【小話①ー2俺と陛下と夜光の歌姫】
【小話①ー2】
そしてそんな陛下と過ごす時間が長くなり、月日が流れたーーそんなある日のことだ。
いつものように戦で遠征に出掛け、その相手国がいともあっさり降伏してしまったので陛下は物足りないと不機嫌だったが、俺は無駄な血が流れずに済んで内心胸を撫で下ろしていた。
その夜、陛下は不完全燃焼で終わってしまった戦のストレスを解消すると言って、数人の騎士達を連れてお忍びで夜の城下街へ出掛けると言い出した。
酒場に行くのは分かっていたので「明日の早朝にはここを離れて帰還するのだから深酒はするな」と陛下に釘を刺すと、本人は「分かった、分かった」と面倒くさそうに手をヒラヒラさせて出掛けていった。
本当に分かっているんだろうな? 泥酔状態で帰還なんて冗談じゃないぞ。ーーと思いながら、自分は残って国に帰還する準備を始めていた。
そして明け方近くに戻って来た陛下はその肩に昨晩出て行った時には無かった“それ”を担いで帰ってきた。
「…………陛下、その肩に担いでいるものはなんだ?」
昨晩まではずっと不機嫌だった様子が一変して今ではすこぶる上機嫌で心配をしていた泥酔状態ではなかったのは助かるが、その肩に担いでいる“モノ”が気になってしょうがない。
「ははは、これは私の戦利品だ。可愛いだろう?」
陛下の肩には両腕と両足を縛られ口許を布で塞がれた少女が必死でもがいて暴れている。
「戦利品って、一体どこで拐ってきたんだ?」
訝しげに眉間に皺を寄せて問い詰める。どう見てもまだほんの年若い少女だ。必死で暴れるその少女をしっかりと抱えながら陛下は俺の質問に答えた。
「城下の酒場で見つけた。でも拐ってきたのではないぞ? ちゃんと娘の両親に許可を得て貰ってきた」
「は? どう見ても拐ってきたとしか思えんだろう、その様子じゃ」
どう見ても娘は縛られ口を塞がれて必死でもがいて逃れようとしている。その状態でどう見れば両親に許可など得ていると思えるんだ。
「………陛下、戯れもいい加減にしろ。どう見ても本気で嫌がっている。それに見たところまだほんの少女だろう? いいから家に帰してやれ」
俺の言葉を聞いて、今まで暴れていた少女が動きを止めて、俺の顔をジッと見つめて視線で助けを求めている。少女は見たところまだ10代後半くらいで陛下の娘の王女達とさほど歳は変わらないようだ。ただ明らかに違うのはその容姿。
まだ年若い少女だったが、長くクセもなく真っ直ぐに伸びた黒髪はとても艶やかな美しい髪質で、風になびくその様は少女であるにもかかわらず大人の色香すら醸し出している。
そして少し切れ長気味の大きな黒い瞳はとても印象的で意志の強さが視線に宿り、また若くハリのある美しい滑らかな白い肌は黒い髪と瞳に対照的に映えて、その肢体もすらっと伸びた手足や細い腰、細い手首や足首、顔は半分は隠れてはいるが、これは女の中でも『特上級の一級品』だと一目で分かる。
たぶんこの少女は世にも希少な『絶世の美女』というやつだ。確かにこれほどの美しい娘なら陛下が拐ってきたとしてもおかしくはないが、陛下のすこぶる上機嫌からしていつもの戦の先でたまに気紛れに見目のいい娘を拐ってくることはあっても、その時とは明らかに態度が違う。
「貰ったんだと言っただろう? だからこれはもう私の“モノ”だ」
俺は陛下の「貰った」発言が信じられずに昨晩陛下と一緒にお供をしていた自分の部下に確認を取る。
「おい、陛下の言っていることは本当なのか?」
すると部下達はそれぞれ顔を見合わせて言いにくそうに、それでも小声で報告をする。
「その、貰ったといいますか、陛下はご自分の素性をあの娘の両親に明かして、まあ、許可させたというかーーー」
目立たない様お忍びで行ったのに素性を明かして強引に連れてきたのか…………
「お前達、一緒にいて止めなかったのか?」
「無理ですよ。 陛下はあの娘をいたく気に入ってしまって「何が何でも連れて帰る」と言うんですから」
「隊長もあの娘を見たら分かるでしょう? まだ16歳だそうですが、世にも稀なすごい美女ですよ。しかもその歌声がさらにすごいんです!!」
「歌声?」
俺が首を傾げると部下達は口々にその素晴らしさを語り出す。
「娘の実家がこの町で一番の大きな酒場で娘はそこの看板娘だったんです。しかもこの国周辺ではかなり名の知れた娘で『夜光の歌姫』と呼ばれているそうです」
「ーーやこうの歌姫?」
「えっと、あの満月の夜にだけ美しい鳴き声を上げるあの“夜光鳥”の夜光です。確かにそう呼ばれるだけあって本当にすごい歌声なんですよ。俺、あんなにすごい歌声は初めて聴きました」
「なんというか、すごく透き通った伸びるような歌声で聞いていると何だかこう胸が熱くなってくるというか、苦しくなってくると言うか、本当になんと言えばいいのか言い表せないくらい、とにかく“すごい”としか言い様がないんです」
「ああ、お前なんか歌を聞いて号泣していたもんな」
「俺だけじゃないだろう? 他にだって結構泣いていた奴いたぞ?」
「ああ、本当に隊長も一緒に来ればよかったのに。あ、でも陛下がその歌姫を連れて来てしまったからもういいのか。これからは自分の国であの歌声を聞けるのなら、歌姫を連れて来た陛下に感謝しなくては」
「ああ、確かに陛下の仰る通り、まさに『戦利品』だよな。隊長あの娘、実はこの国の生きた『国宝』だったらしいですよ? あの娘がいたおかげであちらこちらからその“噂”を聞きつけた人間がこの国に集まってきては金を落としていくので、こんな小さな国でもここまで栄えていたのは、あの娘が国の財政を支えていたといっても過言ではないとのことで」
部下達の話を聞いて「なるほど」と納得した。あの娘は本当に希少価値のある娘のようだ。あんな小さな体一つで『国宝』と呼ばれ一国の財政をも支えていたとは驚きだとしか言いようがない。
もしかしたら金銀宝石などよりも、ずっと価値のある娘ではないのか? ならば我が国にとっても娘の存在は国に利をもたらす我が国の生きた『国宝』と呼ばれることになるだろう。だから陛下は娘を強引に拐ってきたのだろうと考えていた時、部下がそれを覆すような言葉を言った。
「いや、でも驚くのはそれだけじゃなくて、あの娘、外見はあんなに可憐で儚くて美しくて、まさに『絶世の美女』なのにそこはやはり酒場の娘だからなんでしょうね。なんというか、気の強いというか口が悪いというか育ちが悪いというか、とにかく喧嘩早くて、とんでもないじゃじゃ馬娘でーーー」
ーー気が強い? 口が悪い? 喧嘩早い?
「そうそう、俺、憧れていただけに一気に現実に引き戻されました。ーーああ、思い出しただけでもショックだっ!!」
「黙っていれば文句なしのすごい美女なんだけどなぁ…………」
「そうだよなあ…………あれは勿体無いよなぁ…………」
あれだけ娘を誉め称えていた部下達が、何かを思い出したかのように今度はその表情を曇らせる。
「何かあったのか?」
俺が聞くと、部下の一人が皆が残念がっていたその“理由”を説明し始めた。
「実はまだ娘が歌っていた時は良かったんですが、どうやらその娘に懸想した男が娘にしつこく絡み始めて、それを止めようとした他の客の男達と大喧嘩になりまして俺達も見かねて止めようとしたら、娘がいきなり酒瓶に入っていた酒を喧嘩していた男達にぶちまけて、
さらにはその口からはとても聞くに堪えない信じられないような言葉にすることさえ憚られる汚い言葉を吐いて、しかもその瓶で男達を殴るわ足で蹴り飛ばすわで、男達を止めるよりも、逆に俺達その娘を止めるのに大変でした」
「…………そうか、それはご苦労だったな」
なぜかその光景が思い浮かばれて頑張ったであろう部下達を労う。
「でもそれを見た陛下がすっかり娘を気に入ってしまったらしく、突然「連れて帰る」と言い出して、俺達一応、やめた方がいいとは申し上げたんですよ? ですが陛下はご自分の素性を娘の両親に明かして、それはもう強引に暴れる娘を縛り上げてこうして連れ帰ってきたーーというわけでして」
それを聞いて俺は確信した。その気性こそが陛下の“面白い基準”に引っ掛かったのだと。すると再び暴れ出していた娘の口を塞いでいた布が外れ、部下の言う口の悪いと言っていた言葉が次々と陛下に浴びせられた。
「このっ!!人拐い!!変態!!人でなしっ!! いい加減に下ろしなさいよっ!! このくそじじいっっ!!」
布が外れて娘の顔の全体が見えたが確かにこれは『絶世の美女』である。しかしその可憐な唇からは陛下への罵詈雑言が次々に飛び出している。
「ははははっ、本当に威勢がいいな。ーーどうだ、グレッグ、すごく新鮮で活きが良くて可愛いだろう?」
「はあ…………」
「人を水揚げされた魚みたいに言うなっ!! この超最低、馬鹿男っ!!」
………いや、どこから見ても大きな魚が暴れている様にしか見えないが………
すると娘は今度は俺に向かって言葉を放つ。
「ちょっとそこのあんた!! 助けてくれるんじゃないの!? くれないのっ!! どっちなのよっ!! この変態、あんたの上官なんでしょっ!! だったらなんとかしなさいよっ!! あんたの上官はとんでもない悪党で人拐いよっ!!
ーーってちょっと、どこ触ってんのよっ変態っっ!! 私に触らないでって言ってるでしょ!! 言葉すら通じないわけ? このはげじじぃぃぃっ!!」
……………
娘のあまりの勢いに押されてその場にいた皆が沈黙してしまう。そんな中でただ一人、陛下だけが声を上げて楽しそうに笑っている。
………いや、確かに、くそ爺は当たっているかもしれんが、陛下は禿げてなどいないから禿げ爺と言うのとは全く違うとは思うが………
「………陛下、………まさか“それ”本当に連れて帰るのか? ーー愛玩動物にするにはいささか『凶暴』すぎやしないか?」
俺は陛下の肩の上で今だ暴れて罵詈雑言を飛ばしまくる歌姫を遠い目で見つめながら陛下に聞き直す。
ーーこれは人間の姿をした猛獣じゃないのか? 先ほど部下達が喧嘩をしていた男達よりも止めるのが大変だったと言っていたが、どうやら本当の事のようだ。これは俺でも止められるかどうか怪しいところだ。
「もちろん連れて帰るに決まっているだろう! それにこれは愛玩動物にするなどとは勿体無い。連れて帰って私の『愛妾』にする!」
「「「「「えええええっ!?」」」」」
陛下の突然の『衝撃発言』に、そこにいた皆が声を揃えて驚きの声を上げる。
「なっ、あ、愛妾!!? なんですってええ!!?」
俺達とは一息遅れて娘が信じられないと言った声で悲鳴とも取れる大きな叫び声を上げる。
「………陛下、うそだろう? またいつもの冗談だよな?」
俺が驚きを隠せずに問うと、陛下はそんな皆の顔を眺めてにやりと笑った。
「冗談? いいや? 私は本気だぞ? それよりも皆、喜べ! 我が国は『夜光の歌姫』という生きた美しい宝石を手に入れたぞ!! 今度は我が国の『国宝』となる私の可愛い『愛妾』だ。これから我が城も賑やかになるな。ーーああ、楽しみだ」
皆が呆気に取られる中、陛下だけが喜びもあらわに大笑いしている。すると今しがた、陛下から『愛妾宣言』をされた娘が怒りでその美しい顔を真っ赤にして一層大暴れしながら声を荒げて叫ぶ。
「じょ、冗談じゃないわよっ!! あ、あ、愛妾ですって!! あんた何考えてんのよっ!! 私はまだ16なのよっ!? どうして私が自分の父親みたいな男の愛妾になんてされなきゃなんないのよっ!! ふざけんなっ!!このド変態!!くそったれっっ!!」
「はははっ、もう決まったことだ。お前はもう私の“モノ”だ。他の誰にも渡さん。そうと決まれば早く国へ戻ろう。これからは私が何でもしてやるぞ? どんな贅沢だってさせてやるし、欲しいものだって何でも買ってやる。どうだ? 嬉しいだろう?」
「嬉しいわけがあるかっ!! 誰があんたみたいな野蛮人なんかの国に行くもんですかっっ!! 離して、離してよっ!! このっっーー」
娘は叫ぶなり、いきなり陛下の肩に思いっきり噛み付いた。俺達は「あっ!!」と声を上げたが、陛下はまるで羽虫にでも刺されたくらいにしか感じていないらしく娘を担いだままそのまま歩いて行く。
俺は逆に陛下の鍛え上げられたその硬い筋肉のついた肩は、娘の歯を折ってしまうのではないかと心配になったが、実際噛み付いていた娘もすぐに肩から口を離す。
「ちょ、なんでこんなに硬いのよっ!! 信じられない!!あんた化け物なのっっ!?」
「毎日鍛えているからな。お前に噛み付かれても何とも思わん。逆に止めておけ。 お前の歯の方が折れるぞ。もういい加減諦めたらどうだ? お前がいくら暴れようが私はお前を連れ帰ってこの私の『愛妾』にする」
「嫌よっっ!! 私が諦めるわけがないでしょっ!! 諦めるのはあんたよっ!! 誰があんたなんか!! 大っ嫌い!!死ねっ!!馬鹿っ!!変態っ!!ド変態っっ!!」
「よしよし、本当にお前は可愛いやつだ。はははははっつ」
「ふざけんなっ!! この×××(ピーー)野郎っ!! ××××××(ピーーー)じじい!! この変態×××××(ピーーー)クソ野郎!!」
「わはははははっつ」
…………
………確かに、部下から聞いていた、その聞くに堪えない言葉にするのさえも憚られる汚い言葉が陛下に次々に浴びせられているが、その浴びせられている本人は実に楽しそうだ。そうして陛下は大笑いしながら暴れる娘を抱えたまま茫然とする臣下達を残して先に行ってしまう。
残された俺達は言葉を失い離れて行く陛下と娘をしばらく無言で見つめていたがーー
「………確かに聞くに堪えない“伏せ字”だらけの言葉だったな………」
「………隊長、分かって貰えてよかったです」
「………俺、あんな綺麗な女性の口から、それは聞きたくなかったです」
「………隊長、女って一皮むけば皆ああなんでしょうか? 俺、なんだか怖くなりました」
「ーーあれは特殊な例だ。世の女性が皆ああだとは思ってはいけない。あれは、そうだな、美しい人間の皮を被った猛獣ーーいや、珍獣だ。お前達も特に美しい女にはくれぐれも気を付けろよ?」
「ーーはい、勉強になりました」
「ーー俺も同じく勉強になりました」
「よし。ーーじゃあ、陛下の所へ戻ろうか」
俺は茫然としていた部下達を正気に返すと、皆で陛下の後を追い掛けた。
*****
そうして嫌がる彼女を無理矢理強引に連れ帰った陛下は有言実行、自分の宣言した通り彼女を自分の『愛妾』にしてしまった。
それ以来、陛下の女遊びは全くと言っていいほど無くなり、無理矢理愛妾にした彼女から嫌われているのにもお構い無しに一方的に彼女を溺愛していた。
愛妾にされた彼女は何度も城を逃げ出そうとあの手この手を使って脱走を試みたが、全て陛下に阻止されてその度に俺は陛下と共に彼女を捕らえに行く羽目になった。
正直俺は色々と忙しい身だ。彼女が脱走を図る度に俺は自分の仕事を中断して陛下に付き添わなければならない。彼女の気持ちも分からないでもないが、あの陛下から逃げ出そうなどと到底無理な話だ。しかも陛下は彼女が色々事件を起こす度に面白がって益々彼女にのめり込んでいっているのが分かる。
彼女は分かっていないのだろうか? 己が何かをすればするほど、それは陛下の執着心を煽っているだけだというのに。
だから俺は自分の平穏な生活を取り戻す為に彼女にそれとなしに進言をした。陛下の女遍歴を昔から一番傍で見てきたのだ。陛下の女の好みなど知り尽くしている。
だから俺は彼女に貴族の令嬢のように大人しくしていろと言ったのに彼女はそんな俺の進言と言うより
“忠告”を聞かずに、それどころか信じられないことに陛下の“暗殺計画”まで立てていた。
…………本当に陛下の期待を裏切らない女性だ。
それが陛下の『ゲーム』の一環だとも知らずに、彼女は本当に陛下に刃を向けたらしい。確かにそう仕向けたのは他でもない陛下自身なのだが、まさか本当に実行するとは…………
俺は彼女のその行動力に唖然としてしまう。そんなことをして自分の身は心配しないのか! 国王暗殺だなんて、本来であれば発覚した時点で死罪ものだぞ!? 今回は陛下が仕掛けたもので、その本人にとってはただの『ゲーム』だったから彼女は何の罪にも問われずに済んだものの危なっかしいにも程がある。
陛下に釘を刺されていた手前、彼女が陛下を暗殺しようとした事を俺達第一騎士団隊の皆は何事も無かったように知らない顔を続けた。彼女は時々訝しげに俺達を見ていたが、それでも俺たちは何食わぬ顔で素知らぬ顔を続けた。
するとある日、突然彼女が第一騎士団隊宿舎に現れた。しかも乗馬用の女性のズボンを着用し長い髪を一つに纏め、なんとも凛々しい出で立ちだ。
そんな国王の愛妾がわざわざ、俺達の宿舎に来るなどとは誰も思わなかったので皆、驚いている。もちろん俺も驚いた。すると彼女は何を言い出すかと思えば、俺に武術を教えて欲しいと言ってきた。
俺は彼女を見て、そんな華奢な細い体で何を言っているんだと呆れてしまう。確かに女剣士は数こそ少ないが居るには居る。だが、どれも体格の良いがっしりした骨太で大柄な女達だ。
だから彼女のようにどこに筋肉がついているのかすら分からないような華奢な細い体で、俺が軽く掴んだだけでも簡単に折れてしまいそうな細い手首をしているのに、どう見ても守られる側だろう。しかも国王が寵愛している愛妾であれば、尚更、武術など必要ない。
俺がいくらそう言っても彼女は納得せずに教えてくれの一点張りで、なかなか諦めようとはしてくれない。そこで俺は気付いた。ああ、そうか、だからかーーさしずめこの間の暗殺未遂の一件で、陛下に歯が立たなかったから武術を習って再挑戦でもするつもりなのだろう。それを分かっていて教える馬鹿はいない。
俺は彼女の「教えて」攻撃をもっともの理由をつけては躱わしていたが、そうすると、彼女も毎日のように来てはしつこく俺に食い下がるので、さすがにいい加減疲れてきて本来の元凶である陛下に苦情を申し立てた。
「陛下………“アレ”を何とかしてくれ、貴方の愛妾だろう。ああも毎日宿舎に現れて、しつこく武術を教えろと食い下がられては稽古の邪魔になる。それに騎士団隊のような男所帯に愛妾が通っているのは貴方だって心配だろう?」
自分の大事な寵姫に他の男を近付けたくなどないだろうから、きっと陛下が何とかしてくれるだろうと思って疑わなかったのだが、そんな陛下の反応は俺が想像していたものとは違っていた。
「だからお前の所に行かせているんじゃないか。そうじゃなければそんな男所帯に私の可愛い妻を絶対に行かせたりなどしない」
「は? 行かせている?」
「“正確”には行くように仕向けた。お前の所なら心配無用だからな。私も出来ることなら四六時中可愛い妻の傍にいたいが、さすがに国王がそういうわけにはいかんだろう? だから私がいない間はお前に私の可愛い妻を預けることにする。だから頼んだぞ?」
陛下はそう言って俺の肩をポンと叩く。ーーじゃあ、なにか? “アレ”が毎日俺の所に来るのは、すべて陛下の思惑だったのか?
どんな方法を使ったのかは知らないが、あの陛下のことだ。さしずめ愛妾の側仕側仕えの者達に第一騎士団隊の事でも噂させたのだろう。確かに俺が絶対に主の妻に手など出さないと陛下も分かっているし、俺が彼女の側にいる限りは他の男を彼女に近付けさせることは断じてさせないが、
………冗談じゃない! 俺だって多忙な身なんだ! そんなことぐらい陛下だって分かっているだろう? それなのに自分の愛妾の面倒まで見ろとは何を考えているんだ。俺は自分の部下達のことだって面倒を見なくてはならないんだぞ? それに普通の女ならいざ知らず、“アレ”は美しい人間の皮を被った凶暴な珍獣だ。それこそ陛下にしか扱えないだろうが!
「ーー無理だ。 俺が多忙なのは陛下だって知っているだろう? それに俺は全騎士団隊の取り纏め役で自分の部下達の面倒も見なければならないのに、貴方の妻の事まで面倒など見きれん。
第二騎士団隊長に言え。あの男だって優秀で信用できる奴だ。それに本来のお役目でもあるだろう? そもそも俺達第一騎士団隊は国王の護衛が仕事だ」
しかしそんな俺の言葉にも陛下は渋い顔をして首を横に振る。
「駄目だ。 お前以外の男など誰も信用などできるか。私の可愛い妻は『絶世の美女』だぞ? 何かあってからでは遅いんだ! だから私は第一騎士団隊長ではなくお前個人に頼んでいる。『アレ』はこの城では一番身分が低い上に敵も多い。
お前の仕事が多忙だというのならこの私がお前の代わりに仕事を手伝ってやる。だからいいな? 国王が直々に頼んでいるんだ。嫌とは言わないだろうが、嫌だと言っても無駄だぞ? その時は『王命』を使うからな?」
それはもう頼んでいるというよりも決定事項ではないか。陛下のその他人の意思などお構い無しに自分のやりたいようにやる性格は今に始まったことじゃない。しかもこの国の最高権力者である陛下の言葉は絶対だ。
だが陛下は初めから『王命』ではなく俺個人に対して『頼む』と言う。俺は臣下なのだから命令すればいいだけの話なのに陛下はいつも俺に対してそれをしない。(まあ、俺が嫌だと言えば最終的に『王命』を使うのだが。)
陛下はどういうわけか、元は敵国から来た俺を絶対的に信用してくれている。陛下の周りには他にも付き合いの長い自国の臣下や貴族がいるのにだ。俺の何が気に入っているのかは分からないが、俺は陛下のこういう姿を知っているからいつも絆されてしまう。
確かに野心家で侵略を好んで暴君と呼ばれてしまっても仕方のないやっている行為は最低だが、俺はどうしてもこの陛下を憎めないでいる。
そもそも陛下は根本的に悪い人間ではないのだ。ただ自分に正直過ぎて本能のままに生きているだけだ。だから俺はこの男がどんなに他人に対して酷いことをしていてもどうしても放って置くことが出来ない。
皆に嫌われて憎まれて当然の酷い奴だが、俺だけはこの男の傍にいてやりたいと思う。俺がこんな事を考えるとは自分でも驚きだったが悪い気はしていない。
だからこのままいけば、俺も世間から悪者と言われるようになるだろう。ーーいや、もう言われているのだろうな。それでも俺はとことん、この男に付き合ってやろう。きっとこの男に出会った時から、そうなる運命だったのかもしれないーーと心の中でそう思った。
「はぁ………分かった。御守り役は引き受けよう。だが、いいのか? 武術を教えろと言うのは貴方を暗殺する為なんだぞ? 俺は教える気など更々ないがしつこくて敵わん」
「はははっ、教えても構わんが、あの体を筋肉だらけにされては困るぞ? 美女の筋肉など誰だって見たくはないだろう?」
「何を呑気な、そんな悠長なことを言っていると、いつか本当に寝首をかかれるぞ?」
「フッ、そうでなければ面白くないだろう?『アレ』はいつも私を楽しませてくれる。あんな刺激的な女はどこにもいない。それこそ、見て呉れだけの良い大人しい女など夜の相手には丁度いいが、他は退屈でつまらんだけだからな。だから『アレ』は私の為にだけにある女だ。この先も私から逃がすつもりはないし他の誰にも絶対に渡さない」
ああ、ここまで執着されるとは彼女も“気の毒”にと思った。これで彼女は陛下からは絶対に逃げられない。彼女の性格では陛下の言っているような大人しい女になりようがないからな。そして俺はその二人に振り回される役回りだ。それは今もこうして続いている。
*****
「ねえ、ヴァンデル隊長。こんなに通っているんだから、もういい加減教えてくれてもいいじゃないーーね? ちょっとだけでも」
国王の愛妾である彼女は、その国王の思惑でここに行くように誘導されているわけだが当の本人は全くといっていいほど気付いてはいない。そして毎日のように現れては同じ言葉を繰り返す。だから俺も同じ言葉で返答する。
「何度も言っているが貴女が武器を持つ必要はない。 それにもし、怪我でもしたら大変だ。陛下にも申し訳が立たないだろう?」
「どうしてあの男に申し訳なんて立てなきゃならないのよ。私がたとえ怪我をしようと私の体なんだから関係ないわ!
ーーねえ、そんなことよりお願い。何も貴方達と同じ事を教えろとは言わないわ。護身術程度でいいのよ。それならこの時世、貴族の女性達だって習っていると聞いたわ。たから、ね? 私も自分の護身の為に覚えたいの」
ーー全く誰なんだ、護身術のことを彼女に教えたのは。ーーそれになにが護衛の為だ。本来の目的は“国王暗殺”の為だろうに。
俺は心の中でそう言って深いため息をつく。しかも国王に対して恐れることもなく、そんな不敬な物言いを平気で出来るのは彼女だけだ。いや、俺も人のことは言えないが、少なくとも俺は言葉使いはともかく陛下に対しては敬意は示しているので彼女よりはまだマシだろう。
「護身の為だろうと国王の愛妾である貴女には必要のないものだ。心配せずとも、貴女のことは我々騎士が一命を賭してでも必ず守る。それが王族を守護する俺達の役目だ。だから貴女が武術を覚えることなどない。それに武器など貴女のその手にはそぐわないものだ。武器を持つ手は我々男に任せて貴女は俺達に守られていてくれ」
他の部下達も俺の言葉に賛同するように首を何度も縦に振るが、そんな彼女は眉間に皺を寄せて不満そうな顔をする。
「私は王族じゃないし、国王の愛妾になった覚えもないわよ。あの男が勝手に言っているだけじゃない。だから貴方達に守ってもらう義理はないし勿論、命なんて賭けて貰っても困るわよ。もしそれで死なれでもしたら、寝覚めも悪いし食事も不味くなるじゃない。私は自分の身は自分で守るから、だから、お願い。ーーね、? 教えて?」
…………これはわざとだろうか? いかにも確信犯的な両方の手のひらを重ねて目を潤ませながら、愛らしく頼んでくる彼女に、この俺が危うく「分かった」と言いそうになりかけて口をギュッと噤む。
部下達などはそんな彼女を見てほだされてしまったのか、彼女の本来の目的を知っているはずなのに「これだけ頼んでいるのだから教えてあげてもいいのでは?」ーーと彼女に味方する者も出てきた。
だから彼女の目的は国王の“暗殺”なんだよ! ーーと、言いたいが言えるはずもなくーー俺は彼女から視線を外すと「ああ、忙しい」と言って、さっさと場を後にする。
しかしやはり諦めの悪い彼女はそんな俺の後ろにまるで鳥の雛のようにくっついてケチだの堅物だの言ってくるが、ここは無視だ、無視。
そんないつもの俺と彼女の攻防戦を部下達は笑いを堪えながら見つめていた。
*****
俺と彼女の攻防戦が一息ついた頃、第一騎士団隊の皆で彼女を交えて彼女のお手製の差し入れのスコーンを食べる。
「奥方様、これすごく美味しいです!」
「ああ、上手い。 奥方様は本当に料理がお上手なんですね」
部下達が美味しそうにスコーンを食べながら彼女の料理に感嘆している。確かに彼女が作る差し入れは素朴で優しい味がして、正直、王城の料理人が作る凝った料理より市井出の俺にはこちらの方が口に合う。
彼女の外見からして料理など出来るようには見えなかったので最初の時は驚いたが、よく考えれば彼女は貴族の子女ではなく元は市井の町娘だ。料理くらい出来て当然だった。
「ふふっ、ありがと。でもこれくらいは市井の娘なら出来て当然よ? 沢山作ったから遠慮しないで食べてね」
陛下の前ではいつも怒っているか不機嫌な顔ばかりしている彼女はここに来ると本当によく笑う。勿論、俺との攻防はいつも不機嫌だが、それでも彼女が笑うと、そこに花々が咲き誇るように一瞬で空気が変わり華やかになる。
陛下が危惧するのも無理はない。彼女に悪気はないのだろうが、こんな風に微笑まれては彼女に懸想してしまう男が出てきてもおかしくはない。
幸い俺達第一騎士団隊の者達はあの国王直属の部隊でもあるので他の騎士団隊の中でも身体だけではなく精神力もかなり厳しく鍛え上げている為、彼女に惑う者はいないとは思うが、それでもやはりまだ年若い部下達は心配だ。俺がしっかりと見張っていなければーーーくそっ、やはりこれもあの陛下の思惑のような気がしてならない。
彼女の差し入れを食べ終えた頃、若い部下達が互いの顔を見合わせて彼女にお願いをする。
「あの、奥方様。 もしよろしければ何か一曲歌ってはもらえませんか?」
「俺達、戦になるといつも奥方様の歌声を思い出して元気をもらうんです。 だから城にいる間は奥方様の歌を聞きたいです」
俺達のような年長組の騎士達は中々口に出すことは出来ないが、若い騎士達は臆することもなく彼女に歌を所望する。
俺達は数日後にはまた戦に出向することになっている。我が国は陛下の力もあって戦には負けたことはないが、それでもやはり中には命を落とす兵士や騎士達もいる。
それは俺達の第一騎士団隊にも言えることで第一騎士団隊は国王の精鋭部隊で優秀な人材で揃えていてもやはり戦で亡くなる者もいる。だからまだ戦経験の浅い若い騎士達は彼女の歌声を心の拠り所にしているのだろう。必ず帰ってきてまた彼女の歌を聞くのだと。
彼女の歌声は本当に美しく儚く切ないような聞いている者の心の中に染み込んでいく変幻自在の薬のようだ。それは人によって異なり、嬉しいとか切ないとか、悲しいとか、感じ方はそれぞれ違うようだが、この不思議な歌姫はその歌声で聞くものの心を癒してしまう。
そんな彼女も若い騎士達が自分の歌を拠り所にしているのを知っているのだろう。彼らに向かって優しく微笑んだ。
「ええ、いいわ。一曲とは言わず貴方達が聞きたいだけ歌ってあげる」
彼女はそう言って静かに歌い始めた。それは王城の広間の大勢の前で歌う荘厳な歌ではなく、小さな子供が眠りにつく前に母親が歌う子守唄のように慈愛に満ちた優しい歌声だった。
彼女は普段は口が悪くてその口からは喧嘩ごしの言葉しか出てこないのに、歌う時だけはこんなに優しい歌い方をする。普段の彼女と歌っている時の彼女は外見が同じでも、とても同一人物には見えないが、それを言えば彼女はきっと怒るだろう。
ーー失礼な、どこをどう見れば私が二人いるのよーーと。
俺は歌姫を見てフッと笑う。たぶん俺の予想は当たっているはずだ。それを確認する為に、後程彼女に言ってみるつもりだ。だから今は『夜光の歌姫』である美しい彼女の歌声を心に残しておこう。
ーー我々が誰一人として失わずに彼女の歌をまた聞けるようにーーー
【①ー終】