【小話⑧ー3真相~すれ違い】
【小話⑧ー3】
「クククッ、残念だが、私は『兄』である前に『父親』なのだ。そんな私が全面的に娘の味方であるのは当たり前だろう?
ーーそれに、だ。私の最愛の娘の『ファーストキス』を奪ったくせに、それでいて娘を拒絶するような不届き者の「男」には到底、味方など出来るわけがない。
娘の唇を奪った相手が誰なのか、私が暫く夜も眠れずに散々悩んだように、お前も散々悩め!! そして苦悩しろ!!」
それを聞いた瞬間、クラウスの表情が一瞬固まると、驚いたように国王の顔を見つめる。
「なっ!? どうしてそれを? リルディアが話したのですか?」
「フッーーやはりお前だったのか。これでようやく犯人に辿り着いたぞ? エルヴィラに止められていたからリルディアには聞くに聞けないし、それでもずっと密かに探してはいた。ーーまあ、最終的にはお前しか残らなかったのだがなーーー」
国王は驚く弟の様子にしてやったりの表情を浮かべて顎髭を撫でながら目を細める。
「…………鎌をかけるとはズルいではありませんか」
「ふん、ズルいのはどっちだ? 私が悩んでいたのを知っていただろうに、今までずっと黙っていたお前が悪い」
「言えるわけがないでしょう? ーー貴方に殺されます。しかしもう今更ですが弁解はさせて下さい。私は決して故意的に奪ったわけではありません。あれは予期せぬ『事故』のようなものだったのです。しかし私の不注意であったのは紛れもない事実。ずっと黙っておりました事、本当に申し訳ありませんでした」
「ふんーーまあ、唇を奪われたのはお前の方なのだろうが、そうやってリルディアを然り気無く庇う
『事故』とは何だ? 用心深いお前にしては不注意で相手に唇を奪われるなどと珍しい事だろう?」
「…………子供相手だと、つい油断しました。リルディアがあまりにも私の後をついて来て中々離れないものですから、執務室のソファーで寝たフリをして追い返そうとしたのですが、その時にーーー」
「フッ、寝込みを襲われるとは確かにお前の不注意だな?」
「ーー本当にお恥ずかしい限りです。しかしまさか子供がそんな事をするとは夢にも思わないでしょう?
それもどうやらリルディアは童話の本の中の眠ったままの相手をキスで起こす話を何も考えずに再現したようですが、それに関して私からリルディアにはそういう事は二度としないようにと、しっかりと注意をして、この件については口止めをしました。
そんなリルディア自身も全く分かってはいないようでしたし、これは子供が小動物などに思わずしてしまう行為と同じで、そういうものは『キス』の内には入らないとは思うのですが、それでもリルディアは貴方に話してしまったのですね」
「ーーいいや、たまたま会話の流れで発覚しただけだ。リルディアはきちんとお前の口止めを守って相手の名前は決して口に出す事は無かったぞ? ただリルディアの『ファーストキス』の相手が私だと思って喜んだら、それが『セカンドキス』だっただけに一気に落ち込んだがな」
それを聞いたクラウスの眉間に皺が寄ると、忽ち表情が険しくなる。
「それはまさか、リルディアは父親の貴方にも『キス』をしてしまったというのですか?」
「ーーああ、まあな。しかしお前はリルディアに一体どのように『キス』の説明をしたんだ? リルディアは全くと言っていいほど、『ファーストキス』の意味すら理解してはいなかったぞ? そもそもお前は教師だろうが」
「お言葉ですが、歴史と薬学専攻の男教師が『ファーストキス』とかそんな説明など出来ますか? そもそもそういったものは本来、家庭の教育係から教わるものです。
私がリルディアに説明したのは、眠っている相手を『キス』で起こすのは、それは本の中だけの話であるから、現実ではそれは絶対にやってはいけないと言い聞かせはしましたがーーー
しかし陛下! リルディアの教育係は一体何を教えているのです?『キス』の説明など異性教育として初歩的な話ではないのですか? それにきちんとそれなりに説明を受けてさえいればリルディアが私や陛下に『キス』をする事など無かったはずです。
まだ肉親である私や陛下であったからよかったものの、これが他所の男であったらどうなっていた事かーーくっ」
力一杯、拳を握り締めながら、やり切れなさを漂わせた冷ややかな低い口調で、人前では滅多に見せる事はない怒りの感情を現す弟を逆に国王が宥めにかかる。
「おいおい、お前が怒る気持ちも十分に分かるが、それについてはもう解決したから安心しろ。エルヴィラがしっかりとリルディアに『ファーストキス』の説明を私の目の前でしていたからな。リルディアもさすがに自覚はしていたようだから今後はそんな真似はしないだろう」
それを聞いたクラウスは、まだ眉間に皺は寄せてはいたが、少しだけ安堵の表情を浮かべるも直ぐに表情に影が落ちる。
「…………そうですか。しかし…………陛下ーー私がリルディアに口止めをして『キス』の事実を隠していた事に対して私を咎めないのですか? たとえ意味の持たない『キス』ではあっても事実は変える事は出来ないのは分かっています。私は如何なる処分でもお受けする所存です」
そんな暗く肩を落とす弟を見て国王は明るく笑いながら今度はその体がぐらつくほどに、弟の背中背中をバンバンと叩く。
「だからそんな深刻そうな顔をするな。如何にもお前らしいと言えばらしいが本当に融通の利かん真面目過ぎるというのも困ったものだな。それにお前を咎めるという事は、リルディアも一緒に咎めなければならなくなるではないか。そもそもリルディアがお前の寝込みを襲って『キス』をしたのだろう?
ああ、くそっ、エルヴィラの言う通りだ。リルディアの方が“手が早い”とか本当にそんな所まで私にそっくりだとは。お前はどうする? リルディアを咎められるのか? 一応被害者はお前なのだからな」
「何も知らない子供の行為を咎めるなどと、私をそんな了見の狭い大人にしないで下さい。しかも私は『男』です。 被害者というのならそれはやはりリルディアの方でしょう? それに『ファーストキス』と言うのは女性にとって、とても大切なものだと聞いています。何気のない事故とはいえ、リルディアの記憶に残らなければよいのですがーーー」
そんな真剣な面持ちで姪の心配をする弟を国王は自分の頭をくしゃくしゃと掻きながら口を開く。
「あーークラウスよ。本当はお前に教えるのはすごく癪だが、それだとリルディアが不憫なので教えておいてやる。
お前はリルディアが何も知らない子供だとは言うがな、幼いなりにあれもしっかり『女』なんだぞ? エルヴィラが『ファーストキス』の説明をまだ8つのリルディアに教えていた際にな、その説明を聞いた直後にリルディアが自分が一番大好きな男と『ファーストキス』をしたと言ったんだ。
いいか? 父親の私を除外した上での異性の“一番大好きな男”だぞ? リルディアにもその場で確認したから
間違いなどではない。つまり、リルディアにとっては、お前との『キス』は何の意味も持たない『キス』などではないのだ。だからそうやっていつまでもリルディアを子供扱いをして侮っていると、いつの間にか気付かない内にお前の方が捕まって喰われていたりしてな?」
そんな弟の反応を見て面白がろうとする国王の視線から逃れる様にクラウスは外の景色に顔を逸らす。
「そのようにご自分の愛娘を肉食獣のように仰らないで下さい。リルディアが聞いたら確実に怒られますよ?
………リルディアはまだ子供です。子供と言うのは身近の大人を見て背伸びをしたがるものです。そうして成長すると共に子供の頃の気持ちなど次第に忘れてゆくものなのですよ。ですからリルディアの執着も子供が気に入っている玩具に執着しているのと同じです。いずれは興味も薄れて飽きてしまい、その内自然と、気にもならなくなるでしょう」
クラウスは通路から見える外の景色を遠くに眺めながらもその口調は感情の見えない淡々としたものであり、国王はそんな弟の姿に大きなため息を吐く。
「はあぁーー全く。お前もどこまでも強情なヤツだな。そのように幾重にも防衛線を引いてよほど我が娘が怖いと見える。
ーーまあ、いい。まだ時間はあるんだ。さすがに今はまだ子供のリルディアに対して『女』として見ろと言うのも到底、無理な話ではあるからな。それにリルディアが16歳になるまでにはお前の気が変わるかもしれんから、それまで『保留』にしておいてやる。
ーーたとえリルディアがセルリアに嫁いだとしても私は娘を手放す気は全くないが、お前と一緒になればリルディアが国を出ていく事もなく私の傍に一生置いておける。お前だってリルディアが他所の国に行ってしまうのは嫌だろう?」
「ーーやはり、それが本音ですか。しかも嫁いでも手放さないなどとどれだけ常識外れなーーくっ」
そんな会話の途中、クラウスはその場に立ち止まると、太陽から差し込む強い日差しを肩からかけているマントで光を遮り両眼を手の平で押さえる。
「クラウス!! 大丈夫か!? ーーああ、今日は特に日差しが強い。なるべく外の景色は見るなよ!?」
国王はそんな弟を日差しから守るように己の体とマントで壁を作って光の差し込まない方にクラウスの体を移動させた。
「ーーええ、もう大丈夫です。ご心配をお掛けして申し訳ありません。ーー少し失礼致します」
クラウスは上着のポケットから小さな瓶を取り出すと、その中の液体を目に差し入れ、そして暫くハンカチで目を押さえてからようやく顔を上げる。
国王はそんな弟の様子に安堵の表情を見せるも、日差しが差し込んでいる側の廊下を忌々しげに見据えていた。
「ーー全く、この二日前までは大雨続きだったというのに、どうして今日に限って雲一つない晴天なのだ! せめて曇ってさえいればよいものをーーー」
そんな自然界の現象にまで文句をつける国王を見て、クラウスはフッと笑う。
「祭典の当日に晴天であってよかったではないですか。それに本日はリルディアの初の『祝福の聖乙女』の御披露目でもあるのですから、尚更天気が良くてよかった。
ーーそれに陛下も私の事は言えないですね。国王がそのような“むくれた不機嫌な顔”をしていては、祭りを楽しみにしている者達に失礼にあたるのではないですか?」
そんな弟の言葉に国王はふん、と鼻を鳴らす。
「ふん、お前というヤツは。“むくれた顔”と言ったのをまだ根に持っていたのか。お前は大人しそうに見えて言う事は言う奴だからな」
「貴方の弟ですからね。けれど根に持っているなどと心外です。私は陛下から受けた言葉をそのままお返し差し上げただけですから。
「フッ、相変わらず口の減らない奴だ。ーーそれで目の具合はどうなんだ? かなり悪いのか?」
国王は砕けた雰囲気から一変し、弟を心配そうに見つめている。
「ーーそう………ですね。正直に申し上げれば、日増しに病状は進行しています。今は薬で抑えているので日常の生活に支障はないのですが、やはりこのような強い日差しはさすがに堪えますね。本日の儀式が屋内であった事が幸いでした」
「ーーそうだな。………だがそれでも辛いなら直ぐに言え。無理はするなよ?」
「ありがとうございます。けれど大丈夫です。そこまで酷い状態ではないですから」
そう言って目を閉じたまま口許に僅かに笑みを作って見せる弟に国王が鼻で長い息をつく。
「ーーそれにしても本当にそのフォルセナ特有の紺碧の瞳に発症する後天性の持病というのは、なんとも忌々しくも厄介な病だな。数人に一人の確率で発症する後天性の疾患だけに、病の有無が発症するまで全く分からんとは。しかもイレーナやイルミナは発症してはおらぬのに、ブランノアの血統でもあるお前が今頃になってその病が発症するなどと、どうなっているのだ!?」
「それは仕方がありません。私の母上も過去に発症しておりますので、これはもう“遺伝”なのでしょう」
「クラウスーー『奉納祭』が終われば直ぐにフォルセナに発つのだろう? 王家の男子の病は秘密事項として周囲に隠さねばならんが、やはりリルディアだけには本当の事を話しておいた方が良いのではないか?
それでなくとも私はお前の結婚話の『一件』で、これ以上リルディアに秘密を作る事は出来ないのだ
ぞ。もしこれがリルディアに知れたら私は今度こそ嫌われてしまうではないか」
「その時は私がリルディアに許してもらえるまで謝罪しますから、陛下、どうか今回だけは私に協力して下さい。リルディアには要らぬ心配を掛けたくはないのです。それにもし本当の事を話せば、もしかしたら一緒に着いて来てしまうかもしれません。
私は目の治療の為に長期に渡ってフォルセナに滞在しなくてはならないのに、リルディアがフォルセナ国に滞在してはさすがに色々と問題がありますし、しかもセルリアへの体面もあります。陛下とてリルディアとは長い間離れる事など出来ないでしょう?」
「当たり前だ! 戦の遠征時は仕方ないが、そんなに長くリルディアと離れられるわけがなかろう。現時点では私やお前がいる手前、フォルセナがリルディアに何かをしてくるとは思わんが、それでも万が一、リルディアが人質にでも捕られてしまえば私には手も足も出せん!」
「ええ、ですからリルディアには私が勉学の為に外国に長期で留学するという事で口裏を合わせておいて頂きたいのです。勿論、目の治療と一緒に留学するのは本当の事ですからリルディアに嘘をつく事にはならないので、私の病の事だけを伏せて黙っていて下されば良いのです」
そんな弟の頼み事にも国王の顔は眉間に皺が幾つも寄ったまま、非常に渋い表情を浮かべて小さく唸る。
「むうぅぅ…………こればっかりはさすがに仕方のない事だからな。確かにお前の病の事を話せばリルディアは絶対にお前に着いて行くと言い出しかねないし、そんなリルディアに「駄目だ」と言ったところで、泣かれでもしたら私にはもう止められん。しかも外の世界はリルディアの身が危険に晒される可能性が尚更高くなる。
ーーリルディアに隠さねばならないのは私としては大変気が進まないが、しかしここはお前の言う通りにせざるを得ないだろうな。
………まあ、お前の病の事はごく一部の人間にしか知らぬ事だから口裏を合わせるのは容易いがしかし全てが明るみになった時、リルディアが絶対に激昂する事は間違いな無しだぞ? そしてお前といえども嫌われて口も利いてもらえなくなるぞ? 本当にどうなっても私は助けないからな?」
国王は渋々了承はしたものの、それでもまだ面白くないといった表情を浮かべたまま、ドスドスと強い足並みで、しかし差し込む日差しから弟を守るように己の体を壁にして前を歩いている。クラウスはそんな国王を見て小さく微笑むとその大きな背中に声を掛ける。
【⑧ー続】