【8】『悪友』と『私』
【14】
「ーー失礼致します。リルディア王女様。本日の親書でごさいます」
城の執事の一人が私宛ての親書を部屋まで届けにくる。
どうせまたいつもの貴族のお茶会や夜会の招待状だろう。毎日何処かしらの屋敷で催されている貴族達の社交場でもあり、その中身は暇を持て余しているご婦人達の情報収集の場とも言える。
執事は私宛ての招待状の差出人の名を次々に挙げていくが、私は窓辺の椅子に腰掛け心ここにあらず、ぼんやりと外の景色を見ながら抑揚のない声で欠席の意を告げる。
何もする気にならない。何も考えたくない。
それとも父を「部屋から出すな」と言って笑顔て見送った罰が当たったのだろうか? 気分はまるで深い海の底に沈んでいるかのように重くて仕方がない。
だからどこの招待にも応じる気分でもなく、いつものように執事に返事の整理を任せると、執事は一枚だけ特別の親書があると告げてきた。
「どこからなの?」
私が尋ねると、執事は一礼して黒い盆に乗せた一枚の親書を私の前に差し出す。
「デコルデ侯爵家からでございます」
私は盆に乗せられた親書を受け取るとその封蝋の印璽には確かに侯爵家の家紋があり、差出人のサインには『ローズロッテ=デコルデ』とある。
「侯爵令嬢から? またいつもの招待状ではないの?」
私が首を傾げると、執事が事の次第を説明する。
「それが、侯爵家の筆頭執事が直接城に届けにいらしたのです。侯爵令嬢がリルディア王女様にどうしてもお目を通して頂きたいとの事でして」
「ふうん。ローズロッテ嬢がねえ?」
私はその親書を見つめる。この親書の差出人であるローズロッテは、私よりも三歳年上の侯爵家のご令嬢である。
デコルデ侯爵家は上流貴族の中でも頂点に位置する大貴族で、貴族社会においては保持する財力も然る事ながら、その権力は絶大だった。
そんな彼女の父親であるデコルデ侯爵は見るからに腹黒そうな人物で、金と権力の塊のような人間とも言える。なので侯爵の世間での評判はブランノアの国王同様にあまり良くはない。
またデコルデ侯爵家はブランノアの国家直属の筆頭貴族であるせいかフォルセナ側の人間に対しては昔から対抗意識を持っており侯爵自身、国の政治の中心である枢機院がフォルセナ側の人間に占領されているのが気に入らず、フォルセナ王家の王妃側の人間を毛嫌いしていた。
だからなのかデコルデ侯爵は私達愛妾母娘の方をやたらと懇意にし私達には非常に愛想が良いが母はそんな侯爵を警戒していて、母曰く、ああいう人間は損得感情で敵にも味方にも動く人間だから決して油断をしては駄目だと言う。
私としては上流貴族の頂点にある大貴族のデコルデ侯爵がフォルセナ側の人間である王妃やその娘である王女達を嫌い、私達に味方してくれるのは、貴族の後ろ盾の皆無な私達母娘にとって大変心強い味方であるとも思うが、
確かにデコルデ侯爵の饒舌な口の上手さと嘘で張り付いたような笑顔はあまり好きにはなれない。それでも表向きは私達の味方である事には変わらないので、当たり障りのない程度に付き合ってはいる。
だから一応、デコルデ侯爵の娘であるローズロッテとも、他の貴族のご令嬢達と比べて格別に懇意にはしているものの、彼女も私同様にお世辞にも性格が良いとは言えなく、侯爵である父親と同じく損得勘定で動くところは一緒でズル賢い上に平気で嘘をつく。
私はそんな彼女の事を正直、あまり好きではないし、友人とも呼びたくはないが、それでもデコルデ侯爵との付き合いもある上、しかも彼女は敵側にいると非常に面倒くさい人物なので、取り敢えずそこは侯爵同様にその娘とも遠からず近からず一線を引いて付き合ってはいる。
そんなデコルデ侯爵家からのお茶会や夜会の招待状もよく送られてくるので、月に1、2度くらいは顔を出すようにはしていたが、しかし今回のような国の許可を受けて運営している配達業者を使わずに家の者が直接、親書を届けに来るなどと侯爵家では初めての事だ。
ーーと、なれば、これは普通のお茶会や夜会の招待状ではないだろう。それも、あの性格のよろしくない(自分も他人の事は言えないが)侯爵令嬢からの親書だ。
……………何となく、この封を開けたくない。
開けたら開けたらで碌な事がないような気がする。
私が暫くその親書を「う~ん」と唸りながら封も切らずに見つめていると、執事が見かねて声を掛けてくる。
「リルディア王女様。もし、お困りの様でしたら、私共執事側の方で中身を確認した上で対処致しましょうか?」
ーーと、話す我が王家の執事達は大変優秀で、王族達に届いた親書や贈り物などは自分達が差出人やその家紋をしっかりと確認した上で危険が無いと判断したものだけを各自に届けに来るのだが、
貴族達からの沢山の招待状などは送られた本人がいちいち内容を確認するのも大変なので、そんな本人の代わりに執事達が内容を確認して返信等の代行処理を行う。だから本来であれば彼等に任せるところではあるのだが、私は首を横に振る。
「いいえ、大丈夫よ。他の家ならともかく、これはデコルデ侯爵家のものですもの。自分で対処するわ。ーーもう、行っていいわよ。ご苦労様」
私の言葉を受けて執事は「畏まりました」と返事を返して一礼し、部屋を退出する。私はその姿を確認した後、ペーパーナイフを取りに立ち、再び窓辺の椅子に腰掛けて親書の上部分にナイフを入れて封を開ける。そして中身の手紙を一枚を取り出すとそれを開いて目を通した。
「……………」
やや暫くして手紙を読み終えた私は長いため息をつきながら、再びぼんやりと何の変化も見られない外の景色を見つめると小さく呟いた。
「はあ…………どうしようかな」
******
「まあ! ようこそおいで下さいました。お待ちしておりましたわ、リルディア様。その後、お体のお加減は如何ですの? しばらくお会いしない間に随分とおやつれになられて、ああ、何という事でしょう。お可哀想に」
そう言って、緑色の瞳で私に同情の視線を向ける彼女こそ、少し茶色を濃くした栗色の髪を左右で分けて縦巻きにし、その両方に白い大きなレースのリボンを結び更にはリボンとフリルを豪華にあしらった白と薄桃色の花柄のドレスを纏っている見た目以上にその存在感が半端無い
ブランノアの大貴族であるデコルデ侯爵家のご令嬢。ローズロッテ=デコルデ嬢である。
そんな彼女の趣向はフリルやリボン花柄などの特に可愛いものが大好きで、いつもレースやリボンでヒラヒラ、フリフリに飾り立てた格好をしていて、確かに見た目はお人形のように可愛らしい出で立ちなのだが、全く私の趣味ではないので、その格好のどこが良いのか私には分からない。
それにまだ幼い子供ならその姿も有りだとは分かるのだが、私よりも3つも年上の彼女がそういう格好をしていると、実年齢よりもかなり子供っぽく見えてしまう。
そんな彼女は私が来ると、いつも私を着せかえ人形のように自分と同じ格好のレースやリボンの飾りのついたフリフリのドレスを着せて遊んでいるのだが、
ーー悲しいかな。老け顔の私にはそういう可愛らしい格好はまるで似合わない。だから私的には自分のそんな姿はすごく不自然で違和感しか感じないのに、
乙女の世界の住人である彼女は「可愛い~」「似合う~」などと言って、あろうことか、そんな姿の私にレースのリボンをつけたクマのぬいぐるみまで持たせて、ガーデンパーティに連れて行くのだ。
思うに私の異母姉である三女のアニエスも彼女と同じ趣味趣向をしているので、二人は歳も近く同じ趣向同士、きっと友人になればすごく気が合いそうなのだが、
そこは父親がフォルセナ側の人間を嫌っているせいもあるのか、彼女もまた自分と同じ趣向のアニエスに対抗意識を燃やし、常にその姿を張り合っており、
そんな時、ローズロッテは必ず私に「私の方がアニエス様よりもずっと素敵で可愛いですわよね?」と、同意を求めてくるが、私にしてみればどっちもどっちで、そんなゴテゴテに色々飾りを付けまくった彼女達の格好を見ている方が目が痛い。
******
「ごきげんようローズロッテ嬢。お招きに与り突然の急な訪問で大変失礼かとは思いましたが、お話を伺いにこうして参った次第ですの。
しかも私の体のお気遣い痛み入りますわ。ですがこの通り見た目ほど大した事はありませんのよ? 周りが大袈裟なだけですわ。ああ、これは手土産の菓子ですの。お茶のお供にどうぞお召し上がり下さいな」
そんな私は出迎えに現れたローズロッテに手土産に持ってきた菓子入りの箱を渡す。ちなみに菓子箱は彼女の趣向に合わせて薄桃色の花柄の箱に細かい細工のレースのリボンを掛けた、更には小さな小花の束の飾りを添えてある、きっと彼女の乙女心を擽る超可愛いものだ。案の定、それを見たローズロッテの瞳がキラキラと輝いた。
「まあ~! なんて可愛いの! すごく嬉しいですわ! 私の方からお誘いしてこうして王女様が我が屋敷にお越し下さるだけでも大変光栄ですのに、このような素敵な贈り物をお持ち下さるなんて、
リルディア様は本当に私の事を気遣って下さって、お美しい上に大変お優しい私の最も大切なご友人ですわ! これは遠慮なく頂きますわね。ありがとうございます」
そんな上機嫌で喜ぶローズロッテを笑顔で見つめながらも私の内心では、
(饒舌なのはさすが父親譲りね。私が気遣いなんてするわけが無いでしょう? まさか貴族の屋敷にお呼ばれして手ぶらで訪問するような不作法な教育なんて受けてはいないわよ。手土産だって相手の趣向に合わせるのは常識じゃない)
ーーなどと意地悪にも思っていた。
ーーまあ、何はさておき、取り敢えず外面的な挨拶は済んだのでいつもの素に戻る。ローズロッテもそんな私を知っているので彼女に対して気取った遠慮などしない。
「ーーそれで? 私に相談したい事があるのですって?」
私は長居をするつもりは更々無いので、さっさと手紙の内容にあった用件を聞くとローズロッテは満面の笑顔でニッコリと微笑む。
「ええ、そうですの。でもそれは女同士の秘密の相談でしてよ? ですから今日は幸いお天気も良いので、お庭の方でお茶でも頂きながらお話しましょう? ーーふふっ、本日は特に楽しい趣向もご用意しておりますのよ?」
いつも以上にキラキラと輝く視線を私に向けて微笑む彼女に私は思いっきり身を引く。
「ーー楽しい趣向? …………それってまたいつもの着せかえ人形ごっこじゃないの? 他人の趣味をどうこう言うつもりは無いけれど、何度も言っているでしょう? 私には白や薄桃色のリボンやフリルのドレスなんて似合わないのよ。それに私の趣味じゃないし。だからそれは同じ趣向の人達と楽しまれては如何? 私はもうご遠慮したいわ」
しかし彼女はそんな私の嫌々そうな反応にも一向に動じない。
「あら? 似合わないだなんて、そんな事はありません事よ? リルディア様は素晴らしく容姿端麗でいらして、周囲からも『月の女神』の化身とさえ呼ばれていらっしゃるくらい大変お美しいのですもの。
本当に何を着せてもお似合いでリルディア様ほど着せがえのあるお方は滅多におりませんわ。ですから私はいつもリルディア様はもっと沢山着飾ればよろしいのにと常々思っておりますのよ?
それなのにリルディア様はとても控えめでいらして、そのお美しさを敢えてお隠しになるなんて、まさに万人の目に触れない様に夜の帷が降りる頃にしか、そのお姿をお見せにならないと言う『月の女神』様そのものですわ。
まあ、それも神秘的で良いのですけれど、だからこそ勿体無いですわよ。リルディア様は実在するお方なのですもの。ですからもっとその類い稀な美しい美貌を広く世に知らしめるべきですわ。なんと申しましてもリルディア様は我が国ブランノアが誇る希少な『至宝』なのですから」
ローズロッテは恥ずかしげもなく次々と私への美辞麗句をスラスラと口にするが、そんな彼女の父親である侯爵からも私達母娘は同じような事を顔を会わせる度に言われているので、さすがは饒舌な侯爵父娘である。
誉められて悪い気はしないものの、ここまであからさまだと、かえって胡散臭さしか感じられない。何かあるのでは?と、警戒してしまうのは母の教えの影響もある。
「貴女の趣向はともかく、それは誉め言葉として受け取っておくわ。でも本当にお人形ごっこは勘弁してよ。今日はとてもそんな気分じゃないの」
私がうんざりした様に言葉を放つと、ローズロッテは私の腕に自分の腕を絡めてくる。
「まあ、何かお悩みですの? それなら尚更気分転換は必要でしてよ? ーーふふっ、本日はいつものとは大分違いますの。それもリルディア様専用の特注で作らせましたのよ?
今回のお誘いの主旨には、ご相談は勿論なのですけれど、実は“それ”も入っておりましたの。“それ”が出来上がって来てからは、私、早くリルディア様にお召しになって頂きたくて、ご来訪下さるのをずっと楽しみにお待ちしておりましたのよ? ですから、早く参りましょう? 私、もう待ちきれませんわ!」
そう言うなりローズロッテは片手で奥に控えていた侍女達に合図をすると、侍女達が一斉に私達の周りに集まり皆で私の体を別室に引きずって行く。
「ちょ、ちょっと!? 何??」
突然の事に私が慌てふためいても、ローズロッテは上機嫌の笑顔で「出来上がってからのお楽しみですわ」と、強引に私の腕を引っ張って行く。私はその行動に既視感を覚えてならなかった。
そう、あれは、忘れもしないーー父が第一騎士団隊の隊長とその部下の騎士達に引きずられて連行されていったあの光景だーーー
ーーやはり、これは罰が当たったのか?『人の不幸を笑う者は自分にも不幸が返ってくる』と聞いた事がある。まさに今、それを肯定するかのように同じ事が私の身に起きている。
ーーああ、きっとまた私は、彼女の趣向に合わせてリボンやフリルのついたレースだらけの乙女チックなフリフリの姿にされる事だろう。
私は彼女達に引きずられながらもーー今度からはお茶会でも夜会でもこちらから誘って彼女に城に来て貰うことにしよう。
当然ながら招待をする方が接待役になるので少々面倒ではあるが、少なくとも着せかえ人形にされる事だけは避けられるーーーと、心に誓っていた。
******
ーーそして小一時間が過ぎた頃、私達は華麗?なる変貌を遂げていた。
庭に向かう廊下を私達二人は歩いている。すれ違う使用人達が「よくお似合いです」などと、笑顔で声を掛けてくる。
そして私の隣では、この屋敷のご令嬢であるローズロッテ嬢が出し惜しみのない満面の笑顔で皆の声に応えながら鼻歌さえ口ずさんでいる。
そんな私はというと、あれから部屋を後にしてからというもの暫く無言で歩いていたが、ようやく思考が落ち着いてきたので私はずっと考えていた疑問をこの計画の発案者である隣の彼女に問うてみた。
「……………ねえ、ローズ……………聞いていい?」
「~♪ んん? なんですの?」
「……………羽が生えているわ?」
「ええ、そうですわね?」
「……………それに何故か、猫の耳?と…………尻尾が付いているのだけれど?」
「ふふっ、リルディア様、すごくお似合いですわ。リルディア様の雰囲気にピッタリで作らせた甲斐がありましたわ~。お気に召して?」
「……………どうかしら? 私…………羽が生えた猫なんて、生まれてこのかた見たことがないもの……………」
私は歩きながら、まじまじと自分の姿を凝視する。
「それにこれって…………喪服?…………にしては、やけに派手じゃない? しかも…………足、出ているんだけれど…………」
私はそんな自分の姿に驚愕を覚え、先ほどからしばし言葉を失っていたがやっと理性が戻って来たようだ。
そんな驚愕を覚える私の格好とは、いつも私が彼女に着替えさせられていた格好といえば、彼女と同じ様な白や薄桃色や空色などの淡い色彩で花柄のサテン地やレースのリボンの沢山ついたフリフリいっぱいのドレスである。
しかし今日はそんないつもの感じとは全く違って、二人とも上から下まで全身真っ黒なドレスで、リボンもレースもフリルすらも同じく真っ黒で、唯一、飾りの花だけが、赤、青、紫色と色彩がある。
そこまではまだいいが、何といってもそのドレス丈が問題だった。ドレスの丈がやけに短い。問題のドレスの丈は膝上くらいまでしか無く、だから当然足は丸見えで縁にレースとリボンのついた黒くて長い靴下を着用してはいるものの、それでも足下がスースーするからなんとも落ち着かない。
そして極めつけに私の頭とお尻には黒い猫耳と長い尻尾が、ローズロッテの方には黒く長い兎の耳と大きな丸い尻尾が付いている。しかもこれも何とも異様な事にそんな私達の背中にはキラキラと光る大きな黒い蝶の羽が付いていた。ローズロッテは私の反応にクスクスと笑っている。
「これって喪服?だなんて、そんなわけがありませんわ。いつものドレスではリルディア様はお気に召されない様ですから少し趣向を変えてみましたの。ですからドレスの色をリルディア様の髪や瞳の色と同じく『黒』にしたらどうか?と思ったのですわ。
確かに黒いドレスは一般的には喪に服す時くらいにしか着用致しませんけれど、例外にも占い師の女性などはよく黒いドレスを着用しておりますでしょう? それに今、市井の若い娘達の間ではドレス丈の短い衣服が流行っているのですって。
他の貴族のご婦人やご令嬢達は下品で破廉恥だと仰るでしょうけれど、私、流行に関しては市井社会にも寛大な考えを持っていますのよ?
ーーふふっ、これはここだけの内緒話ですけれど。こうして足を見せるのは、恋敵の多い意中の殿方の心を射止める最強の女の武器になるのですって。侍女達がこっそりと教えてくれましたわ。
実はそれも、もう実証済みですの。私、それで素敵な殿方達と現在、お付き合いしておりますのよ? まだ嫁入り前なのですもの。今の内に沢山の素敵な殿方達と自由に恋愛を楽しみたいのですわ」
そういうローズロッテはまだ15歳であるにもかかわらず恋多き女であり、彼女には沢山の男の取り巻き達がいる。勿論、彼女には親の決めた婚約者がいるのだが、まだ結婚してはいないので独身である内に沢山男遊びをしたいと言うのだから恐れ入る。
「ですがリルディア様は本当に人間ですの? リルディア様はそのおみ足まですごく綺麗な形をしていらっしゃるのね? 私、そのような美脚を拝見したのは初めてですわ。
ーーそうですわね。リルディア様は殿方の前でそのお美しいおみ足を出されることは万策とは言えませんわね。それにリルディア様なら何をなさらずとも、どのような殿方でも忽ち心を奪われてしまいますもの。しかも下手に肌などを見せてはリルディア様の身がかえって危険に晒されますわ。
それにリルディア様にはセルリアの麗しいユーリウス王太子様がいらっしゃいますもの。あのように完璧で美しい殿方がご婚約者であれば他の殿方など眼中にも入らないですわよね。
ーーああ、そういえば、そのユーリウス王太子様が先日、リルディア様の元にご訪問されたと伺いましたわ? うふふっ、どうでしたの? その後、何か進展がありまして?」
ローズロッテは急に立ち止まったかと思うと、キラキラと言うよりギラギラとした期待に満ちた瞳で私の返答を待っている。彼女は恋多き女だけあって、こういった恋愛話がとても大好きなのだ。
「ええっと、期待に沿えなくて申し訳ないけれど、ユーリウス王子とはただ普通に面会してご挨拶しただけよ?」
彼女はご令嬢達の噂話の情報源でもあるので、その辺り何かと面倒な事もあり当たり障りのない説明をすると、彼女は非常に残念そうな表情を浮かべる。
「まあ、なんて勿体ない! リルディア様はもっと男女の駆け引きをなさるべきですわ。それでなくともユーリウス王太子様とはあまりお会いすることが出来ないのですもの。万が一にも王太子様が他の女性に目を向けられない様、リルディア様に釘付けになさらなくては。
ですが…………そうですわね。ユーリウス王太子様は性格がお優しすぎて、恋愛事には少し奥手でいらっしゃるのかもしれませんわね。
リルディア様! やはりここはリルディア様から積極的に行かれては如何如何かしら? リルディア様が本気をお出しになられて愛のお言葉でも一言、囁かれれば、それだけでもう王太子様のお心はリルディア様一筋ですわ! たとえこうしてお互い離れていても、ユーリウス王太子様はリルディア様だけに釘付けですわよ?」
「……………ローズ? 私は母様からもよく忘れられるから慣れてはいるのだけれど、私はまだ12歳で子供の領域から出てはいないの。だからそういう大人の駆け引きはもう少し歳を重ねてから考えるわ。今はそういった事はよく分からないのよ。言われてもピンとこないの」
私の言葉を聞いて再び彼女は残念そうな表情を浮かべる。
「ああ、そうでしたわ。リルディア様はまだ御歳12歳でいらしたのですわよね。リルディア様は外見もお話になるお言葉も全てが大変大人っぽくていらっしゃるから分かってはいてもつい忘れてしまいますわ。
ですがリルディア様? 男女の恋愛に年齢など関係ありません事よ? リルディア様は精神的には既に大人でいらっしゃいますもの。もっと積極的に行かれても問題ないですわよ。
ーー決めましたわ。私、僭越ながら、リルディア様とユーリウス王太子様のご恋愛を全面的にご協力申し差し上げますわ! 私に出来る事があれば何なりと仰って下さいませね? 父上のお仕事上、セルリアには顔も広くてよ? セルリアの未来の王妃様の御為にその友人代表として私、頑張りますわ!」
そん彼女の言葉の内々に損得勘定があるのが分かる。きっと彼女はその言葉通りに未来の『セルリアの王妃』である私の為に私がお願いすればきっと何でもやってくれるに違いない。なんといっても“友人代表”である。
ーーだから彼女とは本当の『友人』にはなれない。いくら表向きは親しくしてはいても、貴族社会の人間達は自分達の利の為に寄って来たり去って行ったりする
からだ。
そんな彼女の父であるデコルデ侯爵は、幅広く諸外国との商売も手広くやっているので、確かにその人脈は広いだろう。ーー但し、必ずしも綺麗な商売ばかりとは限らないがーーー
「ーーええ、そうね。もし必要になったらその時は是非ともお願いするかもしれないわ。でも今は色恋事よりも自分が楽しめる事がしたいの。
そんな事よりも………………ローズ。これはいくら何でもやり過ぎではないの? 確かに市井の若い女性の間で短い丈の衣服が流行っているのは私も知ってはいるけれど、聞く処によれば、それでもまだ、ごく一部の人達の間だけの話だと言う事じゃないの。実際、このドレス丈は、さすがに私でも恥ずかしいわ。今まで足なんて出した事が無いんだもの。
ドレスの色なら『黒』でもいいわよ?『黒』は嫌いじゃないし、いつもの白や薄桃色のレースやフリルだらけの花柄のドレスよりは、色合い的にも私に合っていると思うわ。だけど…………この猫耳と尻尾。しかもおまけにこんな大きな蝶の羽が付いているだなんて、いくら何でも冒険しすぎよ。
確かにサプライズ的な楽しい事は私も大好きだけれど、こんな姿を他人には絶対に見られたくないわ。きっと頭がおかしいと医者に通報されてしまうわよ?」
私が呆れながらも真顔で言うとローズロッテはにこやかな表情で声を上げて笑い出す。
「ーークスクス、リルディア様は本当に楽しい御方ですわね。それに意外にも真面目でいらっしゃるから。そんな事を本気でご心配されるだなんて、なんて素直でお可愛らしい御方なのかしら?
ご安心なさって? そんなにご心配されずとも、こんな格好を外の人間の前になど決して晒したりは致しませんわ。これは我が屋敷内だけのお遊びですわよ。ーーですが、そうですわよね? 確かにこんな姿で城下など歩いたら間違いなく通報されますわよね?ーークスクス」
実のところ、ユーリウス王子の話題を逸らす為に、元の話題に戻したという思惑もあったのだが、これはこれで更に彼女を楽しませてしまった様で何となく癪に障る。
ーー意外に真面目って、失礼な。
「そう言う事だからもう着替えましょうよ。いくら屋敷内だけだとしても、やっぱり恥ずかしいわ」
そう言って私が彼女の部屋に戻ろうとすると、ローズロッテは再び私の腕に自分の腕を絡ませる。
「リルディア様! そんな事を仰らないで? 折角、楽しい事が大好きなリルディア様に喜んで頂きたくてご用意致しましたのよ? それにお庭の方もこの衣装に合わせて特別な趣向で作らせましたの。きっとリルディア様にも気に入って頂けますわ。
勿論、我が家の者達は皆、口が堅いのでこの屋敷で見聞きした事は一切口外など致しません。だからもう少しの間だけこのままお付き合い下さいな。普段のドレスではご用意してあるお庭の雰囲気には合わないんですの。
それにこのような格好などリルディア様以外の方とは絶対に出来ませんわ。私、リルディア様とご一緒だからこそ本当に楽しいんですの。ね? どうかお願い致しますわ」
私の腕をしっかりと抱えたローズロッテに懇願する視線を送られ、しかもこれも全ては私を喜ばせる為で、私だからこそ一緒にいて楽しいと言われてしまえば、「嫌だ」とも言えない。
ーーいや、別に「嫌」とは勿論、言える。言えるのだが、………実のところ、この黒いドレスは黒いレースやフリルが沢山使われたドレスではあるが、色合いも黒色だからなのか、乙女チックな感じは無く落ち着いた感じもあって、この短すぎるドレス丈は落ち着かないものの、本当に自分によく似合っていて…………実は少し気に入っていたりする。
しかも彼女の言う通り、このような常識はずれの奇特なお茶会など、貴族の慣習などに捕らわれない楽しい事が大好きな私の性格をよく分かっているからこそ出来る事であって、
そうでなければ大貴族である侯爵令嬢がこの様に非常識な喪服のようなドレスを着用したり、しかも動物の耳や尻尾、さらに昆虫の羽までつけてお茶会を行うなど絶対に出来るわけがない。
それにやり過ぎだとは思っていても、このように黒い丈の短いドレスや猫の耳や尻尾、蝶の羽など、どれも初めての経験でここだけのお遊びであるのなら、すごく面白いかもしれない。
「ーー分かったわ。だけど本当にこの格好はこの屋敷内だけよ? 一国の王女の私がこんなおかしな格好をしていたと周囲に知れたら、お父様ならきっとお気にもなされないし逆に面白がるとも思うけれど、他の人間には何こそ噂されるか分かったものではないわ。だから絶対に他言無用よ。ーーいいわね?」
私が念を押すとローズロッテは嬉しそうに首を縦に振る。
「ええ、勿論ですわ! リルディア様、私の我儘をお聞き下さり、ありがとうございます。私、リルディア様が本当に大好きですわ! それに私もリルディア様とお揃いの格好でしてよ?口外など侯爵家の威信に掛けて絶対にあり得ません。
我が屋敷の使用人達は皆、しっかりと教育されておりますし、特に人を雇う際には厳しく厳選した人物だけを採用しておりますの。ですから我が家で採用された人間は皆、主人に忠実で口の堅い真面目な者しかおりませんので、ご安心なさって?」
それを聞いた私の頭に浮かんだ事は言うまでもない。我が城では『風の噂』が往来する場所だが、この侯爵家ではそれがないようだ。口が堅いと言うのは信用に値するが、それが全員となると、いざ自分が問いただしたい時に、誰からも情報が聞けない事になる。
だから私的には城の『風の噂』はある程度は容認しようと思う。……………でなければ、私が困る。
「ではリルディア様。そうと決まれば早くお庭の方に参りましょう? 私共、リルディア様がおいでになると言うので屋敷中の庭師から執事、使用人総動員でお庭を早急に作らせましたのよ?」
そんなローズロッテの言葉に何だか気分は複雑になる。私が突然訪問したせいで、彼等には本来の仕事以上に余分に仕事をさせてしまった事になる。
だけどこれは私も予想外で、本当は受け取った親書の内容が気になったので、ちょっとだけ顔を出して話を聞いたらすぐに帰るつもりだったのだ。
「ーーローズロッテ。それなら本日お庭作りに関わった者達には、この後のお仕事を減免して貰えないかしら? 私の為に急遽庭を作らせたのなら、彼等の労力に少なからず報いたいわ」
私がそう言うとローズロッテは首を傾げて不思議そうな顔をする。
「まあ、彼等はただの使用人ですわよ? 主人の命に従うのは彼等の仕事であり当然の事ですわ。ですからその様なお気遣いなど全く必要ありませんのに」
「ーーそれはそうだけれど、でも出来ればそうして欲しいのよ。やっぱり駄目かしら?」
私の言葉にローズロッテは小さく首を竦めるも頷いた。
「ーー分かりましたわ。他ならぬ大切なご友人である王女様のお願いですもの。我が父上も勿論、承諾なさるでしょう。ですが、関わった全ての使用人に仕事を休まれては他の者が困りますから、彼等には必要な仕事以外では休息を与えましょう。それでよろしくて?」
「ええ、そうして貰えると私も気分がいいわ」
ローズロッテはまだ不思議そうな顔をしてはいるものの「承りました」と了承してくれたので取り敢えずホッとする。
確かに彼女の言う通り、使用人は主の命に従うのは仕事であり当然の事だ。しかし私は彼等の主人ではないし、これが自分が頼んだ我儘であるならばいざ知らず、私と関係のない他家の人間が私を喜ばせる為に余計な労力を費やさせたのだと思ったら、何となく気分がもやもやして、気付けば彼等の仕事の減免をローズロッテに申し入れていた。
別に相手が勝手にやっている事だし、その主の指示で使用人達が働いているだけなのに、どうして客人であり、しかも王女である私が他家の使用人である彼等の事まで気にしなければならないのか?
私は気遣われて当然の立場の人間なのだ。だから彼等が私の為に頑張るのは当然の事なのに……………
だからローズロッテが首を傾げて不思議がるのも無理はない。私自身も不思議で仕方がないのだが、でもローズロッテが彼等に我儘を言って、急遽、無理をおして用意させたのだと思ったら、次の瞬間には自分らしくもない言葉が口から出ていた。
ーー本当に何でだろ?
そうして再び私は満面な笑顔のローズロッテに腕を引っ張られながら足早に廊下を進み始める。
ーーーこうして、侯爵家の屋敷の廊下を二匹?の動物だか昆虫だか全く不可解なキラキラと光る黒い羽の大きな蝶が、ヒラヒラと舞うように飛んでいったのは言うまでもないーーー
【14ー終】