奉納祭~前夜~
【17】
ーーー『奉納祭』
それはブランノア国の年に一度の大きな祭典であり武力国家の象徴として戦の勝利を祈願する為に、天地に武器を『奉納』するという行事である。
その『奉納』の儀式は祭りの一番初めに大神殿の大広間で行われ『奉納』する武器は『剣』『槍』『矛』の三種類。
それらの武器は『天』に納める分と『地』に納める分で二つずつあり、『祝福の聖乙女』と呼ばれる乙女が貴族から3名、市井から3名の15歳以上の未婚の若い女性の中から選出され、それぞれ各武器を担当し『奉納』するというしきたりになっている。
そんな『祝福の聖乙女』はブランノアの若い女性達の憧れの役どころで、選ばれた者は国から様々な恩恵を受けるだけではなく、最も清らかで美しい女性として世間からも賛美され、しかも結婚の良縁も約束されたようなもので、特に市井出の女性などは貴族から求婚される事も多く、密かに羨望されている役どころらしい。
そして厳選されて選ばれた聖乙女達は、祭りの二日前から初日の儀式が終えるまでの間、たとえ肉親であろうと異性との接触を一切禁じられ、大神殿の神女の館に事実上、監禁状態で置かれる決まりになっている。
そんな神女の館に今回選ばれた聖乙女達5人と共に何故かそこに『私』がいるーーー
しかも舘内では乙女達は皆、身分など関係なく同等の扱いの他、同じ部屋で寝食を共にする規則になっている。しかし、そんな祭りの前夜になって、貴族側から選出されている聖乙女の一人であるブランノア国第三王女アニエスが自分の要求が通らない事や市井の娘達と同等の扱いが不満らしく一人、部屋で騒いでいた。
「ああ、信じられませんわ!! どうして王女であるこの私が下々の者達と同等に扱われなければなりませんのっ!? しかも侍女すら連れて来てはいけないだなんて !神女の世話役だけでは気が利かなくて用が足りませんのよっ!! 城に使いをやって私の侍女を連れて来なさい!!」
しかし年長の神女長はそんなアニエスにも臆する事なく、毅然な態度で接する。
「それは出来ません。聖乙女は身分関係なく同等の扱いが規則です。勿論、侍女を連れてくる事も禁じられています。ですからアニエス様の身の回りのお手伝いは私共が致します」
その言葉にアニエスは神女長をキッと睨みつける。
「だからあなた達では用が足りないから、言っているのですわ! それに私の身の回りの世話など、全くやってはいないではありませんの! 湯浴みにしても体を洗いもしないし、髪を梳かす事もしないし、ドレスの着付けにしても最小限でしか手を貸さないし、こんな役立たずの侍女なんて、私なら即刻、解雇致しますわ!」
アニエスのそんな憤る様子にも神女長は厳しい真顔の表情でその態度は変わらない。
「アニエス様。私共は“侍女”ではございません。ですから最低限のお手伝いは致しますが、ご自分で出来る事は全てお一人でやって頂きます。この館内ではそれが『規則』です」
それを聞いたアニエスはますます怒りを露にして苛立つように大声を上げる。
「この無礼者っ!! お前は誰に向かってそのような生意気な口をきいていますの!? 私はこの国の第三王女であり、フォルセナ王家の一族でもある最も高貴な血統の王族ですのよ!? お前のような下々の者がそのような口をきいてよい相手ではありませんわ!
王女である私に、立場もわきまえずにそんな生意気な態度を取るのであれば、即刻、母上に申し上げてお前を私への不敬罪で罰して頂いてもよいのよ!?」
しかしアニエスのそんな脅しとも言える言葉にも神女長は真っ直ぐな姿勢で起立したまま、はっきりとした口調で答える。
「アニエス様。私は間違った事は何一つ申し上げてはいないと認識しております。ここは王城ではございません。この大神殿の舘では規律が最も重んじられており、神に仕える者達がそれに従事し住まう場所。そしてアニエス様のご要求はどれも規律違反にあたります。
それでもご不満であれば、王妃様に申し上げて下さっても結構です。ですが、ここでは“治外法権”が適用されております。国の法律では大神殿に属する私を罰することは出来ません。私を唯一罰する事が出来るのは国王様か大神官長様のみだけです」
「なっ、なんて生意気な!!」
わなわなと肩を震わせて顔を真っ赤にしながら怒りを露にするアニエスと、その対面で毅然とした態度を崩さず、真顔のまま厳しい表情を変えない神女長。そして部屋の角で小さく縮こまって、その様子を見守っている市井出の聖乙女達。
そんな私はというとーーそんなものはどうでもいい。今はそれどころではないのだ。他人を気にする余裕があるのなら、“これ”を確実に頭と体に記憶させなければーーと、複数に綴られた羊皮紙を一心不乱に直視したまま、一人、ブツブツと呟いていた。
そしてアニエスが何やら一人で大騒ぎをしているようだが、全くもって関わりたくないので、無視を決め込んではいるものの、その甲高い金切り声が否応なしに耳障りに響いてくるので、こちらの方が次第に苛々してくる。
ーーったく、何を騒いでいるのよ! 明日には城に戻れるのに、たった二日間が何だと言うの? 多少の不自由は我慢しろっていうのよっ! 幼い子供でもあるまいし、あんた我儘すぎるのよ!! こっちはそれどころじゃないっていうのに!
私はあんたよりもやる事がいっぱいあるのよ!? しかも騒いでいるのはあんた一人だけじゃない! ーーくっ、駄目だ。こっちに集中しないとーーー
私はそんなアニエスに向かって思わず叫びたくなる衝動を抑えながらも、しかし心の中では文句を言いつつ、とにかく羊皮紙を食い入るように見据える。
ーー本来ならば私は、この場にいる人間ではない。私の役目は『奉納祭』の儀式の始めと終わりに『祝福の聖乙女』達が歌う予定であった独唱部分を『特別枠』という形で聖乙女達の代表で歌うというのが私の『役割』だった。
だから私は『祝福の聖乙女』などではなく、更に言えば、私の年齢は12歳であり聖乙女選抜の規定では15歳からなので私にはその資格は元より無い。ーーであるから私は奉納歌だけを覚えて、当日までに歌えるようにするだけでよかったーーはずだった。
それが突如、選ばれた聖乙女達が大神殿に入る二日前の当日の朝に、貴族側の聖乙女が一人欠如したという理由から、その代役に急遽私が選出された。
その欠如したという一人はあのアリシア=プリンヴェルで、どうやら私が儀式で歌う事になった為、神殿側の方から王女である私に配慮しアリシアを聖乙女の任から解任したという事だった。
確かにアリシアの顔を見るのは嫌だが、私達の『計画』の為にはどうしてもアリシアに接触しなくてはならず、『奉納祭』であれば国内中の貴族達もほぼ確実に出席するので、
そんな中、貴族側の聖乙女に選出されているアリシアと接触するのに不自然にならない様にと、ローズロッテの提案で本当なら以前から話はあったものの歌う心境ではないという理由からずっと断り続けていた『奉納祭』の儀式での独唱を敢えて承諾したのにーーだ。神殿側がご丁寧にも気を回してくれたおかげで『計画』が変わってきてしまうではないか!
しかし抜け目のないローズロッテはそれも“想定内”だと言い、しかもこちらからわざわざ接触せずとも私が公の場に出て来さえすれば向こうの方から接触してくるので大丈夫だとも言う。
ーー本当はこの『計画』さえなければ、私は『奉納祭』に一切参加しないつもりであったので、『儀式』自体に全く無関心であったのが、今こうして裏目に出ている。これもよからぬ事をこれからしようとしている私への神様の天罰であるのか?
毎年『奉納祭』では武器を奉納する儀式の式典は堅苦しい作法がある上、しかも沢山の大衆の目に晒される場でもあるので、王女である私は、特にお行儀良く静観していなければならず、退屈この上ないので、
初めの内だけ式典に顔を出し、その後は式典の後に行われる騎士達の奉納試合がある闘技場の方にお祭り見物も兼ねて先に行っていたので、そんな式典の『儀式』の内容などはさほど興味が無かった事もあり、私の記憶には殆ど覚えておらず、別にそれでも問題は無かったはずーーだった。
ーーーが、それが今、私をこうして悩ませている事になろうとは…………
話によると『祝福の聖乙女』には儀式の際に少々舞踊があるという。なので前もって選ばれた聖乙女達はその舞踊を約ふた月ほど掛けて覚えるらしいが、私が代役に選ばれたのはふた月どころか、『奉納祭』の二日前…………
しかも本来ならば、私が正式に聖乙女の資格を得るのは三年後の話で、そもそも『聖乙女』などには元より興味のない私には、そんな舞踊など教養としても覚える必要が無く、当然、振り付けも全く知らないわけで、到底、踊れるはずもなくーーー
その話が出た時に、国賓なども集まる大勢の観衆の面前で、王女である私が醜態を晒す事は出来ないので、当初の予定通り、アリシアを再び戻すか他の貴族の令嬢達の中から代役を立てるようにと申し立てたのだが、やはりこれも悪巧みを企んでいる私への何らかからの報復なのだろうか?
そんな神殿側からは、私の踊りの振り付けは簡易なものに変更するので大丈夫だと言い、それでも私がまだ自分は12歳の年齢で『聖乙女』の資格は元より無いのだと言えば、その回答には、私の外見や精神年齢は実年齢の方が信じられないほどに大人びているので問題は無いと、そんな何とも安直な理由で妥協してきた。
神に仕える神殿側の人間で特にこの神女長の言う通り、規律を重んじる側がそんな適当な頭数を揃える為だけの辻褄合わせのような理由で、そのように安易に決定してよいのかと疑問には思う。それに『祝福の聖乙女』の資格は15歳以上という規定があるのに私が出ては規定違反になるだろう。
しかしこれには大神殿の長の許可が既におりていると言うから驚きだ。しかも尚も渋る私に神殿側は、国王ーーつまり私の父の方にも直談判したらしい。
その場に同席した母曰く、大神官長や神官達が私の事をそれはもうこれでもかと言うくらい賛美し誉めちぎっていたのだという。それにすっかり気分を良くした父が私の説得に応じたらしい。父から私の聖乙女姿をどうしても見たいと懇願されてしまえば、私はそれに頷くしかない。ーー父が私に弱いように、私も大好きな父のお願いには弱いのだ。
するとアニエスと神女長の様子を暫く傍観していた同じく貴族側の聖乙女に選抜されているデコルデ侯爵令嬢、ローズロッテが口を開く。
「神女長殿? アニエス様のご要望に全て応えられずとも、第三王女様にはお部屋を別にご用意されては如何でしょう? 私達も大事な明日に備えて早く就寝したいのですけれど、アニエス様のこのご様子では私達が寝不足で明日に支障をきたしてしまいますわ」
それを聞いたアニエスがローズロッテの方を苛ただしげに睨み付ける。
「私のせいだと仰りたいの!? 貴女こそよく我慢がお出来になりますわね? 上流貴族の侯爵令嬢であるのに、このような下々の者達と同等の扱いを受けていて、よく平然としていられますわ。さすがは貴族内でも『変わり者』で有名なデコルデ侯爵令嬢ですわね? 私にはとても真似出来ませんわ!」
そんなアニエスにローズロッテは余裕の笑みを返す。
「ええ、私の方は全く問題ありませんわ。我が家は仕事柄、市井の方々とも常日頃から懇意にしておりますもの。寧ろアニエス様だけですわよ? ご不満を仰っているのは。世の中には『郷に入りては郷に従え』という言葉がある事をご存知?」
ローズロッテの余裕の態度にアニエスが捲し立てるように反撃する。
「私は正統な王族で、しかも高貴な血統の王女ですのよ!? そこにいる半端者の王女や貴女のような変わり者と一緒になさらないで頂きたいわ!
それにこの私が従う? 高貴な王女である私が?? あり得ませんわ!! 逆に私に従う事こそ格下の者達の義務であり常識ですわよ」
そんなアニエスの言葉にローズロッテはあからさまな呆れ顔で、わざとらしく深いため息を吐く。
「その高貴なお血筋の王女様がそのような我儘を仰られては尚の事下々の者に示しが付きませんことよ? これでは妹君の我儘をどうこう申せませんわね。姉君が更にその上をゆかれるのですもの」
「私があの娘よりも我儘ですって!?」
アニエスとローズロッテのこういう場面はしばしばよく見られる。しかし端から見ていても、口の達者なローズロッテの方が一枚上手だ。
「ええ、私の認識ではそう解釈致しますわ。無理難題を主張して無理矢理自分の要求を押し通そうとし、周囲を困らせる事を『我儘』というものだと認識しておりましたのですけれど、アニエス様の認識ではお違いなりますのかしら?」
「ーーぅぐっ」
ローズロッテの最もな正論にアニエスは返す言葉も出てこないのか、言葉に詰まり唇を噛み締めている。するとそんな二人の様子を見ていた神女長が小さく肩を落とすと、静かに口を開いた。
「ーーー分かりました。アニエス様には別にお部屋をご用意致します。お世話をする者も増やし、なるべくアニエス様のご不満を解消出来るよう取り計らいましょう。アニエス様、それでご納得頂けますか?」
それを聞いたアニエスはローズロッテから視線を外すと、気を取り直すように神女長に向き直る。
「ええ、それでよろしいわ。私の洗練された侍女達とは違い、ここの者達の気が利かない所はよく考えれば仕方のない事ですものね。そこは我慢しましょう。あなたも初めから素直にそう言えばよろしいのよ。私とて多少の不便くらい我慢して差し上げる許容はありますのよ?」
「…………申し訳ございません。ーーでは、アニエス様、私と共にいらして下さい。お部屋にご案内致します。皆様、お騒がせ致しました。明日の大事なお役目の為にも、今宵は早目にお休み下さい。ーーそれでは失礼致します」
神女長は一礼し、アニエスの方は私達を一瞥した後、ふん、とそっぽを向いて神女長と共に部屋を出て行った。そして嵐が去った後のように静まりかえった部屋で、ローズロッテの大きく吐くため息だけが聞こえる。
「ーー本当にお騒がせな御方ですわね。“我慢”だの“許容”だの、どの口が仰るのかしら?」
ローズロッテは扉の方を見つめると、今度はこちらの方に歩いてくる。
「リルディア様? そろそろお休みになられないと、本当に明日に響きますわよ?」
しかし私はローズロッテに声を掛けられても、そんな彼女には視線を向けずに口だけを動かす。
「ーーああ、分かっているわ。でもそれどころじゃないのよ! ローズロッテ、あの煩いのを追い出してくれて助かったわ。これでやっと頭に入りそうよ」
私はひたすら羊皮紙を見つめながらブツブツと呟く。するとローズロッテが私の横から顔を覗かせて羊皮紙を見つめる。
「リルディア様? これは正式な舞踊の方ですわよね? 確かリルディア様の方は簡略したものではございませんでしたの?」
その問いに私は小さく首を振る。
「そうなのだけれど、やっぱりそういうわけにはいかないわよ。考えてもご覧なさいな? 聖乙女達の中で一人だけ違う踊りをしていたら不自然に浮いてしまうし、毎年行われている儀式なだけに観衆もきっと変に思うでしょ? まして王女である私が一人だけ簡略した踊りなんて恥ずかしくて出来ないわよ。
こうなったら私はやるわよ! 第四王女の底意地を示してやるわ! ………とは言ってみても、正直、苦手なのよね。小難しい文面を頭で覚えるのは。しかもこの説明の分かりづらさったらないわ! 誰が書いたものなのか知らないけれど、もっと簡単に書けないものなのかしら? 文面が堅苦しい上に、やたら説明が細かいから無駄に長くて、この文字を見ているだけでも苛々する!」
そう言って私が必死で羊皮紙と奮闘している隣で、ローズロッテがクスクスと笑っている。
「ふふっ、リルディア様は本当に意外にも真面目でいらっしゃいますわよね。普段のお姿からは、とても想像出来ません事よ?」
「ローズロッテ、茶化さないでよ。 ーーそう言う事だから放っておいて一人にしてくれる? 今はこれに集中したいの」
私は言うなり羊皮紙に意識を集中しようとすると、すかさずローズロッテにそれを取り上げられてしまう。
「ちょっと! ローズロッテ?」
私がローズロッテに視線を向けると、彼女はひと指し指を振りながら肩を竦める。
「いけませんわ。寝不足はお肌の大敵ですわよ? 明日はリルディア様が祭りの主役も同然ですのに、目の下に隈が出来て眠たそうなお顔を、大衆の面前にお晒しになりますの? しかも明日はご婚約者であられるセルリアの王太子様もおいでになるのでしょう? それでは尚更万全を期して早くお休みになられませんと」
そんなローズロッテの言葉に私は首を横に振って、羊皮紙を取り返すべく手を伸ばす。
「ーー同じ事よ。たとえ寝不足を回避したところで、明日の儀式で王女である私が不出来なものを見せたとあっては、物笑いの話で後々まで語り継がれるじゃないの。それこそ不名誉極まりないわ!
それにたった一晩くらい眠らなくても大丈夫よ。 目の隈ならお化粧でいくらでも隠せるし、眠気なんて強力な苦い野菜汁でも飲めば一気に目も覚めるというものよ。
それにユーリウス王子の事も心配してはいないわ。 あの御方は私が『豚王女』になっても全く構わないと言ってのけた、大海原の如く度量の広い心の器の持ち主よ? だからたとえ私の隈の出来た顔を見たところで、心配はされるかもしれないけれど他に関してはさほど問題はないわね。
兎にも角にも私は一国の王女よ? そんな私が自分を貶める失態なんて絶対に出来ないのよ」
私の決意を込めた言葉を聞いたローズロッテは少しだけ目を見開いたように私を見つめていたが、その表情が突如として緩むと、にやりと微笑む。
「ーーうふふっ、リルディア様? その『豚王女』とはどういったお話ですの? 私、初耳でしてよ?」
そんなローズロッテの反応に私は内心、「しまった」と舌打ちした。しかし、もう遅い。
「リルディア様ったら本当にお人が悪いですわ~? そのような楽しそうなお話を隠していらしたなんて。リルディア様はこ婚約者のユーリウス王子様との恋愛話を中々、教えては下さらないのですもの。ずっと気になっておりましたのよ?」
「ーーええっと、いや、恋愛話なんて、そんな色気のあるものじゃないのよ? まして『豚王女』ですもの。だから恋バナ好きなローズには残念ながら全くもって興味を引くような楽しい話では無いから気にする事ないわ」
恋愛話に煩いローズロッテにそんな誤魔化しめいた言葉など通用しないとは分かってはいても、つい口に出てしまう。
ーーーいや、どうにかして誤魔化されてくれないだろうか? それでなくともユーリウス王子の事は私の心境が微妙なだけに何気のない世間話ではあっても何となく触れては欲しくない話題だ。
しかしそんな願いも空しくローズロッテは真正面から私の顔を覗き込み「絶対に逃がしませんわ?」という
分かりやすい視線を送りながらクスクスと笑う。
「いいえ? リルディア様。私、すごく興味がありましてよ? そのユーリウス王子様が『豚王女』でも構わないと仰られたという、そこのところの経緯を是非とも詳しくお聞かせ願いたいですわ?
ーーああ、そうですわ! 折角の同室なのですもの。そこの貴女達も第四王女様の恋愛話をお聞きしたくはなくて?」
何を思ったのか突然ローズロッテは部屋の角で小さく固まっている市井の聖乙女達3人に声を掛ける。そんな彼女達は、まさか私達の方から声を掛けられるとは思ってもみなかったのだろう。 慌てふためきながら、3人はお互い顔を見合わせて戸惑う表情を浮かべている。
しかし上流貴族の侯爵令嬢であるローズロッテの言葉を無視するわけにもいかず、その中の一人が意を決したように口を開いた。
「あ、あの、ですが、私達は市井の者です。 こうしてお部屋をご一緒させて頂いているのも恐れ多いのに、まして高貴な御方方のお話を聞かせて頂くなどと、私達のような者には分不相応ではありませんか?」
それを聞いてローズロッテは、そんな彼女達にこちらに来るように手招きをしながらニコニコと愛想よく笑顔で答える。
「ふふっ、貴女方、お忘れですの? 私達、祝福の聖乙女は奉納祭の間は貴族も市井も関係なく立場は“同等”ですのよ? 無論、それは王女様であっても
例外なくーーですわ。 ですからそのように恐縮なさらなくてもよろしいのよ?」
「で、ですが、あの、アニエス王女様が………」
するとローズロッテは扉の方を見つめながら大きく肩を竦めて呆れたようにため息をつく。
「あの御方は、ああいうご気性なので仕方がないのですわ。本当に困った第三王女様ですわね。物分からぬ幼子ではありませんのに、集団行動内の規則も守れぬようでは、逆にご自身の品格を問われてしまうというもの。けれど、こちらの第四王女様は違いますわよ? ーーね? リルディア様はこの方々がご一緒でも構わないですわよね?」
ローズロッテは私の背後から両肩に手を添えて話し掛けてくる。私はその隙にすかさずローズロッテの手から羊皮紙を抜き取ると今度は取られまいと、それをしっかり両手で握って再びそれを食い入る様に目を通したまま口だけを動かす。
「ええ、構わないわよ? ここは王城ではないし寧ろ私は客人ですもの。それに規則は守らなければ秩序が乱れるものなのでしょう? 私もそれくらいは教わっているわよ?
それに私の母様は市井の出身だから、アニエス姉様のように市井と同等だからといって不快を覚えるような抵抗感はないわね。幸い母様の教育方針で自分の身の回りの事も困らない程度には出来るし。
だから貴女達も私の事は王女だからといって、気を遣わなくても良いのよ? ローズロッテの言う通りここでは同等なのだし、そんな角にいる事はないわ。各自、自由に過ごしたらいいのよ。それにあの一人で騒いでいた傍迷惑な“煩い人”はこのローズロッテ嬢が追い出してくれた事だし。
私にしてみれば、あの“煩い人”が一緒にいる方が苛々するし我慢ならないところだったわ。あんなに一人で騒ぐくらいなら『祝福の聖乙女』なんてやめればいいのに。それこそ私の方が『聖乙女』なんて、お父様のご希望でもなければ即辞退するところよ。
だって信じられる? たった二日間でこれを覚えるだなんて!! 私はどちらかといえば実践で記憶するタイプなのよ? それなのに、こんなに頭を使う事になるなんて、過去にも無いわ! …………はあ、こんな事になるのなら毎年の奉納祭の儀式にきちんと出席していればよかった。そうすれば見知っている分、少しは楽だったかもしれないのにーーー」
私はそんな自業自得な愚痴を溢しながらも羊皮紙を見つめていると、市井の3人の少女達が私達の方に近付いてくる。
「…………あ、あの、リルディア王女様。私達でよければご協力致しましょうか?」
恐る恐る掛けられる声に私は見つめていた羊皮紙から顔を上げる。
「え?」
すると先ほど3人の代表で口火を切った少女が口を開く。
「『剣の聖乙女』のご担当のアニエス王女様はいらっしゃいませんが、今、この部屋にはそれ以外の『祝福の聖乙女』が全て揃っています。そして私はリルディア王女様と同じ『矛の聖乙女』の担当なのです。
舞踊での聖乙女達は同じ武器の担当同士、基本は左右対称の同じ踊りなので、ご僭越ながら私がリルディア王女様にお教えする事が出来ますし、実際にやってみて覚えられた方が分かりやすいのでは?とーーー」
それにはローズロッテが賛同の声を上げる。
「まあ! それは名案ですわ! リルディア様、是非そう致しましょう? 実際に踊って覚えられた方が、そんな羊皮紙よりもリルディア様にはずっと効率的でよろしいですわよ。それにリルディア様は物覚えがお早いですから皆で練習すれば一晩かけずとも直ぐに覚えられますとも!」
「ーー物覚えが早いかどうかは疑問だから、さて置きーーそれは私だけの都合の良い話でしょ? ローズはまだ良いとしても、貴女達3人はここ二日間しか面識のない私とは何の関わりのない人達だわ? それなのに私に付き合って貴女達まで寝不足で明日に支障をきたしては困るでしょう?
しかも本来であれば、私が妥協して私に用意されている簡易な舞踊を踊れば良いだけの話を、敢えてそれをしないのは私の勝手ですもの。だから私の事は構わないで貴女達は先に休んでいいわ。
ーーーという事だから、ローズは勿論、私に付き合ってくれるでしょう? 貴女とは私的にも付き合いが長いのだし、今更遠慮なんてしないわよ?」
そう言ってローズロッテの方にニッコリと微笑んでやると、彼女は小さく肩を竦める。
「リルディア様はお人がよろしいですわね。ええ、勿論、分かっておりましてよ。私も始めからそのつもりでしたもの。リルディア様のお気が済むまでお付き合い致しますわ。それに先ほどのお話も詳しくお聞かせ頂かなくてはなりませんし。夜は長いですわね?ーーーフフフッ」
ローズロッテの笑顔が何故か怖い。上手く話が逸れたと思ったが、やはり彼女を誤魔化すのは無理なようだ。そんな私が諦めとも言える深いため息をこぼしていると、市井の彼女達がおずおずと遠慮がちに口を開く。
「お話に割って入るようで申し訳ありません。ですが、私達にもお気遣いは無用です。ですから是非、王女様にご協力させて下さい」
「そうですよ。王女様。踊りなどは実際にやってみた方が覚えやすいですよ? それに明日はここにいる皆で踊るのですし、予行練習も兼ねて皆で練習しましょう?」
「王女様、どうかご一緒に練習させて下さい。そして明日は私達皆で、素晴らしい儀式に致しましょう? 私、王女様の歌を聞けるのもすごく楽しみにしているんです!」
そんな市井の3人の少女達をローズロッテは微笑みながら、私の側まで連れてくる。
「リルディア様。この方達は心優しくご親切な大変良い方達ですわ。ですからここは彼女達のご厚意に甘えさせて頂きましょう? 明日の儀式では私達は運命共同体なのですもの。それこそ一人の失態は、皆の失態に繋がるというもの。それはリルディア様も望むところではありませんでしょう?」
ローズロッテはそう言って人好きのするような笑顔を彼女達に向けるので、昨日から私達と同室という事もあり、ずっと緊張の面持ちだった彼女達の表情からは緊張の強張りが解れて、その顔にも笑顔が浮かぶ。
ーーーしかし、私は知っている。これは『策士』であるローズロッテの思惑なのだと。察するに市井の彼女達に私達の印象を気位の非常に高い王女のアニエスと比較させて私達の心象を良く思わせ、差しずめ明日の儀式の為に彼女達を手懐けておいて、いざという時の手駒にでもするつもりなのだろう。
その効果なのか、こうして彼女達は自ずから私への協力を申し出ている。さすがは人心術に長けている侯爵令嬢である。他人の心の裏側を考え、知らない人間を遠ざけようとする私には出来ない芸当だ。しかしそんなローズロッテのおかげもあって、この彼女達の申し出は私にとって“天の助け”でもある。
ーーーこの時ばかりは『悪友』に感謝である。
「…………本当に良いの? 貴女達まで寝不足になって、明日の儀式に影響しても私は責任持てなくてよ?」
私がぽそりと呟くと、さすがは聖乙女に選ばれるだけあって、本当に優しい娘達なのだろう。彼女達はそんな私に満面の笑顔で微笑んだ。
「はい! 大丈夫です! 私達は市井育ちなので、これでも色々と逞しいのですよ?」
「ええ、寝不足なんて私達には大した影響にもなりませんわ!」
「そうです! それに第四王女様と
ご一緒出来るなんて、こんな機会は滅多にありませんもの! しかもこの世で一番美しいと称されている王女様のご尊顔をこんな間近で見られた上に、こうしてお話まで出来るなんて、私、聖乙女に選ばれて本当によかった!!」
「ええ、本当に王女様って噂以上にすごくお綺麗だわ!! 私、町に帰ったら、王女様とご一緒出来た事を皆に自慢するわ!!」
「王女様は私達とは違い、たった2日間しか舞踊を覚える時間が無かったのに、それでも私達と同じ踊りをこんなにも一生懸命覚えようと努力なさっていて、しかも市井の私達にまでお気遣い下さる大変お優しい御方なのよ? それに第四王女様がこんなに話しやすくて気さくな御方だなんて正直、驚きました!」
「第四王女様!! 私達は王女様の味方です!! 王女様の補佐役は私達にお任せ下さい!」
「ええ、王女様に恥をかかせる事など、私達、絶対に神様に誓ってさせませんからご安心下さい!!」
「王女様!! 明日は皆で力を合わせて頑張りましょうね!!」
…………本当に『効果』は絶大だ。これが本当に先ほどまで部屋の角で小さく縮こまっていた人達なのだろうか? しかも信じられない事に彼女達は私を敬愛するようなキラキラとした眼差しで、大袈裟では?と思う程の使命感溢れる勢いで力説され、私の方がそんな彼女達の勢いに押されて面食らってしまう。
そして市井の3人の少女達は妙に高い高揚感で「私達が王女様をお守りするのよ!」ーーとか言って、円陣を組んで固く結束までしているではないか。
ーーー私は別に彼女達に気を遣ったわけではなく私に付き合わせて彼女達までが寝不足が祟って儀式に失態をすれば、私の失態云々関わらず後々恥ずかしい事になるから、そういう言い方をしたに過ぎない。
ーーだって、そうだろう。今回の儀式で王女が2人も舞台に立つだけでも大変珍しいのに、もしそんな事になれば、それこそ奉納祭がある度に語り継がれる『失態伝説』になるではないか。しかも人々の記憶に残るのは市井の彼女達ではなく王女の私の名前である。
私はそんな彼女達の光景を唖然として見ていると、私の右腕にローズロッテがするりと自分の腕を回してきた。
「ふふっ、よかったですわね? 大変心強い味方が出来ましたし、これで明日はリルディア様もご安心出来ましてよ? それにもし万が一、儀式で何か不都合が起こっても、その時は彼女達が自分のお体を張ってでもリルディア様を守って下さいますわ。勿論、この私もですけれどね?」
私と同じくして市井の彼女達を見つめながら、しかしこちらは楽しそうにクスクスと笑うローズロッテに私は目を細めると、隣のローズロッテにしか聞こえないように極めて小さな声で囁く。
「…………仕組んだわね? この『策士』め。本当に貴女だけは敵に回らないで欲しいわ。………出来る事ならーーだけど」
「ふふっ、リルディア様のその聡明さには当然の事ながら感服致します。私はそんなリルディア様が大好きですわ? そして私の一番の『お気に入り』でしてよ? 手放したりなど致しませんわ。ーー絶対に」
そう言う彼女の腕が私の右腕にその意思を示すようにギュッと力が込められる。そして意味深に微笑む彼女を見て、思わず背中がゾワリと震えた。
…………何となく、執着される側の気持ちが分かったような気がする。ーーそして、そんな私は今、本当に心の底から思う事があるーーー
ーーー彼女が『女』でよかった。ーーと。
【17ー終】