【5】私の婚約者
【11】
昼食を済ませ身支度を整え終えた頃、母が迎えに来て久しぶりに部屋から出た私は廊下を見渡し父の姿がないことを確認する。そんな私の様子に気付いた母が、
「大丈夫よ、安心なさい? 父親には隠れて覗き見するのも駄目だと念を押して言ってあるし、第一騎士団隊長にも見張っていてもらっているから。それでもまだ来るようであれば、今度は娘と同様に私も同じことをしてやるわ! ーーと言って約束させたから心配ないと思うわ」
確かにそれならと母の言葉に納得する。それでなくとも娘に無視されているのに、その上、母にまで無視されてしまうことは父の望むところではない。だから母との約束は絶対に守るはずだ。
廊下を歩いて庭の方へと近付いて行くにつれ、段々と気持ちがざわついてくる。ユーリウス王子と会うのは実に数ヵ月ぶりだ。しかし私はその数ヵ月の間、自分に婚約者がいることなどすっかり忘れて意識すらしていなかった。
昨年までの私ならば、ユーリウス王子と面会することが分かると、嬉しくて、はしゃぎまくっていたものだが、今は自分でも分からない心境の変化で決して彼を嫌いになったわけではないのに会うことを避けたいという気持ちの方が強くなる。
それに一つ懸念があるのはクラウスが城に来てはいないかという事だ。ユーリウス王子とクラウスを会わせたくはない。けれどもしクラウスが来たら王族として彼がユーリウス王子と顔を会わせるのは礼儀作法として必須になる。
もし今ここにクラウスが現れたら私は………
「………母様、今日はクラウスは来ているの?」
私がボソッと小さな声で聞くと、母は歩きながら私の方を見る。
「いいえ、今日は来てはいないわ。何でも近々薬学研究の大きな集会があるので忙しいみたいね。だから心配しなくても大丈夫よ。それにもしクラウスが来たとしてもあんたの方には行かせないから安心なさい?」
それを聞いて心底ホッとする。そして母はそんな私の心境を理解してくれているようにも思えた。それはともかく、ユーリウス王子には私の元気な姿を見せて早々に帰国してもらおう。彼は多忙な身の上。それを私のご機嫌伺いなどの為に貴重な時間を費やすことなどない。
ーーと、私は自分の心の内を誤魔化すかのように、そんな正当な理由付けを脳裏に擦り込んで考える事を押し込めた。
*****
庭のテラスへ出ると既にテーブルセッティングが出来ており、そこにはユーリウス王子とお付きの騎士であろう二人が立ち話をしていて、こちらに気付くと彼等は私達の方に優雅に歩いてきた。
「ご機嫌よう。お待たせ致しまして申し訳ありませんわ」
母が淑女の挨拶をとるのと同時に私も同じく挨拶の礼をとる。するとユーリウス王子とお付きの騎士達も礼を返し、王子はその美しい顔に笑顔を見せる。
「いいえ、我等も今来たばかりですので、お気になさることはありません。こちらの方こそ突然の来訪でしたのに、このような貴重なお時間を頂けたことを大変光栄に思っております」
「まあ、それはこちらが申し上げなくてはならない言葉ですわ。ユーリウス王太子様におかれましては、ご多忙なお身の上でいらっしゃいますのに我が娘の為に貴重なお時間を割いてまで、こうしてお見舞い下さいましたこと心より感謝致しますわ。おかげさまで娘もこの通り元気でおりますので、ご心配には及びませんわ」
母の言葉を聞いてユーリウス王子は頷くと、今度は私に優しい表情を向ける。
「ええ、こうして姫のお姿を拝見して安心致しました。ーーリルディア姫、お久しぶりです。ずっと伏せっておいでだとお聞きしておりましたが、お体の具合は如何ですか?」
「ご機嫌よう、ユーリウス王太子様。わざわざ遠い所を私のお見舞いの為に、ご来訪下さいましたこと心より感謝致しますわ。ご心配をお掛け致しましたが、私はこの通り元気でおりますわ。伏せっているなどと周りが大袈裟に申しているだけですの。本当に大したことはございませんのよ?」
ユーリウス王子の母国セルリアでは王女の事を『姫』と呼ぶのが慣例であるので、ブランノアのように『王女』という呼称は殆ど使われてはない。なので、普段より聞き慣れてはいない『姫』など、と呼ばれると何だかこそばゆいようなちょっと変な感じだ。
「そうなのですか? ーーそれでも少しおやつれになったようにもお見受け致します。どこか無理をされていらっしゃるのではありませんか?」
心配そうに私の体を気遣うユーリウス王子に私は首を大きく横に振る。
「大丈夫ですわ。ええ、もうこの通り全く無理などしてはおりませんとも。ご心配には及びませんわ」
確かに本当に痩せてはいたので実際、やつれたように見えたのかもしれないが、これはユーリウス王子の心配するような体調が悪いという事が原因ではなくて、実のところ父への当て付けで半分断食していたので、
特にここ最近は甘いお菓子の食べ過ぎで少し太ってきたような気もしていたから、これは丁度良い機会だと不機嫌気分の勢いに乗っかって本格的に減量をしていたら、つい夢中になってしまい母に止められたのはつい昨日のことだ。そういう訳なので本当の理由を明かす訳にはいかない。
すると母が会話の間に入ってくれる。
「まあ、立ち話もなんですし、どうぞ皆様お座りになって下さいな。お茶も冷めてしまっては美味しくありませんもの」
母の言葉にそれまで控えていた執事や侍女達が一斉に動き出す。そして私達は席につくと、お茶の時間を開始したのだった。
*****
そうして私達はお茶を飲みながらお互いの国の世間話など当たり障りのない会話をしていたが、そんな折、突然母が席を離れるという。
「か、母様!?」
私は席を離れようとする母を止めようと、慌てて声を掛ける。
「直ぐに戻るわ。向こうの様子を確認してくるだけよ。いくら約束をさせていても、もしかしたらってこともあるでしょ? それに他の懸念もあることだし、やっぱり気になるから確認してくるわ。だからその間、あんたはユーリウス王子にお庭を案内しておあげなさいな。
ーーユーリウス王子。申し訳ありませんが、私は少し席を外させて頂きますわ。娘に庭を案内させますので少しの間、娘の相手をお願いできますかしら?」
!? 母様!? 一体どういうつもり!? 私だけを置いて行くなんて! しかも庭を案内?? 私の心境を理解してくれていたんじゃないの!?
慌てる私を他所に母はユーリウス王子にニッコリと微笑むと、王子も快く快諾する。
「ええ、勿論です。リルディア姫。もしご迷惑でなければ、ご一緒させて頂いてもよろしいでしょうか?」
「え? え、ええ。でもセルリアのお城の美しいお庭に比べたら大したことのない普通の庭ですのよ? 本当によろしいのかしら?」
自然の調和を大事にしている自然国家と呼ばれるセルリアーーー
その王城の庭は他のどこにも類を見ないほど見事なまでに美しい庭だったことを覚えている。
それに対し我が国ブランノアは武力主体の国家であり、城内にある大きな庭などは騎士達や兵士達の訓練場となっていて、
今私達のいるこの庭は私達親子に与えられている唯一の私庭であり、しかも貴族の屋敷の庭とさほど変わらないごく普通の庭だ。それを案内などとは、かえって失礼に当たるのではないだろうか?
「大したことがないなどと、そんなことはありません。ここのお庭も手入れの行き届いた大変素晴らしいお庭ではありませんか。きっと庭師の腕がよろしいのですね。姫、是非ともお願いできますか?」
「え、ええ、 ユーリウス王子がよろしいのでしたら、ご案内致しますわ」
「ありがとうございます。姫とご一緒させて頂けること、大変光栄に思います」
このユーリウス王子という人は本当に紳士的で丁寧で女性への接し方がすごく優しい。だから私のような言動や態度が大人ぶっている子供にでさえも、きちんと女性としての対応をとってくれる。
しかも王子は絶世の美女ならぬ絶世の美男子で、ふと気付けば周囲の侍女達が平静を装いながらも、チラチラと王子の姿を垣間見ている。多分今日は、城中で働く女性達の間で、この美しい王子の話題が持ちきりになるだろう。
以前王子が来訪した時も、特に若い侍女が色めきたって騒ぐものだから、年配の侍女頭が騒ぎを鎮めるのに相当手を焼いたらしい。だから侍女頭には気の毒だが今回もまた同じ事になるに違いない。
………お疲れ様。でも彼を呼んだのは私ではないのよ? ………全てお父様のせいよ?
そうして私はというと、ユーリウス王子と我が城の庭を散策することに。無論、王子のお付きの騎士達はついては来ないので、私は必然的に王子と二人っきりだ。
それでも以前までの私であるなら、そんな状況に嬉しくて舞い上がっていたのだろうが、一年も経つと私も大人になったものだ。はしゃぐどころか、今現在、自分の心境の変化もあって、王子と二人っきりという状況が正直きつい。
だから「お付きの方々もご一緒に」と、半ば強引に同行を勧めたのだが、彼のお付きの騎士達は私達に気を遣い自分達も「用を足してくる」と言って、私が留める間もなく、足早に逃げられて?しまったので、それなのにまさか私だけが自分の所の騎士や侍女達をぞろぞろと連れて歩くわけにもいかず、ーー結局、こういう状況になってしまった。
ああ、本当に何を話せばいいのだろう?? 相手は19歳の大人の男性だし、まさか貴族の令嬢達とのお決まりの話題である噂話や恋バナなどをするわけにもいかない。
「あ、あの、ユーリウス王子、今日は本当に良いお天気ですわね?」
お天気など見れば分かるが、天気類いの話というのは一番話しかけやすい話題と決まっている。
「ええ、本当に。おかげでこうして姫と歩けるのですから、私は天に感謝しなくてはなりませんね」
ユーリウス王子はそんな在り来たりな天気の話でさえも、丁寧に笑顔で返してくれる。それにしても、ここ数ヵ月会わない間に王子の美貌は更に拍車がかかって、お日様の光を背に受けたその微笑みは神々しく、今の今まで彼の存在を忘れていた私がその姿を見ることは罰当たりのような気がして、なるべく王子の顔を直視しないように視線を逸らす。
そんなブランノアの貴族や巷の間では、密かに格付けランキングなるものが存在する。その中の一つに「格好良い男性(独身)」ランキングというのがあって、勿論、国内外認める不動のランキング第一位がこのセルリアのユーリウス王子だ。
きっと後日、私はお茶会の席で貴族のご令嬢達から今日の王子の訪問の事で質問責めに合うに違いない。それというのも、ご令嬢達は皆、この手の話が大好きだ。
私は他人の恋愛話を聞く分には面白いのでいつも聞き役に徹しているが、私自身の事になると聞かれてもよく分からないので、正直、私に話題を振るのはやめて欲しいところだ。それなのにご令嬢達は何かにつけて私の話を聞きたがるので困ってしまう。
どうやら彼女達には私が恋愛経験豊富者のように見えるらしく、当の私はまだ、恋愛経験はおろか年齢すらも子供の領域から出てはいないというのに全くもって傍迷惑な勘違いである。
それでもお付き合い程度に仕方なくユーリウス王子との事を少しだけ話すと、皆、たちまちその瞳がキラキラと言うよりはまさにギラギラと期待に満ちた瞳を輝かせて身を乗り出して次々に質問してくる。
皆、子供に何を期待しているんだか。そしてどれだけ恋バナ好きなんだ。
しかもいくら期待されようにも恋愛経験皆無の私にはご令嬢達が聞きたい話など出来るはずもなく、皆は私が王女だからそんな私的な事は話せないのだと、こちらの都合よく解釈しているようなので助かってはいるが、どうやら私のユーリウス王子に対しての好意は彼女達の恋愛話を聞いていると、どうも“恋愛感情”のそれとは違うような気がしてならない。
確かにユーリウス王子は容姿端麗で大人で優しくて、貴族令嬢達や世の女性達の憧れの存在で、そんな王子を婚約者にしている私は常に彼に憧れる女性達から羨望の眼差しを送られている。
それに関しては私も鼻が高いし自慢げな気持ちもある。だから世の女性達同様に素敵だとか格好良いとか言うような憧れる気持ちはあるにはあるのだけれど、その好意は全く軽い気持ちのものだ。
ーー以前、既婚者となった年上の貴族令嬢にそれとなく『恋愛の定義』を聞いた事がある。
その彼女が言うには恋愛感情を本格的に自覚するのは年齢にして15.6歳くらいからが多いのだそうだ。しかも貴族間では政略結婚が主流なので、恋愛を伴う愛情は結婚してから育つのだと言う。
だから私とユーリウス王子もそういうものなのだとは思うが、今ではそれが本当に良いのかどうか考えると分からなくなってくる。しかも私はクラウスの結婚を反対しておきながら、その自分には婚約者がいるってどうなんだ?ーーとも思う。
今の私には自分が結婚するなどと全くもって自覚はない。まして16歳で嫁ぐなど絵空事のような事だとさえ思っているのに、この婚姻は両国同士で既に正式に『契約』成立されているので、私が16歳を迎えた頃には確実に婚姻は実行される。そして私はセルリアの次期国王でもあるユーリウス王太子の妃となる。
それは自ら望み他国に対しても絶対的な父親の権力を行使してまで手に入れた未来の王妃の座だというのに、今は以前の私とは違い、それまでは大して意識もしてこなかったという事もあるが、その事実が今頃になって重く圧し掛かってくるようにさえ思えた。
だからなのだろうか? ユーリウス王子の来訪は一層私の気分を重くする。決して彼を嫌いなわけじゃない。けれど彼を見ると、どうしてもその事実を突き付けられているようで彼を避けたい気持ちが沸々と沸き上がってくる。
「あの、ユーリウス王子。今回のご訪問は、お父様が無理を言って貴方を呼びつけてしまったのでしょう? 本当にご迷惑をお掛け致しましたわ。後で父には二度とこのような事をなさらない様、苦言しておきますので、どうかご容赦下さいませ」
すると隣で私の歩調に合わせてゆっくりと歩いていたユーリウス王子は足を止めるとクスッと小さく笑う。
「それは困りましたね。それでは私が姫に面会する口実が無くなってしまう」
「え?」
予想外の返答が返ってきてーーいや、社交辞令かもしれないが私も歩くのを止め、そのまま彼の方を見上げた。するとそこには、私を見つめて微笑むユーリウス王子の優しい視線があり、私の心臓は思わずドキッと跳ね上がってしまった。
ーーこれは不可抗力だ。美形の王子様の笑顔は乙女の心臓への破壊力が半端ない!
「それよりも姫、今は二人だけです。そろそろいつもの姫の話し方に戻られては如何ですか? その方が貴女らしい」
「ーーこれでも王女なのだけれど、まあ、いいわ。貴方がそれで良いのなら私もその方が話しやすいし。それじゃあ、貴方の方はいつもの話し方は禁止ね?」
私は淑女の言葉使いをやめて、いつもの言葉使いに戻す。彼は私の口の悪さも市井言葉を使うのも既に知っているので、私は王子と二人だけの時には大抵その話し方で接していた。
本来他国の王子に対して一国の王女が使う言葉使いではないが、畏まった話し方は社交辞令みたいで嫌だったので王子にも敬語で話すのはやめてもらった。
そんなユーリウス王子は普段から言葉使いは敬語が基本なので、彼が私に対して唯一敬語を使わずに話すことは私だけが彼の『特別』なのだという優越感に浸っていた時期も一時あったが、今ではそんな事はない。私もこの一年でかなり大人になった。
ユーリウス王子は再び小さく笑うと彼の言葉使いも変わる。
「ありがとう。そうしてもらえると嬉しいよ。それで先ほどの話なのだけれど、私は貴女のお父上に要請されたから訪問したというよりも自分の目で貴女の様子を確認したくて、自分の意思で訪問させてもらったから、お父上のことは私の中ではきっかけに過ぎない。
しかも頂いた親書には貴女はここしばらくずっと部屋に閉じ籠って伏せっていてお母上以外の誰にも近付かせず、このままでは貴女が病気になってしまうと書いてあったから、すごく驚いたよ。私は元気な貴女の姿しか知らないからその貴女が伏せっているとは何事があったのかと心配で貴女の様子を伺いに来たんだ。
でも確かにこうして姫を拝見すると、以前お会いした時よりも少しやつれたようにも見える。本当に体の方は大丈夫なの? どこか無理をしているのではない? 私では役不足かもしれないけれど、いつでも姫の力になりたいと思っている。だからもし何かあるのなら、どんな事でも相談して欲しい」
本当に心配そうに私の体調を気遣うユーリウス王子に私は後ろめたさを感じつつ、慌てて首を横に振る。
「ユーリウス王子、本当に大したことじゃないのよ。そこまで心配してもらうような事はないわ。体だって全然何ともないのよ?
その、やつれて見えるのはーーええっと、何というか、もう言ってしまえば太りぎみの女性によくある減量をしていたからなの。実は最近、太ってきたような気がして気になっていたから、その減量を少々、やり過ぎてしまっただけなのよ。
それに伏せっていたというのも全てお父様への当て付けで数日前にお父様と喧嘩をしてしまって、本当に頭にきたからその報復の意味合いでお父様に対して意地悪をしていただけなの。
それなのにお父様ったら事を大袈裟にして、お忙しいユーリウス王子を呼び付けるなんて許せないわ! 後できつく言っておかないと!」
私は再び色々と思い出し無意識に眉間に皺を寄せて不機嫌になる。ユーリウス王子には大した事ではないとは言ったものの、私にとっては非常に重大な出来事で、数日経った今でもまだ苛々は治まらない。
しかしそれはユーリウス王子には全く関係のない事で、そんな身内の事情で彼に心配をかけて、これ以上迷惑を掛けるわけにはいかない。
ーーだから、やつれた原因も素直に話すことにした。これを異性に話すのはかなり恥ずかしさを伴うが、伏せってやつれるなどと、そんなか弱い理由ではない事を説明しておかないと彼は他人を気遣う優しい人だ。きっと私の事で要らぬ心配をかけてしまう。
それに伏せっていた理由も親子喧嘩という大した理由ではないことも強調しておく。細かい内容は絶対に言えないが説明自体は嘘ではないので、これで彼には心置きなく自分の国に帰国してもらえるだろう。
それでも一つ懸念があるのは、この親子喧嘩の『理由』をユーリウス王子が聞いてしまうことだ。父が身内事情を他国の王子に話すとは思わないが、他の誰かの口から彼の耳に入るかもしれない。何と言っても王城は“風の噂”が往来する場所だ。
まさか私の怒りの原因が叔父であるクラウスの結婚話から始まった事など自分の婚約者に聞かせる話じゃない。もし、その事が彼の耳に入って、それに対して説明を求められても何も答えられないからだ。だから尚更、ユーリウス王子には早々に帰国してもらわなければならない。
そんな不機嫌な表情を浮かべる私にユーリウス王子は少し困惑気味に微笑む。
「姫、お父上はそれだけ貴女の事が心配だったのではないかな? 私の事なら全く気にしなくていい。寧ろ、貴女に会う口実が出来て私は嬉しいと思っている。だから私の事でお父上を怒らないであげて欲しい。
ーーだけど姫、減量というのは私の母上や姉上達もよく気にされているけれど、やり過ぎというのはやはり体に良くないと思う。食事も摂らずに痩せていくのはかえって体に悪いし本当に病気になってしまう。
幸い私の母上達はいつも途中で挫折してしまうのでそれほど心配はしてはいないけれど、姫は何事にも一生懸命になってしまうから本当に心配なんだ。現にこうしてやつれているし、お父上でなくとも皆が心配してしまう。それに姫は減量などしなくても、ありのままの姿で十分美しいと思う」
しかし私は首を横に振る。
「王子! それは甘いわ! 太った王女なんて世間的にも見られたものじゃなくってよ? 特に私なんか色々な意味で周囲の視線に晒されているから、体型が崩れて太った私を想像して御覧なさいな。間違いなく女として不名誉な噂が流されるに違いないし、母様とだって並んで歩けなくなってしまうわ!
それにユーリウス王子だって婚約者が“豚王女”だなんて王子の沽券にも関わってくるわよ。きっと婚約者であることを恥じて死ぬほど後悔するに違いないわ!」
あ、でもそうか。それなら婚約を解消してもいいのかな? 世間だって、こんなに綺麗な王子様の婚約者が“豚王女”だなんて絶対に納得しないわよね? それに、もしこれで婚約解消ってことになっても、セルリアの対面は保てるのだし万事問題ない…………
………なんてそんなわけがない!! 問題大ありだ!!
それには私が見るからに体型が変わってしまうほど、太らなくてはならないという事で、そうなると私はユーリウス王子とは婚約解消は出来るけれど、その引き換えとして私は世間から“豚王女”として噂されて馬鹿にされる。
それでなくとも我儘王女で通っているのに、更に“豚王女”だなんて言われたら、私の女としてのプライドが許さない。しかももしそんな事になったら母譲りの美貌があるからこそ許されてしまう態度や行為も周囲に一切通用しなくなってしまう。
それに当然、貴族の令嬢逹からは馬鹿にされ蔑まれて笑われるのは予測せずとも分かるし、何よりも、そんな姿の私をクラウスの前に晒すのは絶対に嫌だ!!
私が内心、婚約解消と自分のプライドとで押し問答をしていることなど知る由もないユーリウス王子は本当に乙女の心臓に悪い笑顔を向けて笑う。
「ふふっ、姫は本当に素直で楽しい方だね。姫はたとえ体型が変わったとしても、その美しさを損なうことはないよ。それに私は貴女がどんな姿になっても貴女の婚約者であることを恥じることなど絶対にないな。
ーーそうだな、それでもまだ姫が気にされるようなら、その時は私も同じ様に体型を変えて“豚王子”になることにするよ。そうすればお互い一緒だから姫が気にされることなど無くなるよね?」
それを聞いた私は自分の耳を疑わずにはいられなかった。そんな神様からも寵愛を受けているような美しい笑顔で、この王子様はさらっと恐ろしいことを仰る…………
この世でもっとも美しく麗しい王子様が“豚王子”になるなどと、誰が許すと言うのだろう。きっと神様だって許しはしない。もし私のせいでそんな事になったら私が天罰を食らう! ーーいや、それよりも、この世の美しいものを愛する全ての女達達から抹殺される!!
それでなくとも王子の婚約者の座を父親の権力を使って強引に手に入れた私は今や女の敵に他ならないというのに!!
私は思わずユーリウス王子の腕をガシッと掴んで首を何度も大きく横に振る。
「駄目よ!! それは絶対に駄目っ!! ユーリウス王子は絶対にそのままでいて!! 貴方が“豚王子”の姿だなんて想像するのも恐ろしいし、そんなの神様だってお怒りになるわ。
たとえ私の体型が崩れたとしても、貴方がそんな姿になったら絶対に許さないから!! もしそうなったら直ぐにでも婚約解消するわ! これでも私は面食いなのよ。自分の夫にするのなら見目の格好良い男性がいいわ!!」
端から聞けば何とも自分勝手な理由だ。王子は私がどんな体型になってしまっても気にしないと言ってくれているのに、その私は王子がそのまま姿でいなければ許さないと言うのだから。
けれどそれは本心だからしょうがない。やはり美しいものは美しいままであって貰いたい。私は王子とは違い俗物的なので自分の恋人や婚約者を名乗る者が太って腹の出た男なんて絶対に御免だ。
でもそうすると、王子の方も私が考えていた“豚王子計画”を実行すれば私との婚約を解消出来ると思うかもしれない? 現に今、私は王子にそんな姿になったらすぐに婚約解消だと言ってのけたのだ。
そもそもこの婚約自体は私が父の権力を行使して強引に王子を元婚約者から引き剥がした婚約だ。今まで考えた事は無かったが、王子が不満に思っていてもおかしくはない。もしかしたらユーリウス王子は王子の幼馴染みだとかいうあの侯爵令嬢の事を今でも愛しているのかもしれないのに。
私に言わせれば、あんないい子ぶりっ子令嬢など大嫌いだが王子にとっては特別な存在だったのかもしれない。だから彼女の元へ戻りたいが為に本当に“豚王子計画”を実行するかもしれない。
何度も言うが、駄目だ! それだけは絶対に阻止しなければ!! 王子にはやはり美しい王子のままでいて欲しい。だからもし王子が本当にそうするつもりでいるなら、王子の幸せの為にも、この婚約は解消しようと思う。相手は気に入らないが、それでも王子が好きなら仕方がない。
“人の恋路を邪魔する者は馬に蹴られる”と誰が言っていた。一体、どうやったらそのような状況になるのかは不思議ではあるが、それってつまりは馬で逃亡をしようとする二人の後ろを追いかけて、その馬の後ろ足で蹴られるとでもいうのだろうか?
そんなの冗談じゃない!! もしそんな事になったら下手をしたら命さえ危ない!! そもそもそんな間抜けな理由で死ぬのは嫌だ!!
だからユーリウス王子が令嬢と馬で駆け落ちしない様、私は話し合いで解決しようと思う。一国の王族同士、何事も冷静に、だ。間違っても二人の後を追いかけて馬の後ろ足でーーなんて事は決してない。それでなくとも馬の後方に立つことは禁じられている。
私もこの一年で大人になった。嫌な事も“多少”なら我慢出来る………と思う…………多分。だから王子が“豚王子”になるくらいなら、婚約解消もやむを得ない事だ。
しかしそんな私の考えていた事とは裏腹に、ユーリウス王子の反応は驚くほどに違っていた。ユーリウス王子は私に掴まれた腕をそのままに、その場に腰を落として膝を付くと、私の目線に合わせる体勢を取りふわりと優しく微笑む。
「クスッ、なんだかそんな風に言われると今にも妻に離縁されそうな夫の気分だな。それじゃあ私は姫に愛想を尽かされないよう今の体型を維持していかないといけないようだ。貴方には嫌われたくはないからね。でも先ほどの私の言葉は嘘じゃない。たとえ貴女がどんな姿であっても私はありのままの貴女が好きだ」
その殺人的ともいえる究極の優しい笑顔で美しい淡い灰色の瞳を向けられ、なるべく視線を合わせないようにしていたのに、間近にそれを見てしまった挙げ句、更にトドメとばかりに「好きだ」という言葉の武器が乙女の心臓をブッスリと容赦なく貫いた。
私はその場でひと呼吸分の硬直と共に、思わずグラッと後ろによろめきそうになるのを堪える。しかも体の熱が一気に顔に集中し、貫かれたままの心臓がドキドキと早鐘を打ち続けている。
ーーこのままだと出血多量で倒れる。………いや死ぬ!!
王子の「好き」は恋愛の好きとは違うのだと分かっている。王子が優しいのは誰に対しても同じだし、それに私はまだ子供で大人の王子からしてみれば妹のような存在だろう。
それはよく分かっているのだけれど、王子の優しさは本人には自覚はなくとも女性には毒性が強いかもしれない。まして容姿端麗なこの姿だ。恋愛を知らない子供の私でさえもこんなに胸がドキドキしてしまうのだから、これが王子の事を恋愛的に好きな女性なら今のような言葉を王子から掛けられでもしたら、まず卒倒ものだろう。私も違うと分かっているはずなのに、思わず恋愛?と錯覚しそうになる。
ううっ、心臓が煩い。 静まれ心臓。違うから! これは恋愛じゃないから。彼にとって私はまだ子供なんだから。だから彼の「好き」はそういう意味じゃない。
私は自分の煩いくらいに早鐘を打つ心臓にそう言い聞かせながら、頭に集中した熱でおそらく真っ赤になっているであろう顔を誤魔化す為にユーリウス王子の視線から見えないように後ろを向いて、掴んでいた王子の腕を強く引っ張って立ち上がるように促す。
「ユーリウス王子! いつまでもこんな所で立ち話も何だし散策を続けましょう? ーーああ、そうだわ。あそこに見える東屋で一休みしましょうよ。歩いてお話していたら私、少し疲れてしまったわ」
我ながら散策をを続けようとか東屋で休もうとか自分でもどっちなの?とも言えるが、この際どうでもいい。とにかくこの現状を今すぐ変えたい。このままユーリウス王子の“攻撃”を受け続けていたら、私の心臓は持ち堪えることができそうもない。
ユーリウス王子の事は好きだがこの「好き」は王子と同様で恋愛感情じゃない。だけどこうしていると私の頭の中や心臓が勘違いしてしまう恐れがある。それは王子にとって非常に迷惑千万でしかない。
慌てたように自分の腕を引っ張っていく私に王子はクスクスと小さく笑っている。
「分かりました。ではそろそろ参りましょうか? そして貴女の仰る通りあの東屋で一休みしましょう。姫をこれ以上、疲れさせてしまうわけにはいきませんから」
「ああ、もう、だから敬語は禁止って言ったでしょ? 自分でもそうして欲しいと言ったくせに」
私はチラッと王子の方に視線を向けると、やはり王子はまだ笑っている。
「ふふっ、そうだったね。それじゃあ、行こうか」
ユーリウス王子は私にされるがままに強引に引っ張られながら私達は再び歩き始めた。
*****
ユーリウス王子との散策で彼のお国柄もあるのか王子は草木などの植物に詳しく、自分の城の庭ではあるが植物の事など全くもって知らない私に、王子は植えてある花の名前やその特徴などを教えてくれて、私がまるで教師のようだと感心すると、やはり彼は「お国柄だからね」と言って笑う。
そうやってユーリウス王子の話を聞きながら二人で歩いていると、いつの間にか私のずっと苛々していた気分がどこかに消えてしまい、最初は王子と会うことさえ憂うつだったはずなのに今ではそれが嘘のように王子とこうしているのが楽しいと思っている自分がいる。
我ながらなんと都合よく、コロコロと変わる気分なのだろうか? そんな私も父と同様、気分屋であることを尚更、実感してしまう。
そうして私達は東屋の近くまで来ると、その周辺から何だか記憶に覚えのある優しい花の香りがふわりと風に乗って流れてきて、更にいつもの見慣れた光景とも違うことに気付くと、自然と私の足は駆け足になる。
そして“それ”を目の当たりにした私は開いた口が閉じられないほどに目を見開いて驚いた。そこには東屋を囲むようにして、セルリアの大地にしか自生してはないセルリアの国花でもある淡い青と白の花びらのコントラストが非常に美しいセリアの花がまるで絨毯のように敷き詰められて咲いているではないか!
私は何を隠そう、この花が大好きなのだ。ーー私が初めてセルリアを訪問した際に、このセリアの花を見るなり一目で大変気に入ってしまった花でもある。
そんなセリアの花は、薔薇や百合のように一輪でも豪奢な花とは違い、花自体は小さくて地面を蔓で這うように広がって咲く花だが、その一株に沢山の花を付けるので、それらが集合して満開になると辺り一面が青と白で埋め尽くされて、その美しく神秘的な光景は“天の絨毯”と呼ばれセルリア国の名高い名所にもなっている。
そして花の美しさに加えてその香りも素晴らしく良い芳香で、おそらくユーリウス王子はそのセリアの花の香水を付けているのだろう。彼からはいつもその花の良い香りがしていた。
それにしてもこれは一体どういう事なのか? この花はセルリアの特有の土壌にしか咲かない花で、しかも今は季節外れなはず。それなのにこのブランノアの庭でセリアの花を見られる事は普通では絶対に有り得ない。
これはまさかお父様のサプライズ? いいえ、違う。 これは…………
「………これは、ユーリウス王子が?」
私は振りかえってユーリウス王子を見ると、王子は少しはにかんだように笑う。
「ーー姫を驚かせようと思って、実は貴女のお母上にも協力して貰っていたんだ。普通にお見舞いの花束を贈るよりも姫はこういうサプライズが好きだと聞いていたから、これで少しでも姫に元気になってもらえたら良いと思った。
特に姫はセリアの花が好きだったからこの東屋周辺をお借りして一緒に連れて来た私のところの庭師にセリアの花の庭を作ってもらったんだ。姫に気に入ってもらえると嬉しいのだけれど」
「勿論だわ!! すごく嬉しいに決まってる!! でもユーリウス王子? セリアの花は今は時期的にも咲いてはいないでしょう? それなのにどうして?」
「城の温室で栽培しているんだ。セリアの花は王室の香料として使用しているからそれでね。それを少々拝領してきた」
「少々って、これって少々どころの話じゃないわ。こんなに沢山…………もしかして温室中の花を全部持ってきてしまったの?」
私が問うと王子は少し困ったような表情になる。それで分かってしまった。ここにある沢山のセリアの花は王城の温室で咲いていた花の全てであると。
「ユーリウス王子。お気持ちは本当に嬉しいのだけれど、これって大丈夫? 王室用の香料の為の大事な花なのでしょう? それなのに私のお見舞いなんかでその大事な花を持ち出してしまって、国に帰ったら王子が怒られてしまうのではない?
私ならもう十分にこうしてセリアの花を堪能できて満足したし、すごく嬉しかったわ。だからお見舞いは王子のそのお気持ちだけを貰っておくわね。だからこの花はせっかく私の為にお持ち下さったのだけれど、持って帰られた方がよろしいわ。
私の大した事のない理由でわざわざ貴方を呼びつけた上に、こんな貴重な花まで私に贈ったせいで王子が怒られてしまうなんて、それは私が望むところではないもの」
しかし私の心配を他所に王子は僅かに首を横に振る。
「私の心配をしてくれてありがとう。でも大丈夫。セリアの花を持ち出す許可はきちんと国王から得ているから怒られる事はないよ。それに香料自体は作り置きがされているし、種は沢山あるから、また栽培すれば良いだけだからね。
何よりその花で姫が元気になるのなら、たとえ怒られようと私は一向に構わないよ。私は姫の元気な姿を見るのが一番嬉しい。だからこうして貴女の喜ぶ顔が見られただけでも、本当にこの花を持って来てよかったと思っている」
そんなユーリウス王子の優しさに思わず胸が一杯になって目元が潤んできてしまう。
本当にどうしてこんなに優しいの? 私なんか王子に会いたくないと思っていたのよ? しかも早く国に帰ってもらう事しか考えていなかったというのにーーー
そう思うといてもたってもいられず私は感激のあまりに王子に抱きついていた。突然私に抱きつかれ、いつもは穏やかで落ち着いているユーリウス王子が珍しくあたふたしているが気にしない。王子の優しい気持ちが本当に嬉しくて、それに対して私といえば自分の都合しか考えていないのに、そんな私にこんな素敵なサプライズを贈って喜ばせてくれた。
彼は大丈夫だとは言ってくれているけれど、本当はもしかしたら、国に帰ったら怒られてしまうかもしれない。それなのに私の為にーーー
そう思ったらもう彼に抱きついていた。本当ならたとえ婚約者であっても、自分の肉親や伴侶以外の男性に抱きつくなど淑女としてはあってはならない非常識極まりない行為なのだけれど、私の嬉しいという感情表情はいつも父親に抱きつく事で表していたという事もあって、言葉で上手く表現できない気持ちを表す方法は、それしか分からないというのもある。
「ユーリウス王子、本当にありがとう。私もすごく嬉しいわ。貴方が来てくれてよかった。本当はすごく落ち込んでいたの。お父様とこんな風になった事など今までなかったからずっと苛々していて本当は誰とも会いたくはなかったのだけれど、こうして王子とお話していたら、その苛々もどこかに吹き飛んでしまったみたい。それにこんな素敵な贈り物まで頂いて久しぶりに気分は上々だわ。今ならお父様の事も許してあげられそうよ」
ユーリウス王子は私が抱きついたせいでまだ少し慌てていたものの、私の耳元には王子の優しい言葉が聞こえてくる。
「私もこうして姫に会う事が出来て少しでも姫の憂いを拭う事が出来たのであれば本当によかった。私はやはり貴女にはいつも元気で笑っていて欲しいと思っている。
だから減量の方も程ほどにね? こうして、やつれた貴女を見たら心配で国に戻るのが苦しくなる。本当に無理はしないで欲しい。貴女はどんな姿であっても美しい王女であることは変わらないのだから」
ユーリウス王子の真剣な私を心配するその様子に何となく自分の父の姿が重なり思わず笑ってしまう。
「クスッ、分かったわ。でもユーリウス王子も私のお父様に匹敵するくらいの心配性ね。だけど大丈夫。私もこれ以上、王子に心配をかけないよう決して無理はしないから安心して? お父様の事もユーリウス王子の優しさに免じて許してあげるつもりよ? ーーああ、もう本当に、お父様にはユーリウス王子と私の心の寛大さに感謝して欲しいわ」
私がそう言い放つと、今度はユーリウス王子が笑う。
「ふふっ、そうだね。ようやく貴女らしさが戻って安心したよ。やはり姫はその方がずっといい」
それを聞いて私は頬を膨らませて、わざとらしく怒ってみせる。
「それって、やっぱり私が王女らしくないと言いたいのね? ーーまあ、否定はしないけど。私、本当は淑女言葉なんて好きじゃないのよね。本音を隠した偽物みたいな言葉なんて社交辞令だけで十分だわ」
「クスッ、王女らしくないという意味ではないと何度も言っているのだけれどね? 貴女はそのままの貴女でいて欲しいという意味だよ。これからもずっと王女であっても貴女自身を忘れないで欲しいと望むのは私の我儘なのかもしれないな………」
ユーリウス王子のその言葉に何故か他にも含みがあるようにも感じられたが、人生経験の浅い私には大人のそれが分かるはずもなく取り敢えず大人の王子には色々とあるのだろうと自己解決しておく。いずれ時がくれば私にも自然と分かることだろう。
「ユーリウス王子が我儘ですって? そんなの我儘なんかに入らないわよ。何といっても我儘の代名詞でもあるこのブランノア国の第四王女様が言うのだから安心していいわ。
それに私は『私』よ? 自分を忘れるとか記憶喪失にでもならない限りあり得ないと思うわ。だから貴女の言う我儘がよく分からないのだけれど、それって心配いらないんじゃない? 私は『私』にしか成りようがないんだし」
私のその言葉を聞いていた王子は何故か呆気に取られたような表情をしていたが、突然声を上げて笑い出した。ユーリウス王子が人前で声を上げて笑うことは私の知っている限り殆ど無いので私の方が呆気に取られてしまう。
「ユーリウス王子?」
怪訝そうに王子を見つめると、彼は「申し訳ない」と言いながらも尚も声を抑えながら笑っている。
私、そんなにおかしな事言ったかな?
「ははっ、本当にそうだね。貴女は『貴女』だ。ごめん、変な言い方をしてしまって。心配性というのは自分では自覚はなかったのだけれど、どうもそうみたいだ。ーー貴女のそんな真っ直ぐさが羨ましくなるよ。私も見習わなければいけないな」
「は? 駄目よ、そんなの。ユーリウス王子が私のように我儘を言う姿なんてとても笑えないわ。私は第四王女だからまだ良いとしても貴方は王子は王子でも王太子様なのだから世間の評判は大事にした方が良いと思うわ。我が国の第一王女なんか後継ぎ王女であるのに世間の評判は
酷いものよ?」
「フッ、そう言う意味でもないのだけれどーーああ、姫、そろそろ皆の所へ戻ろうか? 私としては、まだ姫とこうして二人で話をしていたいけれど、これ以上皆を待たせているのも申し訳ないからね」
王子の言葉に私もそう言えばと、二人で庭の散策を始めてからかれこれ一時間は優に超えていることに気付く。
ーー本当に自分が信じられない。あれだけ王子と会う事が憂うつで、しかもその彼と二人きりになるのが嫌だとさえ思っていたのに、今ではその王子と楽しく会話をしていて時間も忘れてしまうほど一緒に過ごしていたのだから。
なんとも変わり身の早い私の心だろうか? 今ではユーリウス王子のおかげで気分はすっきりとしているし、しかも王子からの思わぬサプライズで大好きなセリアの花や香りも堪能する事も出来てまさに気分上々。今ならお父様の顔を見ても全然平気な気がする。
ーー何となく、まんまと父親の策略に嵌まってしまった感は否めないが、これ以上部屋に閉じ籠っていることに退屈過ぎて限界を感じていた所へのユーリウス王子の来訪は丁度よかったのかもしれない。
そんな私の隣で私の歩調に気遣いながら歩くユーリウス王子の横顔をチラリと盗み見ながら、父と私で親子揃って彼の純粋な優しさを利用している事に、親が親なら子も子だなーーと僅かながらにも胸が小さく痛んだーーー
*****
そうして私が機嫌良くユーリウス王子と戻ってきたのを見た母は安心したように笑顔になる。
「戻るのが遅くなりまして申し訳ありません。姫とお話するのは久しぶりでしたので、つい話し込んでしまいました」
王子が遅くなった事を母に謝罪すると、母は満面の笑みで首を横に振る。
「まあ、お気になさらずとも全く構わないですわ。それに娘の顔色もすっかり良くなった様ですし、王子に我が娘の相手をして頂いて本当に助かりましたわ。私は勿論の事、城の者達を代表してお礼申し上げます。これで城の平穏が取り戻せるというもの。
ですがユーリウス王子? 娘が貴方に我儘を申しませんでしたでしょうか? もしそうであれば遠慮なく私に仰って下さいませ。母である私が責任を持って娘を正しますので」
「母様! なんてことを言うのよ! 王子に我儘なんて言ってはいないわ!…………多分。それに私だって我儘を言う相手くらいちゃんと選ぶわよ!」
「ば、馬鹿、余計な事を言うんじゃないのっ! それに何なのよ? その“多分”って?」
そんな母は王子達の手前、私を肘で小突きながらも小声で話し掛けてくる。
………まあ、いくら小声でも王子達に聞こえてしまってはいるだろうけれど………
「だから“多分”なんだってば。私は言った覚えはないけれど、どの言葉が我儘になるのかが分からないからそう言ったの。的確でしょ? それよりも母様だって人が悪いわよ? 王子から話は聞いたわ。あの東屋のサプライズは母様も協力者なのですってね? どうりで突然私に王子を案内させるとか言って姿をくらませたわけだわ。しかも王子の騎士の人達もさっさと消えてしまうし」
そう言ってチラリと王子のお付きの騎士達の方に視線を向けると、彼等は伐の悪そうな表情で然り気無く視線を逸らしている。
「でもあんたはそういうサプライズ的な事が大好きでしょ? それにこれはユーリウス王子があんたを元気づけようと、ご自身でお考えになった『計画』なのよ? 私はそれにほんの少しご協力差し上げただけよ。でも本当によかったわね。王子のお優しさに感謝なさいね?
ーーそういえばあんた、きちんと王子にお礼は言ったのでしょうね? あんたの事だから何か失礼な事をしていないか心配だわ」
「失礼なのは母様の方よ。私だって感謝の言葉くらい持ち合わせているわよ。ーーね? ユーリウス王子? 私、失礼なことはしてはいないわよね?」
母が尚も疑いの眼差しで私を見るので、助け船とばかりにユーリウス王子に話を振る。更に言えば、いつの間にか言葉使いも素に戻ってしまっているが些細な事は気にしないことにする。どうせ母様の言葉も戻ってしまっているし、何よりここは“公の場”ではない。
ーーとは言え、王子の騎士達もいるにはいるが……………まあ、良いことにしよう。
私に突如として話を振られた王子は、にこやかに母に私の言葉を肯定してくれる。
「ええ、姫から失礼など受けるどころか逆にお見舞いに伺った私の方が沢山元気を頂いてしまいました。本当に本日はリルディア姫やそのお母上様にこうしてお会いする事が出来てよかった。久々に充実した楽しい時間をご一緒に過ごさせて頂き感謝しています。
今度は是非我が国にも皆様でお越しください。我が国が唯一自慢出来るのは自然環境だけですが、季節ごとに変化する美しい場所などご来訪の際にはよろしければご案内させて頂きたいと思います」
ユーリウス王子はそう言うと、本当に然り気無く美しい礼をとるので母も慌てて淑女の礼を返す。
「こちらの方こそ本当に感謝しておりますわ。そしてお国へのお誘いありがとうございます。ご訪問させて頂いた折りには、セルリアの美しい景色を拝見させて頂くことを楽しみにしておりますわ。そして今度はこういう形ではなく本当にユーリウス王太子様のお時間がお許しになった時には是非また御来訪下さいませ」
「ええ、勿論です。セルリアの民もブランノアの至宝である美しいお二人のご来訪を心待ちにすることでしょう。そして私もまたこうしてお二人とお会いすることを楽しみにしておりますので、お伺いの機会を頂けるように国王様にもお願いしようと思っています。どうかその時はまたご一緒に過ごすお時間を頂けたら幸いですので、心よりお願い致します」
ユーリウス王子は再び母と私に優雅に礼をとると今度は私の前に立つ。
「リルディア姫。本当に今日は楽しい時間をありがとう。思いがけず貴女のお顔が見られた上に、こうして共に過ごす事が出来て嬉しかった。本音を言えば、いつでも姫に会えると良いのだけれど、さすがに今はまだそれは出来ないので次に貴女にお会いする事を楽しみに私も勉学を一層頑張ろうと思う。
ーーそれから姫。もし何か心配事があれば私を頼って欲しい。微力なれど、いつ何時でも貴女の力になりたいと思う。あともう一つ、どうか体には気を付けて。私は貴女が元気であってくれるならそれだけで良いんだ。私の方は姫に嫌われないように現状維持を心掛けるようにするよ。私は姫に合わせる事など全く構わないのだけどね?」
ユーリウス王子はにこやかな表情で私だけに分かるように一瞬だけ片目を瞑ってみせる。
「そして今度は是非セルリアにも遊びに来て欲しい。私が多忙という気遣いは本当にいらないから。貴女との時間はいつでも空けておくよ。だから貴女が来てくれると、とても嬉しい。私も息抜きにもなるし是非そうして欲しい…………待っている」
「!!」
そう言とユーリウス王子は一連の動作も然り気無く私の左手を取ると、その甲にそっとキスを落とし更には大人の色気すら漂うこの日一番の目映いばかりの微笑みを“改心の一撃”とばかりにまだ子供である私に向けて投じてきた。
………これはわざとではない。王子は自分の婚約者でもある一国の王女に対して、親愛と敬意を表しただけだ。しかもこれは貴族の男性が自分の婚約者に対して唯一許されている最高級の礼でもある。だから私達の貴族社会では主に公の場で男性が礼儀を表す作法の一つであり、勿論、私も彼との婚約が成立してからはユーリウス王子から当たり前に受けていた。
その時は普通の礼儀作法であるので特に思う事は無かったのに、今日に限って公の場ではないせいなのか何だか王子の雰囲気もいつもと違って見えておかしなことに今や私の心臓が大騒ぎだ。
ああ、どうしよう。………手を離してもらえないだろうか? もしかしたら私のこの大騒ぎの心臓の音が私の手から王子に伝わってしまうかもしれない。それはさすがに恥ずかしすぎる!
「姫?」
私が突然固まってしまったので、ユーリウス王子はそんな私が心配になったのか少し屈みこんで私の顔を覗き込んでくる。
ーー王子に悪気はない。それは分かっている。分かってはいるけれどーーー
ち、近い! 顔、近いからっ! あ、でも、肌、すっごく綺麗……って、そんな場合じゃなかった!
私は至近距離で王子の顔を見てしまい、慌てて視線を逸らして王子の肩を押し戻す。
「わわ、わ、分かったわ。そ、そうね、貴方がそこまで言うのなら、その内に貴方の国に遊びに押し掛けて行ってあげるから楽しみに待っているといいわ! も、勿論、その時は遠慮なんてしないわよ? 貴方がいくら多忙だろうが当然私が優先でなければ許さないんだから! それに言っとくけど私は注文が煩いわよ? 私を満足させるようでなければ婚約者失格ですからね!?」
私は自分の心の内の動揺を隠すべく、つい高慢気味に言い放った言葉に母が私の袖を引っ張ると心底呆れた声をあげる。
「あんたは本当に何でそんな上から目線なのよ!王子様に対して失礼でしょうが! ーーユーリウス王子、本当に大変申し訳ありません。娘が大変失礼な物言いをーーー」
母が申し訳なさそうに王子に謝罪しようとするが、彼はそれを手で制止するような動作をする。
「ふふっ、構いませんよ。ーー姫、私に課題を与えて下さって嬉しいです。本当に姫がいらっしゃるのを楽しみに待っているので、その時までに姫に婚約者失格と言われない様、満足してもらえるような計画を沢山考えておきますね」
「そっ、そ、そう。それはいい心掛けね。是非そうして頂戴。ああ、だからと言って勉学を疎かにしては駄目よ? 私は“豚王子”も嫌だけれど“馬鹿王子”も嫌だわ」
それを聞いて母が慌てて更に強く引っ張る。
「だからあんたって子はっ! どれだけ失礼なのよっ!」
「だ、だって本当に嫌なんだもの! 母様だってこんなに綺麗な王子が豚のように太ってしまって、しかも馬鹿だったら嫌でしょう?」
「……っ、馬鹿はあんたでしょ! ユーリウス王子がそんな風になるわけがないじゃない!」
「母様、それは甘いわ! このユーリウス王子は私が太って“豚王女”になったら、ご自分も同じ様に“豚王子”になると少しの躊躇いもなく言ってのけた強者なのよ? 王子は本当にお優しいから、こうして釘を刺して置かないと彼は絶対にやるわよ。母様も想像してご覧なさいな。こんなに美しい王子が“豚王子”になった姿を。それに輪を掛けて馬鹿がついたら…………」
私の真剣な言葉に母の視線が天を仰ぎながら目を閉じる。どうやら想像しているようだ。そして間を置かずに私の目をじっと見つめる。
「………そうね。確かに恐ろしい事だわ………」
「でしょ? だから絶対にそれだけは阻止しなくてはならないのよ。しかもそれが私が原因なんて事になったら私、この世の全ての女性から殺されるわ!」
「………否定は出来ないわね。それでなくとも、今でもそう思われていてもおかしくないし」
「そうよ! だから母様も、もし王子にそういう兆候が現れたら絶対に止めて頂戴ね? 私を止めてくれた母様ならきっと私よりも気付くのが早そうだもの。王子を決して豚王子などと呼ばせてはいけないわ!」
そんな私達の会話を聞いてユーリウス王子とそのお付きの騎士達までが肩を震わせながら口許を手で覆い隠して笑いを我慢するように堪えている。
そう言えば、私は先ほどから何も“豚王子”という言葉を連呼してしまっている。これはやっぱり、さすがに失礼だっただろうか? ーーけれど、これだけ王子の頭の中に擦り込んでおけば、きっとご自分の外見に気を付けてもらえるだろう。だからたとえ失礼ではあっても全ては美しい王子の姿を守る為だ。致し方ないと思う。
「ご心配には及びません。お二人には失望されぬよう最善を尽くします。他にはどう思われても構いませんが、姫に失望されて嫌われてしまう事が私にとって何よりも一番怖い事ですから」
私の失礼極まりない言葉にもユーリウス王子は気分を害する様子もなく、しかも時折、王子はまるで恋愛を仄めかすような告白めいた物言いをするので、それが優しい王子の気遣いからの言葉だとは分かっていても実のところ、密かに対応に困っている。
王子に悪気は無くとも、こうも何度も心臓に直撃されては生きた心地がしない。しかも私に嫌われる事が「一番怖い事」だと言って、その優しい眼差しを真っ直ぐに私に向けて来るので、私はどうしてよいやら分からず挙動不審にも視線をキョロキョロと彷徨わせながら彼の視線を躱していると隣では母が深いため息をついた。
「はぁ………こんなに我儘で失礼なあんたの方が失望されても当然なのに。あんたの婚約者は本当に心が広くて優しくて素晴らしい男性でよかったわね? 私はあんたが羨ましいわ。
あんたこそ勉学を疎かにして“馬鹿王女”とか“豚王女”や干からびた枯れ木王女なんて呼ばれないようになさいよ? 自分で王子に釘を刺しておきながら、その言った本人がそんな事になったら、あんたがどうこう言えるどころか逆に婚約者である王子が恥をかくのよ?」
「わ、分かっているわよ。私だって自分を貶めるような自虐趣味はないわ。美人ランキング第一位と呼ばれている地位はそう簡単に他人には譲らないわよ。最低女ワースト第二位の座ならいつでも譲りたいけれど」
そんな巷で密かに囁かれている人気のある話題に「格好良い男性(独身)ランキング」という番付が存在するので当然「美人(独身)ランキング」と言う番付けなるものもある。そして現在、その美人ランキングの頂点はブランノアの第四王女。この私だ。
しかし逆にそのワースト版もあり、私は「最低女(独身)ランキング」第二位でもある。その第一位がブランノア第一王女のイルミナ。第三位が同じく第三王女のアニエス。というワースト上位をブランノアの王女達が占めているというのだから笑えない。
ちなみに第二王女ミレニアは元既婚者なので対象外だが、彼女はたとえ独身であったとしてもきっとそのようなランキングには入らないように噂自体を陰で調整するだろう。彼女は決して表には出ずに裏で暗躍する性分だからだ。
「あんたね、そう言いながら既に自分を貶めることを言ってるわよ? ワースト云々なんて誉められた言葉じゃないでしょ?」
「本当の事だから仕方ないじゃない。まだワースト第一位と呼ばれていないだけ良いわよ。ーーとは言っても、そのワースト上位をブランノアの王女達が占めているのだから国としては良くないかも。だけれど。ーーまあ、世間が勝手に言っているだけだし、いいんじゃない? 私はどうでもいいけれど」
「はぁ………まるで他人事のように………それでも少しは言葉を選びなさいよ。あんたの言葉を聞いていると、こっちがハラハラするわ。そんな事じゃ、その内あんたの方が王子に愛想を尽かされてしまうわよ? ユーリウス王子はあんたには本当に勿体無いわ」
母の私への呆れた言葉にユーリウス王子が静かに首を左右に振る。
「お母上殿、私が姫に愛想を尽かすなどあり得ない事です。私は姫のそういう嘘偽りのない素直で真っ直ぐな所が好きなのです。逆に姫こそ私には大変勿体無い御方。そんな姫の婚約者でいられることは至極光栄な事だと思っています。ですから私の方がより姫に相応しい相手だと、どなたからも認められるように一層精進しなければなりません。
ーーしかし姫はどうかそのままで。ご自分らしくしていて下さる事が私にとっての望みなのです」
そんな彼の最後の言葉は私に向けられていた。どうやら彼は私に、“今の私のままでいていて欲しい”と切に願っているようだ。
私には自分が自分以外の何者にも変わり様がないし、私は『私』のままだ。だから彼のその言葉の意味がさっぱり分からないので、そう言われても困ってしまうのだが、
一つ分かっているのは、彼は淑女言葉使いを使う私よりも市井言葉を使う砕けた会話をする素の私の方を好んでいる。その方が親しみやすいからと言うので、それには私も大いに同感だ。私も畏まって取り繕ったような会話は特に親しい人には使いたくない。
だからユーリウス王子の言葉も「そういう事なんだな」と、この時の自分はそう納得してそれ以上深く考えることはなかった。
ーー彼のその言葉の本当の意味を理解するには今の私ではまだ幼すぎたからーーー
「ユーリウス王子。この子は確かに母親の私が言うのも何ですが、素直で真っ直ぐで自分に正直であるので嘘をつく事は殆どありません。けれど悪い意味では何でも自分の感情のままに思った事を言葉や態度に出してしまうので、先ほどからの言動のように相手に失礼を働いていても何とも思わないのです。しかも自分の欲求には顕著に素直で父親同様に困った娘なのですわ。
ですから本当に娘が何か失礼を働いたり我儘を言って困らせるような事がありましたら遠慮せずに私に仰って下さいね? この子の父親のように何でも言う事を聞いてやると我儘放題に振り回されますから」
母が至極真面目な表情で私の事を王子に色々と忠告?している。そんな母が私が王子から愛想を尽かされる原因を作っているとしか思えない。しかし王子はそんな母の言葉を聞いても私に呆れるでもなく逆に信じられない言葉を口にする。
「私なら大丈夫です。逆に姫の我儘に振り回されてみたいですね。ーー姫、何か私に要望はありますか? 貴女の願いなら何でも聞いて差し上げたい。
けれど今の私の力量では残念なことに「何でも」と言うわけにはいかないのですが、それでも今の私に出来うる限り貴女の望みは叶えて差し上げたいと思っている。だから私に何か望む事はありませんか?」
それを聞いた母は大きく目を見開いて慌てて王子の言葉を止めに入る。
「ユーリウス王子!! 駄目です!! そんな事を仰っては!! この子の我儘は時に『国家級』ですのよ!? それは貴方が一番身をもって体験されている事ではありませんか! 娘の我儘を聞くのは父親だけでよろしいのですわ。他国の王太子様にこれ以上ご迷惑をお掛けするわけには参りません!」
………母様、そんなに必死に止めに入るとは。………それに国家級って私、そんなすごい我儘してたかな? 確かにユーリウス王子との婚約に関しては他国の王族同士だし、国家級と言えば国家級なのかもしれないが。
しかしユーリウス王子は変わらず微笑むだけだ。
「そんなにご心配をされずとも私には国家級のお願いをされても、そこまで大層な事は出来ませんのでご安心下さい。私は姫のお父上が姫の我儘を聞く『特権』があるように婚約者としての私にもその『特権』を与えて欲しいだけなのです。
私は年に数回しか姫とお会いする事が出来ません。ですから姫のお願いを叶うる限り聞いて差し上げたい。どうかその『特権』を私にお与えて下さい」
母は予想外であるユーリウス王子の申し出に呆気に取られて言葉を失ったのかポカンとしているし、同様に私も呆気に取られて直視するのも躊躇っていたはずの王子の美しいその顔を思わず見つめてしまう。
まさかユーリウス王子自ら私の我儘を要求してくるとは思わなかった。いつもは自分から父にお願いするのが当たり前で、周りに対しても自分から要求していたので、逆に相手からこんな風に願いを要求されたのは初めての事だ。だからどうしたら良いのか分からず戸惑うばかりである。
しかも私の我儘が『特権』だったとは今まで知らなかった。お父様が私の願いを聞く事は『特権』だったのか。でもそれって良い事? 悪い事? 母様や周囲はそれが悪い事のように言っているのに、お父様やユーリウス王子にとっては違うという事? うぅ………分からない。
密かに思い悩む私にユーリウス王子は更に優しい追い打ちをかけてくる。
「ーー姫、何か私に出来る事はないかな? どんな些細な事でも構わないよ。私は貴女のお願いが聞きたい」
ーーいや、聞きたいと言われてもこんな事は初めてなので何をお願いすればいいのかが分からない。いつもならお父にはスラスラと出てくるお願いが王子へとなると中々出てはこない。ユーリウス王子は一国の王太子様なので多少金銭面に響くお願いをしても問題はないだろうが、今の私には特に欲しい物など無いし、欲しくもない物を貰うというのはユーリウス王子の気持ちに対して失礼だとも思うからその線は却下だ。
それにユーリウス王子にはサプライズで沢山のセリアの花を頂いているので、それだけでもう十分に私は満足しているのだが更に王子にお願いとなるとーーー
…………あ、一つだけある。
私は思い出したようにユーリウス王子に向き直る。
「ユーリウス王子。それなら今度お会いした時に貴方も使われているその王家御用達のセリアの花の香水を一瓶、私にも分けて下さらない?
私、本当にあの花の香りが大好きなのだけれど、あれはセルリアにしか咲かない花だし、しかも花というのは時期的なものだから香りを楽しむ機会なんて他国の者である私にはそう簡単にある事ではないでしょう?
けれど香水であればいつでもその香りを楽しめるし花自体は無くともその香りで花の姿も思い描けるわ。だから貴方へのお願いはそれでは駄目?」
私はユーリウス王子がセリアの花の香水を使っている事を思い出し、花はいずれ枯れてしまうが香水ならば香りはいつまでも残るので、先ほど王子が王室用の香料で作り置きがあると言っていたからそれを“お願い”にしてみた。
王家御用達と言えば世間一般には出回らない特別な非売品。それを他人に与える事が出来るかは分からないところではあるが、城の温室にある全てのセリアの花を惜しげもなく私のお見舞いにしてしまうくらいだから、香水の一瓶くらいなら貰っても特に問題はないだろうと思ったので取りあえず聞いてみる。
もし駄目ならその時はお菓子でも買ってもらおう。暫く減量していた事もあって、お菓子が食べたいところだ。だからこれも私の今の“お願い”とも言える。王子へのお願いにするには些か些細過ぎるけれど、こればっかりは仕方がない。
しかしユーリウス王子はそんな私の“お願い”に少し驚いた様子ではあったものの直ぐに小さく笑う。
「ふふっ、そんな事で良いのならお安い御用だよ。それなら直ぐにでも貴女に贈らせて貰うよ。貴女にセリアの花の香りを好んでもらえているのは本当に嬉しい。私もセリアの花の香りが大好きなんだ」
「ええ、本当に良い香りですものね。ああ、でも直ぐに贈って貰わなくても良いのよ? 私も次回、貴方に会った時の楽しみにそれは取っておきたいわ。そうすれば私も退屈過ぎて眠たくなる勉学も少しは我慢出来るかも?…………多分」
王子の手前そう言ってはみてもこればっかりは自分の性分上、我慢出来るかどうかは自信がないので、やはり“多分”を付け加えると何故か王子のお付きの騎士達がほぼ同時に笑いを吹き出し、見ればユーリウス王子も声を上げて笑っている。
本当に何故に?? 私、何かおかしなこと言ったかな?
「ははっ、ごめん。貴女があまりにも可愛いのでついーーそういう事なら香水は今度貴女に会えた時に改めて贈らせて貰うことにするよ。確かに香りというのはその時の思い出を巡らせてくれるものだからね。
ーーけれど、貴女がセリアの花の香りで思い出すのは私の事でもあって欲しいと願うよ。貴女の記憶の中に私との思い出が一番であって欲しいと思うのはそれこそ私の我儘なのだけれど、それはこれからの私の頑張り次第でもあるから、もっと精進して頑張るよ」
王子のその言葉に私は何とも言い難い気分に陥る。ユーリウス王子がこのように自分を「思い出して欲しい」とか私の記憶の「一番になりたい」とか言うのは、もしや私が今まで王子の事をすっかり忘れてしまっていた事に気づいてしまったのだろうか? だからこれは私への念押しで言っているのかも?
ーーきっとそうだ。彼は大人であるから私の稚拙な誤魔化しなどお見通しなのかもしれない。
「だ、大丈夫。ユーリウス王子の事は(これからは)忘れたりしないわ(………多分)今日の事だってしっかり記憶しているし、それにセリアの花の香りはユーリウス王子の香りでもあるでしょう? だから同じ香水があれば絶対に王子の事も思い出すから願わなくとも大丈夫。
けれど王子との思い出が一番になるのは難しいわね。だって私が毎日一緒にいるのはお父様や母様よ? どうしたって家族との思い出が一番になってしまうでしょう? だからユーリウス王子との思い出は二番目で我慢してくれる?」
そんな私の言葉を聞いていた母は何故か残念なものを見るような目で私を見つめ、そしておもむろに深いため息をつく。
「はぁ………あんたはまだ子供ね。いくら大人びているとは言っても、まだ12歳の子供なのよね。しかも大人同様の認識があるかと思えば、逆に「何故に?」って言うくらい変な所で認識が間違っていて感覚がズレてるし、この偏り方はやっぱり箱入り育ちだからなのかしら?
私も時々あんたが子供だという事を忘れがちだけれど今のあんたを見ていて尚更、実感したわ。間違いなくあんたはまだまだ子供よ」
「ちょっと母様、子供、子供って連呼し過ぎじゃない? それにそんな呆れ顔でため息をつかれるほど私、変な事言った? だって私にとっての一番の思い出はどうしたって一緒に住んでいるお父様や母様になるのは仕方ないじゃない。それに対してユーリウス王子は他国の王子だし、私達は年に数えるくらいしか会う機会がないのに、それを一番の思い出になんて到底無理よ」
「はぁ………お馬鹿さんね。王子はそう言う事を言っているんじゃない
のよ。………まあ、今のあんたには『色恋事』なんて理解できるようになるのはまだずっと先のようだから仕方がないのだけれど」
「は? 色恋事? 何の話よ? 」
どうして私の言葉から色恋事がどうのと言う話になるのかと訝しげに母を見るも、母はそんな私を無視してユーリウス王子を真面目かつ真剣な面持ちで見つめる。
「ーーユーリウス王子。失礼を承知で申し上げるのですが、私は貴方が我が娘に対してええっとーーコホン。本人はこの通り、全く自覚がありませんので今は言葉は伏せますけれど、“そういう”感情がおありだったとは思ってもみませんでしたわ。私の勘違い………とも思えませんでしたので敢えて口にしました。
ですが娘は外見や言動が実年齢よりもかなり大人びてはいますが、それでも中身はやはりまだまだ子供なのです。ですから貴方の言葉を理解するのはおろか、その辺の意識の成長が乏しいのでそれらを自覚出来るようになるのもかなり先の事になるでしょう。
しかもこの子は自分至上主義で、自分の感情でしか心を動かされる事がありません。ですから貴方の気持ちは娘には通用しないかもしれません。今でさえ娘に関わる者達は娘の一挙一動に振り回されていて苦労を強いられているのが現状です。ーーまあ、この子の父親だけは例外ですが。
ともかく、ユーリウス王子ーー貴方も娘に関わっている限りこの先、苦労するのは目に見ずとも容易く分かることです。それでは貴方が不憫でなりません。それでなくとも貴方やセルリアはこの子とその父親の被害者。けれど今ならその貴方を自由にして差し上げる事が出来ます。
全てはこの子の我儘から始まった事ですが、本当に気まぐれな子供なので欲しいモノが手に入ってしまえばそれでもう満足なのですわ。ああ、お気を悪くなさらないでね? これは貴方の為を思って申し上げているの。
娘はまだ子供です。なにも貴方がこの子の成長に付き合う事はありません。こんな事を言うのは母親失格かもしれませんが、私の娘は貴方を不幸にしてしまう存在かもしれません。ですから娘がまだ子供である内に貴方のお気持ちが定まらない内に貴方を娘から解放して差し上げたい。
娘の身勝手な我儘で散々振り回しておいて今更ですが、貴方はご自分の幸せを望むべきです。ですから私に仰って頂ければ国王には私の方で取り計らいましょう。ーーああ、ご心配には及びませんわよ? この子の父親はそれはもう親馬鹿過ぎて、娘が嫁いでも自分の手元からは全く離すつもりはないようですから、この件は直ぐにでも解決する事でしょう」
私は予想だにしていなかった母の言葉に驚く。
母様?? ………もしかしてユーリウス王子に私との婚約解消を示唆している? ………私のあんな態度を見たから? いや、それは無理もない………ないけれど………
しかし母の言葉を聞いてもユーリウス王子は少し驚いた様子だったものの、その後は動揺することもなく穏やかに微笑んだ。
「ーー私の心配をして下さったのですね。お気遣い感謝いたします。しかしそれには及びません。私が姫をお慕いしている気持ちには変わりはありません。
確かに現状では姫と私の間には大人と子供という年齢差はありますが、姫に至っては、その差すら感じられないほどに精神面が大人でいらっしゃるので、私は年齢差というものをさほど感じてはいないのです。まして王族である以上、尚更、伴侶との年齢差などは然したる問題にはならないという事はお分かり下さると思います。
私は姫と初めてお会いしてからというもの、ずっと姫が気になっていました。それも姫のようなお方は今まで私の周りには誰一人としていなかったので、私にはそれがとても印象的であったのだと思います。
ですから姫から望まれたと知った時は、それが政略結婚ではあっても他に婚約者のいる身であったにも関わらず不謹慎にも喜びを感じておりました。そして私は光栄にも姫の婚約者という唯一の特別な地位を頂きました。私はその座を他の誰にも空け渡したくはない。
それに私にとって姫は決して不幸な存在にはなり得ません。姫と共に人生がある事が私が望む幸せなのです。その為の苦労などいくらでも本望なのですよ」
それを聞いた母は左右に小さく首を振ると、もう何度目かも分からないため息をこぼした。
「はぁ………貴方も気の毒な方ね。こんな年端もいかない小娘に誑かされてしまって。私の娘はお世辞にも性格は良いとは言えなくてよ? それに貴方ほどの王子様ならもっと性格の良い素晴らしい女性がいくらでも見つかるでしょうに。それを敢えて苦労する道を進もうとするなんて後で後悔しても知りませんわよ?
私は母親ですから娘の幸せが一番だけれど、貴方は大変良い方なので忠告しますわ。私の娘は絶対にお薦めしません。これは母としての意見ではなく第三者としての意見よ。
この子の性分は父親譲りなの。私は認めたくはないけれど、本当にそっくりなのよ。まだ父親ほどには酷くはないにしても善悪の判断基準は薄いし特に自分の欲求には忠実で気まぐれな娘なの。それでもよろしくて? この子の性分は一筋縄ではいかなくてよ?」
「ええ、勿論。覚悟の上です。それに姫はご自分に素直なだけで私は姫に問題があるとは全く思ってはいません。姫は本当に可愛らしい御方です」
「ーーですって。ユーリウス王子の覚悟を聞いたでしょ? あんたは本当に幸せ者ね?」
母が突如として私に話を振るので思わずドキッとする。先ほどから私の事で二人が真剣な面持ちで改まって話をしていたので、その内容が内容なだけに話題の当事者の私が口を挟む雰囲気ではなくて、私はその間、あまりの居心地の悪さに所持していた扇の節を直したりハンカチで拭いたりして何とか間を持たせていたのだが、その話の終盤に私を会話に混ぜないでほしい。私に何を言えと言うのだ。
しかも会話の内容からすると、母は私からユーリウス王子を解放するという。つまりは私との婚約解消を王子に勧めたわけだ。多分母は、私のユーリウス王子への態度を見て判断したのだろう。しかし当のユーリウス王子は婚約解消を望んではいない。どうやら王子は私に対して少なからず好意があるらしい。
…………あれ? それじゃ、元婚約者の事は? かけ落ちは?………って、あ、それは私の想像だった。
いや、でも幼馴染みの婚約者なのでしょう? 何とも思っていないわけが…………なのにどうして??
そしてそんな王子は私の父のように私から我儘を言われる存在になりたいと言う。しかし私の我儘は果たしてそんなに特別視されるようなものだろうか? 私はただ普通に自分がして欲しい事や欲しい物をねだっているだけだ。
それに好意とは言っても、王子が私に恋心を抱く要素など自分の今の今までの言動や行動を振り返ってみても、それらしい要因などどこにも思い当たらない。
ーーであるので、私の結論からすると、ユーリウス王子は私の父のように心配性で過保護なので妹のような私の事が気になり優しい性分なだけに放って置くことが出来ないのだろう。
それにユーリウス王子は上に二人の姉上がいるだけで王子は末子だ。だから尚更、下に弟妹が欲しかったのかもしれない。事実私がそうだからだ。きっとそれで王子は我儘を言われたいなどと思ったに違いない。
私も、もし弟妹がいたら、我儘を言われてみたいかもしれない。『姉様どこか連れて行って?』とか『姉様これが欲しいな。お願い~』とか?
あ、それって何だかちょっと楽しいかも。
そんな私は自分で勝手に都合の良い解釈をしている事に気付くはずもなく、自分の中の疑問が解決した事もあり、すっきりとした表情を浮かべた笑顔で母に答える。
「ええ、母様。 私もすごく嬉しいわ。私にはお父様以外にも甘える事が出来る『お兄様』が出来たのですもの。私は一人っ子のようなものだから、家族が増えたみたいで本当に嬉しいわ。これからはユーリウス王子にも私のお願いを聞いてもらうことにするわ。
ーーああ、今度は何をお願いしようかしら? お父様が無理でも今度からはユーリウス王子がいるのよね。くふふっ、楽しみ」
私がニヤついている隣で母が何故か額を押さえて天を仰いでいる。
「あんたって子は………ったく、子供………ああ、そうよ、まだ子供だったわね。 5歳くらい老けて見えるだけで」
「また子供、子供ってーー母様、少し、しつこいわよ? それにユーリウス王子が我儘を言って欲しいと仰るのよ? 仕方ないでしょう。折角の王子の好意なのだもの。無下には出来ないじゃない!」
「あのねぇ……だから、そういう意味ではないとさっきから言っているでしょう? ーーはぁ、ユーリウス王子? 娘はこの通りのまだ子供だわ。しかも私の娘だし、もしかしたらそういうところは私に似て色々と感情が欠落しているかも。だから多分この先も貴方が言うまでもなく、ずっとこのままなんじゃないかしら? どう考えても、この子に他人の心の機微が分かるとは思えないもの。
それがたとえ言葉や態度に表したところで、この子の感覚自体がズレているからきっと分からないわよ。ある意味、私よりも理解力が鈍すぎるもの。ーーだから王子。娘を見限るなら早い方がよくってよ? その時はどうぞ遠慮せずに私に仰って下さいね? 直ぐにでも自由にして差し上げますから」
そんな母は私の味方と言っておきながら完全に王子側に付いている。
ちょっと母様!! それのどこが私の味方なのよ!? と、母に抗議しようと口を開きかけたが直視するには眩しいユーリウス王子の優しい眼差しとふと目が合ってしまい、思わず出かかった言葉を飲み込むと何となしに自分の視線が空をさ迷ってしまう。正直、ユーリウス王子のその透き通るような綺麗な淡い灰色の瞳から向けられる純粋な視線は今の私にはすごく苦手だ。
そんな私を見て王子は小さく笑うと、再び母の方にその視線が向けられる。
「私は大丈夫ですよ。姫からそう思われるのは年齢差もある事なので今は当然の事です。それに私は姫の『兄』という立場も頂く事がてきて、正直嬉しくもあります。私は姫の特別にまた一つ加えて頂けたのですから。
姫の意識の成長は私の今後の頑張り次第なのだと分かっているので、私の人生最大の課題として最善を尽くして努力は惜しみません。それに私は気が長い方なので、待つことは案外平気なのですよ。そうして姫が美しくご成長されてゆく様子をその傍らで見られるのですから、私は大変な果報者ですね」
王子の言葉を聞いた母は脱力するように肩を落とすと、今度は私をジッと見つめてくる。
「ああ、本当になんて事かしら。こんなに優しくて美しい王子様が娘の毒牙にかかってしまってーー物語であれば、この子は主人公の王女というよりは悪い魔女の方なのにーーこれが現実という厳しさなのかしら。ああ、納得がいかないわ」
私を見つめながらため息と落胆の表情を浮かべる母に、先ほどから聞いていれば実の母親だというのに娘の悪口としかとれない事を王子に聞かせているので、そのあまりの言い様にやはり先ほど飲み込んだ抗議の言葉を復活させる必要がある。
ーー勿論、王子の方は絶対に見ない事にする。うっかり王子と視線を合わせようものなら、また出かけた言葉が引っ込んでしまって抗議どころの話ではなくなる。
「母様!! さっきから聞いていれば母様の方が言葉を選んでいないじゃない! 王子を自由にするだの解放するだの終いには毒牙とか悪い魔女とか言って、そんな言い方されたら私の印象最悪じゃない! しかも自分の娘をそこまで悪く言うのは母様くらいだわ! それに悪い魔女というのは母様だって同じじゃないの。母様だってお世辞にも性格良いとは言えないでしょ!?」
「ふっ、この親にしてこの子ありってことでしょう? つまりあんたはどっちに似ても性格は良くはならないからどうしようもないわね。それなのに、こんなに性格の良い王子様があんたみたいな悪い女に引っかかっているのが見ていて忍びないのよ」
「開き直ったわね? 母様。しかも自分の娘を男を誑かす性悪女みたいに言わないでよ。私、ユーリウス王子の事をこれっぽっちだって誑かしてなんかいないわよ? 寧ろ敬愛しているし自分の兄のように慕っているわ。それなのに母様のその言葉でユーリウス王子が私の事を誤解してしまったらどうしてくれるのよ!? 確かに私は性格は良くないかもしれないけれど、そこまで性悪じゃないわ!」
「ふぅん? それはどうかしら? ユーリウス王子のお気持ちも理解出来ないお子様には分からないでしょうけれど、自覚がない人間ほど相手に対して残酷にもなり得るのよ。あんたはまさにその『良い例』だわ」
「良い例? それって良いの? 悪いの?」
「さあね?」
母はそう言うとひらひらと手を振る。
「だからどっちよ? 母様の言葉は時々、雲を掴むみたいで分からないわ」
「その内、分かるんじゃない? あんたが大人になったらね」
「そんな悠長に待ってなんかいられないわよ。私が気が短いのは知っているでしょ? 知りたい事は直ぐに解決しないと気が済まないのよ」
「あんたはそうよね。本当にユーリウス王子の気の長さをあんたも分けて貰えればいいのにね?」
「はあ? そんなの無理に決まっているじゃない。私はユーリウス王子じゃないんだし」
「はいはい。あんたは本当に真っ直ぐな子だわ。ーー良くも悪くもだけど」
「母様!!」
私達はユーリウス王子達の手前だというのに、この状況に慣れてしまったのか彼等が他国の賓客ということも失念して親子喧嘩ならぬ会話を展開してしまっている。ふと気付くと、そんな私達の事を王子を始め周囲の人間達が笑顔で見守っていた。
ただの親子喧嘩なのに見ていて楽しいかな?
ーーいや、そんな事よりもユーリウス王子達の目の前でお客様の接待よりも親子喧嘩の方を優先していること自体、失礼だとは思うが………取り敢えずユーリウス王子は『お兄様』だ。良い事にしておく。何より本人も気にしてはいないようだし、大丈夫だと思う………多分。
しかし自分を振り返ってよくよく考えて見ると私は本当に性格が悪いかもしれない………あれだけユーリウス王子を避けたいと思っていたのに今ではこうして私に会いに来てくれた事がすごく嬉しかったりするし、母が婚約解消の話を王子に勧めたのには驚いたが、自分も豚王女になれば婚約解消出来ると考えていただけに、
その話が母の口から出た事に内心、ホッとした反面、まさかの婚約続行でユーリウス王子との関係が断たれなかった事に対しても心の奥底で安心している自分がいる。全く真逆じゃないの! と自分自身に呆れてしまう。
そしてふと、そんな私の脳裏には自分で父の事を「浮気者」と言った言葉が浮かぶ。
私、もしかしなくても、クラウスとユーリウス王子を天秤にかけている?? どちらも私から離したくはないだなんて。勿論、その天秤の真ん中の決定位置はお父様なのだけれど。
私もお父様の事は言えないかもしれない。けれどこれは恋愛感情などではない。話にはよく聞いている恋愛感情のものとは思えないからだ。
だからこれは母が言うなれば、私の独占欲の強さが原因だ。私は自分のお気に入りを他の誰かにあげるのも取られるのも絶対に嫌だ。いつかはそれを手放す事になるとしても今は絶対に嫌だ。
ーーお父様もクラウスもユーリウス王子も、今は私だけのものよ。他の誰にも渡さないわーーー
先ほどは母の言葉を否定したが、やはりこんな事を考える自分には悪い女の気質があるのかもしれない。
ーーいや、大丈夫。決して自分はそんな風にはならないという自覚はある。
ーーだから、自覚はあるので残酷にはならない?? はずだ。
…………多分??
【11ー終】