【小話⑨ー3叔父と小さな姪の攻防の行方】
【小話⑨ー3】
「ロウ爺! 駄目でしょう!? お部屋でそんなものを振り回してはいけないのよ? ぶつかったりしたら危ないんだから! それにロウ爺はもういいお歳のお爺さんなのよ? 足だって悪いしフラフラしてるし、いつ死んだっておかしくないんだから。
リルだってロウ爺が死んじゃうなんて絶対絶対嫌だもん。だからクラウスの言うことをちゃんと聞いて大人しくしてなきゃ駄目よ?
それにお爺さんが若いなんていうのは『年寄りの冷や水』って言うのよ? 本当は全然若くないんだから! リルの言うことも聞いてくれないならアデイル様に言いつけちゃうからね」
「………………」
「………………」
そんなリルディアの言葉にロウエン将軍もそうだが、自分も言葉を失い唖然とする。
ーーいや、素直であるがゆえの言葉ではあるが、いくら自分でも本人を前にして言いにくい言葉をこうもはっきりと口に出して言ってしまうのは子供だからなのか、はたまたリルディアだからなのか、リルディアがまだ8歳だという事を思わず失念しそうになるーーー
…………どこからまた『年寄りの冷や水』なんて難しい知識を覚えてくるんだ。しかもまだ8歳だろう?
ーーああ、いや、今はそれも助かってはいるが…………こうして難しい事は直ぐに理解出来るのに、「建物内を走るな」とか簡単な事が理解出来ないのは何故なんだ?
そんなリルディアの言葉にロウエン将軍は頭を掻きながら伐の悪そうな顔をする。
「うう~む。我が娘にもよく言われてはいるが、それがリルディア王女のお言葉であると、尚更胸が苦しくて締め付けられますな。ーーはああ、そうか、私ももうそんな年齢なのですな」
そう言って肩を落とすロウエン将軍にリルディアは大きな目を見開くと、慌てた様にロウエン将軍の体に抱きつく。
「リルディア、だからむやみに異性に抱きついてはいけないとーーー」
私はそんな姪に注意するも、リルディアはロウエン将軍に抱きついたまま離れずこちらを振り向く。
「クラウス!! 大変!! 早く医者を呼んで!! ロウ爺、胸が苦しくて締めつけられるのですって! きっと今ので病気が悪くなったんだわ! お父様はお留守だし、ああ、どうしよう!? 早くしないとロウ爺が死んじゃう!!」
「…………ロウエン将軍」
今にも泣き出しそうな表情の姪を見て私はロウエン将軍の顔を見つめて睨むと、ロウエン将軍は狼狽える様に苦笑いを浮かべる。
「ああ、いや、申し訳ありません。心配をさせるつもりで言ったわけではなかったのですがーーああ、リルディア王女、大丈夫ですぞ? 胸など全然苦しくもないし、ほれ、こうして元気でおりますからな?」
そう言ってロウエン将軍は笑顔で力拳を作ってみせるも、リルディアは納得してはいないのか、その行動を制止させようと、その腕にしがみ付く。
「嘘よ! 騎士はどんなに痛い事があっても顔には出さないって聞いたもん! だから本当はすごく痛いんでしょう? ロウ爺は将軍だから我慢しているのよね? リル、絶対に誰にも言わないから大丈夫。だからもう動かないで大人しくしていて? リルが今、医者を呼んでくるからーーー」
「あ!? いや、だから本当に痛くも何ともないとーーー」
ロウエン将軍が慌てて引き留めようとするも、リルディアは素早く駆け出して部屋を出ようとする寸前で、私がその体を捕まえる。
「クラウス!? なに!? 早く!早くしないとロウ爺がーーー」
既にぽろぽろと涙を溢しながら訴える姪に私は深いため息を吐きながら、その小さな背中をポンポンと叩いて宥める。
「リルディア、大丈夫だから、少し落ち着きなさい。ーーロウエン将軍。 どうやら貴方を連れてきたのは私の間違いだったようです。
全く、どうしてくれるのです? それでなくとも陛下が留守であるというのに特にリルディアの説得には頭を使うのですよ? 言葉選びは慎重にしないと、リルディアに悪影響を及ぼしかねません」
「ああ、殿下、本当に申し訳ありません。相手は他ならぬリルディア王女でありましたな。しかもお泣かせしてしまうなどと陛下になんとお詫び申し上げればよいのかーーー」
そんな困惑するロウエン将軍を見てリルディアが私の体を小さな拳でポカポカと殴る。
「クラウスの石頭!! 病人を叱るなんて、いけない事よ? 病人は労らないと駄目だって母様が言っていたわ! クラウスが医者を呼んでくれないなら、リルが呼びに行ってくるから腕を離してよ!」
感情豊かに泣きながら怒る姪に私は再び深いため息をつきながら、リルディアの目線に合わせて床に膝を折る。
「リルディア、勿論医者はきちんと呼ぶから安心しなさい? 確かに病人を叱るのはいけない事だ。 だけど本当にロウエン将軍は病人ではないんだ。これがもし本当に病人であれば、どんなにロウエン将軍が頼んできても絶対にフォルセナから連れてきたりなどしない。
先ほどロウエン将軍が胸が苦しいとか締め付けられるとか言ったのは病気という意味ではなく、リルディアに叱られて恥ずかしかったからだよ。考えてもごらん? リルディアの父上よりもずっと年上の大人が子供に叱られるなんておかしい事だろう?」
「本当? ロウ爺は病気じゃないの?」
ようやく落ち着いたのか、リルディアが大人しくなったので、私は懐からハンカチを取り出し、リルディアの涙を拭いながら頷く。
「ああ、本当だ。 ロウエン将軍はフォルセナでも元気が有り余り過ぎて皆からも手を余されていたくらいだ。それでこれだけ元気でもあるし、どうしてもリルディアやブランノアの仲間に会いたいと言うから、それであればと一緒に連れて来たんだ。
だから先ほどの言葉もロウエン将軍の言い方が悪かっただけで、リルディアが心配する事はないよ。これで本当に病人であれば即刻ベッドに体を括り付けて動けなくするところだ」
するとリルディアは私に抱きついてギュッと強く私の服を握る。
「うん、病気じゃないならよかった。ロウ爺が死んじゃうなんて怖かったから。でもクラウスはリルに嘘はつかないからロウ爺は本当に元気なんだよね?」
「ああ、君に嘘はつかない。ロウエン将軍はこの様に私でも手を余すくらいに元気だから、リルディアが叱ってくれると助かるよ。将軍もリルディアの言うことなら大人しく聞いてくれるからね」
私の言葉にリルディアは顔を上げると満面の笑顔を向ける。
「うん! 任せて! リルがロウ爺をいっぱい叱ってあげる。 もしリルの言うことを聞かないなら、すっご~く苦いお薬飲ませちゃうんだから!」
そんな姪の純粋な愛らしさに自然と自分の顔にも笑みが浮かぶ。
「ああ、よろしく頼むよ。私も母上からロウエン将軍を頼まれている手前、怒られずに済む」
「えーーコッホン。 よろしいですかな?」
私達の会話の間を見計らう様にロウエン将軍の声が割って入る。
「お二人の仲睦まじさを、こうも見せつけられては、何とも一人居心地が悪い故、そろそろ私もお二人の会話のお仲間に入れてはもらえませんかな?」
そう言って私をニヤニヤしながら見つめるロウエン将軍を窘めるように睨む。
「仲睦まじいなどと言葉選びが違います。それに見せつけてもいません。私は貴方がリルディアに与えた誤解を解く為に叔父として説明していただけです。貴方の説明ではリルディアが益々混乱するかもしれないですから」
しかしそんな私に睨まれても、さすがは年長者だけあって、ロウエン将軍は動じる事もなく顎髭を撫でながら頷く。
「ーーふうむ。陛下が殿下に嫉妬なさるお気持ちがよく分かりもうした。殿下の前のリルディア王女があまりにも愛らしすぎて、これは男として嫉妬せずにはいられないですな。
しかもそんなリルディア王女にその様に縋りつかれてはどんな男も骨抜きにされてしまいましょう。殿下がなんともお羨ましい限りです。私もその様にリルディア王女を独り占めしてみたいものですな」
尚もわざとらしい含み笑いを浮かべてこちらを見つめるロウエン将軍に、大きなため息と共に首を横に振る。
「ロウエン将軍、そういう会話は私には通用しません。 陛下で十分過ぎるくらい慣れています。それに羨ましいがらずとも、その願い叶えて差し上げます。ーーリルディア」
私はロウエン将軍から視線をリルディアに移す。
「私はこれから仕事をしなくてはならない。だからロウエン将軍が退屈しない様にリルディアが相手をしてあげてくれないか? リルディアも久しぶりにロウエン将軍に会って話したい事も沢山あるだろう?」
するとリルディアは嬉しそうにその場で跳ねながら頷く。
「うん!! いっぱいある!! フォルセナのお話もいっぱい聞きたい!!」
「ーーだそうです、ロウエン将軍。ですから滞在中はリルディアの相手をお願いします。私は陛下への外交報告書の作成などで色々と忙しいのです。貴方であればリルディアを預けても安心ですから、陛下がいない間の父親代わりをお願いします」
そんなロウエン将軍は苦笑いを浮かべながら肩を竦める。
「やれやれ、私にリルディア王女の父親代わりなどと、第一騎士団隊長任より難しい事を申されますな。この私とて先ほど殿下からお叱りを受けたばかりだというのに」
「陛下が留守の間、リルディアを安心して任せられる人間が王城には殆どいない事は貴方もお分かりのはず。だからといって私もずっとリルディアの相手をしているわけにはいかないのです。
ですから貴方にお願いしたくてブランノアに連れて来たというのが私の本音でもあります。何よりリルディアが貴方に懐いている事ですし、お任せしてもよろしいですね?」
するとロウエン将軍が豪快に笑う。
「わはは、どうりで今回私がブランノアへの同行を願い出た時、いつもは必ず反対なさる殿下があっさりと同意されたので首を傾げておりましたが、なるほど、そういうご事情でありましたか。まあ、確かに仕事との両立は難しいやもしれませんな。ーーお分かり申した。このロウエンがお引き受けいたしますぞ?」
「ありがとうございます。話が早くて助かります。これで私も自分の仕事に集中する事が出来るでしょう。ですが将軍も気力は昔のままでも体は正直なものです。自身の年齢を考え、くれぐれも無理だけはしないで下さい。貴方に何かあれば、それは私の責任なのです
から」
「わはは、このように愛らしいリルディア王女に見張られていて無理など出来ますまい。したが殿下? たとえ私がリルディア王女のお相手をしていても、きっと王女は殿下の元に戻るゆえ、全てを逃れる事は出来ませんぞ? まあ、殿下は陛下の弟君ですからそこは私が申すまでもなく、よくお分かりのはず。
流れ続ける川を堰き止め続けては、いつか崩壊してしまうもの。それを事前に防ぐ為にも、どこかで 水を流してやる事も必要ですぞ?」
「ーーええ、分かっています。私にも息抜きは必要でしょうし、そこは出来るだけ対処しますから貴方は存分にリルディアを独り占めして下さい」
そうして私が疲れたと言わんばかりに、もう何度目になるか分からない深いため息をついていると、リルディアがそんな私の顔を下から覗き込んでくる。
「クラウス? 大丈夫? お疲れなの? リル、今日はロウ爺に遊んでもらうからクラウスはゆっくりお昼寝していてもいいよ?」
その言葉を聞いただけでも、自分の目的の達成感を実感する。
やはりロウエン将軍を連れて来て正解だった。兄が留守の間、姪のリルディアが心配で自分の時間の許す限り、なるべく城に滞在するようにはしていたものの、さすがにその間、毎日後を追われ続けてはそんな子供の無尽蔵の気力体力に大人がついて行けるわけがない。(いや、兄上ならば例外だろうがーーー)
しかも陛下の愛妾の娘でもあるリルディアにとって王城は王妃の勢力が強い為、リルディアの相手を任せられる相手はごく少数であり、更に加えてリルディアは他人の好き嫌いがはっきりしているので、父親が留守の間は尚更一人でいる事も多かっただけに、王妃の娘の姪達よりも特に気にかけてはいたのだが、
かといって、特別優しくした覚えもなく、しかも彼女の父母よりも何かにつけて口煩い叔父であるはずの自分に何故リルディアが懐いてくるのが不可解でならない。そんなリルディアは彼女の父親でもある兄と同じ性分だけに、他人が彼等を理解するには最も難解な親子ともいえる。
「ああ、大丈夫だよ。だけどやはり私も少し疲れているかもしれないからここはリルディアの言う通り、少しだけ休ませてもらおうかな。だからリルディア、すまないが私の代わりにロウエン将軍を頼むよ」
するとリルディアは嬉しそうに子供らしい屈託のない笑顔で再び私に抱きついてくる。
…………はあ。 だから、たとえ私が叔父とはいえ、こんな風に気安く「異性には抱きつくな」と言ってあるのに。
この直ぐに抱きつく癖がついたのは兄上のせいだな…………まだ肉親である私だから良いようなものの、これが他所の男に対しても同じ事をされたら、兄上は一体どうなさるつもりなんだ? 叔父である私でさえ、考えるだけでも腹立たしいというのにーーー
「うん! リルに任せて!! だからクラウスはゆっくり休んでね? ーーおやすみなさい」
「ーーありがとう。おやすみ、リルディア」
そんな私達の会話を聞いていたロウエン将軍は体を後ろに向けて何やら小声で呟くもその声はこちらの方までは聞こえなかった。
「陛下ーーお気持ちお察しいたしますぞ。さすがに老いた私でもこの場にいるのが恥ずかしくなるほどに、お二人が仲睦まじい」
【⑨ー続】