【小話⑥ミレニアとアニエス】
【小話⑥】
外は数日に続く季節外れの嵐で風と共に激しい雨が窓の硝子を叩きつける音が響く。近くで鈍く低い雷鳴が時折ゴロゴロと唸り、
この部屋の主である第二王女のミレニアは自分付きの怖がりの若い侍女達を早々に自室に下がらせ、古参の信頼の高い侍女一人だけを側に置いて道楽から始めた趣味に没頭する。
「ミレニア様、雨も激しくなってまいりましたし、カーテンをお閉め致しましょうか?」
侍女のクレアに声を掛けられミレニアは手元の筆を止めると、顔を上げて窓の外に視線を向ける。
「ああ、まだこのままで良いわ。丁度雰囲気が出てきて良い具合なの。こんな季節外れの酷い嵐など中々お目に掛かれるものではないでしょう? いつも以上に創作意欲が湧いて雷鳴の音さえ心地良い」
そんな主にクレアは少し厚手の掛け布を持ってくる。
「それでも本日は少しお寒うございます。こちらの掛け布とお取り替え下さいませ。お体の事もございます。あまり根を詰められぬ様、大事をお取り下さい」
ミレニアはクレアからそれを受け取ると、自分が膝に掛けていた薄手の掛け布を渡す。
「ああ、ありがとう。勿論分かっておりますわ。ほどほどにと言うのでしょう? それにしても私に子が出来たというだけで皆、随分と過敏になり過ぎだこと。
お陰であれも駄目これも駄目と行動すら制限されて、今はこれしか道楽がありませんのよ? ですからこのくらいは大目に見てくれても良いでしょう?」
「ミレニア様、皆が過敏になるのも当然でございますよ? ミレニア様のお腹の御子はこの国の将来の君主となるべき御方になるやもしれないのです。ですから決してご無理はなさらず御子がお生まれになるまでは大事になさって下さい」
心配げな表情を向けるクレアにミレニアはお腹を擦りながら微笑む。
「ふふっ、この子も随分と期待をされて困っているでしょうね。ですが残念ながら私が思うに、この子は『女』だと思いますわ。我が父上は“女種”しかお持ちではない様ですし、我が夫君の血族も女が多いとか。ですから間違いなくこの子は『女』でしょう。ーーうふふ、残念でしたわね」
するとクレアが首を振って否定を示す。
「ミレニア様! まだ諦められてはなりません。お腹の御子の性別は“天の定め”で決まるものです。それに陛下のお父上である前国王の御子は皆、『男』ではありませんか。ですからきっとミレニア様の御子は『男』でございますよ?」
そう言ってクレアは懸命に自分の主を励ましているが、対してミレニアは相変わらず落ち着いた様子で小さく笑う。
「ふふっ、“天の定め”確かに。皆の期待通り『男』でしたら良いですわね? それなら私も少しは父上の関心を引けるのかしら?」
「ミレニア様…………」
そんなクレアの同情の浮かぶ視線にミレニアは首を横に振る。
「ふふっ、そんな顔をしないで? ちょっと言ってみただけですわ。私も感傷に浸るほど子供ではないし、自分の立場は十分に理解しておりますもの。私はこの国の『手駒』として、父上から利用価値があると思われているだけ幸せな方ですのよ? 貴族社会にあっては、例え血を分けた実子であろうとも、家の為にもならない役立たずの末路は不幸なものですもの」
政略結婚でフォルセナから嫁いできた母から生まれたミレニアを含む三人の王女達が実の父親である国王からの愛情は一切無く、政略の道具としてしか見なされていない事を王城の皆が周知しているだけに、そんな王女達に仕える者達は口を噤むしかない。
「幸い私の結婚相手はフォルセナ王家の息の掛かった貴族で良かったのです。これが何の縁もゆかりも無い他の国の者であったなら、私は父上から見捨てられたも同然の扱いだったのかもしれないのですから。
事実、私は王女としての価値はあれど女としての容姿には恵まれてはおりませんから、この縁談が無ければもしかすると、どこかの国の年老いた国王の後添いか側室。もしくは財があるだけの醜悪な貴族の男をあてがわれていたのかもしれませんし、それを思えば我が夫君は将来を有望視されたフォルセナ国王のお墨付きですものね。
しかも政略結婚でありながら夫君からの愛情もあり、今の私は結婚する前よりもずっと幸せなのですもの。素晴らしい伴侶を与えて下さった父上やフォルセナ国王には大変感謝しておりますわ」
主の言葉を聞いてクレアは安心したように涙目を潤ませながら微笑む。
「ミレニア様は今すごくお幸せなのですね。本当に本当に良うございました。それに少し雰囲気もお変わりになられて柔らかく穏やかになられましたよ? ーーふふっ、全ては御夫君の愛情の賜物でもありますわね?」
それを聞いたミレニアは少しだけはにかむような表情を向けながら否定する。
「クレア? 自分の主をひやかすなんて古参の侍女としてなってはおりませんわよ? 確かに私は夫君に恵まれはしましたけれど、これはあくまで“政略結婚”なのです。ですから私が夫に愛情を持つかは問題外。
そしてこの縁組みは王家の人間としての責務でもあり、私の『後ろ盾』をより一層強化する為にも必要であったというだけです。ですから私に甘い感情など一切持ち合わせてなどいないのですよ?」
しかしクレアは微笑んだまま手際良く手を動かしながら、お茶の支度を始める。
「ふふっ、はい。申し訳ございません。ミレニア様がすごくお幸せそうなので私も嬉しくてつい口が過ぎてしまいました。それでも例え政略結婚であろうと私は長年お仕えしているミレニア様がお幸せならばそれだけで良いのです。
御夫君からの愛情を受け、子を産み母となる事で自然と愛情も伸びやかに育つものですわ。ミレニア様の御子様が今から楽しみですわね?」
「はあ、本当に口の過ぎる侍女だこと。昔から貴女だけには敵わなくてよ?」
ミレニアは小さく息をついてクレアのお茶の支度に合わせて自分のテーブルの上を少し片付けていると、そんなお茶の時間に合わせた様に突然控えめに部屋の扉が叩かれる。
するとミレニアは扉の向こうの訪問者が誰なのか既に察しがついているのかフッと口許に笑みが浮かぶ。
「ーーフッ、やはり年齢を重ねても今だ雷が苦手なのは変わってはいない様ですわね? いつまでも子供で困ったこと」
「ミレニア様、そんな事を仰ってはなりませんわ? アニエス様にとってミレニア様は唯一甘える事がお出来になる姉上様なのですから」
クレアはいったんお茶の支度の手を止め主と視線を合わせて一礼し扉の方へと向かう。そして静かに扉を開けるとそこには相手を違う事なく、ミレニアの妹である第三王女のアニエスが侍女を一人伴い差し入れのバスケットを持たせて立っていた。
「ごきげんよう、ミレニア姉上様。本日のお体の具合は如何?」
姉の様子を伺う様に気遣いながらアニエスが声を掛けると、ミレニアは笑顔で自分の妹を部屋の中へと迎え入れる。
「ごきげんよう、アニエス。お気遣いありがとう。このような悪天候に反して私の方は調子が良いのよ? 貴女の方は如何?『奉納祭』の準備で忙しいのではないの?」
「ええ、そうなのですけれど、本日はこのような状態ですので復習は取り止めに致しましたの。それで二日後には私も『大神殿』の方に入りますので、姉上にご挨拶も兼ねてお見舞いに伺ったのですけれど、少しだけお邪魔してもよろしくて?」
「ふふっ、勿論でしてよ? 丁度お茶の支度をして貰っていたところなの。さあ、こちらにおいでなさい? 貴女の『聖乙女』のお話を是非聞きたいわ?」
そんなミレニアの優しげな言葉にアニエスはすごく嬉しそうな表情で自分の侍女に差し入れで持ってきた果物入りのバスケットをクレアに渡させると、姉と対面する様にテーブルにつくも、
その時、近付いていた雷の雷光が窓から差し込んだかと思うと、次の瞬間、ドォォォンと雷鳴が大きな音を立てて落雷したので、アニエスは悲鳴を上げて腰掛けた椅子から飛び上がる様にして席を立つと慌ててミレニアの腕にしがみつく。
「貴女は相変わらず雷が苦手ですのね。大丈夫? ここは窓が近いのであちらのソファーに行きましょうか? ーークレア、やはり窓のカーテンを全て閉めてもらえますかしら?」
「畏まりました」とクレアは一礼し、アニエスの侍女と一緒に窓のカーテンを閉めていく。そしてミレニアは怖がる妹をソファーに座らせると安心させるように自分にしがみついているその腕をゆっくりと擦る。
「ふふっ、こうしていると、まだ幼き頃の貴女を思い出しますわね。成長に伴って貴女の“雷嫌い”も自然と治るものだと思っていたのだけれど、子供の頃よりも更に酷くなったのではない?
「ほ、本日は特別ですわ。こんな大きな雷など滅多にある事ではありませんもの。雷鳴があまりにも大きいので、あまり聞き慣れてはいないだけに少し驚いただけです。決して怖いなどと思ってはーーー」
ドオオォォォォン!!
「きゃああああっ!!」
再び大きな雷鳴と共に落雷すると、その振動が窓に伝わりガタガタと激しく音を立てて揺さぶったので、アニエスは更にミレニアの腕にしがみつく。
「ああ、今のは少し大きい様ですわね。大丈夫よ?アニエス。雷が怖いのは貴女だけではなくてよ? 子供や若い娘などは大概が雷を苦手としていますわ。ですから私付きの若い侍女達も怖がるのでクレアだけを残して皆、部屋に下がらせているのですもの。
王族が人前で『弱点』を見せるのはよろしくない事だけれど、ここには私と信頼の置ける侍女達しかいないのですから、そんなに強がらずとも良いのよ? 王族であろうと怖いものは怖いのですもの。雷が遠くに去ってしまうまでこのままこの部屋にいると良いですわ」
「姉上、ありがとうございます。お言葉に甘えてそうさせて頂きますわ」
そうしてアニエスはしばらく姉の腕にしがみついていたが、雷鳴が次第に離れていったので少し落ち着いてきたのか、姉の腕から手を離して大きく息を吐いて呼吸を整える。それを見てミレニアは含み笑いを浮かべながらそんな妹の顔を下から覗き込む。
「うふふ、それにしても貴女がこんなに大人しくてしおらしい姿なんて、この嵐同様に滅多に見られない事ですわね。あのデコルデ嬢やリルディアが知ったらさぞ驚くでしょうに」
するとアニエスは表情を険しく顰める。
「冗談ではありませんわ! あの二人にこの様な姿を絶対に見せられるはずがありませんでしょう!? あの者達に知られて笑い者にされるくらいなら、いっそ雷に打たれて死んだ方がまだマシですわ!」
そんないつものアニエスらしい言葉にミレニアは優しげに微笑みながらも小さく息をつく。
「貴女の大嫌いな雷よりも、あの二人の方が上だなんて相変わらず仲が悪い様ですわね。リルディアはともかく、デコルデ嬢と貴女は年齢も近いし趣向も似通っていて貴女の良き友人ともなれますのに、そこまで毛嫌いする事もないでしょう?
しかもデコルデ侯爵家を手中にすれば、あの一族は扱いが難しいでしょうけれど、これほど心強い『後ろ盾』はありませんのに、それをリルディア側に付かれてしまっては今やこの国の実権はあの子にあるといってもおかしくはないのですよ?
それを踏まえればリルディアが『女』である事が
幸いでした。もしあの子が『男』であったなら私達が窮地に立たされていたかもしれないのですから」
そんな姉の言葉にアニエスは呆れた表情で笑いながら肩を竦める。
「母上も姉上もリルディアを買い被り過ぎですわ。あの子はただの我儘な娘です。確かに父上はあの子の言いなりではありますけれど、私達とて父上の血を分けた実子であり蔑ろにされているわけではありませんし、父上は私達のお願いも聞き入れて下さっておりますわ。
それに私達は正統な血筋の王家の人間でありしかもフォルセナ王家という『最強の盾』があるのですもの。リルディアやデコルデ家など何を恐れる事がありましょう? それに所詮、リルディアは『女』ですもの。私達の脅威になどなり得ませんわよ。
私、いずれあの子の『化けの皮』を剥がしてセルリアの王太子をあの性悪魔女の毒牙から救って差し上げるのですわ! 自分の立場もわきまえず、セルリアの王太子妃になろうなどとセルリア王家を侮辱しておりますわよ。
同じブランノアの王女であるならブランノアとフォルセナ王家の血統の私こそがセルリアの王太子妃として最も相応しい相手ですのに、父上もどうかしておりますわ!
リルディアなどそれこそデコルデの子息にでも、くれてやれば良いのです。令嬢ともあれだけ親密なのですから丁度良いではありませんか! 本当にその方がお似合いですのに!」
雷鳴はまだ時折音を立ててはいるのだが、アニエスは自分の苛立ちの方が勝っているのか気にも留めずに自分のドレスをギリギリと握っている。それを見てミレニアは長いため息をつくと出された紅茶を口に運ぶ。
「アニエスーー王族である貴女にはもう少し『政治』の中身というものをお勉強して欲しいのですけれど、こればっかりは本人の問題ですから助言しか出来ませんわね。
アニエス、残念ですがセルリアの王太子は貴女のものにはなりませんわ。リルディアの心変わりでもない限り、現状であの子がセルリアの王太子に嫁ぐのは国同士の『成約』でもあるのです。
通常の貴族間の婚姻とは違い、王家同士の婚姻は互いの国の『政治』においての取り引きであり『約束事』なのです。ですからどちらか一方が解約を申し出たとしても、相手国が合意しない限り『成約』は解約出来ない事になっているのです。
そしてどちらも一方的な不利益にならない様に『成約の儀』という儀式で互いの国の君主がそれぞれに他国の君主を保証人に立てて『誓約書』を交わしているので、そこには万が一の『違約行為』が起こらない様に
保証人となった国への保証金が納められており、更に『誓約書』には違約時の相手に対する莫大な補償金の支払いと領土の一部の譲渡が明記されているので、解約するという事はかなり難しいでしょう。
それでも合意なくして『成約』を解除するという事は、すなわち『戦争』という手段を取らざるを得ないという事です。ーー貴女もそれは王家教育の一環として教わっているはずですわよね?」
「ううっ、ですがあの子の場合はそこまで深刻になる事ではありませんわよ。リルディアは王女として認知はされてはいても所詮、母親は市井の人間ですわ。そんなあの娘に国家規模の『価値』などありませんわよ。
しかも世間の常識として平民の血を引く娘が王家のしかも世継ぎの王太子の正妃になるなどと、妾ならまだしも、あり得ない事ですわ。そもそもセルリアの王太子との婚約にしても元はあの子の気紛れな我儘から起こった事ですもの。心変わりなど直ぐに婚約解消となりますわ。
事実、あの子が現在執心しているのはクラウス叔父上ですもの。叔父上には子供の我儘に振り回されて大変お気の毒ですけれど、セルリア王家の為にもユーリウス王子をリルディアから解放する手段として一役買って頂きますわ。ですから姉上もご協力願えません事? あのリルディアが悔しがる姿を見られるかもしれませんのよ?ーーー」
ドッドォォォンーーー
「きゃあああっ!!」
過ぎ去ったと思われた落雷の音が再び大きく鳴り響き、地鳴りの様な振動が激しく窓を震わせたので同時にアニエスはミレニアの体に抱きつく。そんな妹を見つめながらミレニアは小さなため息をついた。
【⑥ー続】