奉納祭【3】~花迷惑/薬草園/リルディアの腕輪
【19】
ーーそして儀式の時間が刻々と近付く頃、私達は儀式の衣装に着替えて控えの間に集まっていた。
『祝福の聖乙女』の衣装は、皆、揃いの白い薄地のふわりとしたシフォンドレスに、頭には花冠、胸元と手首には花飾りを付けるのが正装である。
しかしそんな中でアニエスただ一人だけが協調性もどこへやら、髪やドレスに薔薇や百合などの花を溢れんばかりに沢山付けて現れた。当然、神女長がその姿を咎めるも、一方のアニエスはーーー
「『祝福の聖乙女』の規定には花飾りで使う花の種類や数までは明記されてはおりませんわ。ですからどのような花をどれだけ使おうとも“規定違反”にはなりませんでしょう?」
ーーと反論し、確かにアニエスの言う通り『聖乙女』の規定にはそのようなことは明記されてはいなかったので、そこを指摘されては、規則を重んじる神女長には、さすがにそれ以上強くは言えず、結局、一人だけ全身を沢山の花で飾り付けた派手な『聖乙女』が6人の中でおもいっきり浮きまくっていた。
そんなアニエスは私とローズロッテを見て、勝ち誇ったように笑う。
「クスクスッ、あなた達。随分と『地味』な格好ですのね。市井の娘達と同じ姿なのですもの。誰が誰なのか全く分かりませんでしたわ?」
私達を見下ろすように嘲笑するアニエスをローズロッテがじっと見つめる。
「アニエス様?? その沢山のお花は一体どうなされましたの?」
小首を傾げるローズロッテの問いに、アニエスは得意気に微笑む。
「『祝福の乙女』のお祝いで、私に贈られてきた数多くの花束の中から調達致しましたの。考えてもご覧になって? 私のような高貴な血統の王女が、市井の娘達と同じ格好をしなければならないだなんて。私は本日の奉納試合の優勝者に宝剣を授与するお役目も担っておりますのよ?
そんな沢山の貴族や来賓客の皆様方の目に触れる場で、王女である私がそのような格好など恥ずかしいではありませんの。
しかも身に付けるのものが、そのような地味な衣装に地味な花飾りだけだなんて、市井の娘達にはお似合いでも私のような高貴な者には全く相応しくはありませんわ! けれど『聖乙女』の衣装は規定であるので変えられないのですって。ですから花飾りの方は王女の私の身を飾るに相応しい花を撰びましたのよ? ふふっ、どう? 綺麗でしょう?」
そう言って、アニエスは上機嫌にくるりと優雅にその場で回って見せる。するとアニエスの髪や体を飾っている沢山の薔薇や百合の強い香りが辺りに広まって、その入り混じった香りの強さに私達は思わず顔を顰める。
「………アニエス様。確かに綺麗ではありますけれど、でも花飾りにしては少々多過ぎませんこと? しかもそのように沢山体にお飾りになるのは、おやめになられた方がよろしいですわ。ーー後々、大変ですわよ?」
珍しくローズロッテがアニエスに忠告を促すもアニエスはふふん、と自慢気に笑うだけだ。
「あら? 羨ましくて? 何でしたらあなた達も私の真似をなさってもよろしくてよ? あなた達の所にも花束は贈られているのでしょう?」
それにはローズロッテが首を横に振る。
「いいえ、私達はこのままで十分ですわ。アニエス様がそれでよろしいのでしたら、別に良いのですけれど……… ーーお体にはご自愛あそばせ?」
「ご自愛? ーーまあ、よろしいわ。それにしても貴族のご令嬢でありますのに、下々の者と同じ姿で良いだなんて、本当に変わっていらっしゃること。 これでは私だけが儀式で目立ってしまうではありませんの。ーーほほほ」
ローズロッテの言葉にアニエスは一瞬首を傾げたが、直ぐに大して気にする様子もなく、ワザとらしく高笑いをしながら、大きな姿鏡に映る自分の姿に、うっとりとした視線を向ける。
「んん、こうして見ると、まだ、足りない気もしますわね? やっぱり髪飾りの花がもう少しあった方が良いかしら? それに肩の方にも、もっと大きな花を付けた方がより華やかですわよね」
アニエスの呟く独り言に私は思わずギョッとする。
ーーえっ?? まさか、あれ以上、まだ飾るつもりなの?? あんなに全身花だらけなのに、ドレスなんて花に隠れてしまって殆ど見えないじゃない!!
しかも何? この入り混じった強烈な花の香りは!? まるで舞踏会で集まる貴婦人達の付けている香水の入り混じった香りと同等か、それ以上のものよ? それにいくら何でもあれは花の付け過ぎよ! 綺麗だからって付ければ良いってものじゃないわ。限度という言葉を知らないのかしら?
ーーくっ、それよりも香りがキツ過ぎて、一緒にいると具合が悪くなりそうだわ。
私は自分の鼻を隠すように、肩に掛けたドレスのベールで口許を覆っていると、周囲の人達も私と同じ様に口許を覆うかアニエスから大きく距離をとって離れている。
そんな状況にも関わらずアニエス一人だけが周りの様子に気付く事もなく、やはり花飾りをつけ直しに行くと言って、神女長が止めるのも全く聞かずに自分の部屋にさっさと戻って行ってしまった。
そんな彼女が歩く動きに合わせて、その強烈な花の香りの残り香が、視界にも見えてしまうのではないかと言うくらいに漂い、周囲の神女達はアニエスの姿が見えない事を確認すると、皆が一斉に窓という窓を開け放つ。
私も開け放たれた窓の方に移動すると、外の新鮮な空気を大きく深呼吸をして木々から放たれる清涼な香りでアニエスによって麻痺してしまった鼻を癒していると、ローズロッテも私の隣に移動してきた。
「アニエス様にも困ったものですわね。自己顕示欲もあそこまで強過ぎると、かえって周りに悪影響を与えますわよ」
そんな呆れ返っている様子のローズロッテに、私も苦笑いを浮かべる。
「でも、ローズ? 貴女、珍しくアニエス姉様に花の付け過ぎを忠告していたじゃない。いつもなら放っておくのに」
するとローズロッテは大きく肩を竦めながら声を落としてこっそりと口を開く。
「勿論、アニエス様の個人的な事であれば、当然、放っておきますわよ。ですがあの花飾りの付け過ぎに関しては一緒にいる私達にも被害が被るので、『やむを得ず』ですわ」
「確かにね。あれはいくら何でも付け過ぎだわ。しかもあんなに香りが強烈なのに、そんな強い香りの花ばかりを付けている本人が全く平気であるのが信じられない。私はあの香りで何だか胸の辺りがムカムカしてきて具合が悪くなりそうよ」
私は顔を顰めたまま、思い出したように胸を押さえていると、そんなローズロッテもハンカチを取り出して口許を押さえながら、私だけに聞こえるように更に小声で囁く。
「本当にそうですわ。あの方は儀式を失敗させようとなさっているとしか思えませんわね。しかもあの薔薇と百合は最近品種改良された『女神の芳香』と呼ばれる幾多ある花の中でも最も芳香の強い特別品種ですわ。
まだ作られている数も少ないので貴族の間ですらも非常に手に入りにくいと言われている大変貴重な希少品種でもあるのですけれど、その見た目も大変美しく一輪の花だけであってもその芳香は、さすがは『女神の芳香』という冠が付いているだけあって、他の品種と比べて群を抜いて素晴らしいのですが、
一つだけ厄介な事にあの品種の花の蜜は特に香りが強い事もあって、あのように髪や体に付けると、暫くはあの強い香りがいくら洗っても取れないという唯一の難点がありますのに、きっと、アニエス様はその事をご存知ないのですわね。
それをあの様に沢山身体中に付けておしまいになるなんて。それでなくとも香料というものは、気温や体温に反応して香るものですのに。今はまだ朝方ですから、この程度で済んでおりますけれど、気温が上がる日中はそれこそ大変ですわよ? まして本日はこの晴天の大変良いお天気な上、儀式での舞踊もありますでしょう?
いくら舞踏会やお茶会の席で普段から香水の香りには慣れていらっしゃるアニエス様と言えども、この先、あの花の香りが更に強くなれば、さすがに耐えられるとも思えませんわ。
しかもいくら洗っても落ちないのですもの。誰もアニエス様には近付けない上、そのご本人も少なくとも数日間は、ご自分から香る匂いに具合が悪くて苦しまれるのではないかしら? ですから私、一応ご忠告申し上げましたのに、ご本人が良いと仰るのですもの。仕方ありませんわよね?」
飄々と確信犯的に語るローズロッテに、私は呆れ顔で小さく首を竦める。
「それは“自分達に被害が被るから、やむを得ず”だからでしょう? それでも“その事”を知っていて本人に教えないのは貴女らしいわね。それを知っていたらいくら姉様だってあの沢山の花を直ぐにでも取り去るでしょうに。しかもそうすれば私達の方にも被害は被らないのではないの?」
私はローズロッテにそんな彼女の矛盾の態度に対して問うと、ローズロッテが小さく含みのある笑みを浮かべる。
「それはそれ、これはこれ、ですわ? 普段から高慢で我儘なあの方に知らしめる絶好の機会ですもの。しかもこれはご自分で蒔いた種ですのよ? もしこれが大切なご友人であるリルディア様であれば絶対にお教え致しますけれど、私、あの御方とはそのような親しい間柄ではありませんし。それにあの方はご自分で恥ずかしい思いをなされば、少しはあのような我儘も改めるかもしれませんわ。それとも、リルディア様は姉上様に“花の事”をご親切にも教えて差し上げますの?」
ローズロッテのその言葉に私は尚更大きく手を広げて大きく肩を竦めて見せる。
「私が? まさか? 私が彼女にそんな親切心を持つだなんて、これっぽっちもあると思う? もし私がローズの立場でも同じよ。特に嫌いな人間が自業自得で失敗する姿を見られるのなら、たとえ自分に多少なりとも被害は被ったとしても絶対に教えたりなんかしないわ。
それでなくとも普段から嫌味ばかり言われて、気分を悪くさせられているのだもの、だからこそ、そんな彼女の情けない姿を見られたら、気分がスッとするじゃない」
そう言う私の意地の悪さも相当だーーー
これがあの善人の塊のアリシアならば、相手が困る事を分かっていて黙っている事など絶対にしない。それがたとえ自分にどんなに意地悪な人間であったとしてもーーー
するとローズロッテはクスッと笑いながら、またいつものように私の左腕に自分の腕を絡めてくる。
「ふふっ、ですわよねぇ~? ーー大きな声では申せませんけれど、実は私もあの御方のいつも高慢で得意気なあのお顔が崩れるのかと思うと、今から楽しみなのですわ。
けれど見返りとして、私達は儀式の最中ではあの香りに耐え忍ばなければならないのですから大手を叩いて喜ぶ事は出来ないですわね。何しろあれだけの強い香りなのですもの。大神殿の大広間は広いのですけれど、私達は舞台の上ですからアニエス様からは中々距離は取れませんし。
………そうですわね。それでも極力アニエス様とは距離を取り、どうしても側にいなければならない時は鼻からの呼吸を止めて口で呼吸するしか方法がありませんわ。少々、面倒ではありますけれど、ずっと続くわけではありませんもの。
それでも駄目であれば最終的には具合が悪くなったという事で、皆で倒れてしまいましょう? 事実、あの香りはそれだけの効力があり過ぎるほどにありますもの。誰もが皆、納得する理由には十分ですわよ。そうすれば儀式の不名誉な失態にもなりませんわ。そこは市井の彼女達にもお話して協力して貰いましょう? ーーでは早速、打ち合わせを」
ローズロッテは言うなり、私達から離れた所にいる市井の彼女達を呼び寄せる手招きをするも私はそんなローズロッテの腕を逆に引っ張る。
「リルディア様?」
「ローズ、大丈夫よ。あの香りをどうにかする秘策はあるのよ。だからあくまで倒れるのは“最終手段”ね?」
そんな私の言葉にローズロッテは不思議そうに首を傾げている。
「秘策? ですの??」
「ええ、そうよ。『香りに対抗するには香りで』と言う事よ。そして丁度美味しい具合にここは大神殿であり、ここの薬草園には沢山の薬草が栽培されている事は貴女も知っているでしょう?
そこで安息効果のある薬草ハーブ種と強い香りのミントの葉を擦り潰してそれを鼻の中に塗ると、持続性は短いけれど、鼻に塗ったそれが他から入ってくる匂いを打ち消してくれるのよ。
【注:あくまで作者の想像による方法なので絶対に真似しないで下さいね。現実では間違いなく害があると思います】
勿論、鼻に塗ったものは薬草だから体に害も全く無いし、香りも空気空気が通るような清涼感があるから、ちょっとだけ冷たい感覚はあるけれど特に嫌な感じはしないと思うわ? まあ、感じ方には個人差もあるから、これはあくまで私の感覚で言うのだけれどね? でも、安心しても良いと思う。それは私も普段から使っている方法だから、既に実証済みではあるのよ?」
するとローズロッテの目がキラキラと輝いて私を尊敬するような眼差しで見つめてくる。
「まあ! さすがはリルディア様! 大変な物知りでいらっしゃいますのね? 私 ますますリルディア様を尊敬いたしますわ! けれどそのような方法があるのでしたら、もっと早くに私にもご伝授して頂きたかったですわ? 私も毎回、貴族の皆様方の様々な香水の混じったあの香りには、慣れているとはいえ、不快を伴うのは仕方がないと思っておりましたのに。
ですがその方法さえ知っていれば、もうこの先どんな行事があろうとも不快な思いをしなくても済みそうですわね。教えて下さりありがとうございます。リルディア様」
まるで子供のような笑顔で嬉しそうにニコニコと微笑むローズロッテに、何となしに複雑な気分を覚える。これは私も受け売りで教えてもらった事なので、決して私の知恵ではないからだ。
「そ、そう。それはよかったわ? けれど私は物知りとか、そんな大層な事ではないわよ? 私も人から教えて貰っただけで、そんな何でも知っているわけではないの。だから過剰に期待しないで?」
ーーそう、これは、私が今よりもう少し幼い頃、難産で生まれたという事もあって、私は生まれつき体が弱く何かがあると直ぐに体調を崩して具合が悪くなる体質だった。
なので貴族の集まる催しがある度に様々な香水の入り混じった香りに酔って、度々具合が悪くなる私を見かねたクラウスが自分が薬学に携わっている事もあり、この方法を私に処方してくれたのだ。
それでも今ではあの頃とは違い、私の体も成長した事に伴い父が少しでも私の体を丈夫にする為に常に外に私を連れ出して自然の土や植物そして生き物などに直に接触させていた事もあり、
そんな父の献身的な努力のお陰もあって、私の体はある程度抵抗力もつき丈夫にはなったので今では特に体が弱いという事はないが、それでもやはり一般の人達から比べると体調は崩しやすい方なので医者からは日頃の体調管理には特に気を付けるように言われてはいるーーー
けれど自分的には周りが心配するほどか弱くもないとは思うのだが、私の周りが心配性や過保護な人間が多いので取り敢えず体調には気を付けてはいる。
私は否定の意味も込めて左手を左右に振っていると、ふいにその手をローズロッテに掴まれる。
「ーーリルディア様? 腕輪を付けたままでしてよ? こうしてよく見ると変わった装飾ですのね? そういえばリルディア様はいつもこの腕輪を付けていらっしゃいますけれど、そんなにお気に入りですの?」
ローズロッテに指摘され、私は意図的に花飾りで隠していた自分の左腕の腕輪を見つめる。
「ーーああ、花飾りで隠していたのだけれど、やっぱり目立つかしら?」
「いえ、目立つというほどではありませんけれど、ここのところ、ずっとそれしか身に付けておられないから、いつか伺ってみようとは思っていましたわ? しかも腕輪にしては私達が使っているものとは少し違いますでしょう? ですから興味がありますの」
「………これはお気に入りというよりも私の大切なものなの。一応、どんな衣装に合わせても違和感がないように特注で作らせたから、華美な装飾は施さず付けていても自然な感じに見えるようにはしてあったのだけれどーーー」
ローズロッテは私の腕輪を見つめながらも小首を傾げている。
「まあ? 贈られた品とかではなく、リルディア様ご自身がお作りになられた物でしたの? …………確かに、大変質の良い出来ではありますけれど、失礼を承知で申し上げてしまいますが、リルディア様のような御方がその身にお付けになられるには少々質素な装飾の腕輪ではありませんこと?
それに以前までは、もっと王女様の身を飾るに相応しい美しく可憐な装飾の物を好まれて、身に付けられておられたではありませんの。率直に申しませば、そちらの方がリルディア様のお美しいご容姿には相応しいと思いますわ? それとも趣向がお変わりになられましたの?」
そんな彼女の疑問に私は小さく笑う。
「そういうわけではないのよ。勿論私だって綺麗で可愛い装飾品は今でも変わらす大好きだわ。だけどこれはとても大切な物だから、絶対に失くさないように常に身に付けておきたいの。それで着ているドレスを選ばない、しかも他人の興味も惹かないような装飾にしたのよ。だから貴女だって、私がこれを身に付けるようになってから結構、日は経っているけれど、今までは指摘などしてはこなかったでしょう?」
「ええ、お気に入りの装飾品を常に身に付けておられる方は、そう珍しくはありませんもの。ーーですが、リルディア様が常に身に付けておかなくてはならないほど大切な物だなんて。形見………というわけでもありませんわよね? リルディア様のお身内に最近お亡くなりになられたという方は聞いた事もございませんし、しかもそれはリルディア様がお作りになられたのでしょう? 一体どういった物なのか、お聞きしてもよろしくて?」
「………これはある意味“願掛け”でもあるから詳しくは言えないわ。けれどこれはある約束の大切な『預かりもの』なの。だからその約束が果たされた時に、これを返す事になっているのよ。だからそれまでは絶対に失くせない。ーー失くさないと約束したのよ」
私は自分の左腕の腕輪を見つめながら、その拳をギュッと握る。そんな私の様子にローズロッテは戸惑いつつも、そっと私の腕から手を外す。
「………そのような事情がおありでしたのね。ですが、リルディア様?『祝福の聖乙女』の規定では規定以外の装飾品を身に付ける事は禁止されておりますのよ? これが神女長に見つかってしまえば、必ず指摘されてしまいますわ。ですから本日だけでも、それを外された方がーーー」
「ーーその通りです。リルディア様」
凜とした真っ直ぐなその声に、心臓が大きく鼓動を打ち振り返ると、いつからそこにいたのか、神女長と市井の3人の少女達が立っていた。
「リルディア様。大変申し訳ありませんが、『祝福の聖乙女』の規定では、規定以外の装飾品を身に付ける事は一切禁止されております。たとえそれが王女様であってもです。ですから本日はその腕輪はお外し下さい」
ーーああ、やっぱり見つかってしまうわよねーーー
やはりそうなるとは思ってはいても、私もこればっかりは絶対に譲れない。
「………神女長。貴女の言う事も分かってはいるわ。けれどそれだけは絶対に聞けないわ。これは私にとってとても大切な物なのよ。だから誰が何と言おうと絶対に外さない…………」
それでも神女長はアニエスの時と同じように、私にも毅然な態度で首を小さく横に振る。
「リルディア様。これは『規定』なのです。いくら大切な物であるとしても従って頂かなくては、規定をきちんと守っている他の方々への示しがつきません。そして一国の王女としてのお立場にある聡明な貴女様であれば、それはご理解下さると思っています。ですからその腕輪は私共が責任を持って大切にお預かり致しますので、せめて儀式が終えるまでは、どうかお外しになって頂けませんか?」
アニエスの時と同じだと思っていたが、何故か神女長は態度は変わらず毅然とはしているものの、そんな私に対しては幾分柔らかい話し方をし、しかも気を遣っているかのような感じさえもする。けれどここはいくら私に緩和した“お願い”とも取れる話し方であったにしろ、勿論、絶対に退くわけにはいかない。
「ーー駄目よ。言ったでしょう? 誰がなんと言おうと絶対に外さないって! 神女長、貴女は私を買い被っているわ? 私は聡明でも何でもなく、王女であるとは言っても、アニエス姉様のような高いプライドなんてさほど持ち合わせてはいないのよ。だから『規定』を破ったところで、私が周りから何を言われようが全く構わないわ。
それに貴女はそのように『規定』を守るよう言うけれど、私から言わせて貰えば、この私が『祝福の聖乙女』になっている事自体が、もう既に“規定違反”じゃないの!
私は元より『祝福の聖乙女』なんて全く興味もないし、当然なるつもりも無かったからずっと断り続けていたでしょう? それなのに大神殿側が、国王であるお父様に手を回してまで私に承諾させざるを得なくしたんじゃない! そういう自分達が既に『規定』を破っているのに私をどうこうとは言わせないわよ?
ーーああ、貴女を責めているわけではないのよ? 貴女も『神女長』という立場上、どうしても言わなければならないのは勿論、理解しているわ? けれど、私にも退けない“事情”があるのよ。だからこの腕輪は絶対に外さないし、私以外の他の誰にも預けられない。たとえそれがお父様であっても絶対に預ける事など出来ないわ。
それでも駄目だと言うのなら、私は今この場で奉納祭の儀式は勿論の事、全ての行事の参加を放棄するわ。そもそも儀式なんてものは私個人にとってはどうでも良い事なのよ。それが王族のくせに“責任放棄”だと言われようが、私は自分の意思を曲げてまで嫌々従うつもりはないわ。
ーーご存知だとは思うけれど、お父様ーー国王様は私のお願いなら何でも聞いて下さるの。だから私が本気で嫌だと言えば周りの有無など関係なしに私の意思を尊重して下さるのよ?
だから大神官長には、私がそう言っていたと伝えて下さる? そうすれば貴女は職務を全うしているのだもの。また第四王女の我儘が出たかと言って、貴女自体が咎められる事はないはずよ?」
私は神女長を真っ直ぐに見据えながらも、殆ど脅しとも取れる発言で自分の権力を最大限行使する言葉を使う。いくら規律に厳格な神女長とは言えど、私にそれを言われてしまっては彼女の立場上、もう何も言う事は出来ないだろう。
ーーなどと思っていると、私のその発言に対して、何故か隣にいるローズロッテの方が急に慌てふためいた様子で私を宥めにかかる。
「リルディア様!! どうか落ち着いて下さいませ。腕輪の事は大丈夫ですわ。私が大神官長に直に掛け合いますから! ですから奉納祭の行事を全て放棄するなどとはお考えにはならないで下さい。
この奉納祭では皆様が、リルディア様のその麗しいお姿を拝見できる事を何よりも楽しみにされておりますのよ? それにどうでも良いだなんて仰らないで? リルディア様ほど歴代の聖乙女達の中でも、他に並ぶ者が誰一人としていないくらい『祝福の聖乙女』の名に最も相応しい御方はおりませんわ!
いえ、『聖乙女』などと言う言葉ではリルディア様には相応しいとは申せませんわね。リルディア様には『祝福の女神』と申し上げた方が皆も納得致しましてよ。しかも巷では既にリルディア様の事を『女神』と称している者もいると聞き及んでおりますわ。ですからそんなリルディア様を一目拝見しようと楽しみにされている皆様方の為にも、せめて儀式だけでもご参加下さい。
それに何より、リルディア様の聖乙女姿を一番に楽しみにされている国王陛下やご婚約者の王太子様がいらっしゃるではありませんの。 ーーああ、そういえば、リルディア様の叔父上であられるクラウス様もこの奉納祭にご出席されていらっしゃるとかーーきっとクラウス様もリルディア様のそのお姿をご覧になれば、それはもう大変喜ばれますわね?」
ローズロッテの口から突然、クラウスの名前が飛び出し、それを聞いた瞬間、私の心臓はビクッと反応し、急にざわざわと落ち着かなくなる。
「お、大袈裟過ぎるわ?『聖乙女』とか『女神』とか、私はそんな風に呼ばれるほど大層な柄じゃないわよ!? 性格だって大して良くもないし、口だって悪いし、それに確かにお父様やユーリウス王子は喜んで下さるかもしれないけれど、ク、ク、クラウスはそんな………わ、わわ、私を見たくらいで喜んだりなんて、し、しないわ? か、彼もそんな柄の性格じゃな、ないし………」
クラウスの事を口にした途端、心臓がざわざわと波打ち思うように言葉がすんなりとは出てこない。それでなくともクラウスとは“アリシアの一件”で、現在、気まずい雰囲気になっているというのに。しかもそれらの話題は、私の中では“禁句”ですらある。
それなのに人の気も知らずに、そんな簡単に彼の名前を口に出してくれるな!! ーーと、ローズロッテには罪はないものの思わず睨み付けてしまいそうな心境だ。そんな彼女は呑気にも、私の心境を無視するようにまるでお構い無しとばかりに平然と彼の話題を口にする。
「まあ? そんな事はございませんわ? リルディア様はお母上と同様、二人目の『傾国の美女』と呼ばれている御方でしてよ? そんな『傾国の美女』を前にして、どれほどの堅物な殿方であろうと、心動かぬ『男』はおりませんわ。
当然、クラウス様とてご成人されている立派な『男』ですもの。普段ともまた雰囲気の違うリルディア様のそのお姿をご覧になれば同姓である私でさえ思わず見惚れてしまうのですもの、クラウス様に至っては間違いなく見惚れてしまわれますわね」
「ぅぐっ………」
自分の意思とは裏腹に何とも表現のしづらい変な表情が顔に出そうになり、慌てて口許全体を隠すように手の平で覆う。
本当にローズロッテの言葉の言い回しには、いかにも相手を持ち上げるような大袈裟過ぎる誉め言葉も勿論だが、時々、恋愛話で話すような色恋を滲ませた言葉を使ったりもするので、恋愛適齢期のご令嬢方には大変好評ではあるものの、まだその適齢期にも達してはいないお子様の私にはどう反応してよいか分からず、思わず変な表情になってしまう。皆はそんな私を見て「可愛い」とか言うけれど、言われた方にしてみれば恥ずかし過ぎて屈辱感すら覚えてならない。
「うぅ………ローズ。からかうのはよして? ここは貴族のサロンではないのよ? そんな事を言われても反応に困るじゃない。しかも話の主旨が変わっていてよ?」
私が目を細めてそれを指摘すると、ローズロッテは微笑みながら「申し訳ありません」と謝罪の言葉と共におどけた表情を見せる。私はそれを見て大きな長いため息を吐きながらそんな表向きはローズロッテに呆れているように見せかけてはいるものの、その実のところはーーー
彼女の言葉を聞いて先ほどから煩いほどに騒いで動揺している心臓の動悸を鎮める為の長いため息であった事は、私だけの秘密だーーー
「とにかくですわ! リルディア様に致しましても本日の儀式に望まれる為にあんなに一生懸命舞踊の練習を頑張っていらしたのに、その努力を全て無かった事にされますのは本望ではごさいませんでしょう?」
そんなローズロッテの言葉に賛同するように、市井の3人の少女達も揃って口を開く。
「その通りです! リルディア様! 王女様が寝る間も惜しんで、あんなに一生懸命頑張っておられたこの2日間の努力を無駄にしてはなりません!」
「ええ、本当に!! ーーー神女長様!! リルディア王女様はそれはもう本当に一生懸命頑張っておられたのですよ!? しかも王女様はご自分用に用意された踊りではなく私達がふた月かけて覚えた正式な舞踊をこのたった二日間で覚えられたのですから」
「それにリルディア王女様は姉王女様とは違って、ご自身も不自由であったと思うのに我儘一つ仰らず、それどころか私達の生活環境に合わせて下さいました。そして私達のような市井の者にもお気遣い下さるお優しい御方なのです。ですからその努力に免じて今回だけはリルディア様の腕輪を許可して下さるよう、私達からもお願い致します!」
「神女長様! お願いします! 王女様がここまで仰るからにはきっと本当にすごく大切な腕輪なんですよ! それなのに色々我慢されて頑張ってこられた王女様に、こうして肌身離さず大切にされている腕輪を問答無用に外せと強いるのはあまりにもお可哀想です!」
「ええ、私達はリルディア様が腕輪をされていても全く構いませんわ。それに殆ど目立たない小さな腕輪ではありませんか。それに比べれば、第三王女様のあのお姿の方が大いに問題があると思います。いくら規定違反ではないにしろ、あのような姿は悪目立ちし過ぎる上にしかも花の香りが強過ぎて、周囲にも悪影響を与えています」
「そうですよ! あれに比べたら、リルディア様の腕輪など全く問題になどなりませんよ! それよりも第三王女様の事を正直、何とかして欲しいです!」
神女長に口々に私の腕輪を擁護してくれる市井の3人の少女達の言葉もあってか、神女長はそんな彼女達の話に黙って耳を傾けていたが、その内、静かに目を閉じると小さく肩を落として息をつき、そしてゆっくりと目を開けると、再び私の方に視線を向ける。
「…………リルディア様のお言葉は『正論』です。そもそも私共の方が先に『規定』を破り、こちらの都合を押し付けるようにリルディア王女様を『祝福の聖乙女』に選出してしまったというのに、それに対してリルディア様には『規定』を守るように申し上げるなどと、大変虫がよすぎる上にどの口が申せるのかと実に反省致しております。リルディア王女様、本当に申し訳ありません」
そんな厳格な神女長が深々と頭を下げて私に謝罪をするので、それには思わず面面食らってしまい、何となしに慌ててしてしまう。
「べ、別に、貴女が悪いわけではないでしょう? 私を選出したのは上層部の神官達なのだし貴女は自分の役目を果していただけなのだもの。先ほどはつい貴女を責めるような言い方になってしまったけれど、私が本当に物申したいのは大神官長の方だから。貴女にあんな言い方をしてしまった後でこんな事を言うのもなんだけれど、貴女の事は嫌いじゃないわ? だからあまり気にしないで?」
すると神女長がその時初めて私に優しげな表情を向けて微笑んだので、私は勿論、ローズロッテや市井の少女達も目を大きく見開いてすごく驚いている。
それもそのはず、神女長はいつもその厳格さが顔や態度に出ていて、殆ど無表情とも言える表情しか見てこなかっただけに、このような表情も出来るのかと、ここにいる皆が同じ事を思ったに違いない。
「………ありがとうございます。リルディア様は皆様が仰る通り、本当にお優しい御方なのですね。国王様が溺愛されているのも分かる気が致します」
「え? 私が優しい? どこが??」
思いもよらない意表を突かれた言葉に一人ポカンとしている私を見て、皆がクスクスと笑っている。
「ーー分かりました。リルディア様の腕輪に関しては私は何も申しません。おそらく大神官長様も何も仰られないでしょう。私共がリルディア様に対して、こちらの言い分を要求するのは常識的にもおかしい話ですから。
ですが出来ればその腕輪は、花飾りで隠しては頂けませんでしょうか? 世間には色々な人間がおりますので、リルディア様が王女である立場を利用したなどと嫉妬や僻みなどで口走る心無い浅はかな人間がいる事も少なくはありません。私が隠すよう申しました事は、リルディア様のご心象を少しでも世間から悪く思わせない為なのだと、どうかお察し下さい」
神女長の気遣いの言葉に私は自分の長い髪を指に巻き付ける様にして弄りながらも、視線が合うと何となく伐が悪いので俯き加減に答える。
「ええっと、そのーーありがとう? でもやっぱり買い被りだわ? 事実、王女としての自分の権力を使っているのは本当の事だし『規定』という決まりを破ってでも自分の意思を通しているのだから、それに対して何を言われても私は平気よ? しかも嫉妬や僻みで色々言われる事なんてもう日常茶飯事だし、そんな事いちいち気にしていても仕方ないでしょ? それにこの国の人間は陰で私の事を色々噂したところで、所詮、王女であるこの私には誰も逆らう事が出来ないのよ?
神女長も言っていたわよね? この大神殿が“治外法権”だと言うように、この国では『私』も“治外法権”のようなものよ。だから言いたい奴にはいくらでも言わせておけばいいわ。そんな奴、私が気に入らなければ、いつでも国外追放処分に出来るんだから」
そんな私の発言を聞いて周りの人間が言葉を失う中、ローズロッテただ一人だけが私に拍手喝采を送りながら誉めちぎる。
「ああ、リルディア様。なんて素晴らしいお発言なのでしょう? その独裁的で明け透けな素直過ぎる物言いといい、ご自分の意思はどこまでも貫き通す自己至上主義であられるとか、己に偏らないところが惚れ惚れするほどに大変魅力的ですわ~!! リルディア様は国王陛下同様、まさに『無敵』ですわね」
「………無敵かどうかはさておき、ーーそんなことよりも、ローズ? 今の言葉は誉めているようで、誉めてはいないわよね?」
「あら、そんな事はありませんわ? 私、本当にリルディア様の事を大変尊敬しておりますのよ? 勿論、最上級の賛美で誉めておりますわ?」
「………なんか、嬉しくない」
そんな私達の様子を唖然としながら見ていた神女長と市井の少女達がぽそりと呟く。
「ーーリルディア様は国王陛下の血を受け継がれている御子様なのだと、今更ながらに実感致しました………」
ーーと神女長。
「………王女様って優しいのか怖いのか分からなくなってきたわ?」
「リルディア様が王女様で本当によかったわよね? これがもし王子様だったら…………」
「やめてよ。リルディア様は王女様なんだから! ………“もし”、なんて想像する方が怖いじゃない………」
ーーと、市井の少女達の声はローズロッテとの会話に意識が向いていた私の耳には全く届いてはいなかった。
*****
「腕輪が認められて本当によかったですわね。まあ、どのみち、アニエス様のあのお姿の方が観衆の皆様方には衝撃的過ぎて、どなたもリルディア様の腕輪の事は関心を示されないとは思いますわ」
「ええ、本当によかったわ。そこはアニエス姉様に感謝するところね。まあ、あの“香り”だけは全く感謝は出来ないのだけれど」
私とローズロッテとは別に市井の少女達は神女長の手伝いを申し出て一緒に行ってしまったので、今はローズロッテと二人だけで神女長からも許可を得てアニエスの香り対策の為の薬草を取りに神殿の薬草園に来ていた。私が薬草を採取している間、ローズロッテはそんな私に日傘で日光を遮ってくれている。
「リルディア様が“奉納祭の行事を一切放棄する”と仰られた時は、どうなる事かと思いましたわ? 私、あの時は、大神官長に掛け合うと申しましたが、実のところ国王陛下にお願いしようと本気で考えておりましたのよ? 事実、リルディア様の説得がお出来になるのは国王陛下くらいなのですもの」
それを聞いて思わず苦笑いをする。
「いやだ、貴女もなの? それって大神殿の神官達と思惑が同じじゃないの」
「思惑だなんて。目の付け所と仰って下さいませ。それに正しい選択ですわ? 国王陛下がリルディア様に弱いように、その逆も然りなのですもの。どう考えましても大神官長にリルディア様をご説得だなんて荷が重いですわよ」
「荷が重いってーー私ってそんなに聞き分けがないかしら? ………まあ、そこは『否定』もしないけど。ーーでもローズ。貴女、あの時は結構本気で慌てていたでしょ? ちょっと面白かったわ?」
私が意地悪っぽく含み笑いを浮かべると、ローズロッテが頬を膨らませて拗ねた表情を見せる。
「ああ、やはり『確信犯』でしたのね? ですがリルディア様の事ですもの。私、本気で心配しましたのよ? リルディア様は奉納祭の行事を全て放棄すると仰いましたが、あれだけご苦労されて練習を続けてこられた儀式まで放棄するとは到底、思えない反面、
リルディア様はご自分に素直な御方だけに、やりたくない事はご納得がいかなければ、絶対になさらないでしょう? しかもリルディア様のお言葉はその殆どが本音なのですもの。受け取る側にしてみれば、内心ドキドキものですのよ?」
そういうローズロッテが自分の胸元を押さえているのを見て私は唇を引き締めたまま笑う。
「あんなに頭を使った上に、真夜中過ぎまで猛練習して寝不足にもなって、気絶するほどに不味い野菜汁まで飲んだのに、それなのに儀式を放棄するなんて余程の事が無い限りしないわよ。
確かに腕輪を外すくらいなら儀式だって躊躇なく放棄するところだけれど、神女長にはああは言ったけれど、そもそも私の主張が通らない事なんて、この国ではまず考えられないでしょう? まして神殿側の大神官長を筆頭に『祝福の聖乙女』の規定である年齢に全く達していない私をお父様を丸め込んでまで『聖乙女』に担ぎ上げたのよ? 何が「大人びているから問題ない」なのよ? そんな馬鹿げた理由が常識的にあるわけないじゃない。ただの勝手な言い訳にしか過ぎないわ。
そんな自分達の都合だけで堂々と“規定違反”をしている神殿側が私の“規定違反”をどうこう言えるわけがないのよ。あの神女長はその辺の事情を上層部から詳しくは知らされてはいないだろうから、しかも元々規律を厳守する様教育されているので、あの様な言い方しか出来ないのだし、
なにより『大神殿』も『枢機院』も貴女達『貴族』も、この奉納祭で『私』を利用して『利』を得ようとしているのは薄々分かっているから、尚の事、私の我儘なんて何を言っても通るでしょう? 貴女が慌てた理由も実はそこにあるのよね?」
私が真っ直ぐに問うと、ローズロッテはクスリと小さく笑う。
「ふふっ、さすがは聡明なリルディア様。やはりお察しでいらっしゃいましたか。リルディア様のその鋭い洞察力は本当に侮れませんわね?
ーー仰る通り、此度の奉納祭ではリルディア様の噂を聞きつけて我が国には各地から沢山の人間が集まって来ているのですわ。しかもリルディア様のお母上殿も奉納祭で歌われるというので、それはもう過去の奉納祭の中でも類を見ないくらいに『利』を得るには絶好の機会でもあるのです。そして更には世の女性達が焦がれてやまない、この世で最も麗しいセルリアの王太子様もお越しになりますでしょう?
ーーうふふ、その相乗効果を考えるだけでも笑いが止まりませんわ? ですからリルディア様に奉納祭の行事を放棄されてはブランノアの国全体が困ってしまいますのよ? ーーとまあ、こういった『裏事情』があるのですわ? お気を悪くなされました?」
「意ともあっさり白状するのね? 別に悪いなんて思っていないわ。今のところ私に害があるわけでもないし、そもそも『利』がなければ、商売をする意味がないでしょう? それに国民が潤えば、それは王家の『利』にも繋がるのだもの。国が栄えて皆も幸せなら、互いの『利』に叶っていてまあ、良いんじゃない?
それでも利用されている側にしてみれば、あまり気分が良いとは言えないから、私はそれに対して否定も肯定もしないけど」
「ふふっ、リルディア様はそのようにお話がお分かりになる方だから、私も素直に申せますのよ? これが他の王族や特にアニエス様であったなら絶対に申せませんでしょう? たちどころに不敬罪で処罰されてしまいますわ。それに比べてリルディア様は器が広くて寛大でいらっしゃいますから、こちらとしても安心してお付き合い出来ますのよ?」
私はそれを聞いて目を細めて小さくため息をつく。
「ーーローズ。私が寛大なのは、私自身に実害が無いからなのよ? だから別に器が広いわけでもなくて、これが私に実害のある事なら容赦なく排除するわ。ーーそれを覚えていてね?」
そんなローズロッテに暴走する事のないように釘を刺すと彼女はひたすら面白そうに笑うだけだ。
「リルディア様が国王陛下にそっくりであると言われているのも頷けますわ。しかも外見と中身がお違いになられるので、侮ると痛い目を見ますわね。ーーふふっ、肝に命じますわ」
会話の内容に反して緊張感のまるで無い笑顔のローズロッテに私は再びため息をついていると、ローズロッテがふいに私の左腕をつつく。
「それにしても、リルディア様は本当にその腕輪を大切になさっておられますのね? しかも肌身離さずーーだなんて。
確か“預かりもの”だと仰られましたがその“お約束”というのも気になりますわ? それにリルディア様が
そのように親しくされているご友人が私の他にもいらっしゃるだなんて。私、大いに嫉妬してしまいましてよ? もしかしてそのお相手の方というのは私も存じ上げている御方ですの?」
ローズロッテが詰め寄るように私の顔を覗き込むので条件反射でたじろぎながら体を横に退く。
「ゆ、友人というわけでもないわ。それに“約束”とは言っても、他の人から見れば大した事はない些細な事なの。だからそれは私にしか意味の成さない事なのよ。
………もしかしたら本人もその場限りで、たまたま出ただけの些細な口約束なんて、もう覚えていないのかもしれないけれど………それでも私にとっては大事な“約束”だから、いつか“これ”を返す為に、いわば“願掛け”をしているのよ」
(………当の本人は全く気付いてはいないんだけどね)
私が物思いに耽りながら腕輪をさすっていると、そんな私の腕をローズロッテが強く引っ張る。
「ズルいですわ!! その方はご友人でもないのにリルディア様とそのような親しい“お約束”をなさるなんて! それでしたら私とも何か“お約束”を作りましょう? そしてお互いにお揃いの腕輪を付けるのですわ! 何処のどなたかは存じ上げませんがリルディア様の一番のご友人の座はその方には絶対に渡しませんわよ?」
そんな冗談にも聞こえない真顔で必死に訴えるローズロッテの額を呆れるように軽く小突く。
「あのねぇ、何を張り合っているのよ? そんな友人の座を争うような相手じゃないのよ。しかも両腕に腕輪なんて見た目にも格好悪いじゃない」
しかしローズロッテは諦めずに尚も提案をしてくる。
「それでしたら『首飾り』に致しましょう? お揃いの首飾りだなんてすごく素敵ですわ! ああ、その前に“お約束”を考えなくてはーーー」
「ーーー却下。誰でもかれにでも“約束”なんて簡単に出来るわけがないでしょう? しかもお揃いの装飾品を作る為だけの“約束”なんて、もう約束でも何でもないじゃないの。
それに貴女と私ではドレスや装飾品の趣向も全く違うのに、それを日常身に付けるなんて無理に決まっているわ。そんな心配をせずとも貴女は私にとって、切っても切れない『特別な友人』なのだからそれで良いじゃない」
「それでもやっぱりズルいですわ! リルディア様、私とお揃いの装飾品を作りましょうよーーね?」
「ーー嫌よ。それ『女』が身に飾る特別な装飾品は本来『男』に贈って貰うのが『女』の常識なのでしょう? 世間一般でよく言われているじゃないの」
「それはそうですけれど、でもリルディア様もその特別な装飾品を付けておられるではありませんの。そして腕輪をお返しするのは『女性』なのでしょう?」
その言葉に思わずギクリとしたが、極力表情には出ないように笑って誤魔化す事にする。
「あははーーまあ、とにかく私達にはお揃いの装飾品も約束も要らないわよ。私達は“持ちつ持たれつ”なのだから上手く付き合えればそれで良いじゃない。 ーーああ、いけない! 早くこの薬草で塗り薬を作らないと、もう時間が無いわ。ローズ、早く戻りましょう?」
そう言って話を逸らし足早に逃げるように神殿内に戻ろうとするも、その後ろに付いて尚もローズロッテが「それなら他のものでお揃いを作りましょうよ?」ーーと、腕輪に対抗するように提案をし続けてくる。
いちいち躱すのも面倒なので他の人間には大した事ではないのだし、いっその事、教えてしまった方が面倒くさくないかな? ーーとも思ったが、それでも自分にとっては大した事であるので、やはりここは秘密にしておいた方が良いだろう。万が一、これが父の耳に入ったら絶対に反対されるし、“風の噂”になるような原因は何も自分から作る事はない。
ーーー腕輪には隠し細工を施していて一見は分からないものの、これにはあの時の『約束の証』が埋め込んである。
あの時、預かった『それ』はとても小さいものなので失くさないとは『約束』したものの、このままでは万が一、失くしてしまうかもしれないと色々と試行錯誤した結果、この様な『形』になった。それにこうして常に身に付けてさえいれば、外したりしない限りは絶対に失くす事もない。
無論、その『約束』をした本人の前でも堂々とこれを見せてはいるのだが、そこは女性とは違うからなのか、装飾品などには関心も無いらしく全くもって全然気付かない。
だからローズロッテのように、彼から腕輪の事を聞かれたらその時にはあの時の約束の話の口火を切ろうと自然と自分の中で“願掛け”のような事をしてしまったので、今まで本人には自分から『約束』の要求はしてはいない。その『約束』すらもあの日以来、立ち消えてしまったように話にも昇らない。
ーー彼はあの時の『約束』を覚えていてくれているだろうか? もしかしたらあの時は、我儘な子供相手に合わせたその場だけの何気の無い口約束だったのかもしれない。
今になって考えれば分かる事だが、いくら身内とはいえど、父がそんな事を許すはずもないし、公務でもないのに王族が気軽に国を出る事は出来ない。
ーーけれど、彼は私に『約束』してくれた。彼は今まで一度だって私に“嘘”をついた事がない。だからこそ彼の言葉は安心して信用出来る。
だから私も“嘘”はつかない。自分も信用に価する者でありたいと思うからーーー
私は自分の左腕の腕輪を見つめながら、今はあの“一件”でギクシャクしていて顔を合わせる事もままならない相手に心の中で呟く。
ーー私にちゃんと“これ”を返させてよね。私には16歳になるまでの期限があるのよ? 貴方は『約束』をした事自体もう忘れているかもしれないけれど、私の方はしっかりと覚えているんだからね?
ーーークラウスの…………馬鹿。
【19ー終】