【小話⑥ー2ミレニアとアニエス】
【小話⑥ー2】
「ーー本当に困った子ね。可愛いアニエス。貴女がユーリウス王子を好いているのは昔から知ってはいるけれど、先ほども言った通りあの王子は決して貴女のものにはなりませんわ。
たとえリルディアと王太子が婚約解消になって貴女がセルリアの王太子妃になれたとしても、それは“政略結婚”という名ばかりの妻であり貴女が不幸になるだけよ?
あの王子が愛しているのはリルディアなのです。だから貴女の想いは王子には決して届かない。夫に愛されず見向きすらされない王妃がどれだけ不幸であるかは貴女にもよく分かりますでしょう?
アニエス、私は夫を持った事で気付かされたのです。女は望まれて愛されてこそ幸せになれますのよ?
望まれもしない、愛されてもいない、体裁だけを整えた形だけの夫婦などただの赤の他人。互いに生物的には体を重ねられても、それは愛情などではなく娼館の女の扱いと同じ。違うのは子孫を残す為だけの
義務的な行為という事だけ。
貴女にはそういう生き方をして欲しくはないの。王族として政略結婚に異を唱える事は許されませんが、出来る事ならば貴女を心から愛してくれる者が夫となる事を姉として望んでいますわ。
だからこそ貴女の為を思って言うのですよ? セルリアの王太子の事は忘れなさい? そしてリルディアに関わってはなりません。あの子は色々な意味で『災いの種』なのです。得体の知れぬ災いは避けて遠ざけるのが賢い回避法というもの。
イルミナ姉上はあの通り大変お強い方なので心配は無用なのですけれど、貴女も姉上同様に自分から向かっていく気性でもあるので、これでも心配しておりますのよ?」
そんな姉の心配にもアニエスは視線を逸らしてそっぽを向くと膨れっ面で面白くなさげに口を開く。
「ミレニア姉上は昔とは違ってお変わりになられたわ? 昔の姉上ならば、リルディアなど所詮は妾腹の子供であり、私達とは雲泥の差で存在価値が違うのだと、同じ血が半分流れているだけでも屈辱的で穢らわしいと嫌悪されておりましたのに今では何も仰られませんのね?
母上でさえも今の姉上と同じく愛妾親子の事は「あの者達が何をしていようと関わらず捨て置け」と仰るだけ。イルミナ姉上は違う意味で変わられてしまわれたけれど、一体どういう心境の変化ですの? まさか母上も姉上もあの愛妾親子に屈しておしまいになられましたの?」
姉の腕をギュッと掴んだまま見つめるアニエスにミレニアはゆっくりと首を左右に振る。
「いいえ、屈したとかそういう事ではありません。母上も母上なりにお考えのあっての事でしょうし、私もいつまでも子供のままではいられませんわ。この貴族社会という『戦場』の中心に立たねばならないのですから。
いずれ貴女にも理解する時がくるでしょうけれど貴女は他の貴族の令嬢達と同じとはいかないのです。時には自分の感情を殺してでも賢く立ち回れる様に事を選択せねばなりません。
母上が貴女に何も仰られないのは貴女が大人になりきれてはいないからよ。そして貴女には出来ればデコルデ嬢と仲良くなって、こちらに引き入れてもらえれば良いのだけれど、あの令嬢は父親同様に賢く頭が切れる上、侯爵自体が個人的にフォルセナ側の人間を嫌っているので、こればっかりは難しい事ね」
それを聞いたアニエスは姉の腕を離すと捲し立てる。
「あの生意気なローズロッテと仲良くですって!? 冗談ではありませんわ! あの娘ほど無礼な女は他におりませんわよ! しかも王女である私に敬意すら払わずに、いつも無礼な口答えの数々を並べ立てるのです。
そして二言目には“デコルデ家を敵に回すと大変な事になる”と事もあろうに自分達の主君でもある王女に向かって脅し発言まで。たかが一貴族の令嬢の分際であまりにも傍若無人が過ぎますでしょう?
それなのに母上に申し上げても全く取り合っても下さらないし、逆に姉上の様に“機嫌を取って仲良くなさい”とまで仰るのよ? なぜこの私が格下の者の機嫌を取らねばなりませんのよ? 不愉快極まりませんわ。本来ならばあの者が私の機嫌を取るのが常識でありましょうに。
しかもデコルデ侯爵は父上の家臣であり私達にとっても家来であるはずなのに親子そろって私達王族を侮辱しておりますわ!
私は貴族の令嬢達の中でもローズロッテだけは大嫌いです! あの女が今までの数々の無礼を床に膝まづいて泣いて詫びる事でもない限り絶対に仲良くなど出来ませんわ!」
一気に捲し立てて息の荒いアニエスを宥める様に紅茶を口にするよう勧める。
困った子ねーーこのプライドの高さは母上譲りでもあるから仕方のない事なのだけれど、このように高飛車で傲慢になってしまっては周りから嫌われ孤立してしまう。
母上が乳母を立てずに直接ご自分でアニエスを育てたのが全て仇となってしまわれたわね。アニエスは確かに性格は悪いけれど、それでも姉の体を気遣う優しい一面も持っているのに、母上から刷り込まれた『自尊心』がここまでアニエスの性格に影響してしまうなんて本当に可哀想で不憫な子ーーー
ミレニアは口には出す事のない同情の言葉を妹に向けながらもゆっくりと首を振る。
「アニエス、落ち着いて? 貴女が侯爵令嬢を嫌っているのはよく分かりましたから仲良くしろなどとはもう言いませんわ。けれどデコルデ侯爵家を敵に回せない事は『事実』なのです。
あの家の影響力はそれほどに大きく侯爵家一族だけで一国を新たに建立する事も可能なほどに大きいのだと言えば理解出来るでしょう?
それでもデコルデ嬢はとても賢い方なので貴女との喧嘩くらいで私情に走るほど愚かではないでしょうから私達と表立って敵対する事はないとは思いますが、リルディアとその母親の扱いにだけはくれぐれも行き過ぎない様に気を付けるのですよ?
あの親子に対しての私達の言葉や態度には父上は看過されてはおりますが、その父上の忠告を無視して危害に及ぶ様であれば、例え血を分けた肉親であろうとも容赦なく王家から排斥される事でしょう」
そんなミレニアの言葉にアニエスは不満げな顔で反論する。
「排斥ですって!? そんな事が出来るはずがありませんでしょう? 私達は父上の実子でありしかもフォルセナ王家の血縁ですのよ? 私達こそがこの世で最も高貴な血族の人間であり人々から敬われなければなりませんのに、何故あのような卑しい血を引く者達の方が大切に扱われなければなりませんのよ!
それにリルディアなど本当に父上の子供であるのか疑わしいところですわ。あの娘は父上の面影すらも見当たらないくらい全く似てはおりませんし、母親が酒場の娘ですもの。母親のあれだけ男を誘う容姿があれば今まで沢山の男達を囲っていたに決まっておりますわよ! ですからリルディアの本当の父親はきっとその中の一人でーーー」
パッチンーーー
部屋には雷鳴の音ではなく軽い平手打ちの音が短く響く。そして突然ミレニアに両頬を軽く叩かれたアニエスと控えていた侍女達が唖然としてその場に固まり、ミレニアはそんなアニエスの頬を両手で当てたまま険しい表情で見つめる。
「アニエス、今の言葉は聞かなかった事にしますわ。勿論、この部屋での会話は私達の侍女達にも決して他言しない様、きつく厳命致します」
「ミレニア姉上!??」
「アニエス、貴女はまだまだ子供ね。何でも感情のままに口に出すのは子供の所作です。リルディアは間違いなく父上の血を引く子供です。それは国王である父上がご自分の実子として、はっきりと認知されています。今の貴女の発言は国王に対する最上級の『侮辱罪』であり、それは『不敬罪』などよりもより重い罪になるのですよ?
もし今の発言を国王や臣下達の前で申したならば、貴女は間違いなく王族から除籍されるばかりではなくこの国にもいられなくなるでしょう。もしくは最悪、罪人として幽閉されてもおかしくはありません。
そうなったとしても母上も伯父上であるフォルセナ国王でさえも、そんな貴女を擁護する事が難しくなります。ですから国王の言葉を疑う発言は絶対に口に出してはなりません。
アニエス、大人になりなさい? そして自分を守る為の知識を身に付けるのです。たとえ王族であっても周りの人間が必ずしも我らの味方とは限らない。隙を見せればいつ足元を掬われるかも分からないーー貴族社会とはそういう世界なのです。
そして私達は国王の子ではあっても国王にとっては『戦略の駒』にしか過ぎません。利用価値がなければ簡単に切り捨てられます。私達の父親はそれが出来る人間なのですよ?」
するとアニエスは姉の手を振り払う様に首を振る。
「ミレニア姉上はいつもお考え過ぎなのですわ! それに私だって王室の人間としてそれくらいは十分に理解しております。ですから父上はリルディアも同じくご自分の『戦略の駒』としてセルリア王家に嫁がせるおつもりなのでしょう? それこそが貴族社会の常識ですもの。
ならばセルリアに嫁ぐのはリルディアでなくとも良いはずです。しかもユーリウス王子があの子を“愛している”などと、それは姉上の大きな勘違いですわ!
あの子とユーリウス王子が対面したのは国の行事がある時くらいで数えるほどしかありませんのにその様な感情が動くわけがありません。しかも数で言えば私の方が王子との対面数はずっと多いですのよ? それに7歳も歳の差があるあの子は王子にとっては幼い子供過ぎて恋愛対象にすらなりませんもの。
今はユーリウス王子もあの子の我儘に振り回されているだけですわ。リルディアのきまぐれは今に始まった事ではないのですもの。好奇心旺盛な子供が目新しい玩具を欲しがっていたというだけ。手に入ってさえしまえば直ぐに飽きる。ですからあの子はきっと王子の事など、もう何とも思ってはおりませんわよ。あの子の態度を見れば分かりますでしょう?
それこそセルリア王家に対する侮辱でもあり我が国も面目が立ちませんわ。だからこそ一刻も早く『婚約解消』をさせた方が良いのです。そうでなければ婚姻の適齢期にあるユーリウス王子がお気の毒です。セルリア王家にしても唯一の世継ぎの王太子だけに王子の婚期の遅れは国にとっても大きな問題ですものね。
やはりここは母上にお願いしてあの子の『婚約解消』を父上に働きかけて頂きますわ! ーーいえ、一番手っ取り早いのはクラウス叔父上ですわね。叔父上からの言葉であればあの子も素直に言うことをきくでしょう?」
そんな妹の私情の含む言葉にミレニアは小さくため息をつきながら首を横に振る。
「ーーはあ、今の貴女には何を言っても無理な様ですわね。 まだ歳若い娘ですから仕方がない事ではあるのでしょうけれど、リルディアはあの通り、大人の貴族社会に身を置いているせいか外見は元より中身も早熟なのですわ。何より精神年齢は実年齢よりもかなり高い。あの子は子供であって子供にあらずーー十分に恋愛対象にもなってよ?
己を卑下するつもりはありませんけれど『女』としてあの子の美貌や魅力に太刀打ち出来る者はまずいないでしょう。貴女も例外ではありません。
そしてユーリウス王子はそんなあの子に既に魅せられてしまっているので、王子のあの子を見る瞳は“恋をする”者の瞳です。たとえ婚約解消となったとしても王子の瞳は決して貴女には向けられない。ですから諦めなさいと言ったのです。貴女が不幸になるだけです。
ーーやはり貴女の為にも、そろそろ結婚相手を探した方が良いのかもしれませんわね。父上に相手を勝手都合で選ばれるよりもフォルセナの国王にお願いした方が貴女にお似合いの素晴らしい殿方を引き合わせて下さる事でしょう。
私は貴女にはこの国に縛られず、外の国で最良の夫君を得て幸せに暮らす事を貴女の姉として望んでいますわ」
そんな真摯に見つめるミレニアの視線から逃れる様にアニエスは顔を逸らして腰掛けていたソファーから急に立ち上がる。
「嫌です! 私はミレニア姉上の様に臆病ではありませんわ! 他人の言いなりになどなりません。私が婚姻を結ぶ相手にしても自分で選びます。それに私はまだ若く結婚を急くような年齢ではありませんもの。己の一生に関わる事に妥協など致しませんわ。
しかも同じ王女であるのにあの子には出来てこの私に出来ないなどと、そのような事があるはずがありませんでしょう? 私は諦めたりなど致しませんわ! 雑種のリルディアなどに純血の王族であるこの私が何においても敗北するなどあり得ません!
…………ミレニア姉上、長々とお邪魔致しましたわ。雷も遠くに行ってしまった様ですし、そろそろ部屋に戻ります。姉上もご懐妊され体調を崩されやすいのですから書き物などに熱中されずにお休み下さいませ。また母上に叱られてしまいましてよ?」
「ふふっ、ええ、そうですわね。その様に皆に心配を掛けてしまうので体調管理には気を付けますわ。けれど貴女の方はもう大丈夫ですの? もう少しここに残っていても良いのよ?」
そんなアニエスの切り替えの速さにミレニアは笑みを浮かべながら引き留めるとアニエスは取り澄ませた表情を見せる。
「大丈夫ですわ! 本当は雷など少しも怖くなどないのです。大きな雷鳴の音に驚いただけなのですもの。王女の私に怖いものなどありはしませんわ」
そうは言いながらもアニエスが雨風の窓硝子をガタガタと叩きつける音を気にしているのが見て分かる。
「ふふ、アニエス、またいつでもいらっしゃい? 私に気兼ねはいらなくてよ? 貴女は私の可愛い妹ですもの」
そしてミレニアが見送りに立とうとすると、アニエスは「そのままでいらして?」と手で姉の動きを制止する動作を取り、一礼の挨拶をすると自分の侍女を連れ
静かに部屋を退出して行った。
【⑥ー続】