奉納祭【11】 ~貴賓席その1 ②
【27】
フォルセナ王家出身の王妃は政略結婚でこの国に嫁いできたが、国王との夫婦仲はあくまで儀礼的でそこに愛情はない。とはいえ、自分の夫が正妻である自分には全く見向きもせずに若く美しい愛妾ばかりを人目も憚らず寵愛している事は、国内はおろか諸外国にまで周知されていえる。それをこんな公の同じ場所に晒されて心穏やかではないはずなのに。王妃は淡々と前を見つめていた。
国王がエルヴィラを国に連れ帰ってきてからというもの、国王が王妃と閨を共にした事は一度もないらしい。それはエルヴィラも国王本人から聞いていた。
しかも数多の女遊びもしなくなったので、臣下達の気苦労が減った一方、政治の上層部では国王に男児がいない今、世継ぎ問題に気苦労が絶えないと聞く。しかも唯一寵愛している愛妾との間には娘しか産まれず、その出産が原因で愛妾に子供を望めない事は一部の関係者だけの秘密でもある。
エルヴィラは王妃の後ろ姿を見つめながら思った。王妃はフォルセナの王女であるがゆえ、本人の性格もあるだろうが非常に自尊心が高く、いつもどこか高圧的で身分の差を当然のように肯定する人間だった。しかも外の顔では立場上、控えてはいるが、高貴な血統の人間以外は皆、卑しい者だと思っている潔癖人間でもあった。
初めの内はエルヴィラも王妃から卑しい者の目で見られ、隠れた所での嫌がらせもかなり受けたが、エルヴィラ自身が大変気が強く負けず嫌いであり酒場育ちであることから、王妃達の嫌がらせなどモノともせずに、それどころか国王との激しい攻防戦を繰り広げていたので、
その内、エルヴィラが第二子を授かる事が出来ない事を知って安心したのか、もしくは国王からの厳命の釘刺しを受けたからなのかは定かではないが、いつしか陰湿な嫌がらせも無くなり、国王が愛妾とその娘に愛情を一心に与えていても全くの無関心である。
王妃は考えようによっては可哀想な女だ。王家に生まれたばかりに自分の望む自由はなく、いわば豪華な鳥籠の中で飼われている小鳥である。
羽根があるのに自分の意思では飛ぶ事は出来ない。ただ時がくるまで大事に大事に愛でられ育てられるだけ。そして時熟すと新たな別の豪華な鳥籠に移される。同じように育てられた繁殖だけを目的とした番と共に。その一生を共にする番すらも自分の意思では選べない。全ては自分以外の周りの飼育員達が用意してくれる。それがさも当然のように。
しかし平民であるエルヴィラにそれは当てはまらなかった。本来であれば自分の意思でどこへでも飛んで行く事が出来る野鳥であり、本当ならば一生を共にする番すらも自由に選べる立場だったーーはずだった。
しかし時熟す前にして野鳥の中でも一際目立つ美しい鳥であったが為に、狩人に見つかり捕まって無理やり鳥籠に入れられてしまったあげく、その狩人に早々に喰われてしまったのだ。
エルヴィラは心の中で苦虫を潰していた。それはそれで己の『運命』だったのだろうが、それでも昔を思い返すだけでも腹立たしい。だから狩人の腹の中にあっても今尚、抵抗を続けている。
己の持てる全ての武器を最大限に生かし、利用出来るものはなんでも利用する。私は私の意思で決めるのだ。その為ならば『自尊心』など大したものじゃない。なにより他人に自分の人生を決められるなんて冗談じゃない!
ーー私から言わせてもらえば、王妃は要領の悪い女だわ。たとえ愛情の伴わない結婚でも、やり方によっては幸せになれるのに。なのに自尊心をひけらかしてお高く留まっているようじゃ、誰も寄ってきやしないわよ。しかも男の方こそ自尊心が強い生き物なのに、逆に反感を買うだけたわ。たとえ男の前だけの演技だったとしても、媚びるくらいの可愛げのある女の方がまだ好感が持てるというものよ。
ブランノアの国王は理解に苦しむ非常識で破天荒な男だけれど意外にも単純だし、あれでいて女の扱いも上手だから、媚びを売ってでも愛嬌を振り撒いていれば今みたいな関係にはならなかったのかもしれないのに。場合によっては世継ぎだって出来ていたかもしれない。
私はあの男が大嫌いだから当然媚びなんて売らないけどね。それで飽きられて解放してくれるんなら、いつでも万々歳だもの。だけど、こうして囲われている以上は、あの男の傍迷惑な執着すらも利用するつもりよ。私も自分が一番可愛いし、大嫌いな男の血を引く我が子であっても、自分でも意外だけれど母親としての愛情も持ち合わせているから、私達親子が幸せになる為なら、なんだってやってやるわ!
けれど、あの王妃は己の事ばかりで自分の娘達の事までは考えないのね。子供に罪はないのだけれど、父親の関心を子供達が引けないのは母親である王妃が原因よ。自分の価値観を娘達にまで押し付けているから、どの王女も可愛げがなくて性格に問題があるんだわ。
私もけしていい母親とは言えないけれど、少なくとも娘に自分の偏った価値観を押し付けたりはしないし、悪い事は親の責任として苦言はするけれど、なるべく本人には自分で物事の良し悪しを考えて選択出来る人間になって欲しいから、冷たくみえても敢えて口出しをする事を控えている。
まあ、平民出身の酒場の娘という教養もありもしない粗野な自分には、貴族社会の紳士淑女の教養など付け焼刃程度にしか備わっていないので尚の事、生まれながらにして王女育ちである娘には口を挟めないだけなのだけれど。
しかも本当に意外なところで、子育てが大変上手な父親がいた為、母親である自分の出番はほとんど無く、元より子供という無邪気な生き物が苦手だった事もあり、これ幸いと、子育て及び教育全般を全て押し付けてやった。
その結果、予想していた以上に娘は父親っ子に育ち、しかも成長するにつれ父親そっくりの傍迷惑な気性である事が発覚し、その父親からの溺愛があまりに度が過ぎて甘やかされて育ったので、すっかり自己中な我儘娘になってしまったのには、自分のあの時の選択がそもそも間違っていたのでは………と、事ある度に後悔する事もしばしばであるーー今更、後悔したところでもう遅いのだろうが。
そんな娘の父親似の性格と我儘なところは別にしても、娘は沢山の愛情を受けて、それはもう真っ直ぐに純枠すぎるくらいに感情豊かに育った。貴族社会の混沌と毒気の渦巻く中にあっても、それはもう真っ直ぐに。しかも父親の賢いところまで受け継いで理解力に優れ、実年齢にそぐわないほど大人びており、私の娘は良くも悪くも常に人の関心を惹き付けてやまない存在だ。
更に母親の打算的なところも受け継いでいるのか、幼いながらに自分の『使い方』を分かっているらしく、時に子供の愛くるしい『武器』を使って自分に有利になるように大人達を上手く垂らし込んでいる。
ーーさすがは私の娘ね。だけどいずれ『女の武器』を使うようになったら、それこそ戦でも起こるんじゃないかしら?………考えると我が娘ながら怖いわね。
王妃ーー本当に馬鹿な女。なにも『女の武器』は容姿だけじゃないのよ? 容姿だけが良くたって愛嬌がなければ誰も心も奪えない。それこそ王族の矜持なんて男には必要でも女にはなんの得にもならないわ。
なのに、そんな風に意固地な程にお高く留まって、さも当然と与えられるのを待っているだけだから、唯一の夫にすら見向きもされない可哀想な王妃なんて周囲に同情されるのよ。そっちの方がよっぽど屈辱的じゃない。
あんたもその取り澄ました自尊心を全部取っ払って、娼婦にでもなったつもりで逆にあの男を押し倒すくらいの気概を見せたらいいのよ。
あの男はね、得に『奇策』が大好きだから、案外自分への関心を引く事が出来るかもしれないわ。それを上手く利用すれば、あんたには権力もあるんだから、私なんかよりも余程、自分に有利に持っていけるじゃないの。少なくとも今みたいに、私と比較されて同情されるような惨めな事にはならないわ。
ーーだけど、そんな真似はあの女には絶対に出来ないから今があるんでしょうけれど………本当に馬鹿な女。私は周りみたいに可哀想なんて同情なんかしないわよ。所詮あんたは温室育ちの苦労知らずの王女様。いつまでもその温室の中で形だけ大事にされて、ただ枯れていくのを待つがいいわ。
私はあんたとは違うから。私はたとえ荒野だろうが汚泥地であろうが、周りからあらゆる養分を吸収して、どこであろうと大輪の花を咲かせ続けるわ。
エルヴィラはそんな王妃の背中を見つめながら、再び、ちっ、と小さく舌打ちする。
ーー見ているだけで苛々する。本当は私達の会話はあんたの耳にも聞こえているんじゃないの? だって周りの護衛騎士達がさっきから顔が気まずそうに引きつっているもの。
しかも国王は王妃を放ったらかしにして、大衆の面前で愛妾とずっとイチャついているのよ? それなのに何事ないかのように無関心を装うなんて。少しは嫉妬する様子くらい見せたらどう? それとも同情される事を敢えて選んだわけ? この男もそれを分かっていて、わざとやってるみたいだしね。本当に馬鹿みたいだわ。
そんなエルヴィラのしかめっ面を見て、国王がククッと笑う。
「どうした? そんなしかめっ面をしてもお前は美しいが、まだなにか不満があるのか?」
「よく言うわよ。あんたの『悪趣味』にひたすら呆れていただけ。いい加減、少しは外面を取り繕いなさいよ。あんたのせいで私やリルディアが苦労するんだから」
「この私がお前達を守護しているのにまだ不安でもあるのか? 私はお前やリルディアを守る為ならば“国一つ潰す”くらい造作もないのだぞ? それを分かっていながらお前達に害をなそうとするのは、余程の無知か愚かな阿呆だな」
国王は急に声をひそめるでもなく、わざと周りに聞かせるように、はっきりと口にする。その瞬間、王妃の動きがピタリと止まる。そんな周囲の護衛達も息を呑むように固まっていた。
今の言葉は完全に王妃に向けたもの。私達親子に害を成せば、国一つ潰す………それは即ち、王妃の故郷であるフォルセナ国の事を指しているのだ。代々、王家の婚姻などで深い親交のある大国を、そのような理由でいとも簡単に潰すというのは、この男の性格上、到底冗談には聞こえない。
その時、大衆から「わあぁぁー」っと声が上がり、拍手喝采と共に舞台上の第四王女への賛美があちらこちらから沸き起こる。いつの間にか娘の歌が終わっていたのだ。
なんて事だ。この男のせいで娘の歌声に集中する事が出来なかった。エルヴィラは国王の腕を扇で小突きながら睨み付ける。
「あんたのせいで可愛い娘の歌声に全然集中出来なかったじゃない! 一体どうしてくれるのよ。もしあの子に感想を聞かれても、理由が理由なだけに言い訳なんて出来ないでしょう?」
「そうか? きちんと最後まで聞いていたぞ? なんといっても私の可愛い愛娘の初舞台だからな。本当にお前に引けを取らないくらいに素晴らしい歌姫だった。父親である私の鼻も高いというものだ。
それにしてもリルディアは昔とは違って随分と面白い歌い方をするようになったな。色々な感情が見え隠れしていて、なかなかに良かったぞ。わはは、これはクラウスをわざわざ引っ張り出した甲斐があったな。もしや、お前が先ほど言っていた『色』というのは、この事か?」
娘に賛美の拍手を贈る為に国王に手を引かれながら、前方の国王席の前の方に移動するエルヴィラは、通り過ぎる際に王妃の様子をチラリと横目で見やるも、王妃は周囲への体裁からだろうが、拍手を娘に贈っているがその表情は無表情のまま、冷たく固まっている。そして私達の方にも少しも目線を向ける事もなく、ずっと前方を見つめていた。
貴賓席の一番前に国王と愛妾は鳴り止まない拍手と第四王女を讃える声と共に舞台上の娘に拍手を贈ると、我が娘は笑顔で私達に手を振るも、いつも側にいる母親だから分かる事だが、その笑顔に戸惑いが隠れているのが分かる。きっとそれはクラウスのせいだろう。
「ええ、そうよ。あんたの『奇策』のおかげで、リルディアの歌が初めの方で情緒不安定になっていたから、一時はどうなる事かと思ったけれど、どうにか丸く収まったみたいで良かったわ。
それにしても、私と会話しながら娘の歌もちゃんと聞いていただなんて、結構器用なのね。私はあんたのせいで、途中から歌に全然集中出来なかったのに」
「フッ、職業柄、注意深くなくては命に関わる事もあるからな。ーーところで、エルヴィラ。今夜の事だが、そのドレス姿のままで来てくれ」
「は? 嫌よ。今更逃げたりなんかしないから、湯浴みくらいさせてくれてもいいでしょ?」
国王と愛妾は大衆の賛美に手を上げて笑顔で応えながら、正面を向いたまま大衆の沸き上がる声に自分達の声がかき消されるのを意識しながら、また互いに小声で話し始める。
「いや、駄目だ。その姿のままがいい。私がどうしてそのドレスをお前に着せたと思う? 男の欲情を更にそそるからだ。男が女にそんな扇情的なドレスを贈るのは、そういう『意味』がある事を知っているか? 私が贈ったドレスを己で引き裂いて、お前の色々な姿をこの手で発掘したいからな」
「………あんた、つくづく思うけど、本当に最低なゲス男ね。それに私の姿なんか、もういいだけ出つくして新しいのなんて早々出てきゃしないわよ。まあ、いくら言ったところで、あんたは自分の思い通りするだろうし、
分かったわ。これは『契約』だから、あんたの望み通りに従う。だけど、あんたの方はきちんと湯浴みしてよね。知っているだろうけれど、私は汗臭い男を相手にするのは、さすがに嫌よ。それくらいは譲歩してくれるでしょう?」
すると国王は愛妾の肩を自分の体に引き寄せながら、王妃が側にいるのも全く構わずに愛妾の頭に愛おしそうにキスを落とす。
「ああ、勿論だとも。お前も知っているだろうが、私はこう見えても清潔好きだ。特に女に不快な思いはさせないよう常に気は配っている」
「それなら尚の事、私だって着替えてもいいんじゃない? それでなくても今日は特に暑いし、汗だって沢山かくもの。清潔好きなんだったら、汗臭い女なんて嫌でしょう?」
「いや、駄目だ。確かに男の臭いは不快でしかないが、女の汗臭は逆にゾクゾクして股間が疼く。特に愛しい女の臭いは格別だ。だから今夜はお前の汗という汗を全身くまなく、この舌で舐めとって綺麗にしてやるから安心しろ」
「っつ!? あ、安心なんか出来るかあっ!! なに考えてんのよ!? この変態っ!! 信じられない!! 最っっ低っつ!!」
国王のとんでもないゲス発言にエルヴィラは怒りを覚え、ここが大衆の面前であるにもかかわらず、我を忘れてつい大声を上げてしまう。しかし国王はそんな愛妾の腰に自分の腕を回し、自分の胸の中に密着させるように抱き締めながら豪快に大笑いをした。
「わははは! お前のその威勢のいい罵倒も久々に聞いたな。懐かしくて新鮮だ。それならこういう趣向も、たまにあっても良いか。よし、いいぞ? 私自身がどんな発言も許可するから、もっと私を罵倒しろ」
「はああ? なによ、それ!? どういう神経してんの!? 馬鹿、馬鹿なの!? 頭ん中、どっかいかれているわよ!?」
国王の広い胸の中でもがきながら、エルヴィラが怒りにすっかり我を忘れて罵倒すると、国王は尚更嬉しそうに上機嫌だ。
「わははは、なあ、エルヴィラ。こうしていると、私とお前の初めて出会った頃を思い出さないか? あれ以来、お前の罵倒がクセになってしまってな。やはりお前の罵倒は最高だ」
「………あり得ない。私にとって、あんたとの出会いは“黒歴史”でしかないのに。しかも罵倒されて喜ぶだなんて本当に『悪趣味』すぎる………」
昔の若い頃とは違い、罵倒すればするほど、この男が喜ぶのを知っていたエルヴィラは、諦め顔で自分の怒りを宥めすかすほか無かった。
ーーリルディアが生まれてさえいなければ、こんな最低『悪趣味』男。とうの昔に寝首でもかいて、とっとと殺してやったのにーーー
ーーなどと、内心物騒な事を考えていたのは、誰も知る由もないだろう。ただ一人、第一騎士団隊長を除いては………
【27ー終】