【6】後遺症
【12】
ユーリウス王太子一行が帰国してから数日、城の侍女達がその麗しい王子の来訪の余韻に名残惜しそうに浸っている頃、私はというと、母の部屋でソファに横になって、クッションを抱き抱えながら寝そべっていた。
先ほどからもう何度目になるか分からないため息がついて出る。 そんな私の様子に読書をしていた母が読んでいた本を閉じて私に顔を向ける。
「もう、なに? 辛気臭いわね。どうしたのよ? まだ、何か悩んでいるの?」
「………別に、ただ少し疲れているだけよ」
母に話かけられても寝そべった体勢は、そのままで気だるげに答える。王女がこんな格好をするなど、はしたない事だが、ここは母の部屋で特定の人間しか出入りが出来ないからこその出来る格好だ。
…………悩みなどあるに決まっている。
世間でいうなれば私は年頃の娘だ。年頃の娘は悩みが多いと言うではないか。ーーとは言っても今の私の悩みは二つだけなのだが………
「若い娘がなに年寄りくさい事を言っているのよ。あんたのそのため息聞いていたら、こっちまで辛気臭くなるじゃない。今日は父親とは出かけないの? 最近はいつも一緒に出かけているでしょう?」
「………お父様は今日はお仕事に行かれたわ。ああ、行かれたーーというより、ヴァンデル第一騎士団隊長が引きずって行ったーーのだけれど」
ユーリウス王子の帰国後、私は早速父と仲直りをした。それには城中の人間が安堵した様子で取り分け、父の臣下達からは口々にお礼を言われてすごく感謝された。
どうやら母の言っていた通り私が部屋に籠っている間、父の機嫌がかなり悪かったらしく本当に皆が心底困っていたようだ。その反動なのだろうか? 今度は私が心底困る羽目に陥っている。
「ああ、だからそんな不景気な顔をしているの? でも仕方がないわよ。国王が毎日遊び呆けているわけにはいかないもの。しばらくは戦に行く予定もないようだし、仕事が終わったら相手をしてもらえばいいじゃないの」
どうやら母は私が父に相手にしてもらえないので不貞腐れていると思っているようだが、その逆だ。
「…………違うわ。 やっとお父様がお仕事に戻ってくれてホッとしているのよ。ヴァンデル隊長が出待ちしていてくれて助かったわ。あのお父様を止められるのはヴァンデル隊長しかいないでしょ? 隊長がお父様を引きずって行ってくれたおかげで、私は晴れて自由の身になれたわ」
私のげんなりとした様子に母が珍しそうに私を見る。
「あら? 珍しいこと。いつもは父親べったりの父親っ子のくせに。それに最近はあの人も戦にも行かずに
ずっとあんたの傍にいて、毎日一緒に出かけたりとかしてあんたの独占し放題じゃない。あんた前から言ってたでしょ。「お父様が毎日傍にいればいいのに」って、今の状況はまさに願ったり叶ったりなんじゃないの?」
私はそれを聞いて長いため息を吐く。確かに父が戦に明け暮れて始終、城を留守にするので、父に会えない寂しさや退屈で口癖のように吐いていた言葉だが、実際それが現実になると、物事には何事にも限度があるのだという事を私は学んだ。
「…………そうね。 確かに私も今まではそう思っていたわーーでもね、母様。私、今回の事で学んだのよ。物事には何事にも限度があるって。
勿論、お父様を独占できるのは嬉しいのよ? こうして毎日一緒にいられる事も本当に嬉しいと思っているわ。けれどそれが四六時中、朝から夜まで毎日一緒ーーという事になると話も変わってくるわ。
ーーあの喧嘩以来、お父様が私から離れないのよ。朝、起きたら既にお父様が部屋にいるし、就寝時だって私が寝入るまでずっと傍にいるのよ? 私が眠ったらご自分のお部屋に戻ると仰っていたけれど、どうだか。もしかしたら私の部屋で寝起きされているのではないかしら?
お父様はそんな事はないとは仰っしゃるけれど、限りなく怪しいわ。しかも私がどこに行くにも、くっついていらっしゃるし、勿論、お父様との外出はすごく楽しいけれど、こうも毎日朝から夜まで一日中一緒ではさすがに私も疲れてくるわ。
ーーねえ、母様からお父様に苦言してもらえないかしら? 私から言うと、寂しそうなお顔をされるから、それ以上、何も言えなくなるのよ」
そう、私の悩みーーその一つは、父の事だ。
ユーリウス王子の来訪によりすっかり気分の良くなった私は王子の帰国後、すぐに父とは仲直りをした。そこまではよかったのだが、それ以来、父が私から離れなくなってしまった。
初めの内は、父が四六時中自分の傍にいてくれて毎日一緒に外出しあちこちに連れて行ってくれたり、私が少しでも興味を示したものは、ねだってもいないのに買ってくれたりと、普段以上に、父親が優しい上に激甘に甘やかすので、私もそれが嬉しくて父におもいっきり甘えていたのだが、
それが連日に続き、その間も父は戦にも行く様子は全く無く、しかも大事な執務すら放って常に私から離れず、しまいには私の起床、就寝時にまで傍にいるようになってしまった。
それにはさすがに私もこう毎日ではと困ってしまい、父にやんわりとーーそろそろ、自分にもやるべき事があるので、私に構わずにご自分のお仕事をされてはどうかーーと、言ってはみたのだが、
父は私の傍にいる事が自分の仕事だと言い、それでも私が父を離そうとすると父は「私を嫌いになったのか?」とか「どうしたら、傍にいる事を許してくれるんだ?」とか、
世間では暴君として恐れられている国王の姿とは、誰も想像する事など出来やしないだろう、他の誰にも絶対に見せない、きっと母にすら見せる事はないであろう、私限定のまるで捨てられた子犬のような表情で訴えてくるものだから、
父の事が大好きな私は父にそんな悲しそうな顔をさせたくはなくて、それ以上駄目だとも言えず現在に至っている。
*****
そして今日もまたいつものように朝から父が私を連れて外出しようとしていた所を、父の執務放棄に業を煮やした父の一番の側近で、全ての騎士団の取り纏め役でもあるグレッグ=ヴァンデル第一騎士団隊長が
城の出入口の扉の前で、それはもう世にも恐ろしい表情で扉の前に立ち塞がるようにして腕を組んでこちらを睨んでおり、その部下の騎士達が少し離れた場所で両脇に控えるようにして立っていた。
それを見た父は眉間に皺を寄せ、渋い表情でちっ、と小さく舌打ちをしつつも私の手を引きながらヴァンデル隊長の方へと歩いて行く。
しかし私としては今すぐに引き返したい気持ちで一杯だ。それというのも私はこのヴァンデル隊長が大の苦手なのだ。どうにもあの強面の顔が怖すぎて近くに行ったら殺されそうな気分になる。しかも今は、いつも以上に恐ろしい表情でこちらをずっと睨んでいる。
ーーううっ、怖い。 逃げたい! 今すぐに!!
あまりの迫力に気圧されて思わず後退りするも、父に手を繋がれているのでそれも叶わない。
父はそんな私を「大丈夫だ」と優しく宥めながら尚も足取りの重い私の手を引いていく。なので私は仕方なしに、なるべく父の背に隠れながら、ヴァンデル隊長の姿が視界に入らないように進むと、父の足が止まった。
「グレッグ、そこに立っていたら邪魔だろう?」
「…………どこへ行く?」
ヴァンデル隊長の静かな低い声が静まりかえったホールに響く。その声色から分かってしまう。これは絶対に怒っている声だ。怖いので、その姿を伺い見ることは出来ないが、きっと彼は間違いなくすごく恐ろしい顔をしていることだろう。
「ああ、言ってなかったか? 領地の視察に行ってくる」
「…………今日で三日目だな、その言葉を聞くのは。しかも王女を連れてか?」
「フッ、我が領内は広いからな。一日やそこらじゃ見回ることが出来んだろう? それに、たまには父親である私が自分の娘に社会勉強として外の世界を教えるのも親としての務めだろう?」
「ものは言い様だな。最もらしい言い訳だが、帰ってくる度に沢山買い物をしてきたと言わんばかりのあの箱の山は何だ? それが社会勉強の視察か?」
ヴァンデル隊長の言葉に私は父の背中でドキッとする。
あの沢山の箱の山は私が父に買って貰った服飾品などだ。それらの箱はひと目で中身が何なのか分かるように女性客用の綺麗な箱に大きなサテンのリボンが掛けられているもので、どう見ても武具などの品物ではない。
しかしこうして買って貰った以上、今更言い訳でしかないが、その殆どは私が欲しくてねだった物ではなく、父が私に似合うといって買ってしまったものだ。
しかも私がいくら必要ないと言っても、父が娘の私に買い与えるのも自分の楽しみの一つだと言うので、それを取り上げるわけにもいかず、父の好意を甘んじて受けていた
わけで、これは私の我儘などではないとは思うが、ヴァンデル隊長に自分が問い詰められているような気分になって、父の背中にギュッとしがみつく。すると父の大きな手が後ろに伸びてきて、私の頭を何度も優しく撫でる。
「グレッグ、そんなに怖い顔をするな。私の可愛いリルディアが怖がっているだろう? 城下の視察の上で民達の商売に協力するのも国主としての務めだろうが。それに品物の購入も自分の私費から支出しているものだ。何も問題はないだろう? そして城下の生活状況を見るのは、リルディアには良い勉強になるからな。
それにいくら女だとはいえ、私はリルディアを教養だけしかない容姿だけが取り柄の無知でつまらない女にするつもりはない。ーーまあ、母親がアレだからな。まずそうはならないだろうが」
父が思い出すようにククッと笑うと、ヴァンデル隊長は組んでいた腕を解いて腰に手を置き深いため息をつく。
「…………本当に貴方は頭も口もよく回ることだ。端から聞けば、どれもこれも正論なのだからな」
それを聞いて父がニヤリと笑う。
「はははっ、そうだろう? 私は間違った事は何一つ言ってはいないぞ? それでーーだ。だから本日も娘の社会勉強も兼ねて視察に行ってくるからな」
そう言って父が先に進もうとするもヴァンデル隊長は前を塞いだまま全く動こうとはしない。
「駄目だ! 今日という今日は何が何でも仕事をしてもらうぞ!? 一体どれだけ執務が滞っていると思っている!! それでなくとも、ここひと月、貴方はまともに責務を果していないだろうが! 親子喧嘩が解決したのなら、直ぐにでも自分の執務に専念してくれ!」
ヴァンデル隊長のその言葉に私は再びドキッとする。どうやら父は私との親子喧嘩で自分の仕事をずっと疎かにしていたらしい。そしてその喧嘩が解決したらしたで、今度は父は四六時中私にべったりで全く仕事をしないので、ヴァンデル隊長を含めた周囲の側近達はきっと大いに困っているのだろう。
でも、それって私の所為? ーーいや、私にも多少なりとも原因はあるのだろうけれど、それでも仕事をしないお父様が悪いのよね?
そうは思っても何故か自分が責められているような気分になってしまう。
ーーううっ、ヴァンデル隊長が怖い。
しかし父は、どんなにヴァンデル隊長にその強面で睨まれても平然としていて、更には面倒臭げに手を振りながらため息混じりに答える。
「ああ、分かった、分かった。外出から戻ったらその後でやるからそれで良いだろう?」
そんな父の言葉にヴァンデル隊長の怒号がホールに響きわたった。
「駄目に決まっているだろう!! 今すぐに仕事しろ!! 今すぐにだ!! 枢機院からの急ぎの書類もあるんだぞ!? 貴方が仕事をしないせいで俺が枢機院の連中から、どれだけ苦情を言われていると思っている! 俺が貴方の代理で仕事をするにも限界があるんだぞ!? そもそも書類の最終決裁は国王の仕事だろうが!!」
ヴァンデル隊長は言うなり父の方に向かって、ずかずかと歩いて来ると、いきなり父の肩から首にかけて腕を回して羽交い締めにする。
「グ!? グレッグ!? 何をするっ!!」
ヴァンデル隊長の突然の行為に父が驚いてもがいてはいるが、さすがは父と同様に大柄で立派な体を持つ第一騎士団隊長は筋肉隆々の巨体の父が暴れても、その腕はしっかりと父の体を離さない。
「何をって、仕事をさせるに決まっている。どうせ帰って来たところで、仕事をするかどうかなんて分かったものじゃないからな! 俺だって忙しいんだ! いつまでも国王代理の仕事なんてやっている場合じゃない! 視察などいつでも出来るが、火急の書類はもう待ってはくれないぞ!? ーーおい、お前達! 手伝え!国王を連れて行くぞ!」
ヴァンデル隊長の一声に彼の部下達が一斉に父の回りに集まってくる。
「おいっ! お前達! 私は国王だぞ!? 離せっ!!」
「申し訳ありませんっ! しかし我々も隊長が戻ってこないと、すごく困るんですっ!!」
「王、お願いですから隊長を自由にして下さいっ!! 我々では隊長の仕事を代務できませんっ!!」
第一騎士団の騎士達は自分達の君主である国王であるにもかかわらず、暴れる主の体を押さえながら口々にヴァンデル隊長を騎士団隊に戻してくれと必死に訴えている。
自分の知らない間に彼等も色々と切迫していたのかと、その光景を呆気に取られながら見つめていると、ヴァンデル隊長が父の体を押さえつつも私に向かって声を掛けてきた。
「リルディア王女ーーそういう事だ。国王は連れて行く。大変申し訳ないが本日の外出は中止だ。父王の仕事が全て終えたら返すから、それまでしばらくは我慢してくれ」
その言葉に私はヴァンデル隊長の強面が苦手な事も忘れてニッコリと微笑む。
「ええ、そういう事なら仕方がないですわよね。やはりお仕事が一番大事ですもの。ーーお父様? 臣下の方達がお困りになっていらっしゃるのよ? 私の事ならお気になさらずともよろしいわ。ここ数日、お父様と沢山過ごせて私は十分に満足致しましたし、お父様は国王としてのお仕事にどうかお戻り下さい。
ーーヴァンデル第一騎士団隊長、お父様をどうぞ連れて行って下さいませ。そしてお父様がきっちりとお仕事をなされる様、なるべく“お部屋から出さずに”四六時中、しっかりと見張っていて下さいね? よろしくお願い致しますわ」
私は敢えて“部屋から出すな”という言葉をことさら強調して隊長に伝えると、私の言わんとしている意味が分かったのか、珍しくヴァンデル隊長の強面が緩んだ。
「フッ、血は争えんな。ーー同じ事を言う。…………分かった。仕事が全て終えるまで“部屋から出さずに” だな? 安心するといい。国王は我々がしっかりと見張ることにする。おそらく、今まで仕事をサボった分、国王が全ての仕事を終えるには更にひと月以上は掛かるかもしれないが、貴女はそれでもいいのか?」
「ええ、お父様にあまりお会いできないのはすごく寂しいけれど、お父様は国王なのですもの。お仕事を疎かにしてはいけないわ。だからひと月くらい、お父様と外出できなくとも我慢しますわ。私はお父様の娘であっても王女なのですから」
そんな残念そうな言葉とは裏腹に私の表情は自然と緩んで笑顔になってしまう。
「リルディア!?」
そして私の言葉に父が反応するも、それには満面の笑顔で手を振って応える。
「お父様!! お仕事頑張って下さいね? 私はお父様が“しっかりと”お仕事を終えるまで、待っていますから。だからヴァンデル隊長の言うことをよく聞いてね? お仕事をサボって私に会いに来ても駄目よ? その分、私とのお出掛けの時間が遠退いてしまうのだから。
本当は私もすごく寂しいのだけれど、お父様は私だけのものじゃないのですもの。今は我慢するわ。だからお仕事だけに専念してね? 私の事なら全く心配はいらないわ。だから私の為にも、お仕事を“きっちり”と終わらせてね」
「リルディア!! 私はお前と会えないなどとは、とても耐えられん!! 私は国王の仕事よりもお前との時間の方が何よりも大切なのだ!! お前が我慢できても私はーーー!!」
父が叫ぶも、ヴァンデル隊長達がその体をズルズルと引きずるように連行して行く。
「ーーそういう事だ。第四王女の聡明で寛大なお許しが出たので、我等が国王を連れて行くぞ!
ーーリルディア王女、本当に感謝する。父王は我等が引き受けた。貴女は安心して、ゆっくりと休まれるといい」
ヴァンデル隊長はそう言うなり、部下達と一緒に尚も暴れる国王を引きずりながら城内へと戻っていく。
「リルディアーーっつ!!」
父が悲痛な声で私を呼ぶも私は満面の笑みで持っていたハンカチを片手で振りながら、その遠退く姿を一人で見送った。
ーーお父様~頑張って!(喜)
ーーヴァンデル隊長、ありがとう!(喜)
【12ー終】