Case.04 不良先輩と女教師
「うーん、好感度かぁ」
僕は帰り道を歩きながら、一人呟く。
指で輪っかを作り、目の前に持ってくる。
今は人がいないのでどうともならないが、誰かいればまた違った景色が見える。
「でも、結構制限とかもあるんだよね」
僕の『好感度が見える』という能力は何も万能ではない。
むしろかなり制限があると思ってくれていい。
例えばAさんとBさんがいるとする。
ここでAさんが僕に恋愛相談をしてきた。
Bさんと付き合いたいAさんのために、僕はBさんからAさんに対する好感度を見なくてはならない。
しかしここで僕が好感度を見るには、二人が同じ場所にいて、かつ、僕の視界の中にいないといけないのだ。
もしBさんが一人の時にAさんに対する好感度を見ようとしても、そこにはなにも映らない。
そして他にも制限を挙げるとするなら、自分に対しての好感度が見えないということだろうか。
僕にもし意中の人がいたとして、その人の自分に対する好感度を見てみようとする。
しかしそこにはやはり何も映らないわけなのだ。
この二つから考えられることといえば、共通して「自分の視界の中に直接映さなければいけない」ということだろうか。
これに関しては鏡もだめだったことは確認済みだ。
こう考えると本当に使いにくい中途半端な能力に、僕は思わずため息をこぼした。
「おい」
するとその時、後ろから声がする。
まぁでもさすがに自分ではないだろうと思いながら、歩き続ける。
「おいお前」
「?」
どうやら呼ばれている相手は中々反応していないらしい。
少し不思議に思いながらも、また歩く。
「お前だよ!」
「う、うわっ」
強引に肩を掴まれ、僕は後ろを向かされる。
何事かとびっくりして見てみると、そこには金髪のいかにも不良と言った男が立っていた。
しかもどういう訳か僕を睨んでいる。
あ、これは普通に返事しなかったからか。
でもまさか僕が呼ばれているとは思わないだろう。
「ちょっと話があるんだが、ついてきてくれるよな?」
「あ、はい」
不良さんの言葉に歯向かうほどの勇気なんてない僕は、緊張しながらついていく。
僕は一体どうされてしまうのだろう。
こんな人と関わるようなことはしていないはずだし、でもいつの間にかやらかしていたなんて可能性だってある。
「……」
そのまま無言で歩いていると、ふと不良さんが立ち止まる。
周りをみま
そしてその強面のまま振り返る。
「……おいお前」
「は、はい!」
僕はその不良さんの言葉に姿勢を正し、びくびくしながら続きの言葉を待つ。
「……恋愛相談、受けてるんだよな?」
「……はい?」
一瞬何を言われたのか分からない僕。
咄嗟に謝ろうとさえ思っていたのに、一体どういうことだろう。
「実はよ、恋愛相談受けてほしいんだわ」
「え、えぇ」
まさかの展開に僕は思わずそんな声を出す。
だって不良さんに絡まれたと思ったら恋愛相談されるとは思わないだろう。
しかし不良さんの恋愛相談なんて絶対ろくなもんじゃないはずだ。
偏見と思われてしまうかもしれないが、出来れば受けたくはない。
今回は申し訳ないけど、丁重にお断りさせていただくのが賢明な判断だ。
「えっと、申し訳ないんですけど……」
「あぁ? まさか受けないなんてことはないよなぁ?」
「もちろん受けさせていただきます!」
僕は背筋をピンと伸ばし答える。
だってこれまで不良さんなんかと関わりを持つような人生を送ってきていない僕にとってはつらい物がある。
ここで断れる猛者なんて果たしているのだろうか。
「た、大変なことになった」
僕は一人帰り道を歩きながら、今回の恋愛相談をどうしようか考えていた。
詳しい話は明日また会いに来るというので、今は何も聞いていない。
そもそもあの人の名前すら聞いていないのだ。
「し、失敗したら殺されるんじゃないか……?」
その可能性はあるかもしれない。
殺されないまでも、半殺しくらいの刑くらいにはなってしまうんじゃないだろうか。
「不良さんが好きな人って誰だろう……?」
僕は誰に聞くでもなく呟く。
それによっては恋愛相談の成功するかの可能性が大きく変わってくる。
「喧嘩が強い女の人、とかかな……?」
一番最初に思いついたのはそれだ。
不良さんたちの世界のことは分からないが、田中くんに貸してもらった漫画の中で「拳で語り合う」みたいなものを見たことがある。
一度喧嘩に負けてしまった不良さんが相手の女の子に惚れてしまった的な感じだろうか。
「こ、今回は大変そうだな……」
絶対成功させなくてはならない恋愛相談なのに、僕は成功させられる気が全くしなかった。
「そういえば明日また話にきてくれるって言ってたっけな」
恐らくその時に今回の恋愛相談の内容が分かるはずだ。
不良さんの名前、不良さんが好きな人の名前。
どうか不良さんが好きになった人が、現実的な人でありますように。
そう祈らずにいられない。
「あれ、でも明日っていつだろう?」
そういえばそれを聞くのを忘れていた。
多分はまた今日と同じで帰り道の途中だろうが、不良さんは僕と同じ制服を着ていたと思う。
「まさか、校内にいるときに話にきたりはしない、よね……?」
僕は恐る恐る呟く。
まぁさすがにないか、と恐ろしい想像を頭から追い出した。
「ま、まさか本当に昼休みにやってくるなんて……」
僕は目の前の不良さんに聞こえない程度の声でそう呟く。
昨日の予想とは裏腹に、不良さんが僕に話をしにきたのは昼休みの真っ最中だった。
僕が不良さんに声をかけられた時のクラスメイトたちといったら、皆が皆驚きを隠せていなかった。
園田さんに会いに来ていた田中くんも顎がはずれるんじゃないかと聞きたくなるくらい口を大きく開けていた。
「急にすまなかったな」
「あ、いえいえ」
風の気持ちいい屋上には僕たちしかいない。
最初は何人かいたのだけど、不良さんがやってきたのを見た途端慌ててどこかへ行ってしまった。
「俺は星川 裕生。三年だ」
「ほ、星川先輩ですか」
三年と言うことは僕の一個上の先輩だったらしい。
確かに同学年では見たことなかったので、二年ではないだろうなとは思っていた。
「下の名前でいいぞ」
「わ、分かりました裕生先輩」
どうやら裕生先輩は見た目に反して話しやすい性格らしい。
僕は先輩の名前を口に出してみる。
「おまえは確か種島だったよな」
「そ、そうです」
どうして知っているのかとも思ったけど、僕が恋愛相談だと知っているのだから名前を知っているのは当然のことだろう。
一応これでそれぞれの自己紹介は済んだ。
「それで、裕生先輩の好きな人って言うのは誰なんですか?」
いきなり聞くのもどうかと思ったが、これを聞かなくては恋愛相談は始まらない。
裕生先輩もそれは分かってくれているはずだ。
「俺が好きなのは――――神崎 菜々花先生だ」
裕生先輩の口から、想い人の名前が告げられる。
しかしさすがに予想外な人の名前に、僕は思わず目を見開く。
「神崎、先生……!?」
その先生は、僕たちの学校に勤めている先生だ。
しかも僕にいたっては数学の授業でもお世話になっている。
分かりやすい授業で僕もありがたいのだが、その先生に関してもう一つ特徴をあげるとするならば、その人気の高さだ。
先生は新卒でこの学校に入ったために相応に年若い。
しかも見た目も整っており、かつ、生徒たちに分け隔てなく優しいのも人気の高さの理由だ。
「ど、どうしてまた……」
神崎先生なんだ……と思わずにはいられない。
それほどまでに裕生先輩とは全く合いそうにない。
そもそも不良でもある裕生先輩がどうして正反対のところにいる神崎先輩のことが好きになったのだろう。
「……神崎先生は優しいんだよ」
先輩の言葉にうなずく。
授業でもその他でも、本当にそう思う。
「もちろん、その優しさが俺だけになんて傲慢なことは言わない」
そう、神崎先生の優しさは皆に向いているのだ。
裕生先輩にだけ優しいんじゃない。
それを分かっているなら、どうして。
「それでもやっぱり、好きになったものは好きなんだよ」
「……」
僕は先輩の言葉に黙りこむ。
確かに「好き」というのはそういうものかもしれない。
諦めようと思って簡単に諦められるようなものじゃないのは、これまでの恋愛相談で十分分かってるつもりだ。
もちろん諦める人がいることも否定はしない。
でも少なくとも裕生先輩はそのタイプの人間ではないのだろう。
「でも自分で何でも出来るとは思わねぇ。だから、種島に恋愛相談することにしたんだよ」
「……はい」
諦めきれない。
でも自分じゃ出来そうにない。
その最後の頼み綱として僕に恋愛相談にきた裕生先輩。
「……僕にも、出来ないことはあります」
これまでの恋愛相談で失敗させてしまったこともある。
神崎先生に裕生先輩のことを好きにならせることが出来ないかもしれない。
むしろその可能性の方が大きいと言わざるを得ないだろう。
「でも、頑張ります」
せめて先輩の気持ちに一ミリでも届くように。
少しでも先輩が報われるように。
「……あぁ、よろしく頼む」
先輩がそう言った瞬間、僕たちの関係は少しだけ進んだような気がした。
「そういえば裕生先輩は、神崎先生にどんな風に優しくされたんですか?」
ふと気になって聞いてみる。
好きになってしまうほどの優しさとは、一体どんなものだろう。
これからも恋愛相談を受けていくだろう僕にとってはかなり重要な情報である。
「大したことじゃねえからな?」
少しだけ恥ずかしそうに裕生先輩はそっぽを向く。
しかしそんなことはないだろう。
言っちゃ悪いが不良な裕生先輩が惚れるくらいだから、相当なものだったに違いない。
僕は裕生先輩に教えてくださいと頭を下げる。
「あー、えっとなぁ……」
そんな僕に折れてくれたのか、先輩は教えてくれそうだ。
もしすごい内容だったらこれからの恋愛相談で活かそう。
そんなことを思いながら裕生先輩の言葉に耳を傾ける。
「怪我してた俺に、絆創膏を貼ってくれたんだよ」
「……」
本当に大したことじゃなかった。
僕は思わず落胆する。
「いやぁ、あれはやばかったなぁ」
と、照れる裕生先輩。
しかし何がやばいのか全くと言っていいほど分からない。
どうやら裕生先輩は途方なまでにちょろかったらしい。
意外な裕生先輩の一面に思わず吹き出した。
「うーん、中々に高いんだけどなぁ」
『61』――それが神崎先生から裕生先輩への好感度だ。
もちろん裕生先輩から神崎先生に対する好感度はかなり高く『71』だ。
それだけでもかなり好きなのだと分かる。
神崎先生から裕生先輩に対する好感度は普通に考えてそこまで低くない、
むしろ高い方だ。
でもだからといって神崎先生にとって裕生先輩が特別というわけではない。
『59』『62』『60』『58』
これは、神崎先生から他の色んな生徒に対する好感度。
このことから神崎先生が、裕生先輩にだけ好感度が高いという訳ではなく、みんなの好感度が分け隔てなく高いということがわかるだろう。
「つまり今回の恋愛相談を成功させるには、この中で特別になる必要があるのか……」
それだけでもかなり難しいというのに、相手は現役の女教師。
どうしても生徒と先生という間には絶対的な壁があるはずだ。
それをどう乗り越えるか、そこが今回の恋愛相談を成功させる鍵になる。
「裕生先輩はまず神崎先生の雑用から始めるべきだと思います」
僕は鼻の下が伸びた顔で神崎先生を見つめる裕生先輩に声をかける。
少し不思議そうな顔をする先輩に説明する。
「少しずつこつこつと神崎先生との距離を縮めていかなくちゃいけません。荷物運びとか積極的にやってください」
「あ、あぁ」
緊張したように頷く裕生先輩。
確かにいきなり好きな人の手伝いをするなんて、他の人から考えたら難易度の高いことであることは間違いないが、裕生先輩には頑張ってもらうしかない。
「じゃあしばらくは裕生先輩、頑張ってくださいね」
「あ、あぁ……分かった」
裕生先輩のごくりと唾を飲み込む音が聞こえてくる。
そしてそのまま裕生先輩は、プリントを落としている神崎先生の下へ早速向かっていった。
「……ふむふむ」
最初に裕生先輩にアドバイスしてから数日が経った。
僕は今、困っている神崎先生の下に颯爽と手伝いに入る裕生先輩を見ている。
初めはぎこちなかった裕生先輩だったけど、今では先生とも仲良くなっているように見える。
ただ一つ問題をあげるとすれば、不良さんでもある裕生先輩が神崎先生の手伝いをしているという姿に周囲の目が向けられているということだろうか。
「好感度は……っと」
僕は一緒に荷物を運んでいる二人の好感度を確かめる。
『73』裕生→神崎
『65』神崎→裕生
二人とも頻繁に一緒にいるからか、好感度が上がっている。
神崎先生の他の生徒たちに対する好感度を見ても『65』というのは見かけない。
ここまで高いのも恐らく裕生先輩くらいだろう。
「あ、裕生先輩お疲れ様です」
手伝いも終えて僕の下にやってきた裕生先輩の頬は少しだけ赤い。
「な、なぁ実は、今週末先生と買い物に行くことになって……」
恥ずかしそうに頬を掻きながら、そんなことを言う神崎先輩。
顔が赤かったのもそれが理由だったのかもしれない。
でもそれは二人の生徒と先生という関係を壊すにはもってこいのイベントだ。
「それで出来ればこっそりついてきくれないかと思ってよ」
どうやら裕生先輩もさすがに二人きりで遊びに行くのは厳しいのかもしれない。
まぁそんなこと言われなくてももともとついていく予定だったので、本人の了解が貰えたと思っておこう。
「因みにどこに行けばいいんですか?」
「あぁ、日曜の10時に駅前あたりに来てくれればもう一回連絡するからよ」
「了解です」
日曜といえばやっぱり特に予定も入っていない。
僕は頷く。
今週末にどれだけ神崎先生の好感度をあげることが出来るか、頑張らなくてはならない。
「あ、裕生くーん!」
そんな時僕と裕生先輩の間に降ってくる声。
ふわり、という声が似合うその人を振り返る。
そこには僕も数学の授業でお世話になっていて、件の神崎 菜々花先生が立っていた。
「っ」
突然の神崎先生出現に動揺を隠せていない裕生先輩に、僕は二人の間に入る。
このままでは変に墓穴を掘りかねない。
「あれ、神崎先生どうしたんですか?」
「あ、種島くん。もしかして裕生くんと友達だったの?」
「えっと、はい。そうですね」
「そっかぁ」
僕の友達発言に嬉しそうな表情を浮かべる神崎先生。
一体何が嬉しいのだろうか。
「裕生くんってあんまり友達とかと一緒にいる姿を見かけないから、ちょっと安心しちゃったっ」
先生の言葉に、僕はなるほどと頷く。
確かにこれまで裕生先輩が友達らしき人と一緒にいる姿は見たことが無い。
もしかして友達が少ないのだろうか。
「それで神崎先生は何の用で?」
「あっ、これ裕生くんがいつもお手伝いしてくれるから、そのお礼にと思って」
そう言いながら何やら差し出してくる神崎先生。
そこでようやく冷静を取り戻した裕生先輩がそれを受け取る。
「これは、クッキーですか……?」
驚いたように呟く裕生先輩に、神崎先生は頷く。
そんな二人を見て、これは確かに裕生先輩が惚れてしまうのも無理はないかもしれないと納得する。
「あ、ありがとうございます!」
心底嬉しそうにしている裕生先輩はなんというか可愛い。
「いいのいいの! じゃあ今週末も楽しみにしてるねっ」
「は、はい!!」
可愛らしい笑みを浮かべ手を振りながら離れていく神崎先生に、裕生先輩も心ここにあらずといった感じで手を振り返している。
そして神崎先生が見えなくなると呆けたように受け取ったクッキーを見つめている。
どうやらそのクッキーは可愛くラッピングされているらしい。
さすが若いというべきか、今風な感じだ。
するとハッと何かに気付いたように裕生先輩が僕を見てくる。
どうしたんだろう。
「こ、このクッキーはやらねーぞ!?」
いらないです。
「今日、どこまで二人の距離を縮められるか……」
僕は今、二人の待ち合わせ場所でもある駅前へと向かっていた。
今回僕は完全な裏方なので、先生にばれないようにしなくてはならない。
裕生先輩はまた連絡すると言ってくれていたので、そこら辺を心配する必要はないだろう。
だんだんと駅に近付いてくる。
僕はどうやったら二人の関係を進められるか考えながら歩いていた。
どうやら今僕が歩いている道は人通りも少ないようで、人とすれ違うことも少ない。
考え事をするにはちょうどいいところだ。
そんなことを思っている時だった。
「――――っ」
後ろから誰かに殴られたような、すごい衝撃を覚えたのは。
僕はどうすることも出来ず、意識を手放した。
◆ ◆
「……こ、こは……」
重たい目蓋を開け、ゆっくりと顔をあげた僕は自分の置かれている状況が全く分からなかった。
頭は痛いし、手も何かに縛られたまま椅子に座らされていて、どこか少し広めの部屋に閉じ込められている。
何が、あったんだっけ。
「そういえば、何かに殴られたような……」
僕がそう思い出した時、すさまじい悪寒を感じた。
そしてそれを感じたとき、部屋の外から足音が聞こえてくる。
「ゆ、誘拐……!?」
僕は混乱する頭の中で一つの可能性を見出す。
もしかしたら本当にそういうことなのかもしれない。
そうだったらこれから僕は何をされてしまうんだろうか。
足音は部屋の前で止まり、ゆっくりとドアノブが回されていく。
僕は唾を飲みながら、視線を向ける。
「…………?」
部屋の中に入ってきたのは、いかにもガラの悪そうな人たち。
裕生先輩なんかよりも凶暴そうで、絶対に関わり合いたくないような人たちばかりだ。
しかしとても誘拐なんてことをするような人たちではないように思える。
皆が皆、学生っぽいし、運転できる人もいなさそうだ。
かといってこれまでこんな人たちと関わりを持つよなことをした覚えもない。
一体どうして僕はこんなところまで連れてこられたのだろうか。
「お、目が覚めてたか」
「……あ、あなたたちは一体誰なんですか?」
僕は出来るだけ相手を刺激しないように尋ねる。
「そりゃあお前『星川 裕生』ってやつとダチだろ?」
たくさんいる内の一人が教えてくれた名前は、紛れもない恋愛相談の依頼人だった。
知っている名前に僕は思わず黙り込む。
こうやって僕と裕生先輩の仲を知っているということは、他にどこまでのことを調べられているのか分からない。
変に嘘を吐いたりするのはあまり得策じゃないだろう。
殴られるのが痛いのは分かっているので、本当嫌なのだ。
「裕生先輩とあなたたちは、どういう関係なんですか……?」
僕はもう一度尋ねる。
両者に何かあるでもしない限り、僕がここまでされる理由はないはずだ。
「俺たちは一回あいつに喧嘩ふっかけて、返り討ちにされたんだよ」
「なっ」
僕はその人の言葉に驚く。
ここにいるのは五人。
その全てを返り討ちにしたというのだろうか、あの裕生先輩が。
普段見た目とは違って、親し気な裕生先輩がそんなことをしているとはとても想像がつかない。
しかし僕は少しだけ安心した。
もし裕生先輩から喧嘩をふっかけたりしたのだったらどうしようもないが、どうやらこの人たちの今回の行動はただの逆恨みからくる行動だろう。
「もうお前の携帯からあいつには連絡しておいたからよ、もうすぐ来るかもしれないぜ?」
にやにやと嫌な笑みを浮かべながらそう言う不良の一人の言葉に、僕は今日の予定を思い出す。
本当に来てくれるだろうか、裕生先輩は。
今日は頑張って手に入れた好きな人と距離を縮められるかもしれない絶好の機会だ。
その機会を捨ててまで、裕生先輩は僕のもとにやって来てくれるのだろうか。
「……」
そもそも僕は、やって来てほしいと思っているんだろうか。
僕は、あれだけ頑張った裕生先輩が報われてほしいと思っている。
だから今日、僕も出来るだけ頑張ろうと意気込んでいたのだ。
「……」
裕生先輩。
まだ出会って間もない僕たち。
そんな僕の危機的状況に、裕生先輩はどうするんだろう。
僕は、どうしてほしいと思っているんだろう。
「あなたたちは、裕生先輩を呼び出して、どうするつもりなんですか……?」
「そりゃあもちろん、袋叩きにするに決まってんだろ」
「でも、前回は負けたんですよね。今回はどうなんですか」
「そのためのお前だよ」
どうやら僕は人質としてここに連れてこられたようだ。
僕は思わず縛られている拳を握りしめる。
もうちょっとあの時人通りの多い道を通っておけば。
そう思うと堪らなく悔しい。
どうして今日なんだ。
そう思うと堪らなくこいつらが憎らしい。
「裕生、先輩……」
僕は誰にも聞こえないような小さな声で、その名前を呼んだ。
――――――――――ッ!!
その時だった。
部屋の扉がまるでただの障害物でもあるかのように、簡単に壊されたのは。
「すまん、待たせたな」
そこには、好きな人との予定を放り捨ててきて、少しだけ残念そうな顔をする裕生先輩が立っていた。
「どうして来ちゃったんですか、裕生先輩」
自分でも苦笑いを浮かべているのが分かる。
そんな僕に同じように苦笑いを浮かべる裕生先輩。
「仕方ねえだろ? ダチなんだからよ」
ああ、そうか。
僕は裕生先輩のその言葉を聞いて思わず笑いそうになる。
この人がこういう性格だから、神崎先生の優しさだけで好きになったり、今日みたいに一緒に出掛ける予定が出来たりするんだ。
「それは、仕方なかったですね」
「あぁそうだろ?」
思わず返した僕の言葉に、先輩も答える。
「お前ら、邪魔」
裕生先輩は僕を囲むように立っている不良たちを睨む。
自分に向けられているものではないと理解しつつも、若干怖いくらいだ。
「……うぁ」
そんな先輩の睨みを受け、不良たちは僕から離れていく。
先輩は僕に近付くと、すぐに縄を解く。
久しぶりに自由になった僕は気持ちよく伸びをする。
こんな状況でと思うかもしれないが、どうしてだろう。
裕生先輩がいるだけで安心感が違う。
「く、クソがっ……!」
不良たちの内の一人が我を忘れたように、裕生先輩を殴りつけようとする。
裕生先輩はそんな相手の拳を軽々と受け止めると、そのまま押し返すだけで、殴り返すことはしない。
「俺、この前先生と約束しちゃったんだよ」
「なんてです?」
僕が不思議そうな顔を浮かべているのに気付いたのか、先輩が教えてくれる。
「『喧嘩はしない』ってさ」
「あー、神崎先生ならありそうですね」
「だから殴られても、殴り返せないんだわ」
「まぁそれは頑張るしかないですね」
僕たちはこんな状況にも関わらず、暢気に話す。
その間にもいくつもの拳が飛んでくるが、先輩は軽々と受け止め押し返すだけ。 それを何度も繰り返している。
それだけ裕生先輩が凄いということだろう。
「でも、これからどうするか」
「逃げるって言っても、逃がしてくれそうじゃないですもんね」
裕生先輩だけなら逃げるのは簡単だろうが、僕を連れて逃げるのはさすがに難しいだろう。
このままずっと殴られて押し返すの作業を続けるのも、もしという可能性もある。
出来ればどうにかしたいところだ。
――――。
その時、どこからかパトカーのサイレンの音が聞こえてくる。
初めは関係ないだろうと思っていた僕も、次第に近づいてくるにつれて「もしかしてここに向かってる?」と思わざるを得ない。
しかしだとしたらいったい誰が……裕生先輩?
「い、いや俺じゃねえぞ?」
僕の考えを察したのか、首を振る裕生先輩。
では一体誰が……?
やはりと言うべきか、パトカーのサイレンの音はすぐ近くで止まったように思える。
そしてそのすぐ後に聞こえてくる何人かの足音。
「お前たち、動くな!」
部屋の中に入って来たのは、警察服に身を包んだ数人の男の人たちだった。
当然僕たちに反抗する理由などなく、僕と裕生先輩は素直に従う。
そのまま僕たちは部屋の外に連れていかれ、そのまま人生初となるパトカーに乗らされることとなった。
他の不良たちがどうなったかは分からないが、僕たちを乗せたパトカーをゆっくりと動き始めた。
◆ ◆
「じゃあ君たちは絡まれただけなんだね?」
「はい」
僕は一応の事情聴取のために警察署まで連れてこられていた。
何度も同じ質問ばかりするのは、被害者な僕たちが全く怪我をしていないのも関係しているのだろう。
「どうやら身元引受人の方も来られたようだし、君たちはもう帰っていいよ。他の子たちは警察で対処しておくから」
「はい、ありがとうございます」
僕は一度お礼を言うと、首を傾げる。
身元引受人の方って一体誰が来てくれたんだろう。
僕は警察の人に連れられながら、廊下を歩いていく。
「か、神崎先生……」
身元引受人の顔を見た僕と裕生先輩は思わず固まる。
どういうわけか身元引受人にやって来たのは、神崎先生だった。
というか普通に僕たちの学校名を聞かれたので、先生がやってきただけか……。
「け、喧嘩したって聞いて……」
神崎先生は走って来たのか、息を荒くしている。
その顔には「喧嘩」という単語に焦りが見え隠れしている。
「い、いや先生、僕たちは喧嘩してないですよ」
「そ、そうなの……?」
「殴られそうにはなったんですが、裕生先輩が守ってくれて。裕生先輩も守ってくれただけで相手を殴り返したりはしてませんよ」
「よ、よかったぁ」
僕の言葉にほっと息を吐く神崎先生。
僕が説明している間、裕生先輩は予定を放棄した後ろめたさがあるのか緊張で固まっている。
「じ、じゃあ帰りましょうか」
もうすっかり日も傾き、夕陽が僕たちを照らしている。
これでは今からどこかに行ったりすることは出来ないだろう。
「……」
僕は前を歩く二人を見ながら、黙り込む。
これはまずいことをしてしまったかもしれない。
喧嘩はしていないからと言って、警察署まで連れてこられてしまった。
それは言い訳できない事実だ。
神崎先生から、僕たちに対する好感度が下がっていたとしても何の不思議もない。
僕に対する好感度が下がるのはまだいい。
でもこれまで沢山頑張ってきた裕生先輩に対する好感度が下がってしまうのは本当にだめだ。
ただ今更いくら言ったところで過ぎてしまったものは仕方がない。
僕は無言のまま、指で作った輪っかを目の前に持ってくる。
出来るだけ好感度が下がっていないことを祈りながら。
「……え?」
そこには僕の理解できない好感度があった。
何度も目を擦り、自分の見間違いじゃないか確かめる。
しかし僕の目に映る好感度は変わらない。
『73』
これが、紛れもない神崎先生から裕生先輩への好感度だった。
「……裕生先輩、神崎先生に好かれるようなこと何かしましたか?」
僕は屋上で昼ご飯を食べながら、隣で焼きそばパンを食べる裕生先輩に聞いてみた。
この前、僕と裕生先輩が警察署まで連れていかれて以来、どういう訳か神崎先生の好意が裕生先輩に向けられているようなのだ。
「いや、嫌われるようなことはしたと思うけど、好かれるようなことは何もしてないな」
しかし当の好かれている本人はその自覚がなく、あまつさえ嫌われたと思っているのだ。
確かに約束を放って僕の所へやってきたわけだから、そう思ってしまうのも仕方ないのだが、神崎先生は本当一体どうしたのだろう。
もちろん神崎先生が裕生先輩に好意を抱いているということは、裕生先輩本人には伝えていない。
きっと伝えても信じてもらえない可能性の方が高いだろうし、どうしてそんなこと分かるんだという話にもなる。
僕は隣で美味しそうに焼きそばパンを頬張る裕生先輩にため息を吐く。
全くこの人は、こっちの気も知らないで……!
僕は弁当の最後の一口を口に放り込んだ。
「あ、先生! 俺手伝いますよ!」
昼食も食べ終わり僕たちが教室に戻っていると、重たそうな荷物を運んでいる神崎先生を目聡く見つける裕生先輩。
慣れた感じで神崎先生に近付いていく。
しかしそんな裕生先輩とは裏腹に、どこか慌てている神崎先生。
「じゃあ先生これどこに運べばいいんですかっ?」
「え、えっと……し、職員室までお願いします……」
その口調もいつものおっとりとした感じではなく、どこか尻すぼみな感じがする。
そんな神崎先生に気付かず、裕生先輩は荷物を受け取ると職員室に向かっていく。
僕はそんな二人の好感度を確かめる。
やはり両方ともかなり高い。
好感度だけ見るならばもう付き合っていないのが不思議なくらいだ。
「何かあったとしか考えられないよなぁ……」
じゃなければこんな急な変化があるとは思えない。
きっと裕生先輩が気づかないうちに、神崎先生を惚れさせてしまうようなことをしてしまったのだろう。
それが何なのか分からない。
でも今回に関してはそこまでそれは重要なことではない。
「するなら、好感度が高い今のうちか……」
僕はポケットから携帯を取り出す。
そして裕生先輩とのSNS画面にまで行き、放課後学校近くのファミレスに来るように連絡しておいた。
◆ ◆
「急に呼び出してきてどうしたんだ? 珍しい」
「いえ、実は裕生先輩にお話がありまして」
ファミレスにやって来た僕たちは、単品で頼んだドリンクバーで喉を潤す。
少し落ち着いたところで本題だ。
「裕生先輩、そろそろ告白してみませんか?」
僕は裕生先輩の目を見つめながら、そう言った。
裕生先輩は僕の言葉を聞くと黙り込む。
その間、僕たちの視線は重なったまま。
「裕生先輩はこれまで神崎先生の手助けを一杯してきました」
荷物運びから授業の準備、それはもう沢山。
従者と思われても仕方ないほどの仕事っぷりだったと思う。
「約束を放ってしまったのはいけなかったかもしれませんが、あれからある程度時間も経ちました」
あの一件で好感度が下がってしまっていると思っている裕生先輩を納得させるための言葉。
その言葉に裕生先輩は何も言ってこない。
だから僕は続ける。
「そろそろ、もう一歩踏み出してみてもいいんじゃないですか?」
裕生先輩自身の勇気を。
二人の関係を。
「…………」
裕生先輩は僕から視線を外すと、緑色のメロンソーダを一気飲みする。
空になったグラスが音を立ててテーブルに置かれる。
「……頑張るか」
そして先輩は小さな声でそう呟いた。
テーブルの上に置かれた拳はぎゅっと握られている。
「俺も、これまで結構頑張ったと思う」
「…………」
「これまでこんなに人を好きになったこと無くて、絶対成功させたかったんだ」
先輩は空のグラスを見つめながら、ぽつりぽつりと呟いていく。
「絶対、先生と付き合いたい」
裕生先輩はもう一度、僕に視線を向ける。
「ここまで頑張ってこれたのも、種島のおかげだよ」
「いや、僕はそんな……」
僕がしたことと言ったら手伝うようにアドバイスしたくらいで、逆に約束の邪魔もしてしまった。
もしかしたらあの時僕が捕まっていなければ、裕生先輩はもう付き合えていたかもしれないというのに。
「いいや、俺にとっては凄い大きな存在だったよ、種島は」
僕の言葉を真っ向から否定する裕生先輩。
そして握りしめられた拳を僕に突き出してくる。
「もし先生に振られたら、そん時は――――慰めてくれよ」
「……はい、じゃあその時は」
僕はそれだけ言うと、目の前の拳に、自分の拳をぶつけた。
「…………」
僕は無言で屋上の一角に座っていた。
もうすぐここに神崎先生がやってくるはず。
既に裕生先輩は準備完了していて、あとは神崎先生が来るのを待つだけ。
ここからだと二人の声が聞こえるくらいで、お互いの姿は見ようとしなければ見えることもない。
因みに僕がここにいることを先輩は知らない。
僕の独断的な行動だ。
盗み聞きという行為が悪いものであることは十分に理解しているし、するつもりもなかった。
でもやはり相談を受けた身として最後まで見届けたいという勝手な思いで僕はここに居る。
――――来た。
小さく聞こえる屋上の扉の開けられる音。
どうやら裕生先輩が呼び出しておいた神崎先生がやってきたらしい。
「…………」
僕は自分の存在に気付かれないように、息を潜める。
そして耳を澄ませながら、二人の姿をこっそりと確かめる。
「先生、わざわざこんなところまで来てもらってすみません」
「い、いや大丈夫よ。それにしてもいきなりどうしたの?」
神崎先生の声はやはり何かあるのか、若干上擦っている。
しかし緊張している裕生先輩はそのことに気付いていない。
「先生!」
裕生先輩が声を張る。
「俺、先生のことが――」
見なくても裕生先輩が緊張でどうにかなってしまいそうな状況が良く分かる。
でもあと一言でそれも終わる。
「――――好きです!」
俺と付き合ってください!
そう言って先生に頭を下げながら手を差し出す。
それは裕生先輩らしいストレートな気持ちの表し方。
あとは神崎先生の反応だけ。
しかし少し前に見た神崎先生から裕生先輩に対する好感度は相変わらず『70』を超え、裕生先輩のそれに匹敵しそうなほどだった。
結果はほぼ分かり切っていた――
「ごめんなさい」
――――はずだった。
それなのに神崎先生の口から出た言葉は、単純かつ明瞭な拒絶の言葉。
僕は思わず神崎先生を凝視してしまう。
場所的に後ろ姿しか見えず、その表情は窺えないが、神崎先生はどうしてそんな言葉を言ったのか全く分からない。
好きだったはずなのだ。
少なくとも少し前までは。
「……っ」
僕は今の好感度を確かめる。
今の一瞬でそんなに下がってしまったのかと思ったのに、そこには相変わらず『70』を超えるという高い好感度が僕に姿を見せていた。
なんでだ。
本当になんでなんだ。
どうして。
なんで。
意味が分からない。
もしかして、僕にだけ聞こえた幻聴だったのだろうか。
きっとそうだ。
それくらいしか思いつかない。
だって好感度はこんなに高いんだから。
「本当に、ごめんなさい」
「――――」
しかし神崎先生は、決定的な止めを僕たちに突き刺した。
僕は隠れることも忘れて、神崎先生だけを見ている。
一体あの人は何がしたいんだ、と。
拒絶の言葉を向けられた裕生先輩は頭を上げ、手も戻す。
そしてそのままゆっくりと屋上の扉へと向かう。
その足取りはもはやちゃんと歩けているとは言い難く、今にも地面に沈んでしまいそうなほどの重たい歩みだった。
――――バタン。
裕生先輩の通った屋上の扉が閉まる音がする。
そこに残ったのは、僕と、神崎先生と、あとは妙な虚無感だけだ。
「…………」
僕は悪い夢でも見ているんだろうか。
いっそこれが夢ならどれだけいいことか。
それでも僕の頬を撫でる冷たい風は、これが夢じゃないと悟らせるには十分なもので、思わず手で顔を覆った。
「……なんで」
誰にも聞こえることのない独白が、口からこぼれる。
「……どうして」
納得できないモヤモヤ感が僕の胸の中で渦巻く。
「どうして、先輩は振られなくちゃいけなかったんだ」
僕はただ無意識なうちに神崎先生に視線を向ける。
先ほどと変わらない位置で、変わらない姿勢に、変わらない顔の向き。
そんな神崎先生と僕の視線との間に、そっと指で作った輪っかを入れ込む。
「…………」
少しして僕は手を重力のままに下ろすと、今度は重力に逆らうようにして立ち上がる。
そして僕は神崎先生に向かって歩き出す。
当然、僕の足音に気付いた先生が振り返り、僕に気付くと少しだけ驚いた顔を浮かべている。
でもすぐにそんな驚いた顔も引っ込むと、今度はどこか寂しそうな笑みを浮かべる。
「種島くん、見てたんだね……」
「…………」
僕は神崎先生の言葉に対して何も言わないし、言おうとも思わない。
「まぁ、裕生くんの友達だし、心配もしちゃうよね」
心配なんてしていなかった。
結果が分かっていたから。
それが覆るとも思わず、僕はのんきに事の経過だけを見ていた。
「裕生くんを悲しませた私のことは、嫌いになっちゃったかな……っ」
僕に笑みを向ける神崎先生。
そこにはもう嬉しさも楽しさも残っていない。
ただ哀愁だけが漂っている。
「僕は、聞きたいだけです」
「う、ん……?」
「神崎先生は、どうして裕生先輩を振ったんですか?」
「そりゃあ、好きじゃなかったから……かな?」
「嘘ですよね」
僕は神崎先生の嘘を許さない。
例えこれから何か疑われようとも、今を見逃そうとは思わない。
「神崎先生は、裕生先輩のことが好きだったはずです」
「……どうしてそんなことが分かるのか、聞いても?」
「答える義理がありません」
今はただ聞きたいだけ。
振った理由を。
「それに僕が神崎先生のことを嫌いになる必要なんてありませんよね」
「……?」
「だって《《神崎先生》》が一番、《《神崎先生》》のことを嫌ってるじゃないですか」
だから、僕が嫌う理由なんてない。
僕はただ、知りたいだけ。
「何を、言ってるのかが、分からないよ……?」
僕の言葉に戸惑う先生。
でも僕は分かっている。
神崎先生が一番好きな人のことも、一番嫌いな人のことも。
僕には、僕に対する好感度を見ることが出来ない。
他人から他人への好感度しか見ることが出来ない。
そこに例外は一つもなく、ただ事実として僕に降りかかってくる。
だから僕は見た。
神崎先生の、僕以外への誰かに対する好感度を。
神崎先生の、《《神崎先生に対しての好感度を》》。
『19』
これが、僕が最後に見た神崎先生から神崎先生に対する好感度だ。
でももしかしたら今ではもっと下がっているかもしれない。
なぜならその一瞬前は『20』だったからだ。
そしてその一瞬前は『21』、『22』、『23』とまだ高かった。
僕がその好感度を見ている数秒程度の間で、ここまで下がって来たのだ。
今はどこまで下がっているのだろう。
神崎先生の自分自身への好感度は。
これ以上、それを覗こうとも思わない。
「神崎先生、そろそろ認めてもいいんじゃないですか?」
――――本当は裕生先輩のことが好きだってこと。
「……っ」
僕の言葉に先生は肩を揺らす。
それが何よりも僕の言葉の真実であることを物語っていた。
「どうして、振ったんですか?」
だから僕は先生の言葉を待つことなく、何よりも聞きたかったことを聞く。
「…………仕方ないの。私たちは、教師と生徒なんだから」
「それがなんですか」
長い沈黙の末に出された答えは到底僕が納得出来るものなんかじゃない。
そんな関係がなんだ。
たかがそれだけのことで両想いが叶えられないなんてことがあるわけがない。
あっていいはずがない。
「……種島くんには、好きな人からの告白を受け入れられないこの気持ちが、分からないでしょ……?」
神崎先生の頬を涙が伝っていく。
悲しい、苦しい、そういった感情を上塗りするかのように笑みを浮かべている。
「《《俺》》はそんなの分かりたくありません」
神崎先生の言葉に僕が口を開こうとした時、後ろからその声が聞こえてきた。
ここ最近何度聞いたか分からない声に、わざわざ振り向くまでもない。
そしてその誰かを見た神崎先生は大きく目を見開く。
「裕生、くん……」
どうしてここに、という声にならない声が聞こえてくる。
僕は一度だけ裕生先輩に目を向けると、苦笑いを浮かべる。
「裕生先輩、慰めはいらないみたいですね」
「……あぁ、さんきゅ」
当事者が二人とも揃っているこの状況で、これ以上何かする必要はない。
ここに戻って来てくれた先輩が、簡単に折れたりするなんて絶対にないだろう。
そう信じて僕は、二人の間から少し離れる。
「先生、やっぱり俺、先生のことが好きです。だから付き合ってほしいんです」
裕生先輩はもう一度自分の気持ちを伝える。
その言葉が本当かどうかなんて、今更すぎて笑えてきた。
「……私も、裕生くんのことは好き」
二度目の告白に、今度は正直な気持ちを伝える神崎先生。
「……でも、やっぱり付き合うのはだめなの」
しかしそこにはきっぱりとした拒絶も含まれている。
「それは、俺たちが教師と生徒だからですか?」
「……うん」
裕生先輩が、僕たちの話をどこから聞いていたのかは分からない。
それでも神崎先生は頷く。
「その関係上、どうしても付き合うことは出来ないの」
僕や裕生先輩はまだ子供だ。
大人に頼らなければ生きていけない小さな存在だ。
だからこそ僕たちには見えないで、神崎先生には見えているものがあるのかもしれない。
ただそんなことで裕生先輩が諦めるとは思えないけど。
「じゃあ、俺が卒業したらどうですか?」
「……ぇ」
裕生先輩の突然の提案に、神崎先生は動揺を隠せない。
その視線は焦りか戸惑いに支配されて、裕生先輩に向けられている。
「俺、頭悪いから大学に行けるかどうか分からないですけど、それでも卒業したら《《教師と生徒》》っていう関係はなくなりますよね」
それはあまりにも単純で、簡単な解決方法。
二人の関係を進めるための障害物を一瞬で壊しきってしまうほどの大きな一撃。
「菜々花先生」
――――好きです。
「俺が高校卒業したら、付き合ってくれませんか」
裕生先輩は頭を下げ、その手を差し出す。
それはまるでさっき見た光景と同じだ。
でも今回は違う。
違わないけど、絶対違う。
僕はそう思いながら、神崎先生の言葉を待つ。
「…………こちらこそ、よろしくお願いします」
そして神崎先生は、ゆっくりと現実を噛みしめるようにして、裕生先輩の手を握り返した。
◆ ◆
屋上での不良先輩と女教師による告白の一件以来、数日が過ぎた。
放課後でHRも終わった僕は、玄関に向けて廊下を歩いている。
「種島くーん!」
「か、神崎先生?」
すると突然後ろの方から声をかけられ、振り返る。
そこには肩で息をする神崎先生の姿があった。
そんなに慌てて一体どうしたのだろうか。
「えっと、色々なことについてのお礼をと思って。はいこれ」
「これは、クッキーですか……?」
手渡されたものに目を落とすと、それはいつか裕生先輩が貰っていたクッキーだった。
可愛くラッピングされているあたりが、やはり先生らしい。
「まぁどうして種島くんがあんなことを知っているのか聞きたいところだけど、それは我慢しておこうかなっ」
「そ、そうしてくれると助かります」
可愛く笑みを浮かべる神崎先生だが、正直かなりありがたい。
恐らく神崎先生は何か特別なことがあることを分かっていて、見逃してくれているのだろう。
「そういえば最近、放課後に裕生先輩に会いませんね」
昨日や一昨日も、実は一度も見かけていない。
その前までは一緒に帰ったりしていたので寂しいと言えば寂しい。
「あ、実はね、私が勉強を教えてるの」
「……?」
「ふ、二人きりの時間を作りたくて、じゃあついでに受験勉強を手伝ってあげようかと……」
「先生、受験勉強がついでじゃだめだと思います」
僕の言葉に、えへへと恥ずかしそうに頬を掻く神崎先生。
しかしまさか二人がそんなことをしていたなんて全く知らなかった。
それにしてもこの幸せそうな顔。
あれだけ教師と生徒の交際はだめ! と言っていた人とは到底思えない。
「リア充(仮)は爆発してください」
「あれ、そんなこと言うと数学の授業で当てまくっちゃうぞ?」
権力を盾に恐ろしいことを言ってくる神崎先生。
「……それは本当勘弁してください」
神崎先生に許してもらうまで、僕はひたすら頭を下げ続ける。
ようやく許してもらったところで、神崎先生は恐らく裕生先輩がいるだろう場所へ向かおうとする。
「神崎先生」
そんな後ろ姿に向かって、僕は声をかける。
一つ気になっていたことがあったのを思い出したのだ。
「嫌いな人はいなくなりましたか?」
「……えぇ、もちろん。だって、好きな人の未来の彼女さんですもの」
僕はその言葉を信じる。
わざわざ好感度を確かめるなんて、野暮なだけだ。
ただその時の先生の笑みは、本当に心から笑ってくれているような気がした。