【3】心の嵐
【9】
「ーー失礼しますわ、お父様、少しよろしいかしら?」
私はというと国王の執務室に来ていた。母様の時のように、いきなり部屋に飛び込むわけにもいかない。
一応父親とはいえ、国王の執務室だ。侍女だけならともかく、臣下がいるかもしれない部屋に不躾に飛び込むのは淑女マナーに反する行為だ。
本当は今すぐ飛び込んで父に事の次第を問いただしたいのは山々だが、そこは自分の王女としての品性を保つ為にもグッと我慢をする。
部屋に入るとそこには仕事中の父と国王付きの執事が一人いた。どうやらいつも一緒にいるヴァンデル第一騎士団隊長は留守のようだ。
私の姿を確認した父は仕事の手を止め席を立つと、私の方へと歩いてきた。
「ああ、リルディアか。どうしたーーー?? 随分とご機嫌斜めなようだな?」
眉間に皺を寄せ不機嫌を隠せずにいる私の表情を見て父が問いかけてくる。
「……お仕事中でしたかしら? お忙しいなら出直しますわ」
先ほど母の部屋で大声で捲し立てたせいか、今は自分でも驚くほどに冷静だ。しかし自分の中に渦巻く怒りのモヤモヤは決して消えることはなく、いつまた吹き出すか分からない。
不機嫌な表情は隠せてはいないが、それでも私は静かに無表情を顔に貼り付けて、しかし言葉は今の自分の気分のままに冷ややかな口調になる。
そんないつもとは違う私の様子に父の表情も困惑げな色を見せた。
「いや、構わない。それよりもどうした? 何かあったのか?」
「ええ、ありましたわ。そこでお父様に是非ともお伺いしたい事がございますの」
いつもの私なら他の貴族達が集まるような公の場でならともかく、父の部屋でこんな畏まった言葉使いはしない。もっと親子らしい親しい話し方をするのだが、
そこは敢えて他人行儀に貴族のご令嬢らしく淑女の言葉遣いをする。そんな私を見て父の表情がますます困惑とも焦りとも言える色が深くなる。
「リルディア??」
「……お父様、クラウスが結婚するというお話は本当ですか? しかもそれをどうやら私だけにお隠しになっていらっしゃった様ですが、それはどういうおつもりだったのでしょうか? 自分の身内の事ですのに私が知る必要がないとでも仰りたいのでしょうか?
やはりそれは私が身分の低い愛 妾から生まれた娘だから、私のような血統の悪い娘など王家の一員ではないと、私はお父様……いえ、「国王様」の娘ではないとーーそういうことなのですね」
私は白々しく、父が多分動揺するであろう言葉を敢えて選んで口に出す。そしてそれは私の確信を裏切らずに予想以上の効果を見せる。
「リルディア!!それは違う! 誤解だ!お前は私の大切な可愛い娘だ!!お前をそんな風に思ったことなど一度たりとも無い!!
クラウスのことは後できちんと話すつもりだった。伏せていたのはお前のことを考えてのことだ。決して知る必要が無いなどとは思ってはいない!!」
父は私の予想以上に動揺し私に触れようとするも私はそれを許さずに拒絶の意を露に見せる。すると今まで一度も見たことのない激しく動揺する父の姿があった。
ーーこれは本当に予想以上だ。
「それはどうでしょう? 私がクラウスの事を知らなければ、彼の結婚が成立してしまうまで私には隠しておくおつもりだったのでしょう? だから城中に箝口令を発令してまで私の耳に入らないようにしていたのでは?」
「そ、それは……いったい誰から聞いたのだ? 母様か?」
「さあ? そんな風が運ぶ噂など、いつまでも隠し通せるとお思いでしたの? そしてそれを聞いた私の衝撃は、それはもう驚きすぎて息の根が止まるかと思いましたわ。
「国王様」は私のような下賎な娘など死んでしまったところで何とも思われないのでしょうけれど、ええ、私は期待外れでこの世に誕生してしまった娘ですもの。これがまだ男なら少しは大事にしてもらえたのかもしれませんわね」
私の辛辣な言葉攻撃が次々に父に向けて放たれる。口の悪さは母譲りでもあるが、私自身、意地悪には心得ている。
感情的にぶつけるのも有りかもしれないが、父のような性分には感情的に出たところで簡単にいなされてしまうのは母で実証済みだ。だからこうして心理攻撃に出た方がかえって効果『有り』なのだ。
「リルディア!!頼むからそんな言い方をしないでくれ!! お前にそんな事を言われたら私の方が息の根が止まってしまう。ーー私が悪かった。本当に悪かったと思っている。だからどうか許して欲しい」
父がこうして謝るのは私の前でだけだ。けれど私の怒りはこんな謝罪などでは収まるわけがない。
「どうしてクラウスの事を黙っていたの? しかも相手が私の家庭教師のアリシア=プリンヴェルですって? あんな下位貴族の男爵家の令嬢と王家の公爵家の王子が結婚なんて、身分違いもいいところじゃないの。
それなのにお父様はご自分の弟でもあるクラウスにそんな適当な相手を見繕うだなんてどうかなさっているわ!
アリシア程度の娘なんてクラウスには全然相応しくないわよ。そんな適当な相手を勝手に押し付けるなんて酷いじゃない! クラウスが可哀想だわ!!」
父は私の口調が戻ったので少し安心したのか、一瞬だけホッとして見せるものの直ぐに釈明を始める。
「クラウスの事を黙っていたのは本当に悪かったと思っている。ただクラウスの事を慕っているお前がそれを聞けばショックを起こすだろうと思って、少し様子を見てから話すつもりだった。
それに私は決して弟のクラウスを軽視しているわけではない。全ては大事な弟の為を思っての事だ。
リルディア。お前の気持ちも分かるが、クラウスももう29歳になる。本来ならとっくに妻子がいてもおかしくはない年齢だ。それなのに弟は女性関係の浮いた話一つ聞かず、どんなに周りで他国の王女や家柄の釣り合う貴族の令嬢を勧めても全て断ってしまって、今日まで独身のままでいる。
フォルセナの国王もクラウスには結婚話を勧めていたようだが、やはり本人が良い返事をしないのでどうにかしろと言ってきているのだ。
だから家柄は釣り合わないが、クラウスが子供の時から懇意にしている男爵家の令嬢ならば、その兄とも親友でもあるし、その兄妹達とは幼馴染みであるから気心の知れたもの同士ならば上手くいくだろうと考えての事だ。
それにアリシア嬢は貴族や周囲からも評判の良い賢く優しい娘であるし、あのクラウスが唯一心を許している女性でもある。
だからクラウスの幸せを考えれば、これは願ってもない良縁だろう? それにクラウス本人も今回の話は真剣に考えているようなのだ。
だからクラウスの為を思うならば、お前も認めてやっては貰えないだろうか? それにたとえクラウスが結婚したとしても、お前の叔父であることには変わりはないのだし、お前に対してだって今の関係が崩れるわけではないだろう?」
ーーああ、腹が立つ。
ーー本当に腹が立つ。
ーーお父様も母様もクラウスも他の人達も皆、アリシアを決して悪くは言わない。むしろ擁護しているとさえ感じる。
どうして皆、アリシアの事を信じるの? 世間で評判の悪い第四王女なんかよりも正反対の評判の良い誰からも好かれている男爵令嬢の方が良いってこと?
しかもクラウスがアリシアとの結婚を真剣に考えている? そんなことあり得ない……お父様の勘違いよ。そんなこと絶対にあるわけない………
そんな私の唯一の味方だと信じていた父がよりにもよってアリシアを良い娘だと褒め、そして私にクラウスとアリシアの結婚を認めろとさえ言う。
お父様は私の味方じゃなかったの!? 今までだって私の言うことなら何でも聞いてくれたのに! 私の嫌なことは絶対にしなかったのに!
ーーどうせ私は性格の悪い我儘王女よ。アリシアのように誰にでも良い顔なんて出来ないわ。私の周りの人間なんて皆、本音を隠して媚びを売るだけの表裏のある者ばかり。そんな人間、どうやって信じられるのよ? アリシアがそうじゃないとは限らないじゃない。
私にだって表と裏の顔はあるけれど、それを隠したりなんかしない。でもアリシアは周囲に良い顔しか見せない自分を作っている女。
そんな女なんか信じられないわ!それなのに皆してアリシア、アリシアって、どれだけ皆、アリシア信者なのよっ!!
ーーああ、許せない!!
ーー大嫌い、アリシアなんて大っ嫌い!!
ーーアリシアを庇う人達も皆、嫌い、嫌い、大っ嫌いよ!!
私の中で渦巻いていた怒りが再び暴れ回って頭の天辺まで突き抜けていきそうだ。私の負の感情が急激に膨れ上がって私を支配する。
もう誰も信じられやしない!!
「………嫌い」
「リルディア?」
私が突然俯いてしまい小さく呟く言葉に心配したのか、父が私の両肩を掴んで私の顔を覗き込もうとする。
しかし私はその腕を体全部で力一杯振り払った。そんな私の目からは大量に流れ出した涙がボロボロと床に溢れ落ちる。それを見た父も側で控えていた執事も突然の事に驚いている。
「嫌い! 大っ嫌い!!アリシアを味方する人達なんて、皆、大っ嫌いよ!!あんな女が親戚になるなんて冗談じゃないわっ!!私はアリシアなんて、この世で一番大っ嫌いなのよ!!
クラウスの結婚だって私は絶対に認めないわ!!それでも結婚話を進めるというのなら私はもうこの城にはいられない!!
アリシアなんかと親類になるくらいなら王女なんていつでもやめてやるわ!!そして市井の人間になって暮らすわよ!!その方がずっと幸せになれるもの!!」
私は大声で叫ぶと父の執務室を飛び出した。
「リルディアっ!!」
父の声が背後から聞こえたが、構わずに全力で走り去る。
「リルディアっ!!待てっ!! 待つんだ!!」
後方から私を追いかけてくる父の声が聞こえているが、私は足の速さには自信がある。
ドレスをたくしあげて全速力で廊下を走る。そんな私達を何事かとすれ違う使用人達が唖然として見ている中、父は私の前方にいる周囲の使用人達にも声をかける。
「リルディア!! そこにいるお前達!!リルディアを止めろ!!」
国王の言葉に使用人達は慌てて動こうとするも、私の動きの方が素早くて誰も私を捕まえることが出来ず、私は自分の部屋に逃げ込むと急いで扉に鍵をかけて、さらに私の部屋に隣接している侍女の部屋に通じる扉にも鍵をかける。
すると直ぐに私の部屋の扉を激しく叩きながら父の声が聞こえてきた。
「リルディア!! リルディア!! 悪かった!!私が悪かったからここを開けてくれ!! お前がそこまで令嬢を嫌っていたとは知らなかった。勿論、クラウスの結婚話も白紙にする!!全てお前の言う通りにするから、だから機嫌を直してくれ!!」
「嫌よっ!! 大っ嫌い!! 皆、皆、大っ嫌いよっ!!お父様も母様もクラウスも皆、私みたいな性格の悪い我儘な子なんかより性格の良いアリシアの方がお好きなんでしょう? だから皆してアリシアの味方をするのよね? 私の味方をしてくれる人なんてどこにもいやしないのよ!!」
「違う!! リルディア!!私も母様もクラウスも誰もアリシアの味方なんてしていない!! 皆、お前の味方でお前のことが大好きなんだ!!」
「嘘つき!!お父様は嘘つきよ!!クラウスの結婚話を私に隠して教えてくれなかった!! しかもお父様がお決めになったんですってね? 私が嫌がると分かっていて、それでも私に黙って話を進めてしまうなんて!
お父様はもう私の味方でもなんでもないわ!本当は私の事なんてどうだっていいのよ。お父様は母様だけがいればいいのよね!? それなら同じ顔なんて二つもいらないでしょ。
クラウスの結婚話もお好きにしたらいいわ!どうせ反対しているのは私だけだもの。私は王女なんてやめて母様の実家で母様の代わりに歌姫として暮らすから私の事はもう放っておいて!!」
扉の向こうがやけに騒がしい。きっと父の他に臣下や使用人達が集まっているのだろう。そんな時、その騒然とした中に母の声が聞こえてきた。
「ちょっと、どうしてこんな騒ぎになっているのよ? リルディアはどうしたの?」
すると父が再び扉を激しく叩いて叫ぶ。
「リルディア!! 聞いてくれ!!クラウスの事は本当に悪かったと思っている。もう二度とお前の嫌がることはしない!!約束するから許してくれ!!
それにお前は私の何よりも愛する大切な娘だ!!お前も母様も私にとってかけがえのない大事な存在だ。そのどちらも欠けていいものではない。
お前が王女をやめるとか市井で暮らすとか、そんなことはこの私が絶対にさせない!!お前はこれからもこの先もずっと、この国の王女で私の娘だ。
勿論、お前が結婚したとしても私はお前を手放すつもりなど全く無いからな。お前もエルヴィラも私のものだ!!誰にも渡さん!!」
そんな父の言葉に母の呆れた怒りの声が響く。
「はあ!? 何を言っているのよ!!? 自分の娘にまで独占欲を出してどうするのよ!まさか嫁いでも自分の手元に置くつもりなの!? そんなの前代未聞だわ!親馬鹿も大概になさいな!」
「親馬鹿でどこが悪いのだ。リルディアは私が守る!本当は結婚など言語道断!!絶対に許さない!!と言いたいところだが、可愛い娘の将来を考えて私は敢えて自分の気持ちを抑えて我慢するのだ。夫を認める代わりに娘の所有権は私にあって当然だろう? リルディアを本当に幸せに出来るのはこの私だけだからな」
「馬っ鹿じゃないの!? なんなのよ、その独りよがりな理屈は!普通は子供が大人になれば親は子離れするのが一般常識なのよっ!
全く、戦ばかりしているからそんな当たり前の常識が欠けてしまうのよ!もう一回、世間常識を教育し直してきた方がいいんじゃない? それにリルディアは自分の好きになった男に幸せにして貰うのだから父親の出る幕はないわよ」
扉の向こうで父と母が言い合いをしている間に私はというと、部屋にある椅子や小さなテーブルを引き摺って扉の前に防壁を作る。
先ほどから父が激しく扉を叩くので、その内、痺れを切らした父が扉を体当たりで壊して入ってきそうなので、その予防策である。
そんな物音に気付いたのか、再び父が扉を壊さんばかりに叩く。
「リルディア!? 何をしているんだ??」
「うるさいっ!!放っておいてっ!!誰にも会いたくないっ!!」
「リルディア!!いい子だからここを開けなさい!? お前は誤解をしている。私がいつでもお前の味方なのはお前が一番よく分かっているだろう? 私はお前が可愛くて仕方ないんだ。
私の可愛いリルディア。父様が本当に悪かったからここを開けて欲しい。そしてお前にきちんと謝りたい」
父は口調を和らげ優しく宥めすかすよう語りかけるも今の私には通用しない。
「会いたくないって言っているでしょ!!何度も同じ事を言わせないで!!もし強引に扉を壊して入ってきたら本当に許さないからっ!!
そんなことをしたら問答無用で親子の縁を切ってこの城から出ていってやるわ!!私は本気よ!!これ以上私の機嫌を損ねたくないのなら皆、どこかに行ってよ!そこに居られると苛々するのよっ!!もうこれ以上私を怒らせないで!!」
私が本当に苛々しているのを感じ取ったのか、父は慌てて扉を叩くのを止めてさらに私を宥めに掛かる。
「分かった。 分かったから落ち着け」
すると母の声も聞こえた。
「ほら、聞いたでしょ? これ以上嫌われたくなかったらさっさと退散なさい? 今は何を言っても逆効果よ。それともこのまま怒らせて娘が本当に出て行ってしまってもいいの?」
「い、いや、分かった。ーーリルディア、本当に悪かった。落ち着いたら後でゆっくり話し合おう。ーー皆、退散だ。 行くぞ」
父の一声でざわついていた扉の向こう側から複数の足音が遠ざかるのが聞こえた。その内、静かになると、扉を小さくコンコンと小さく叩く音がする。それは母だった。
「……リルディア、本当にごめんなさいね? 私もあんたには話づらくてつい箝口令に乗っかってしまったわ。だけど私はあんたの母親で、たとえ何があろうと絶対の味方だからね? あんたさえ幸せになるのなら私はどんなことでも応援するから………」
母はそれだけを言うと扉の前から離れて行った。
静まりかえった部屋で私は一人自分のベッドに飛び込む。頭の中が怒りやら悲しいやら色々な感情が入り乱れて、八つ当たりとばかりに羽枕を何度もベッドに叩きつける。
そしてその羽枕に顔をうずめて外には聞こえないよう行き場のない感情を吐露しながら号泣、その内、泣き疲れたのか、続いて睡魔が襲ってきて次第に意識が薄れてくる。
ーー怒って泣いて疲れて眠くなるなんて、まるで小さな子供みたいだ。いや、確かにまだ子供ではあるけれど………
ーー早く大人になりたい。
そうしたらクラウスと一緒に並んでいても子供扱いされないのに………
ーークラウスには結婚なんてして欲しくない。彼に『特別な人』を作って欲しくない。
ーーそうしたら私がずっと傍にいることができるのに………
薄れゆく意識の中、私はそのまま眠りに落ちた。
【9ー終】




