【2】娘の嫉妬~乙女心は複雑
【8】
「母様っ!!」
突然勢いよく開かれたドアから現れた娘を見て、私は飲みかけていた紅茶を吹き出した。
「リルディア?? びっくりするじゃないの。一体どうしたの?」
これ以上ないくらい怒りの表情を全面に出して、娘はドシドシと床の音を鳴らしながらこちらにやってくる。
「どうしたの? じゃないわっ!!クラウスが結婚するって母様は知っているの!?」
ああ、やっぱり耳に入ったのかーーと気まずい表情が思わず顔に出てしまったのだろう。目ざとい娘はそれを肯定と取り、さらに詰め寄ってきた。
「その顔はやっぱり知っていたのね? どういうことなの!? しかも相手はアリシアだって聞いたわ!」
「あんたどこからそんな話をーー」
「風の噂よっ! そんなことより、それを皆で私に隠していたなんて!!どういうつもりなの!?」
風の噂とはつまり人の口と言う意味だ。さしづめ、城のおしゃべり好きの若い侍女達辺りが噂をしていたのをどこかで耳にしてしまったのだろう。
あの父親はクラウスの件を娘の耳に入れたくないが為に、箝口令を出して城中に口止めをしていたが、人の口には扉などたてられない。
どのみち隠し通せるものではないと物申したが、ここのところ娘が自分の一番下の弟にべったりと懐いていて面白くない父親は娘を弟から引き離す為に今回の計画を思いつき話を進めたものの、しかしそれを娘に知られるのは怖いらしく結婚話がまとまるまでは隠し通しておくつもりだったらしい。呆れてものが言えない。
どちらにしても娘が聞いたら怒り狂うのは分かりきっている。そして今、目の前で予想通りの反応を見せる娘に、側に控えている自分付きの侍女は困惑し、そして私はというと長いため息をついた。
「はぁ……だから隠し通せるものじゃないっていうのよ、ったく、あの男は……
ええっと、リルディア。少し落ち着きなさい? あんたが怒るのも無理はないけれど、あんたがそんな風になるのが分かっていたから皆、あんたに黙っていたのよ」
「なんですって!? それじゃあ、やっぱり本当の話なのっ!?」
「ーーええっと、そうね。そういう話が出ているのは本当よ」
「!? 話が出ている? じゃあまだ正式に決まった話じゃない!?」
「そうね、まだ正式に決まったとは私も聞いてはいないわ」
「お父様は一体どういうおつもりなの!? しかも相手がアリシアだなんてクラウスとは身分違いもいいとこじゃないっ!! いくら幼馴染みだからって安直すぎるわよ!あんな誰にでも良い顔をする偽善者ぶった女なんかクラウスには相応しくない!!私は絶対に認めないわ!!」
「リルディア、アリシアは今時珍しく性格の良い、いい子じゃないの。あんたに授業をサボられたり意地悪な言動をされたりしても嫌な顔一つせずに親身にあんたの事を世話してくれるし、
アリシアは自分には下に弟妹がいないからあんたの事を本当に妹が出来たみたいで嬉しいと言っていたわよ? それなのにそんな言い方はいくらなんでも酷いわよ」
「なによ! 母様はアリシアの味方なのっ!? それに誰が妹なのよ! 王女の私を勝手に妹扱いするなんて、あつかましいにも程があるわ!
母様だって言ってたでしょ? 男を狙っている女は表と裏の顔があるって。だからアリシアだって王族のクラウスを狙っているから、誰にでも良い顔をして自分を良く見せているに違いないわ!」
その言葉に母は呆れた顔をする。いつもはこんな露骨に相手を誹謗中傷する様な言葉は使わない娘なのに、今は自分のお気に入りを取られたことへの怒りか嫉妬か、言葉も選ばずに感情のままに口に出している。
異性が絡むと冷静な判断も出来なくなって感情的になるのは子供とはいえど、やはり女は女。多感な年頃なだけに厄介だ。
「はぁ……困った子ね。私はどっちの味方でもないわよ。ただアリシアは嫌いではないし勿論あんただって私の可愛い娘だわ。
ーーねえ、リルディア? あんたがクラウスを気に入っていて取られたくないのは分かるけれど、クラウスだってもう29歳になるのよ? 本来ならもうとっくに結婚しているのが当たり前の年齢なのよ?
それでも彼はああいう性格だから、妥協して意思にそぐわない結婚をすることを拒絶してきたけれど、いつまでも王族が独身では周りが黙っていないわよ。
だけどアリシアなら誰もが認める賢くて優しい素晴らしい女性だし、しかもクラウスも親友の妹で幼馴染みで良く知っている分、気心も知れていて彼女を拒絶する理由もないでしょ?
それにたとえ二人が結婚したとしてもクラウスはあんたの叔父なんだから関係が切れてしまうわけでもないし、クラウスだってこのままずっと独身だなんて可哀想じゃない」
娘のせいで一生独身な上、しかもこのままでは恋愛すら出来ないであろうクラウスが気の毒なので、駄目もとで娘の説得を試みるも、やはり娘の激高はおさまらない。
「可哀想じゃないわよ!!アリシアに騙されて結婚してしまうほうがよっぽど可哀想だわ!!
それに母様!私はクラウスがとられるとか、そういう子供っぽい理由で言っているんじゃないの!!アリシアのあの本音を隠していい子ぶっているのが気に入らないのよっ!
人間なのだから喜怒哀楽ぐらいあって当然でしょ? なのに私が嫌味や意地悪な事を言っても授業をサボっても、いつもヘラヘラして怒りもしなければ、文句一つ言わないのよ? あんなの笑顔の張り付いた人形と大して変わらないじゃない!!
だけど周りは皆、あの人形顔に騙されて優しい女性だとかいうけれど、どうだか。あれならまだ私の上の姉様達の方がよっぽど人間らしくてマシだわよ。
あんな偽善ぶったお人形なんかと親戚関係になるなんて真っ平ごめんだわ。母様は嫌いでなくとも私はあんな女なんか大っ嫌い!!」
大きな声で一気に捲し立てる娘に私は降参とばかりに宥める。もうこんな状態では何を言っても逆効果だ。
これ以上娘の癇癪が大きくならない内にそもそもの元凶のあの父親に責任をとってもらおう。しばらくは娘に口も聞いてはもらえないだろうが、あの馬鹿男にはいい薬だ。
それにしても娘のこの執着心の強さは本当に誰かさんにそっくりだ。しかも自由奔放で好奇心旺盛で面白い事が大好きなところも同じで認めたくはないので口には出さないが、
外見や言葉使いから母親にそっくりだと言われている娘は実のところ、その性分は父親にそっくりで、だからなのか父親との相性がすごく良く二人で示し合わせて出かけることも日常茶飯事だった。
だから娘が父親同様に何かをしでかす度にハラハラさせられる事もあったが、あの父娘は二人揃うと『最強』で誰にも止めることは出来ない。
だから今にして思えば私が産んだ子は娘でよかったと本当に思う。これが息子だったらと思うとーーああ、考えたくもない。
「分かった分かった。あんたがアリシアを嫌いなのはよく分かったわ。あんたが嫌だというのなら私もクラウスの結婚には反対するわ。けれど、肝心の話の出処を何とかしないとどうしようもないわね。元はと言えば、娘が自分の弟にべったりなのを面白くなくて今回の話を思いついた人がいるでしょう?」
それを聞いて娘はハッと気づいたようだ。
「そ、そうだった。 お父様よ! 全てはお父様のせいだったのよ!直談判をする相手を間違えたわっ!こうしてはいられない、母様! これで失礼するわっ!」
娘は急ぎ踵を返して駆け出すと勢いよく扉を開けて出て行く。そして廊下の方から娘の走り去る足音が遠ざかると、やっと嵐が去った、と扉から視線を外して長いため息をつく。
「はぁ……我娘にも困ったものだわ。紅茶を淹れ直して貰えるかしら?」
すっかり冷めてしまった飲みかけの紅茶のお代わりを側に控えていた自分の侍女に頼むと、侍女は我に返ったように返事をして紅茶を淹れ直す。そして入れたての紅茶を自分の前に出してくれた。
「ああ、ありがとう。それと騒がせてしまってごめんなさいね。あの子は本当にクラウスがお気に入りだから話を聞いたらこんな風になるのはなんとなく予測はついたけれど、あの独占欲には正直困ってしまうわ」
すると話しかけられた侍女はおずおずと口を開く。
「あの、もしかしてリルディア様は……その、クラウス様のことを特別な好意がおありなのでしょうか?」
「どうかしらね? あの独占欲が恋愛からなのか単に自分のお気に入りのものを取られるような感覚なのか、恋愛経験の無い私にはまったく判断がつかないわね。
あの子の言動や態度からすると恋愛感情の方が有力だけれど、それでもあの子はまだ12歳でクラウスは29歳。
あの子は父親の影響からか、どうも年上が好みのようだからそのせいもあるのでしょうけれど、これから先、今の気持ちが何であれ変わらないとも限らないし、
なにせまだ子供ですもの。それにあの子にはセルリアのユーリウス王子という容姿端麗な婚約者がいることだし気持ちの変化なんて尚更分からないものよ。
だけどそんなことであの子の気持ちの機微に合わせていたら、執着されているクラウスが気の毒で仕方がないわ。
彼には本当に申し訳ないけれど、娘が嫁ぐ16歳まで我慢して耐えてもらうしかないわね」
「……人の心とは色々と難しいのですね。でもエルヴィラ様が恋愛経験がおありではないというのには驚きました。エルヴィラ様ほどの御方ならば世の男性が黙ってはいないでしょうに」
侍女がそう言って不思議そうに首を傾げるので、過去、男で散々苦労してきた自分の体験談を聞かせてやる。
「ーーだからよ。まったくもって本当に大変だったわ!ちょっと容姿が良くて歌が上手いからって、寄ってくる下心アリアリな男達を追い払うのにどれだけ苦労したか!人を外見でしか見ていないくせに何が好きだの愛してるだの、そんな言葉なんて信じられないっていうの!
それにいくら断っても言い寄ってくる奴や、恋人や妻子がいるにも関わらず別れるから付き合ってくれだの一緒になってくれだのという不実な輩もいたし、あげく不埒者に誘拐されそうになったり襲われそうになったりした事も珍しくはなかったわ!
だから私は町の自警団の護衛がなければ、たとえ昼間でも外すら一人では歩けなかったのよ?
しかも女達からは私が恋人や夫を誘惑しただのなんだのと身に覚えのない言い掛かりをつけられて嫉妬されるわ売女扱いされるわで、陰湿な嫌がらせも数えきれないくらい受けたし嘘八百の悪い噂も流されもしたし
本当に人間不信になりそうなくらい散々な目に合ってきたわ。だから恋愛なんてしているどころじゃなかったのよ。
しかも恋愛しようにもまさか16歳の若さで、自分が諸国で最も悪名高い暴君に捕まってその男の愛妾にされるだなんて、そんな結末、夢にも思わなかったわ!
私だって、こんな事になるのならごく普通の平凡な娘で生まれてきたかった。少なくとも一人で外を歩ける普通の生活ができるんだもの」
私の話を黙って聞いていた侍女は同情の表情を浮かべる。
「本当にご苦労なさったのですね。お気持ちお察しいたします。美しい容姿を持っている方が必ずしも幸せとは限らないのですね。
私、今のお話を聞いて、つくづく自分が平凡な容姿でよかったと思います。普通の生活が出来るというのは、それこそ本当に幸せなことだったのですね」
「ええ、本当にそう思うわ。これは自慢とか嫌味とかで言うのではなくて私は貴女達が羨ましくて仕方がないわ。私も出来ることなら普通の娘らしく恋愛の一つも経験してみたかった。今ではもう叶わないけれど……」
私は落胆のため息をつきながら出された紅茶を口に運ぶ。
「ーーリルディア様が心配ですね」
侍女の言葉に再び娘の去った扉を見つめて頷く。
「あの子には私と同じ苦労はさせたくはないのだけれど、こればっかりはどうしようもないわね。
それでもまだ私と違うところは、あの子は王女としての立場と国王である父親があの子の身の安全を守っているけれど、出来ることならばあの子には普通の娘らしくまともな恋愛を経験して欲しいと思っているわ。あの子の立場上、それも難しいのでしょうけれど」
「きっと大丈夫ですよ、リルディア様はお幸せにおなりになります」
心配ありませんと微笑む侍女の顔を見て、自分も「そうね」と微笑み返した。
「ありがとう。 私も子を持つ母としてそう願っているわ」
ーーあの子がこれからどういう恋愛をするのかは、恋愛経験のない自分には見当もつかないが、
もし本当にクラウスに対して恋愛感情があって叔父と姪の関係で年齢差もあるがなによりあの真面目で倫理的にも常識のあるクラウスにいたっては、娘の好意を受け入れるとは到底考えられず、
寧ろ失恋確定率の非常に高い難しい障害のある恋だが、それでももし娘が本気であるのなら彼女の気持ちを尊重して全面的に応援したいと思っているし、もしくはユーリウス王子と結婚して幸せになるのならそれでもかまわないと思っている。
ーーあの子さえ幸せになってくれるのなら、どんな形にしろ、母としてそれ以上の望みはない。ーーそう心から願っている。
【8ー終】




