《《見えない》》のは、《《無い》》のである。
好きでいてくれる他者を信じる?
そんなのは関係ない。
《《僕の好感度》》が、そもそもないんだから。
『他者』から『自分』への好感度と同じように、『自分』から『他者』への好感度も見えないのだから、そりゃあそうだ。
誰一人として、僕を好きになれない。
僕は、誰一人として好きになれない。
きっとそれが『好感度が見える』という他者とは違う僕だけに課せられた呪い。
もちろん親友だと思える人もいる。
きっと彼も僕のことを親友だと思ってくれているんだろう。
でも、そこに好感度は関係ない。
他者から友達、友達から親友という風に関係が進んでいっただけだ。
ひどい言い方だけど、それが僕だ。
親友という響きに惹かれたと言われれば否定は出来ない。
それでも僕は、田中くんという一人の他者と、親友になりたいと思ったからこそ関係を進めたんだと思う。
なら、僕は『クラスメイト』である冴島さんとの関係も、今、これ以上進めてもいいんじゃないだろうか。
今僕が答えるべきは――。
◆ ◆
「――――ごめん」
僕の答えは、まず間違いなく、望まれたものではなかった。
誰一人として、僕として、こんな答えを望んでいない。
僕だって出来るなら、こんな可愛い子と付き合えたらいいと思う。
ここまで自分を想ってくれる女の子と付き合えたらって思う。
でもダメなんだ。
好感度が、無いから。
「今はまだ、その気持ちを受け取れない」
「……っ」
冴島さんは僕の言葉に顔を伏せる。
その肩は彼女らしくもないほどに、小刻みに揺れて、掠れるような嗚咽が聞こえてきた。
出来ることなら彼女の涙を止めてあげたいと思う。
でもそれは僕の答えを曲げることになってしまうから。
僕は今、冴島さんとの関係を進めていいとは思えない。
田中くんとの関係は進めたのに、どうしてと思われるかもしれない。
でもそれは違う。
田中くんは『親友』だ。
冴島さんと関係を進めようと思ったら、親友では足りないだろう。
今望まれているのはそれ以上の関係で、きっと僕もそれ以上を望んでしまう。
そんなの、嫌だ。
もしかしたら冴島さんは本当に僕のことを好いてくれているのかもしれない。
でも僕は冴島さんのことを、ちゃんと想えているとは思えないんだ。
それ以上の関係を望む時、片想いのままなんて、そんなのひどすぎる。
付き合い始めたら好きになる。
確かにそういうものなのかもしれない。
そういう人たちもいるのかもしれない。
でも、もし好きになれなかったら。
その可能性を完璧に否定することなんて、誰にも出来ない。
そうだとしたら、想ってくれている人は何を信じればいいんだ。
「もし、僕が冴島さんと付き合うとして」
これは『正解』じゃない。
きっと誰も真似しないような『別解』だ。
でも、僕の答えだ。
これが僕の答えだ。
「片想いのまま、始めたくない」
もし仮に、僕と冴島さんが付き合うなんていう未来があるとするなら、その時はきっとどちらかの片想いではないんだろう。
本当にそんな未来があるとすればそれは――――両想いになった時だ。
「僕は、自分に対しての好感度が見えない」
冴島さんも知るこの能力は、利点もあればもちろん欠点もある。
それも大きな欠点だ。
でもそれを今更どう言っても、誰かが修正や改善が出来るわけじゃない。
それなら僕が今、想いを寄せてくれる彼女に出来ることはなんだ。
彼女に対して僕だからこそ出来ること、僕じゃなきゃ出来ないことがきっとある。
「自分から、他人に対しての好感度も、全く見えない」
今の僕の冴島さんに対する好感度を数字として表すなら、恐らく『0』が妥当だろう。
なにせ僕にとっては見える好感度が全てだったのだから。
だから、両想いになるためには、その好感度を少しずつ上げていかなくちゃならない。
僕から冴島さんに対する好感度を。
少なくとも僕が冴島さんに片想いしていると思えるくらいの好感度まで、0から上げていかなくちゃいけない。
結局のところ、僕だからこそ出来ることなんてずっと前から一つくらいしか思いつかない。
それは『恋愛相談』。
何人もの、幾つもの恋愛相談を受けてきた僕だからこそ出来ることだ。
そして僕は今から、一つの恋愛相談を受ける。
依頼人は僕。
依頼内容は、『冴島 灯里に対する好感度』をあげる、ただそれだけ。
それだけなのに、これまで受けてきた恋愛相談の中でもとびきり難しそうな恋愛相談だ。
見えない好感度が僕にとってどういうものなのかなんてことは嫌というほどに分かっている。
それでも僕は――――やってみせる。
それが、僕に出来ることだから。
僕だからこそ出来ることだから。
僕にしか出来ないことだと思うから。
「冴島さん」
隣で座っている冴島さんを呼ぶ。
顔を上げた彼女は目を腫らし、頬も上気していた。
「僕はこれから、冴島さんのことを好きになるよ」
今はまだ違うけど、いつか、絶対。
僕は冴島さんのことが大好きになる。
「だから、これから先の未来」
自分の決意に、手が震える。
唇も、口の中も渇き、頭の中では警笛が鳴り響いている。
でもやめない。
これが僕に出来ることって分かってるから。
「僕の、冴島さんへの好感度が『100』になったら」
きっとこれから僕が言おうとしていることは我儘なんだろう。
あまりにも自分勝手で、どれだけ冴島さんを傷つけるか分からない。
だから僕が冴島さんのことを好きになった時、それがただの片想いであったとしても仕方ない。
ただ僕は、二人の関係が進められることを祈っている。
だから確かめなくちゃいけない。
両想いかどうかを、中途半端じゃないかどうか、を。
「その時は、冴島さんの好感度を教えてください」
『――――』
花火が遠くで弾ける。
きっと祭りに来ていたほとんどの人が、それを近くから見物しようと躍起になっているんだろう。
「……案外、ここからでも良く見えますね」
冴島さんの言葉通り、生い茂る木々の隙間から花火の咲き散る瞬間が良く見えた。
次第に大きくなっていくその花火に、僕たちは目を奪われる。
締めを飾る大きな花火は、この祭りの終わりを暗示しているんだろうか。
「好くん」
自分の名前が呼ばれた瞬間、僕は自分の肩に触れる冴島さんの肩に気付いた。
花火も終わって静かな僕たちの間に、早くなる鼓動が容赦なく音をあげる。
「待ってます」
そんな中で冴島さんの言葉が、小さく紡がれた。
僕の耳元で囁かれたその声は、耳から脳に、僕の身体中を駆け巡る。
それとは真逆に、僕の首をきしきしと音を立てるんじゃないかというくらいのぎこちない動きで、冴島さんの顔を向く。
「来年も、再来年も、私はここで待ってます」
冴島さんが笑う。
涙で腫れているはずの目蓋、それさえも彼女を輝かせる要素の一つになっているのかもしれないと、気付けば目を奪われていた。
僕の目の前で一際大きく綺麗な花火が咲き誇る。
これから僕は冴島さんへの好感度を少しずつ上げていくだろう。
そしてそんな彼女を大好きになるまで、僕の恋愛相談は――――終わらない。