【小話⑩ー3第四王女と公爵邸~無邪気な脱走】
【小話⑩ー3】
クラウス殿下が名を呼ぶも、リルディア王女はソファーの後ろから出てくる気配はない。
そんなクラウス殿下の様子からリルディア王女が城からいなくなった事を知り、急いで後を追いかけて来たのだろう。外出用の衣装にも着替えず、しかも王族や貴族にあっては身の安全の為、馬車で移動するのが基本であるのに、それを騎士達のように自ら馬を走らせて来るなどとは陛下くらいのものなのだが、まさかクラウス殿下がその様な行動を起こすとは。
本来であれば将軍地位にある自分が命の危険に及ぶような軽率行動は控える様、クラウス殿下に申し上げねばならぬところではあるが、
自由奔放で常識に囚われない陛下とは違い、常識の塊ともいえるクラウス殿下におかれては軽率行動など自らの意思で取るはずもなく、それを覆す事になるのは“緊急事態”であるときだけ。つまりそれらを可能にしてしまうのは国王陛下と第四王女が関わっている時である。
ブランノアの王城は常に陛下と第四王女の行動に振り回されている。そのお二方に寵愛されているクラウス殿下は直にその影響を受けており、普段はあまり感情が表には出ない高潔の王子と呼ばれてはいるが、陛下や第四王女に関わると仮面が外れた様に感情が現れる。
特に王族としての責務を負う者として己の感情を抑えなければならないのは分かるものの、あまりに自由な陛下を見ているとクラウス殿下が気の毒に思えてくる。だから陛下も時折わざと弟君を困らせて感情を引き出すように仕向けているのだろうか? まあ、リルディア王女に関しては意図せずしての行動なのではあるが。
「クラウス殿下、此度の事は我に落ち度があります。我が城から出立する前に荷物を調べさせておれば、このような事にはならなかったはず。いくらご無事であったとはいえ、第四王女の御身を危険に晒したのは事実。
これは全て我の責任であり、殿下に多大なるご心配をお掛けしてしまった事、真に心よりお詫び申し上げます。かくなる上はどのような処罰を下されましてもその御意向に従う所存。ですがリルディア王女はどうかお許し願いたい」
それもこれも全ては確認行為を怠った我が悪いのだ。まだ良し悪しの分別がつかぬ幼き王女に咎はない。
そんな己に反省しつつ、クラウス殿下の御前で深く頭を垂れると、少し神経質なところのある殿下は自身の乱れた髪を手で直しながらも深い息をついた。
「ロウエン将軍、貴方もですか。どうしてリルディアの周りの大人はこうも甘いのか。おかげで私がいくら言い聞かせたところでリルディアが我儘になっていく一方です。
確かに確認を怠ったのは将軍の責任でもある。しかし王城の管轄にある以上、王弟でありながら国王不在時におけるリルディアの保護観察義務を怠ったのは私の責任でもあります。まして私は叔父ですからね。さすれば将軍を罰せよというのであれば、まず私が先に罰せられるのが順当でしょう」
それを聞いてクラウス殿下に罰などとは畏れ多く、もっての他だと慌て断固否定する。
「何を仰るのか! 殿下に非はありませぬぞ。これは我が確認を怠ったがゆえの起こった出来事。その全ての責は我にある。此度の事は陛下にも深くお詫び申し上げ、沙汰が下るのを待たねばならぬ」
するとクラウス殿下が小さなため息をつく。
「はあ………『鬼将軍』はどこに行ったのです? 私の幼少時、貴方にはかなり厳しく稽古を付けられた記憶があるのですが、今のリルディアとの待遇があまりにも違い過ぎではありませんか?」
確かにクラウス殿下の幼少時の武術の教育係として身分関係なく他の騎士達と同等に厳しく教育を施してきたが、元々人を傷付ける武術が苦手だったクラウス殿下には、
世の中は優しいだけでは生き残れないのだと、王族である以上、避けては通れぬ人間の生死から目を逸らす事は出来ないのだと、精神面からもかなり厳しく諭してきたのだが、
同じ様に教育してきた陛下とは違い、クラウス殿下の本来の性分もあってか、あまりに真っ直ぐに真面目一徹で育ったが為に、王族としては完璧な王子ではあるものの、人としては感情表現が不器用で内向的な人間になってしまったのは、やはり幼少時に厳し過ぎた我にも責任があると、今更後悔しても遅いがそう思っている。
そのせいあってか、クラウス殿下の婚期にも影響が現れており、いまだ殿下はお心を寄せる女性はおらず、しかもご自分の婚姻に対しては全くの否定的であり、よほどの事でもない限り自ら婚姻を望む意思は皆無と見られる。
クラウス殿下の母君であるアデイル様はそんな周囲の心配も他所に、
『あの子の人生はあの子のものですもの。私は母親として息子の意思を尊重したいの。王族としての責務があの子を縛るのだとしても、私はあの子に自分の意思で自由に生きて欲しいのです。勿論、私としては孫の顔がなかなか見られないのは少し寂しいけれど、それはあくまで私の利己心ですものね。
王族として生を受けている者である私のこうした発言は不適切でありますが、自分の意思に背き心を殺してまで立派責務を果たしたところで、そこに真の幸せなどありましょうか。確かに全てが不幸になるとは決まったわけではありませんが、それはごく稀であり、その殆どが不幸の連鎖を呼ぶのです。
私は最愛の我が子にその様な生き方をさせたくはありません。幸い私の息子は第三王子ですから、ある程度の自由は利くでしょう。ですから親馬鹿と言われても仕方がありませんが、これからも周りがなにを言おうと、私なりのやり方で息子を見守り擁護してまいります』
と言われてしまえば、その言葉に自分にも考えるところがあり、それ以上何も言えなくなってしまう。
「殿下、今更恨み言は無しですぞ。殿下は王子なのですから先を考えて厳しくご教育差し上げるのは当然。甘やかされたひ弱な貴族の坊では困るのです。
ですがリルディア王女はまだ幼子で大人に甘えたい年頃の娘御。あまり厳しくし過ぎても、将来性格の荒んだ可愛げのない王女となっては、いくら外見が非常に美しくとも人々から敬遠されてしまいかねんのです。殿下とて、こんなにも愛くるしいリルディア王女がその様なお姿になるのは不本意でありましょう」
先ほどからソファーの後ろでこちらの様子をチラチラと伺いながら、その小さな体を縮ませているリルディア王女の姿がなんとも愛らしく、本当はクラウス殿下の仰る通り大人として叱らなくてはならない時は、たとえ幼子とはいえど甘やかさずにきちんと叱らねばならぬ事は十分に分かってはいるのだが、
天より愛されし子供であるリルディア王女はその存在自体がすでに罪深く儚げな美しい容認と何をしても可愛らしさしか感じえない行動に、見る者の毒気を抜かれてしまい、王女が悪い事をしていても全てを容認してしまいそうになる。
事実、父親である陛下がすでに骨抜き状態にあり、リルディア王女を叱るどころか逆に何でも言うことを聞いてしまうほどの溺愛ぶりで、同じく己も駄目だとは分かってはいても自然にリルディア王女を擁護する発言を取ってしまっている。
そんな中でリルディア王女の叔父であるクラウス殿下は理性的に王女の間違いを正す事が出来る唯一の存在であり、やや厳し過ぎるのではないかと思うところはあるものの、王女に対して物申す事が出来る者がいないだけに、クラウス殿下の存在はまさに『最後の砦』ともいえよう。リルディア王女がこのまま暴君王女とならない為にも。
「そうですね。おかげで私は性格の荒んだ可愛げのない王子になりました。ですがそれとこれとは別です。将軍の言葉をそのまま返せば、リルディアは王女であり先を考えて厳しく教育するのは当然ですね。甘やかされて育った我儘放題な貴族の令嬢と同じ様では困るのです。厳しくしたせいでリルディアの性格が荒んで可愛げがなくなったとしても、愚かな我儘王女と呼ばれるよりはまだましです。
それでなくてもリルディアの周りの大人が彼女に直ぐにほだされて言いなりになるせいで、私がどれだけ苦労しているかお分かりですか? リルディアの間違いを正す者がいない以上、叔父である私が教育せざるを得ないのです。今や我が国はリルディア中心に回っているといっても過言ではないという事をお忘れなきよう」
そんなクラウス殿下からの釘を刺さんばかりの有無を言わせぬ厳しい視線に射抜かれ、それ以上何も言葉にならず、その意に従うべく頭を垂れるのみだ。
ーーリルディア王女、申し訳ない。我の擁護もここまでだ。殿下の言葉が正論なだけに、立場上、臣下がこれ以上、口出しする事は相成らん。それに此度は命の危険もあった行動ゆえ、ここは王女の為にも殿下からしっかりとお叱りを受けられた方が良いはずだ。さすれば我は後程、王女をお慰めするとしよう。
【⑩ー続】