【小話⑨ー4叔父と小さな姪の攻防の行方】
【小話⑨ー4】
コンコンコンーーー
王弟であるクラウスの執務室の隣にある執事の控え部屋の扉を叩くと部屋の中から返事があり、扉が静かに開かれる。
そしてクラウス付きの執事が現れ直ぐ様、左腕を背中に回し右腕を前に折り紳士の礼を返す。
「これはリルディア王女様。ご機嫌麗しゅうございます」
「ご機嫌よう。ーークラウスはいる?」
いつもは人の気配がする執務室があまりにも静かなので、リルディアが小声でこっそりと話し掛ける。
「はい。いらっしゃいます。只今殿下は執務が落ち着かれたので、ご休憩がてら仮眠されておいでですが、お急ぎの御用でしたらお取り次ぎ致しますか?」
そんな執事も声を小さく落として答えるとリルディアは大きな黒い目を更に大きく見開き口許に笑みを浮かべると、首を左右に振って「シッ」と自分の唇に左手の人差し指を当てる。
「シッ、仮眠って言う事は『寝てる』って事でしょ? だったら絶対起こしちゃ駄目。うふふ、クラウスの寝顔が見られるなんて、こんなに珍しい事は無いわ。ちょっとここから通してもらうから」
そう言ってリルディアが執事の体をすり抜けて室内に入ってくるので執事は慌て声を掛ける。
「リ、リルディア様、クラウス様はまだお休みですよ? 異性の睡眠時に女性がお部屋に入室されるのはかなり問題がーーー」
リルディアの行く手を通せんぼするように執事が手前に立つも、リルディアは再び「シィィィ~」と人差し指を唇に当て執事の体を手で押しやる。
「声を出さないで? クラウスが起きちゃうじゃない。ちょっと寝顔を覗くだけよ。だってクラウスの寝顔なんて珍しいんだもん。 リル、静かにしてるし、ちょっとくらいなら良いでしょ?」
「リ、リルディア様、いけません。国王陛下に知れたら怒られます」
執事は必死にリルディアを止めようとするもリルディアはお構い無しに執務室の扉へ向かう。
「大丈夫。お父様はリルを怒ったりなどしないもの。だから貴方は黙っていてね?」
「しかし、リルディア様ーーー」
「シィィィィーーー」
そんな困惑している執事を尻目にリルディアは静かに扉を開けて執務室内の様子を伺いながら中へと入っていく。
すると室内にある大きな長椅子に上着を掛布代わりに体に掛けて横たわるクラウスの姿が目に入った。
リルディアは足音を立てないようにそろそろとクラウスの側に近付くと、クラウスは静かな寝息を立てて眠っているようだ。
「………うわあ、クラウス、本当に寝てる。初めて見た」
リルディアは小さな声で呟きながらもクラウスの寝顔をしばし観察する。
「クラウスってアデイル様によく似てる。体もスラッとしているし、寝てる時なんてアデイル様と同じ優しいお顔してるもん。起きてる時はいっつも怖い顔なのになーーだけど、お父様と似てなくて良かったかも。だって筋肉だらけの大きな体のクラウスなんてすっごく変だもんね」
リルディアはその寝顔を観察しつつも、こうして自分が側にいるのに中々目覚める様子の無い叔父にふと、ある事が頭に思い浮かんだ。
ーーそれは、お伽噺のお話で悪い魔女に呪いを掛けられて100年間も眠り続ける王女のお話である。
それでなくともクラウスがこうして人前で眠るなど今まで見た事が無い。もしかしたら本当に悪い魔女に呪いを掛けられて眠らされているのだとしたらーーー?
「…………クラウス?」
なんだか急に不安を覚えたリルディアは恐る恐るクラウスの名を呼ぶも、そんなクラウスは静かな寝息を立てたままだ。なので今度はクラウスの頬をつついてみる。
「クラウス? 寝てる?」
しかしクラウスの閉じられた目蓋は一向に開かず、肩をトントンと叩いてみるも殆ど反応すら無いので、ますますリルディアの不安が強くなる。
ーーど、どうしよう。クラウスが目を覚まさない? まさかこれって本当に魔女の呪いなの?? お父様もいないのに一体どうすればいいの?
リルディアはその場で右往左往しながら尚も眠り続けるクラウスを見つめる。
ーーそうだわ! 確かお話では眠っている王女の呪いを解いて目を覚まさせたのは王子の『キス』だった…………
リルディアはクラウスのすぐ側に立つとその顔を上から覗き込む。
「…………クラウスは『王子』だけど逆になっても大丈夫だよね?」
そしてリルディアは長い黒髪を片耳に掻き分け、クラウスにゆっくりと自分の顔を近付けると、その形の良い唇に自分の唇をそっと重ねた。
「!!?」
次の瞬間、クラウスの瞳が大きく開かれ急に体を起こすと、リルディアの両肩を掴んで自分から引き離す。
「リルディア!? 君は一体何をーー!!」
「あ、クラウス!! 目が覚めた!? よかったあーー呪いが解けた!!」
「は? 呪いって何の事だ!?」
そんなクラウスの真っ青な紺碧色の瞳を見てリルディアはホッと胸を撫で下ろす。
「だってクラウスが全然目を覚まさないから、お伽噺の悪い魔女に呪いを掛けられたのかと思って『キス』したの。けれどお話では呪いを掛けられて眠っているのは『王女』でしょ? だからちょっと心配だったけれど、王子と王女が逆になっても大丈夫だったみたい。リルね、クラウスがこのままずっと眠ったままで目が覚めなかったらどうしようって、本当に心配したんだから」
すると執事の部屋に続く扉が開かれ、クラウス付きの執事が慌てて飛び込んでくる。
「殿下!! どうかなさいましたか!?」
それを見たクラウスは右腕を上げて執事に合図を送る。
「ああ、大丈夫だ。問題ない。私はリルディアと大事な話があるからこちらから呼ぶまで別室に下がっていてくれ」
「はい、畏まりました。失礼致します」
そんな執事は主の言葉を受け、一歩下がって一礼すると速やかに執事の控え室の方に戻っていった。そして執務室には叔父と姪の二人だけが残る。
きょとんとする姪を前にクラウスは長椅子に腰掛け直すと、右手で額を押さえながら俯いて大きな深いため息をつく。
「クラウス? どうしたの? 大丈夫?」
叔父の様子を伺うように下から覗き込む姪にクラウスは顔を上げてリルディアを自分の隣に座らせる。
「はあ………こんな事になるのなら、“フリ”などせずに起きていた方がよかった…………私が悪いのだな。
ーーリルディア、よく聞きなさい? 私が眠っていたのは決して『呪い』なんかじゃない。 それはお伽噺の中だけで、いわば『夢物語』なんだ。だから私達の生きている『現実』ではあり得ない話だ。
勿論、王子のキスで王女の呪いが解けて目を覚ますというのも、あくまで物語の中だけの話であって、今のこの『現実』と一緒にしては駄目だ。お伽噺と現実とでは全く違うのだよ」
「クラウスは『呪い』に掛けられてない? それじゃあ、お伽噺の物語は全て『嘘』って事なの?」
そんな姪の真っ直ぐな問いにクラウスは険しい表情で再び片手で額を押さえる。
「はあーー『嘘』か。………正直、説明が難しいな。
リルディア、この現実では物語のような『呪い』だの『魔法』だの、その様な不思議な力は無いだろう? そういった意味では物語の中の出来事は人間の想像から生まれたもので現実では『嘘』という事にもなるが、そこは『架空』と言った方が正しいな。
ーーああ、『架空』というのは実在しないとか想像するとか、そういう意味の言葉だ。そして物語というのは誰かの頭の中の想像から出来ている話なんだよ。
そうだな、例えで言うとリルディアも眠っている時に夢を見る事があるだろう? しかしその夢の中の出来事は目が覚めると現実ではない。つまりお伽噺と夢は“同じ”という理屈ーー同じ筋道の流れだという事だ」
クラウスは精神年齢は非常に高いが、まだ年齢的にいって幼い子供にも理解が出来る様にと言葉を選びながら説明するも、リルディアは難しい顔をして首を傾げている。
「ふぅん? クラウスのお話ってすごく難しいけど、つまり夢とお伽噺は“同じ”でそれは誰かの『架空』の想像から出来ていてリル達のこの現実ではあり得ないんだよね? だからクラウスも『呪い』なんかじゃなくてただ普通に寝ていただけで、王子の『キス』もお話の中だけの事だから現実と同じじゃないーーって事で良いの?」
そんな姪の言葉にクラウスは再び深い息を吐き、リルディアの肩にポンと手を置く。
「ああ、そういう事だな。はあ………君との会話の答え合わせは特に難しいから『正解』が得られて嬉しいよ」
「え、本当? リル『正解』だった? やったあ! リルね、家庭教師からも物覚えが早いって、いつも誉められているのよ?」
嬉しそうにはしゃぎながら、今にも長椅子で飛び跳ねそうな姪の体をクラウスが押さえて落ち着かせる。
「君は陛下と同じく聡明で賢いからな。けれど淑女作法の方はまだまだ勉強不足だ。 王女としての言葉遣いや立ち振舞いもこれからきちんと学ばなくてはならない。
ーーまあ、それは今後の課題にさておき、リルディア、今、君に教えておきたいのは『現実』と『架空』を一緒にしない事だ。だから先ほどみたいな『キス』ーーあの様なお伽噺の真似事は絶対にしてはならない。未婚の女性であれば尚の事だ。
しかし何も知らなかった君に咎はない。なので君が私にした真似事も事故のようなもので、しかも私は君の叔父という肉親であって異性の内には入らないので、今回の事は全て無かった事として忘れなさい。そして今の話は外に話しては駄目だ。分かったね?」
「う~ん。ーー分かった」
まだ少し複雑そうな表情を浮かべながらもリルディアが頷く。
そんな姪の表情から今の説明で正しく理解出来たのかは一抹の不安はあるものの、リルディアは幼いながらも自分が納得した事は素直に応じるので、本来この様な言葉は些か不適切ではあるが『口止め』は出来たとは思う。
いくら事故だったとはいえ、兄の大切な愛娘の最初のキスの相手が叔父だったなどと絶対に言えるわけがない。知れば兄の激昂は勿論だが、何よりリルディアの淑女としての貞操にも傷が付いてしまう。
しかし不幸中の幸いな事に、この事態を知る者は当人達以外には誰もいない。ならばここは私達の間だけで事を収めれば何も問題はないだろう。リルディアにしても何とも感じてはいない様だし、まだ幼いゆえにそんな些細な事など直ぐに忘れてしまうに違いない。
とにかくリルディアが嫁ぐまでの彼女の純潔をそんな『キス』一つで、しかも叔父である自分が穢してはならない。時に『真実』は隠されていた方が最善な事もある。
………全く、リルディアは父親に似て、何をしでかすか分かったものではない。振り回される相手の身にもなってくれ。
ーーなどと内心考えながらクラウスは姪から視線を外して小さくため息をつくと、再び視線を戻す。
「それはそうとリルディア。ロウエン将軍はどうした?」
先ほど姪の相手を頼んで一緒にいるはずのロウエン将軍の姿が見えないので、クラウスが尋ねるとリルディアの頬が膨れる。
「ロウ爺は診察の時間だからって皆が連れていっちゃったわ。折角ロウ爺と色んなお話をしていて丁度面白いところだったのに。ロウ爺はリルとのお話が途中だから話が終えたら行くと言ってくれたのよ? だけどロウ爺を呼びに来た人達がロウ爺はご高齢だからきちんと時間通りに診察をして体も休めないといけないって連れて行ってしまったの。だからリル一人になって、つまんない」
そう言って両足を長椅子からブラブラと動かしながらリルディアが不満げな顔をしている。
「リルディア、ロウエン将軍はしばらく滞在する予定であるから、今日のところは我慢しなさい? ロウエン将軍は病人ではないとはいえ、お歳を召しているので体も大変疲れやすいのだよ。それでなくともフォルセナからの長旅で疲れているだろうからね。
リルディアだってロウエン将軍が元気であって欲しいだろう? だからロウエン将軍には医者の言う事はきちんと聞いて貰わねばならない」
するとリルディアは足を動かすのを止めてクラウスの袖をギュッと握る。
「うん。だからリル我慢したよ? クラウスも医者に診てもらうって言ってたでしょ? ロウ爺はおじいさんだから無理をしては駄目だって、ちゃんと分かってるもん」
それでも面白くないという表情は隠せてはいない姪の肩をクラウスの手が優しく叩く。
「それで良いんだ。君はとても優しい子だ。それでは今度は私とお話をしないか? 仕事の続きを始める前に、君がロウエン将軍とどんな話をしたのか、私にも聞かせてもらえると嬉しいのだが」
一応は子供とはいえ、王女と将軍の会話の内容は知っておくに越した事はない。どんな些細な事であっても、後の『火種』になる様な事だけは避けたいと考えているクラウスとは逆に、リルディアの表情は言葉を掛けたその一瞬で明るい満面の笑顔になり、今までとは大違いの上機嫌な様子で顔を綻ばせて喜ぶ。
「うん! リルね、クラウスにもお話したい事がいっぱいあるの! それとロウ爺から聞いたお父様やクラウスの子供時代のお話とかも、すっごく面白かったわ!」
「は? 子供時代の話だって?」
それを聞いたクラウスの方は眉間に皺が寄り表情が一瞬で険しくなる。
「うん。あのね? クラウスが子供の頃は皆が王女と間違うくらい女の子みたいで可愛いかったとか、武術の訓練が大嫌いで訓練の時間がくると何故か病気になったり城内でよく行方不明になっていたとかーーー」
「っつ、リルディア!! ーー取り敢えず、まずはお茶にしようか? 詳しい事は後程ゆっくりと話そう。
くっ…………ロウエン将軍。やはり連れて来るべきではなかった」
ぽそっと小声で後悔の言葉を口にしながら仄かに全身から冷気を漂わせているクラウスを他所に、リルディアは嬉しさのあまり子犬がじゃれつく様にその片腕に抱きついて喜んでいる。そんなクラウスはされるがままに姪の様子を見つめながら思わず天井を仰ぐ。
「………人の気も知らないで、全く子供というものは無邪気なものだな。しかも将軍のせいで、またリルディアに上手く説明しなければならなくなった。
はあ………陛下、早くお戻り下さい。そもそもリルディアの相手は陛下以外には務まらないのですから」
クラウスは自分でも珍しい弱音を零しながらリルディアをテーブルの方へと促し控えさせていた執事を呼ぶと、早速、執事と侍女達が準備に取り掛かったのだった。
【⑨ー終】