奉納祭【4】~仕返し計画
【20】
「アニエス様! いくら何でもそれはあまりにもご勝手過ぎですわ!!」
ローズロッテがアニエスに向かって怒りの声を上げる。しかしアニエスは取り澄ました表情で、ふん、とそっぽを向く。
ーー事の次第は、儀式が始まろうとしている矢先にまた、お騒がせの第三王女アニエスが突如として嵐を起こす。
「アニエス様、それは認められません。時間も差し迫っているのです。当初の予定通り、ご自分の武具を担当なさって下さい」
さすがは神女長だけあって落ち着いてはいるものの、その口調は今まで以上に厳しい。しかしアニエスはそんな声も無視して姿鏡に映る自分の姿の出来映えに余念がない。
「あら? 武具の変更は『規定違反』ではありませんでしょう? それに“主役の座”を譲って差し上げるのですからよろしいではありませんの」
そういうアニエスは私達には視線すらも向けずにひたすら鏡を見ながら紅を引き直し始める。
「よろしいわけがありませんでしょう!? しかも突然何を仰るかと思えば、『剣が重くて手首が痛いから矛と担当を変えろ』ですって!? そもそも『剣の聖乙女』を誰よりも一番初めにお選びになったのはアニエス様ご自身ではありませんの!! 王女である高貴な血統のご自身に相応しいからと仰っておられたのは私、忘れてはおりませんわよ?」
ローズロッテが捲し立てるもアニエスは飄々とした口調で答える。
「ですから譲って差し上げるのですわ。その子もこの国の第四王女でしてよ? ならば武具を交換したところで王女が『剣の聖乙女』であるのになんら変わらりませんでしょう?」
「申し上げますけれどそれは“屁理屈”と言うのですわ! しかもリルディア様のご事情を知っての嫌がらせとしか取れませんわよ!! いくら第三王女であろうとそんな我儘は通りませんわ。自分で選択された武具を担当なさいませ」
するとアニエスはその言葉が面白くないのかローズロッテに向き直ると、またいつもの口喧嘩が始まる。
「王女である私にそのような無礼な物言いをするなどと、本当にどこまでも失礼で生意気な女ですわね!! 私はブランノアの正統な血統の王女であり、しかもフォルセナ王家の血族でもありますのよ?
それをたかが一貴族の令嬢如きが二つの国の王族の私にそのような口をきいて、自身の身分もわきまえず、不敬にもほどがありますわ!! 貴女から受けた今までの無礼を母上に申し上げて王女である私への不敬罪で罰して頂いても良いのよ!?」
しかしそんなアニエスの脅しを含む言葉にもローズロッテの方は全く動じる様子もなく、寧ろ呆れた表情をしている。
ーーまあ、当然だろう。そんな二人の喧嘩は毎度の事ではあるが、アニエスの幼稚さには、年下の私から見ても「いい加減、学習しろ」と言いたい。
ローズロッテの生家であるデコルデ侯爵家が普通の一貴族ではない事は誰しもが周知されしている常識でもあるのに、そんなアニエスには一国の王女でありながら政治的な事など一切無関心で彼女の頭の中にあるのは自分の美容とお洒落の事だけだ。
ーーまあ、言うなれば、これも典型的な貴族のご令嬢の姿ではあるが、いくら男社会の政治には関われない立場にある女であるとはいえ、あまりにも無知であるのもどうかとも思うし、そんな彼女はある意味私よりもずっと子供である。
「…………はあ、またですの? そして二言目には直ぐに“母上に”? もうそれは聞き飽きましてよ? どうぞ不敬罪でも何でも結構ですわよ? 私、アニエス様のように筋の通らないお話は一切申してはおりませんもの。それに我がデコルデ侯爵家はアニエス様が見下されている一貴族とはいえ、他の貴族の皆様方とは全く違いますわよ?
我がデコルデ家はブランノアの王家と並ぶ古来から続く代々の侯爵家であり、かつて祖先にはブランノア王家の血統者もおりました。そして更には世界各国に陸海と幅広く商業ルートを持つ『大豪商』でもありますわ。本来であればこういう事はあまり口には出したくはないのですけれど、そんな我が一族の各国での影響力はアニエス様には想像すらつかないほどに、とてつもなく大きな規模で展開しておりましてよ?
そのデコルデ家一族を敵に回すという事は、国の経済が元より破綻すると言っても過言ではありませんわ? ですからブランノアのみならず、他の諸国でも我が家の顔利きは大変広いですのよ? 勿論、王妃様の母国であるフォルセナ王家とも古いお付き合いで、現在に至っても変わらぬご愛顧を頂いておりますわ?
そういう事ですからアニエス様が何を仰られようとも私に致しましては“脅しにすらならない”と幾度も申し上げているはずなのですけれど、アニエス様には中々ご理解下さらないので私、これ以上どうご説明申し上げれば良いのか分かりませんわ? それにリルディア様への目に余る嫌がらせは国王陛下が黙っているとも思いませんけれどーーー」
「うぐっ…………」
こうしていつもアニエスは何も言えなくなり、結局最後にはローズロッテに言い負かされてしまう。そんな毎度お馴染みの光景ながら賢く口達者なローズロッテに対して正直、頭の弱いアニエスが口で敵うはずもないのに、それでもアニエスは持ち前のそのプライドの高さ故か性懲りもなく事あるごとにローズロッテに喧嘩を吹っかける。
ーーそこで私が思うに、こうして結果が見えているのに同じ事を繰り返すのは、彼女にとって唯一正面をきって喧嘩を出来る相手がローズロッテだからこそアニエスは毎回絡んでいるのかもしれない。
何だかんだ言っても二人は年齢も一つしか違わず、(アニエスの方が年上である)服装などの趣向もほぼ同じで、きっとアニエスの高慢で傲慢な態度さえなければ二人はきっと良好な友人関係を築けたであろうにとは思う。
まあ、それはともかくとしてーー今はこの状況を収拾しなくては。儀式までもう時間がない。
バチバチと火花が見えるかのように睨み合う二人に、私は大きなため息をつくと、二人の口喧嘩の勝敗がついたところで口を挟む。
「ーーいいわよ?『剣の聖乙女』は私が請け負うわ」
「えっ??」
「リルディア様??」
そんな私の言葉にローズロッテとアニエスが驚いたように同時に私を見つめる。
「あ、あなた、本気で言っていますの? 剣の舞踊は他のに比べて複雑な上、しかもあなたの担当武具ですらありませんのに、ましてあなたには覚える時間など全く無かったはずですわ?」
アニエスは自分が交換を言い出した事も失念しているのか、私の反応が自分の想像とは全く違っていたのだろう。さしずめ困り果てて情けなく泣きつく姿を単に見たかっただけなのだろうが、彼女の驚きを隠せないその表情から私は悟る。
ーーああ、やっぱりね。『確信犯』かーーー
「リ、リルディア様!? 何もリルディア様がアニエス様の我儘をお聞きなさる事などありませんのよ? アニエス様の我儘はいつもの事ですもの。ご勝手に一人で騒いでいらっしゃればよろしいのですわ? そうやってご自身の評価を自らお下げになっていらしても私共にはなんら関係などございませんもの」
「なっ、なんですって!?」
ローズロッテの今までよりも幾分はっきりとした辛辣な言葉に再びアニエスの怒りに火が灯りそうではあったが、私はすかさずローズロッテの腕を引っ張る。
「ローズ、いいのよ。私が『剣』を担当するわ。それにほら、もう時間が無いのよ? 喧嘩なんてしている場合? 私達がいつまでもこうしていると、他の人達が困ってしまうわ?」
「で、ですがリルディア様ーーー」
私を心配するローズロッテの腕を安心させる為にポンポンと軽く叩くと、そんな私は訝しげに見つめるアニエスの前で私はニッコリと微笑んで口を開く。
「アニエス姉様。本日は儀式の“主役の座”を私に譲って下さり大変光栄ですわ。それでなくとも年端もいかぬ私が異例でもある特別な『聖乙女』として多くの皆様方から望まれ、更には正規の聖乙女である皆様方を差し置いて儀式の『独唱』まで懇願され、正直なところ困惑しておりましたの。
しかも高貴な血統の王女であられるアニエス姉様がいらっしゃるというのに、その姉様を差し置いて市井の母を持つ私だけがご来賓の方々から注目を浴びてしまいますでしょう? 私、それが一番心苦しくてずっと胸を痛めていたのです。
ですから姉様が『剣の聖乙女』で私はようやくその陰に控えられると内心、甘えて安堵しておりましたが、アニエス姉様はそんな私の“甘え”を見抜いておられたのですね? それで儀式では最後まで私に王女としての責任を持たせる為に儀式の『主役』でもある『剣の聖乙女』を敢えて私に任せようとなさったのでしょう?
ーーふふっ、なんてお優しい姉様。不甲斐ない私の為を思って自ら“日蔭の身”になって下さるなんて。私、そんな姉様のお気持ちに応えるべく一生懸命、『主役』を務めますわね?
ーーああ、ですがアニエス姉様は『矛』の舞踊がお出来になられるのかしら? 私はたとえ踊れなくとも母が市井出の愛妾ですし、まだ12歳の子供ですもの。皆様、寛大な目で見守って下さるでしょうけれど、アニエス姉様はブランノアとフォルセナ王家の『顔』ですものね。私とは違って絶対に失態など出来ないでしょう? 特に王妃様の前ではーーー
もしよろしければ時間はあまりありませんが、この度私の為に用意された特別に簡易化された『矛』の舞踊書がありますからお持ち致しましょうか? 子供でも直ぐに覚えられる簡単な踊りですからアニエス姉様であっても初見で大丈夫でしてよ?」
私は故意的にアニエスのプライドを逆撫でするであろう言葉を逐一選んで口に出していると、案の定、アニエスの表情は不機嫌極まりなく眉間を歪め口許を引きつらせて両手の拳を固く握りしめたまま、その肩が小刻みに震えている。
「け、結構ですわ!! そんな事よりもご自分の心配をされた方がよろしいのではなくて? その生意気な強がりがどこまで通用するのかが見物ですわね。
父上を味方につけて調子に乗っている様だけれど、あなたとて失態すれば、それが子供であろうと大衆の面前で国王である父上の顔に泥を塗る事になりますのよ? ーーふん、せいぜい足掻いて皆の前で恥をかいてその厚顔無恥な傲慢さを思い知ると良いですわ!」
アニエスは悔し紛れに言い捨てると、床を踏み鳴らしながら周囲に八つ当たりの言葉を浴びせて一人で向こうの方へ行ってしまった。私がその後ろ姿に舌を出して傍迷惑な『嵐』を見送る。
「アニエス様! お待ち下さい。お話があります!」
神女長がそんなアニエスの後を追いかけて行く。するとローズロッテが私の袖をクイクイと引っ張る。
「リルディア様!! あんな事を仰ってどうなさるおつもりですの!? あれは明らかにリルディア様を困らせようとするアニエス様の陰湿な嫌がらせですのよ? あの方の言う事など放っておけばよろしいのに、いくらアニエス様にお腹立ちであったとしても挑発を受けて立つには時と場合がございますでしょう!?
それでなくとも矛の舞踊を覚えられたばかりなのに、いきなり『剣の』舞踊だなんて、今から覚えるには時間もありませんし無謀過ぎますわよ!
ーーああ、どうしましょう? そうですわ! ここはやはり皆で倒れてしまうしかありませんわ! 少々強引ではありますけれど舞台に上がった瞬間に皆で倒れてしまえば、全てはアニエス様のご責任にーーー」
そんな困惑するローズロッテを落ち着くように促す。
「ローズ、貴女が慌ててどうするの? 少し落ち着いてよ」
「リルディア様!? そんな悠長な事を仰っている場合ではありませんわ! このままアニエス様の思惑に
まんまと嵌まっておしまいになるおつもりですの!?」
少し苛立ちを見せるローズロッテに私は問題ないと言うように左手をひらひらと振る。
「そんなわけないでしょ? それも“想定内”よ。アニエス姉様の性格や言葉の端から、多分「何かあるな?」とは薄々思っていたわ。一応あの人とは姉妹だし同じ所で生活している事もあって、何となくそういうのが分かるのよね」
「アニエス様のご性分がお悪いのは勿論私も存じておりますわ。それでも“想定内”と仰られるからには何か『策』でもおありですの? もう時間がありませんのよ?」
その問いに私は不敵な笑みを浮かべる。
「ふふっ、私がこの二日間、あの舞踊書と奮闘していたのは覚えているでしょう?」
「え? ええ。お食事もそこそこにずっとあの羊皮紙を怖いくらいに睨み付けておいででしたわ?」
「私があの時覚えていたのは『矛』の舞踊じゃないのよ。初めから『剣』の方の舞踊を覚えていたの」
「ええっ??」
私の言葉にローズロッテが驚いた声を上げる。
「だって、あのアニエス姉様なら私への嫌がらせで直前で自分と私の武具を取り替えるとか、言い出しそうじゃない。ーーまあ、こちらの想定を裏切らずに、それは実行してくれたのだけれど。だからアニエス姉様のやりそうな事は予め予想していたってわけ」
「で、ですが、実際にリルディア様が練習なさっていたのは『矛』の舞踊の方でしたわ?」
「ーーまあ、もしかしたら予想が外れるかもしれないし、一応、覚えておくに越した事はないでしょ? それにアニエス姉様にも極力勘づかれない様にしないといけなかったし。
だけど実は大して『矛』の正式な踊りの方は何となく覚えていればよいかな?くらいで、いざとなれば簡易化の方を踊ろうと思っていたのよ。王女が簡易化された踊りなんて恥ずかしいとか、あの時は周りの目があったからああは言ったけど、そんな大層なプライドなんかよりも踊れなくて慌てて焦っている姿を晒す方が確実に恥ずかしいじゃない。
だけど逆に想定外だった市井の彼女達が私の練習に付き合ってくれたお陰で中でも市井の『剣の聖乙女』には本当に助けられたわ。やっぱり頭で覚えるよりも実際、体感して覚える方が早いものね」
「ああ、だからですのね? 皆で練習をしていた時にリルディア様は市井の『剣の聖乙女』に色々と聞いていらしたから」
「まあ、そういう事。それでも『剣』も『矛』も所詮、付け焼き刃である事に変わりはないから完璧に踊れるかと言えばあまり自信はないのだけれど、それでも大きな失敗さえしなければ案外どうにかなるものよ」
「そ、それはそうですけれどーーー」
それでもまだ不安そうな顔をするローズロッテに私はそんな彼女の片袖を引いて自分の方へと引き寄せると、その耳元にこっそりと囁く。
「ーーローズ、大丈夫よ? 心配しないで? それにこの私が甘んじて彼女の嫌がらせを受けていると思う? それなりに『報復』はさせて貰うつもりよ? 実はねーーー」
「え? ええっ!? い、いつの間にーーー」
私の内緒話に驚くローズロッテに私は尚更不敵に微笑む。
「ふふっ、『刃には盾』だなんて、冗談じゃない。『刃には刃を』よ?
どうやら姉様はこの度の儀式で大勢の人間の前で私に恥をかかせるおつもりなのでしょうけれど、それをそっくりお返し差し上げるわ。それでなくともご自分で『原因』をお作りなさっているのですもの“身から出たなんとやら”ってね?
ーーああ、でももしかしたら、“あれ”が苦手であれば、貴女達にも多少なりとも被害が及ぶかもしれないけれど、そこはまあ取り敢えず、自然界において害の無い可愛いものだから安心してもいいわよ?」
それを聞いたローズロッテの顔にはいかにも不快で複雑そうな感情が浮かんでいる。
「……………リルディア様。私も…………“あれ”はかなり苦手な方ですわ。そして私のみならずおそらく他の女性達も……………
で、ですが、リルディア様? まさか“あれ”をご自分で捕まえられたーーと、いう事は勿論、ありませんわよね?」
恐る恐る聞いてくるローズロッテに私はニッコリと笑いながら頷く。
「勿論、自分で捕まえたに決まっているじゃない。ーーふふっ、ここの薬草園は特に広くて大きいから、いくらでも捕まえ放題ですごく楽しかったわ。昔からお父様と一緒にそうやってよく遊んでいたのよ。しかも“あれ”を見せると周りがキャーキャー叫んで逃げ回るのを見るのも楽しくて快感だったし。
ーーああ、そうね。今度またお父様に農園にでも連れて行って貰おうかしら? 久々にお父様と“あれ等”の捕獲数を競いたくなったわ。ローズロッテも一緒にどう? “あれ”も慣れると意外に可愛いのよ?」
するとローズロッテが思いっきり身を引いて身震いする。
「い、いえ、ご遠慮致しますわ。それにしてもさすがは野性の申し子ーーい、いえ、国王陛下の御子様ですわね。先をも見通す鋭い洞察力と天真爛漫の怖いもの知らずーーリルディア様を拝見しているとまるで国王陛下を彷彿とさせるくらいによく似ておいでで、つくづく敬服致します」
「そう? でも大抵の皆は私は母様に似ていると言うわよ? ーーまあ、外見が瓜二つだからというのもあるけれど」
「ふふっ、それは皆様がリルディア様を表面上でしか見てはいないからですわ。リルディア様は外見はお母上似であっても、中身は陛下そのもの。ですから外見だけで侮ると相手が痛い目を見ますわね。此度のアニエス様がまさにその『例』でしてよ」
「アニエス姉様はさておき、私をそんな“要注意人物”みたいな言い方しないでよ。確かに私の性分はお父様に似ているとは自分でも思っているけれど、私はお父様のように戦をしたいとも思わないし、どちらかと言えば基本は『平和主義』よ?
勿論、退屈なのは大嫌いだけど、それとは別にしても世の中皆が平和で楽しく過ごせるのなら、“事なかれ”が一番良いに決まっているじゃないの」
「……………国王陛下とそっくりなリルディア様の口からそれを聞くと、何だか複雑な違和感すら覚えますわ………これでもし、リルディア様が世継ぎの王子であられたならば、きっと我が国は安泰かつ平和で民達も安心して暮らせるでしょうに」
「それはどうかしら? たとえ私が男だったとしても、アーノルト叔父上と同じよ。私の母様は市井の平民出なのよ。そんな私が国王になるなんて事は、余程の事態が起こらない限り、まずあり得ないでしょ?
しかも現実、私は女なのだもの。「あったならーーー」だなんて、非現実的で考えるだけ馬鹿馬鹿しいと思わない? そんな事よりも、もっと現実的で生産性のある事を考えた方が先々明るいし楽しいじゃない?」
するとローズロッテは笑顔で私に拍手をする。
「ふふっ! 本当に仰られる通りですわ。私、リルディア様のそういう所が大好きですのよ? そしてリルディア様の御前には常に真っ直ぐな道しかございませんのね? どうぞリルディア様はこの先も後ろなど振り返らずに、そのまま真っ直ぐに突き進んで下さいませ。そんなリルディア様の後方は私が綺麗にして差し上げますのでご心配には及びませんわ」
そして何の悪びれもなく無垢な子供のように屈託のない笑顔で私の腕にするりと自分の腕を回してくるローズロッテを見つめ、私は小さくため息をつく。
「ーー“類は友を呼ぶ”………か。結局こういう事なのよね。私も本当に良い『悪友』を持って幸せだわ。でも、ローズ? 私はやはり母様にも似ているの。だから母様と同じ様に、自分で汚したものは自分で綺麗にするわ? 幼い頃は他人にやらせるのが当然にして当たり前だったけれど、今は違って、基本的には他人任せにはしない主義なの」
「ええ、それは分かっておりますわ。ですから何にせよ全ては私の押し掛け苦労ですの。勿論、リルディア様にはご迷惑はお掛け致しませんので、どうかお気になさらないで? ーーふふっ、それに致しましてもリルディア様も中々の『策士』ですわね? 私も次第に儀式が楽しみになって参りましたわ?」
「あら? だけど自分にも被害を被るかもしれないわよ? “あれ”苦手なんでしょ?」
「ええ、ですがそこはもう私、腹を括りましたわ。あのアニエス様の慌てふためくお姿が見られるのですもの。きっと後世に語り継がれる話題となる事でしょう。
ーーですけれど、リルディア様? お願いですから、どうか私の側には、決して“あれ”を近付けないで下さいませ。気持ちと致しましては腹は括れども実際に目の当たりにした時に正直に申しまして、あまり自信がありませんの」
そんな心底嫌そうな表情でローズロッテが私の腕にしがみつく。
「ふうん。そんなに“あれ”が苦手なんだ? ローズなら結構そういうのも大丈夫かな?とは思っていたのだけれど、意外に普通のお嬢様だったのね?」
するとローズロッテは栗鼠のように頬を膨らませて拗ねてみせる。
「まあ、“意外”とは心外ですわ? こう見えましても私は“普通”どころか、一応“深窓”の貴族のご令嬢でしてよ? それに大抵の女性であれば、“あれ”は殆どの皆様が苦手なはずですわ。
リルディア様にしてみれば大袈裟に思われるかもしれませんが、貴族のご婦人方の中には、“あれ”が体に付いただけでも卒倒される方もいらっしゃるとか。それを平気だと仰られるリルディア様の方が“特別”なのですわ!」
「卒倒って、女が自分をか弱く見せる為に使う常套手段でわざとじゃないの? あんな自然の一部の小さな生き物なのに体についたくらいで気絶するなんて、そちらの方が信じられない。
確かに中には毒を持つものもいるかもしれないけれど、その他は殆んどが無害で、逆に人の役にたっているのだっているのに私なら素手でだって触れるわよ?」
それを聞いたローズロッテが小さく悲鳴を上げて私の腕を慌てて離すと、私から少し距離を取った状態で自分の体を小さく縮こませる。
「触れるって、まさか今回の“あれ”も素手で?」
「ああ? 捕まえる時は網や木の枝を使ったけれど、仕込むのは素手でやったわよ?」
「ひっ! リ、リルディア様。もう結構ですわ! それ以上、何も仰らないで!!」
そんな怯えるように尚更私から距離を取るローズロッテの反応を見て、以前、私と父が“あれ”を捕獲して持ち帰り、城の侍女達に見せた時の反応をふと思い出し、またあの時のような悪戯心がムクムクと甦る。
そして自然とにやけ顔を浮かべたまま、両手の指を怪しげに揉み揉みと動かしながら私から距離を取っているローズロッテとの間を縮めるようにゆっくりと近付く。
「うふふっ、ねえ? ローズ? やっぱり今度一緒に農園に行きましょうよ? ああ、森の中でもいいわね。“あれ”の捕り方を教えてあげるわ。そしていつも、とりすました貴族の令嬢達に“あれ”を見せてみない? きっと普段とは違う姿が見られて、すごく楽しいわよ?」
「リ、リルディア様? お顔がすごく怖いですわ? しかも手の指の動きも不自然でいかがわし過ぎますわよ。あ、あの、折角のお誘いなのですけれど、私は、け、結構ですわ。実のところ農園も森もあまり好きではありませんの」
「ふうん? でも貴女のお屋敷では私へのサプライズのお茶会で森の中を演出して作られていたじゃないの」
ジリジリと詰め寄る私から逃げるように怯えた様子で後退するローズロッテが何とも面白くて仕方がない。
「それは、雰囲気を重視しての演出ですから現実とは違いますわ」
「あら? それにドレスにも蝶の羽がついていたわ? そんな蝶だって“あれ”と同じ仲間じゃないの。なのにどうして嫌がるの?」
「い、いくら同じ仲間でも蝶と“あれ”では全然違いますわ!? だからこそリルディア様もアニエス様の仕返しを思い付かれたのではありませんの?
とにかくですわ! 今はそれどころではありませんでしょう? 儀式が始まる本番までに少しでも踊りの復習を致しましょう? 私も一緒にお手伝い致しますわ」
「フッ、もう今更足掻いても仕方ないじゃない? それにいざとなったら貴女の提案通り気絶すれば良い事だし大丈夫よ。ふふっ、まさか自分から常套手段を使うなんて思わなかったけど。
ーーねえ、そんな事よりもローズ? 遠慮しなくてもいいのよ? “あれ”をどうやって捕まえたのか貴女に教えてあげる。このくらいの大きさの“あれ”を見つけたらまず木の枝でこうやってね? それからーーー」
「いやあぁぁーー聞きたくありませんわ!! リルディア様! それ自体こそ“そんな事”ですわ!! 今、私達が重要視しなければならないのは儀式の方ですわよ。
それに現実逃避などリルディア様らしくもありませんわ? しかも『相手』が違いますでしょう? リルディア様の標的は『アニエス様』であって、『私』ではありませんわよね?」
私は追い詰められて焦りながらも後ずさっていくローズロッテに一定の距離を取って近付いていた私は、やはり指先を動かしながら端から見ても怪しいであろう笑顔で微笑む。
「うふふっ、そうなんだけれど、ローズ、貴女は忘れているわ。私は世間ではまだ『子供』なのよ? だから現実逃避だろうと何をしても許される年齢なの。尚更儀式なんてどうでもいいわ。しかも今はアニエス姉様の事よりもローズの反応の方が面白いんだもの。
ーーふうん? でもそんなに怯えるほど“あれ”が苦手だとは知らなかったわ? それじゃあ、ローズがこんな状態になってしまうのだから、アニエス姉様の時は一体どんな風になるのかしらね? ねえ? ローズもそうは思わない?」
「リ、リルディア様! 都合の良し悪しで『子供』を使い分けるだなんてズルいですわよ!? しかもお願いですからそれ以上近付かないで下さいませ! その雰囲気が何故か怖いですわ。それに指の動きがいかがわしいと申し上げましたでしょう!? 戯れにもほどがありましてよ? 私に何をなさるおつもりですの!?」
「何をってーーそれを私に言わせたいの? ーーフッ、私に何をして欲しい?」
その瞬間のローズロッテの表情は本当に面白かった。一瞬固まったかと思うと口をパクパクと開いて『こ、国王陛下のご降臨ですわ!!』ーーなどと意味不明な事を叫び、しかも脱兎の如く、それは素早い勢いで逃げていった。
そんなローズロッテにも意外に可愛らしい一面もあるのだなと思いながら、慌てて逃げて行く彼女の後ろ姿を見てクスクスと笑う。そうして私は一人になり両腕を上げて体をひと伸びさせてから一息つくと、この神女の館から見えるこの後、儀式の執り行われる大神殿を見つめながら、大きく深呼吸をする。
「ーーさて、と。 ローズのお陰で姉様から受けた苛々解消も出来た事だし、いざ出陣と致しますかーーー
………………アリシア、来ているのかな? ーー来なければいいのに」
今ここにローズロッテの姿がないからこそ呟けるもう一つの本音ーーー
心の底でアリシアが許せないという自分がいるのと同時に、ローズロッテ達と共にアリシアに対して悪い事をしようと企んでいるのを戸惑っている自分が存在する。
ここまできて後に退けないことは分かっている。けれど私の中の僅かに残る良心とでもいうのだろうか? そんな決意を鈍らせるかの様に、心にチクチクと幾度も棘を刺してくる。
ーーローズロッテ達はアリシアに分相応というものをわきまえさせて調子に乗らせないように“一度人前で恥をかかせる”ーーというのが今回の『計画』の主旨だった。
勿論、アリシアに暴力をふるう事などは決して無く、ちょっとした悪戯で困らせて懲らしめるだけなのだと言う。具体的な内容についてはローズロッテが私には知る必要がないと言って教えてはくれない。全ては自分達が動くので私はローズロッテの指示通りにしていれば良いのだそうだ。
それならば私がいなくとも関係なしに事を成せるとも思うが、そこは私がいる事で動きやすくなり尚且つアリシアに対して不快な思いを抱く者同士互いにその不満を解消出来るとあって、私はローズロッテ達の『計画』に賛同した。
ローズロッテの言葉を信じるならば、アリシアはちょっとだけ私達に意地悪をされて恥ずかしい思いをするだけだ。それに貴族社会では苛めなどよくある事で、もっと悪質な嫌がらせも少なくはない。それに比べれば、私達の報復行動など単なる可愛げのない意地悪にしか過ぎない。
だからアリシアへの仕打ちはいつもの令嬢達への意地悪の一環なのだーーまして子供の喧嘩のようなものに心が痛むはずはないーーー
そう思うのに、考える度に胸の奥がモヤモヤとして、痛むはずがないのに小さな棘が幾つも刺さっている感じがするーーー
(…………もし、この事をクラウスが知ったら…………)
私はその度に頭に浮かぶ言葉を吹き消すように大きく首を振って、頭の中からかき出してしまうと再び深呼吸をしながら快晴の青空を見上げて呟いた。
「ーー長い一日になりそうね」
【20ー終】