奉納祭【5】~ひとときの『逢瀬』?
【21】
「リルディア様! こちらへお早く!」
「ローズ、ちょっと待って! どこに行くの? もう時間がないのよ? そろそろ神殿の控えの間に入らないとーーー」
もうまもなく奉納祭の開始の合図の鐘が鳴ろうとしている矢先、突然ローズロッテが私に是非見せたいものがあると言って、私達は神女長の目を盗み、目立たない様に薄手のマントを被って通路を足早に移動している。
しかもこんな儀式の前に急遽見せたいものとは一体何があるのか聞いてみても、ローズロッテは「行ってからのお楽しみですわ」と詳細は一切教えてはくれず、私は彼女に後を促されるままに着いて行くしかない。
「大丈夫ですわ。控えの間に行く途中にある場所ですもの。それにきっとリルディア様もお喜びになられますから、ついていらして?」
「ねえ、それって儀式が終わった後じゃ駄目なの? 時間も無いのに慌ただしいったらないわ。 それに儀式が始まる前に、一応武具の最終確認だってしたいのに」
「ふふっ、儀式が始まる前だからよろしいの。しかもこれはリルディア様の儀式のご成功にも繋がる事でしてよ?」
「だからって『祝福の聖乙女』が儀式前にこんな所をウロウロしていたら不味いと思うわよ? 万が一、儀式が始まってしまったらーーって、え?」
突如、ローズロッテが私の腕を掴んで立ち止まり、私も立ち止まったその前方に神殿への通路が続く出入り口で人影が見えた。
その人物は白い衣装に銀色の縁飾り、鮮やかな青いマント、そして左耳には王太子の証でもある銀色の耳飾りが揺れている銀髪の美しい青年である。
「ま、まさか、ユーリウス王子!?」
それはセルリア国の王太子で私の婚約者。ユーリウス=ランジェフェリエ王子だった。
驚いてその場で立ち止まったままの私にユーリウス王子の方から歩いてくると、私の前で止まる。
するとローズロッテは自分のドレスの両端をつまんで王子に挨拶の『礼』を取ると私の後方に離れて下がっていった。そんなユーリウス王子の後方では彼のお付きの二人の騎士達が私達に向けて同じく挨拶の『礼』を取っている。
「ユーリウス王子? ど、どうしてこんな所にいるの? 確か貴賓室はここから神殿の反対側にあるはずよね。しかもここは神女の館の敷地内で男性は立ち入れない場所だわ。こんな所を誰かに見られでもしたら大変よ! もしかして道に迷ったの?」
私は王女としての挨拶の『礼』もすっかり忘れて、しかも素のままの状態でユーリウス王子に話し掛けると、王子の方は礼儀正しく優雅に挨拶の『礼』を取ると優しげに微笑む。
「リルディア姫。こうしてお変わりなきお姿を拝見出来ました事、大変光栄に存じます。 本日の姫の初舞台を日々楽しみにしておりました。そして『祝福の聖乙女』なるそのお姿、大変よくお似合いです。姫の美しいそのお姿には誰もが称賛する事でしょう。
そんな姫の婚約者を名乗る事の出来る我が身がどれほど果報者であるのか改めて実感致します」
大雑把な私とは違い、さすがは立派な王族であるきちっとした礼儀作法に伴い、更には婚約者への美辞麗句を挨拶に盛り込む事も忘れない完璧な王子様ではあるが、
私はというと、時間が無い上に、しかも誰かにこの状況を見られてしまうのではないかと思うと、気が焦って辺りをキョロキョロと見回しながら王子のマントを掴んでクイッと自分の方に引っ張る。
「ああ~もう、そんな畏まった挨拶はいらないわ! それに私なんかよりも貴方のその神々しくも麗しい姿を見た国中の女達の方が倒れてしまうわよ。
それから、こちらのデコルデ侯爵令嬢は私の素をよく知っている勝手知ったる仲だから、堅苦しい礼儀作法もここでは必要ないから気にしないで?
そんな事よりも貴方がここにいるのは非常に不味いのよ。とにかく神女達に見られない内に早く貴賓室に戻って。特にここの神女長は規律順守ですごく厳しいの。例え王族であろうと容赦なく怒られるんだから!
それにしてもここの門番達は何をやっているのかしら? 王子にきちんと道を教えてあげないなんて」
私は警備の手薄さにブツブツと文句を言いつつ、王子のマントを引っ張って神殿側に歩き始めようとするも王子が困惑した表情で口を開く。
「リルディア姫、違うのです。それと私にその様に触れてはなりません。『祝福の聖乙女』は異性に触れてはならぬ決まりと聞いております」
それを聞いて私は「あっ」と思い出した様に王子のマントから手を離す。
「ああ~もう面倒くさいったら。異性接触禁止とかで女だらけの館に閉じ込められるし、やっぱり『祝福の聖乙女』なんて引き受けなければよかった。しかもお父様とも会わせて貰えないのよ?
所詮、形式だけの規則でしょう? なのにそこまで守らなければならないほど『聖乙女』なんて重要かしら? それこそ既婚であろうと無かろうと誰がなっても良いと思うわ」
そんな私の言葉にローズロッテが王子がいる手前、やや遠慮気味に小さく笑う。
「ふふっ、リルディア様らしいお言葉ですわね。ですがこれは我が国伝統の神事でもありますもの。神事というものは穢れの無い清らかな乙女の祈りを神様は好まれるのですわ。
そんな神様も中々会うことの出来ない引き離された恋人達のひと時の『逢瀬』を邪魔をするほど無粋ではありません事よ? きっとここでの出来事も目を瞑っていて下さいますわ。
それにここにはお二人の邪魔する者は誰もおりませんもの。ですから時間はあまりありませんけれど、お二人はご婚約者同士『口付け』するくらいのお時間なら十分にありましてよ?」
「ロ、ローズ!!?」
「けほっつーーー」
ローズロッテの信じられない発言に私は開いた口が塞がらず、ユーリウス王子の方は思わずむせてしまったらしく、片手で口許を覆って咳を堪えている。
「ローズ!! 貴女なんて事を言うの!? しかも王子の前で! 恥ずかしくないの!?」
これが貴族のご令嬢達との茶会ならいざ知らず、よりにもよって異性の、しかも他国の王子の前で『口付け』などと、いくら子供である私でも恥ずかしい事この上ない。しかしローズロッテはシレッとした表情で実に爽やかな笑顔である。
「あら? 私はただ、婚約者だけに許された手の甲への『口付け』の事を申し上げただけなのですけれどーー異性への接触は禁じられているとはいえ、その行為は正式な貴族社会の作法ですもの。何も恥ずかしい事ではありませんでしょう?」
「え? あ、ああ、婚約者の挨拶の『礼』の事? そ、そうよね。そういう事。あはははーーー」
ーーな、なあんだ。そうか。そういう事。
ローズロッテが『逢瀬』とか、やたら恋愛雰囲気っぽい話し方をするし、しかも『口付け』とか意味深な言い回しとかするから思わず深読みしてしまった。
だけどそれもこれもローズが変な言い方をするからだよね?
そんな私はユーリウス王子と視線を合わせ気恥ずかしさを互いに笑顔で場を取り繕っていると、ローズロッテが私達を見て「ふふ~ん?」と含み笑いを浮かべる。
「うふふ、お二人は私とは違う意味で捉えていらしたのかしら? 勿論、『口付け』は手の甲ではなくてもよろしいのですよ? お二人にはそれが許されている仲なのですもの。なんでしたら私、後ろを向いて離れておりますから、お邪魔は致しませんので存分にお二人のひと時の『逢瀬』をお楽しみ下さいませ」
「ローズロッテっ!!」
「ーーっつ、けほげほっーー」
ーーああ、やっぱり『確信犯』か!!
私の声と同時にユーリウス王子が再びむせて咳き込んでいる。ローズロッテの悪ふざけは今に始まった事ではないが、王子がいる手前、これは些かやり過ぎだ。
「ローズロッテ! いい加減にして! しかもこれも全てはローズの仕業でしょう? わさわざ王子をこんな場所まで引き入れて誰かに見つかったらどうするの!? 私だけならいざ知らず、王子にまで迷惑を掛けてしまうわ!」
そんなローズロッテに苦言をしようとすると、何故かユーリウス王子が私に頭を下げる。
「リルディア姫、申し訳ありません。これは私が悪いのです。デコルデ侯爵令嬢にはご協力を頂いただけ
ですので、どうか責め句は全て私に仰って下さい。
実はこちらの侯爵令嬢から、貴女が初舞台を前にして儀式の練習時間も短く、大変不安になられていると伺い、私も姫が心配で、こちらの勝手な我儘ではありますが私から大神官長に願い出て貴女に一目お会いし、言葉を掛けさせて頂く許可を得たのです」
そう言うとユーリウス王子はローズロッテに向けて感謝を述べると自然な美しい所作で紳士の『礼』を取る。
「そそ、そんな! わ、私は大した事はしてはおりませんわ! た、ただ、どうしてもお二人をお引き合わせしたくて、それでリルディア様がお元気になられたらとーーああ、どうしましょう。私、王太子様に大変な失礼を致しました」
見るとローズロッテの顔は耳まで真っ赤になって、珍しく慌てふためいている。こうして見るとローズロッテも年相応に『女の子』である事を実感する。
ーーユーリウス王子にこんな風にお礼を返されて、その魅力に当てられない女なんていないわよね~ 私も慣れているとはいえ、こればっかりは心臓に悪いもの。 ふふっ、ローズロッテもからかう相手が悪かったわね。
「いえ、失礼など全く受けてはおりませんし、こうして私が姫に会えた事も貴女のご協力があってこそなのですから。本当に貴女には大変感謝しているのです。リルディア姫に貴女と言う良き友人がいて本当によかった」
そして何も知らない純粋なユーリウス王子の目映いばかりの微笑みに、ローズロッテの顔は更に真っ赤に染まり口をパクパクと動かしながら王子の顔を直視出来ずに慌てて淑女の『礼』を取る。
あははーーローズが面白いわ。しかもこの慌てぶりったら滅多に見られるものではないわね。
………そうね、今後何かあったら、これをローズへの牽制話題にでもしようかしら?
「そ、そのようなありがたきお言葉を頂き身に余る光栄に存じます。これからもお手伝い出来る事がございましたら、なんなりとお申し付け下さいませ」
ローズロッテはずっと頭を下げたまま、その声が緊張しているのが分かる。これに懲りて今後はローズもさすがに王子に対してからかう様な真似はしないだろう。
王子からの『お返し』は本人が意識してはいないからこそ、女が受ける脅威は計り知れない。
ーーもしかしたら、これでローズがユーリウス王子に心奪われ惚れてしまうかも?
それでも、ローズには絶対に王子はあげないわ。私同様に腹黒な侯爵令嬢も純真なユーリウス王子には相応しくないもの。
「ユーリウス王子。私を心配してここまで来てくれて本当にありがとう。貴方には前回の訪問の時といい、お忙しい身であるのに心配や迷惑ばかり掛けて大変申し訳ないわ」
するとユーリウス王子は首を横に振って私を真っ直ぐに見つめる。
「いいえ。迷惑などと微塵にも思ってはおりません。 寧ろ嬉しいのです。貴女をこうして心配出来る事も婚約者である私の『特権』でもあるのですから。
それに申し上げましたでしょう? もし何か心配事があるならば私を頼って欲しいと。いつ何時でも貴女の力になりたいと。例え離れていても私の心は常に姫のお傍に有りたいのです」
「貴方の心配性も私のせいで酷くなる一方ね。でも大丈夫。今日の儀式での『独唱』は私の大切な人達の為に歌うから必ず成功するわ。ーーまあ、その後はどうなるか分からないけれど。とにかく賓客である貴方にも我が国の『奉納祭』を少しでも楽しんでいってもらえると嬉しいわ」
ーーふふっ、それでなくとも今回の『儀式』では、アニエス姉様中心に引っ掻き回すつもりだから。しかも緊張や不安どころか、今から楽しみで仕方ないのよね。
私はこれから起こるであろう事を想像しながら一人でクスクスと笑っていると、
ーーゴーン、ゴーン、ゴーン……………
『奉納祭』開始の鐘が鳴り響く。
「ーーああ、『奉納祭』が始まったわね。私達はもう控えの間に行かないとーーー」
私は鐘が鳴っている方角を見つめながら呟くとそんな私の前に突然ユーリウス王子が跪く。
「え? ユーリウス王子?」
「我が婚約者であるその御手に触れられぬがゆえ、どうか貴女の衣の裾に触れる事をお許し下さいーーー」
言うなりユーリウス王子は私のマント裾を手に取るとそっと『キス』を落とした。
「我が心は常に貴女のお傍にーーそして『聖乙女』の祝福を私にもお与え下さい。ーー貴女の此度のご成功をお祈りしています」
「「!!!!」」
その場にいた私とローズロッテはユーリウス王子の魅惑的過ぎる所作を目の当たりにし、声にならない“心の悲鳴”をほぼ同時にあげると、私達はその場に固まったまま放心状態になったのは言うまでもない。
ーーユーリウス王子。お願いだから手加減して欲しい。その内、いたいけな乙女の死人が出ると思う……………
【21ー終】