【小話⑩ー6第四王女と公爵邸~小さな大人】
【小話⑩ー6】
クラウス殿下の口調が穏やかに話し掛けると、リルディア王女は素直にカーテンから出てきて殿下の体にリ両手を伸ばしてゆっくりと抱きついた。そんな王女の背中をポンポンと宥めるように優しく叩きながら、殿下は改めて王女と視線を合わせるべく自分の体から王女の体を引き離す。
「リルディア、今から話すことはとても大事な事だから、きちんと聞いて覚えていて欲しい。これからは衣装箱は勿論の事、他の箱であっても入入って隠れては駄目だ。そもそも箱というものは、本来人間が入っていいものじゃない。箱の中には人が閉じ込められると息が出来なくて死んでしまうものも沢山あるんだ。
もし隠れんぼをするにしても、いつでも直ぐに出られるようなところでなくてはいけない。それが遊びを楽しむ事のルールだ。物事には何事にもルールがあって、それを守らなければどんなに楽しい事であっても忽ち退屈でつまらないものになってしまう。それでは遊ぶ意味がないよな?」
「うん、リル退屈は大嫌いだもん。楽しい事だけしたい! でもリル箱の中に入っていてもまだ死んでないよ?」
「ああ、そうだな。それこそ死んでいたら大変だ。どうしてリルディアが大丈夫だったと思う?」
「う~ん、リルがお父様みたいに強いから?」
「いや、それば違う。どうしてかというと、それは城の中にある箱は全て君の父君である陛下が、リルディアが間違って死んでしまわないように箱には小さな穴を沢山開けてあるんだ。だから箱の中で息が出来ただろう?」
「ええっ? 穴なんて開いてた? 全然分からなかった!」
「それこそ大きな穴が開いていたら何も入れられなくなってしまう。それでは箱の用途……使い道が無くなってしまう」
「あはは、でも大きな穴が開いていても以外に面白いかも。何かに使えるかもしれないでしょ?」
「リルディアは発想が豊かだからな。とにかくそういう事だから、これからは箱の中には入らないで欲しい。もしかしたら今度は穴が開いていない箱に入ってしまうかもしれないだろう。
リルディアには私より先には死んでほしくはないんだ。だからこれは私からのお願いだ。リルディア、どうか言う事を聞いてはくれないか?」
「うん、分かった。リル、もう箱の中には入らないよ。だってもしリルが死んじゃったら、クラウスもお父様も母様もロウ爺だって、きっと悲しすぎて泣いちゃうでしょ? だからクラウスもリルを置いて死んだりなんかしたら絶対に駄目だからね?」
「………それは中々難しいな。私はリルディアよりもずっと年上だから、いつかは君よりも先に神の元に召されるだろう」
するとそれを聞いたリルディア王女がクラウス殿下に強くしがみついた。
「駄目よ!絶対に駄目!!そんな事、絶対に許さないわ!! クラウスはずっとリルの側にいるの。神様にだって絶対に渡さない!! もしクラウスを殺すつもりなら誰であろうとリルが一人残らず片っ端から殺してあげる。リルから何かを奪おうなんて二度と考えられないように徹底して潰してやるわ!!」
「リルディア!!」
まさに“絶句”とはこの事。まだ幼き王女の口からそのような物騒な発言が飛び出すとは、ここにいる誰もが思わなんだ。そんな王女から放たれる殺気は、まさに陛下の気性そのもので、まるでその場に陛下がいるような錯覚さえ覚えた。
「リルディア!一体どうしたんだ!? しかも子供がそんな大それた事を言ってはいけない!」
クラウス殿下の表情に初めて動揺が浮かぶ。
「どうして!? 子供だからって言ってはいけないとか、そんな事、リルにはどうでもいい事だわ。リルが嫌だと言ったら嫌なの。それだけよ。他に方法がないのなら、そうするしかないでしょう? リルは自分の大切なものを守るだけだわ。なにも出来ないまま、むざむざ奪われたりなんかしない。だからリルの敵に回る者には容赦しない。相手を死ぬまで追い詰めて後悔させてやるわ!」
リルディア王女の中に流れる覇王の血の片鱗。陛下と全く同じ思考で強い執着心と独占欲。己の意思が『善』それを否定するものは『悪』ーー動機は単純であるからこそ、そこに理屈は存在しない。
リルディア王女がこれほど陛下の気性に似ているとは。そして怒りの箍が外れてしまうと何をしでかすか分からないところまで同じであることを再認識させられると同時に、これからの国の行く末に畏怖の念がよぎる。
ーー諸国を己の赴くままに蹂躙し支配し続ける絶対覇王。比類なき美しき冷酷無比なるリルディア女王ーーー
いやいや、まだそうなるとは決まったわけではない。王女はまだ幼い子供だ。これからの教育次第である程度の矯正はどうとでもなるはずだ。要は王女の怒りの箍を外さなければ、なにも問題は起こらないともいえよう。その為にはーーー
そして視線の先はクラウス殿下へと向かう。
………クラウス殿下はこの先、婚姻する事は難しいやもしれぬ。なにせリルディア王女の執着が他所に向けられない限り、今のところ王女の『箍』はクラウス殿下にあるのだと思う。
しかもあれだけ激しい執着を見せられては、もしクラウス殿下に想う女性が現れでもしたら………いや、恐ろしくて考えたくもないな。しかも殿下ご自身はどう思われているのかーーー
するとクラウス殿下は手負いの獣のように興奮冷めやらぬリルディア王女の体をそっと抱き締めると、あやすようにその頭を撫でる。
「リルディア、悪かった。私が変な事を言葉にしたせいでリルディアを不安にさせたな。本当にすまなかった。だからもう機嫌を直してくれ。私はリルディアに誰かを傷つけるような言葉を軽々しく口にして欲しくはないよ」
「クラウスが怖い事を言うからじゃない! クラウスが死んじゃったらリルはどうなるの? お父様や母様もリルより先に死んでしまうの? 嫌よ、そんなの。絶対に嫌!!
お願いだからクラウスだけはリルを一人ぼっちにしないで。じゃないとリル、本当に人を殺してしまうかも。自分でもなにをするか分からないんだから!」
「リルディアにそんな事は私が絶対にさせない。だから可能である限り私はリルディアの側にいるよ。だから安心していい」
「それって『約束』? これからもずっとリルの側にいてくれる?」
「ごめん。『約束』は出来ない。人生なにがあるか分からないからな。だけど君が私を必要としてくれている間は、時が許す限り側にいる。勿論、四六時中ずっと側にいるわけにはいかないが、それでもリルディアが間違った道に走らないように私は身内としての役割を果たすつもりだ。
だから話は戻るが、城をこっそり抜け出したりするのは駄目だ。何かあるのなら話は聞くから私に相談しなさい。私も鬼ではない。君がどうしても嫌な事を無理強いするつもりはない。それでなくても君に何かを強いるのは無駄だという事はよく分かっている。ーーここまで話した内容の中で難しくて分からなかった事はあるか?」
「ううん、大丈夫だと思う」
「そうか、それなら『約束』してくれるか? これからはこっそり城を抜け出さない。衣装箱の中には隠れないと」
それを聞いていたリルディア王女は少し考えるようなそぶりを見せると、次にはニッコリと笑顔を向ける。
「うん、いいよ。リル、もう箱の中に隠れる気は無いから。『約束』ね?」
そうしてリルディア王女は先ほどの緊迫した様子など初めから無かったかのように、子猫のごとくクラウス殿下の腕にじゃれついている。
こうして見れば普通の子供と大差ないのだが、まるで大人と子供が一つの体の中で入れ替わるかごとく、その様子が一変するので、リルディア王女の対応は特特に難しい。
「リルディア、もう一つ忘れている。城からこっそり抜け出さないと言う事もーーー」
「あ、それは無理。リル、それだけは『約束』出来ないよ」
「は?」
「だってリル、絶対にまた抜け出すから。それなのに『約束』なんてクラウスとは出来ないでしょ。だから無理」
「リルディア、それは絶対に駄目だ。外は危険だと何度も言っているだろう? どうしても外に出たいのであれば陛下に許可を取らなければならない」
「う~ん、でもお父様はこうして時々お留守にする事もあるし、そうなったらリルが外に行きたい時に行けないじゃない。リルは愛玩動物みたいにお部屋の中でずっと飼われているなんて絶対に嫌!
さっきも言ったでしょ? リルは退屈し過ぎると病気になるって。外の世界はとても広くて、いつも新鮮で楽しくて刺激的なの。そんな外の世界が「こっちにおいで」って言っているのに、我慢なんて出来ないわ!」
それでもクラウス殿下は根気よく説得を試みるも………
「はあ……リルディア、頼むからこちらの言う事を聞いてくれ。なるべく君の意向に沿えるように私も努力はしよう。だから軽率な行動はしないで欲しい。特に陛下が留守であるのに、もし外で君に何かあっても、必ずしも誰かが助けてくれるとは限らないんだそ?」
「うん、だから今は大人しくしてるよ。リルはまだ小さいからね。だけどもう少し大きくなったらいいでしょ? リルだってずっと子供のままではないし、クラウスが先生をしている学院にも行ってみたい!」
「君は王女だ。貴族の令嬢達と同じようにはいかない。君の外出はこれからも陛下がお決めになるだろう」
「それならお父様から許可されれば、誰も文句はないのよね? だったら大丈夫よ。お父様はリルのお願いならなんでも聞いて下さるもん」
「こればかりはどうにもならないんだ。たとえ陛下であっても君の身の安全の為を考えれば、容易に許可は出さないだろう」
「ふぅ~んだ。だったらリル、王女なんてやめちゃおうかな。別になりたくてなったわけじゃないし、母様は平民出なんだもの、リルも平民になって毎日自由に楽しく暮らすの」
それを聞いてギョッとする。王女が平民になるなどと前代未聞いうか、これが降嫁して臣籍に下るならまだしも、それでも王女は王女である。しかもそんな事は陛下が絶対にお許しにはならないだろうに。
クラウス殿下を見れば、リルディア王女を前にして深いため息をついている。そしてしばらく額を押さえていたが、ふいにその顔を上げた。
「………リルディア、君は一体何が望みなんだ? 何か意図があるから、そうやってわざと大人を困らせるような我儘を言うのだろう?」
そんなクラウス殿下の言葉に自分の耳を疑う。ーーわざとだと?
するとリルディア王女は小さく肩を竦めると、ペロッと舌を出す。
「う~ん。結構本気だったのだけれど。ーーまあ、いいや。とりあえずリルが要求するのは、本日はお城には戻りません。だからクラウスも戻ってはいけません。そして明日お城に戻るまでの間、ここにいる皆はリルが満足するまで一緒に遊んでもらうわ。今のところ、リルの望みはそれだけよ。すごく簡単でしょう?」
「これだけ大騒ぎを起こしておいて、もしかして初めからこれが目的だったのか?」
「あはは、まさか。リル、まだ子供だよ? お父様みたいにそこまで賢くないから。だけどロウ爺の話を聞いて、初めからクラウスのお屋敷に滞在しようとは思っていたから目的としてはそうなのかも。
だってロウ爺とリルがこちらにいればクラウスも心配して公爵邸に帰ってくるかもしれないでしょう? だけどクラウスはお仕事が忙しいからどうかな?とは思ったけど、本当に帰ってきてくれて嬉しいな」
「………もしかして衣装箱の空気穴の事も知っていたのか?」
「ううん、それは知らなかったよ? だけど箱の中に入っている時に前に隠れていた時とは違って中がちょっと明るいし息も苦しくないから、これなら平気かな?って。
でもリル、もしかしたら死んじゃってたかもしれないんだよね? だから箱の中にはもう隠れないよ。『約束』しちゃったしね」
これは一体何を見ているのか。リルディア王女が普段から賢く大人びているのは知ってはいたものの、それでもまだ甘えたがりの幼い子供であったのに、今ここにいる子供は大人と対等にある『小さな大人』である。しかも大人達をやり込める手腕は非常にしたたかで、ぐうの音すら出ない。
「リルディア王女………なのか?」
そんな訝しげに呟いた我に気付いたリルディア王女はこちらに駆け寄ってくると、下から見上げるようにして首首を傾げながらその愛らしい顔を覗かせてくる。
「ロウ爺、どうしたの? 変な顔してるよ? リルがどうかした?」
「ああ、いや、リルディア王女がしばらく見ない間に、本当にご成長されたのだと驚いておったのです」
「もう、リルだって毎年きちんと成長しているのよ? 今はまだ小さいかもしれないけれど、その内、母様みたいな大人のすっごい美女になるんだから。ちょっと成長したくらいで驚かないでよね」
そう言って頬を膨らませているのも、今しがた見ていた大人びた王女ではなく、まだ子供のあどけなさが残る口調に、まるで大人と子供が入れ替わる様にめまぐるしく変わる。呆気に取られて戸惑う我に気付いたクラウス殿下もこちらの方に移動してくる。
「ロウエン将軍、驚かなくてもいいのですよ。どちらもリルディア本人なのですから」
「殿下、いやはや。まるで大人と子供が入れ替わる様をめまぐるしく見ているようなーーー」
「ロウエン将軍はフォルセナで暮らしているので、まだ今よりまだ小さい子供の時のリルディアしか知らないので無理はありませんが、いわゆる精神年齢が高すぎるがゆえの彼女の特異体質ともいえるでしょう。
なのでリルディアはその時々の感情によって子供であったり急に大人びたりと変化するのです。専門家の話では成長するにつれ自然と落ち着いてくるので、なにも問題はないらしいのですが、そんな彼女に慣れるまでに初めはかなりの違和感があるでしょう。なにせ外見はまだ小さな子供なのですから」
「クラウス、またその話? リルそんなに変?」
「リルディア王女。その話し方というのは、ご自身で使い分けているのではないのか?」
「使い分ける? リルは普通に話しているだけよ? なのに周りの人達はリル分からない中に大人が住んでいるっていうの。なにそれ? リル分かんないよ」
「ふぅむ。リルディア王女には本当に毎度驚かされる。さりとてこうも度々お変わりになられると、接し方にも難しそうですな」
「ロウエン将軍。そんなに難しく考えずとも、口調が変わっても中身はリルディアのままなのですから、いつも通りでよいのです。そうでなければリルディアの方が戸惑います。本人には全く自覚がないのですから。要はこちらが慣れてしまえば問題はありません」
「な、なるほどですな。分かりもうした」
【⑩ー続】