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我儘王女は目下逃亡中につき  作者: 春賀 天(はるか てん)
第一章 【青天の霹靂】
28/78

罪悪感と後悔

【4】




すると二人(ふたり)会話(かいわ)(だま)って()いていたヘンドリックがガックリと(かた)()とす。



「お二人とも、なんで今頃(いまごろ)色々(いろいろ)暴露(ばくろ)しちゃっているんですか? しかも、暗殺(あんさつ)だの毒殺(どくさつ)だの。エルヴィラ(さま)………王女(おうじょ)(さま)がいることを(わす)れてやしませんか?」



その言葉(ことば)に二人はハッと(われ)(かえ)ったように同時(どうじ)にこちらを()()く。



………あ、なんか既視感(きしかん)先程(さきほど)(おな)じような(こと)があったなそういえばーーそしてヘンドリック、ありがとう。貴方(あなた)だけが(わたし)存在(そんざい)を忘れてはいなかった。(へん)(ひと)だとは(おも)っていたけれど、貴方がこの(なか)では一番(いちばん)空気(くうき)()める常識人(じょうしきじん)です。



「リルディア………えっと、その、(なに)()うかーーごめん、なさい」



「ーー王女、(けっ)して貴女を(きず)つけるつもりは無かったのだが、その、すまない…………」



「いいわよ。 ーーもう()れたわ」



(ふたた)(もう)(わけ)なさげに(こえ)(ちい)さくなる二人に私は()をヒラヒラと()り何でもないことを()げる。どうやら私の順応(じゅんのう)(せい)(たか)いみたいだ。それにこの一晩(ひとばん)色々(いろいろ)()りすぎて、もう今更(いまさら)何を()かされも(おど)きはしない。



ーーと、(げん)時点(じてん)では(おも)っていた。この少し(あと)から(あか)かされる事実(じじつ)を聞かされるまでは。



(まった)く、(だい)大人(おとな)が何をやっているんだか。もしこれで王女(おうじょ)(さま)性格(せいかく)(ゆが)んでしまったら貴方(あなた)(たち)のせいですからね? それでなくともこの(くに)(うえ)の王女様達はそれぞれ個性(こせい)(つよ)くて性格も歪んでしまっているのに、第四(だいよん)王女様までがそうなったら俺、(かな)しくて()きますよ。 ーーうぅっ」



そう言って泣き真似(まね)をして見せる(かれ)本当(ほんとう)(げい)達者(たっしゃ)だ。



「ヘンドリック、あのね? 私も自分(じぶん)の性格はあまり人様(ひとさま)()められたものじゃないとは(いま)では一応(いちおう)自覚(じかく)してはいるのよ? なんと言ってもーーあの(ちち)(はは)(むすめ)だし。


だけど、私の為に色々と()()ってくれてありがとう。貴方やヴァンデル隊長(たいちょう)のように裏表(うらおもて)なく私や母に敬意(けいい)(はら)ってくれる人達は(はじ)めてよ? それでなくとも私達は世間(せけん)では(きら)われ(もの)悪名(あくみょう)(たか)親子(おやこ)なのに。


それに貴方だって、母の実態(じったい)()って、とてもショックだったでしょう? けれど母はああいう人だけれど自分に正直(しょうじき)なだけで(けっ)して(わる)(ひと)ではないのよ? 私のことだって(ころ)したいほど(だい)(きら)いな父の()()子供(こども)なのに、きちんと母親(ははおや)をやっているでしょう?


母は万人(ばんにん)()けの善良(ぜんりょう)(やさ)しさは()()わせてはいないけれど、自分の(した)しい人間には本当に優しい人なの。自分主義(しゅぎ)だからどこか()(はな)したような(ところ)とか(くち)が悪いせいで言動(げんどう)意地悪(いじわる)に聞こえるかもしれないけれど、それも母にとっては親愛(しんあい)愛情(あいじょう)(ふく)んでいるのよ。


だから母のことは今回(こんかい)の事で幻滅(げんめつ)したかもしれないけれど、できれば嫌わないであげて()しい。貴方はヴァンデル隊長と同様、母にとって無くてはならない人だから」



私が母の性格の釈明(しゃくめい)()ねてそう言うと、ヘンドリックは()()(ひら)いて(うす)緑色(みどりいろ)綺麗(きれい)(ひとみ)で私のことをジッと見つめている。なんだかこそばゆくなって思わず視線をずらすと、大きな手が私の(あたま)にそっと()せられた。びっくりして顔を上げると、そこには驚くほどに優しく笑うヘンドリックの顔があった。



「ーー王女様はとてもご両親(りょうしん)思いのお優しい御方ですね。大丈夫(だいじょうぶ)ですよ。 俺はエルヴィラ様を嫌ったりなんてしませんから。(むし)ろ本当に尊敬(そんけい)しているんです。


ご自分の性格をあそこまではっきり悪いのだと(かく)しもせずに言ってしまう(ところ)とか、あの強面(こわもて)無愛想(ぶあいそう)な隊長にさえ(どう)じることなく(ぎゃく)に振り回している所とか、一緒(いっしょ)にいるとすごく(たの)しいんです。


あのような女性(じょせい)は貴族のご令嬢(れいじょう)達の中には、どこにもいません。俺がどうして『枢機院(すうきいん)』ではなく『騎士団(きしだん)』を(えら)んだのかと言うと、ヴァンデル隊長や貴女のお母上(ははうえ)出会(であ)ったからです。はっきりいって衝撃的(しょうげきてき)でした。あの二人といれば毎日(まいにち)何が()こるか()からないし、面白(おもしろ)いだろうなと思って第一(だいいち)騎士団隊に入団(にゅうだん)したんですよ?


しかもエルヴィラ様はあの諸国(しょこく)(おそ)れられている国王(こくおう)でさえも(おぼ)れるほどの、まさに傾国(けいこく)美女(びじょ)。そんな普段(ふだん)では滅多(めった)に見られない美女のご尊顔(そんがん)を第一騎士団隊にいれば毎日(おが)めるのですから、この上なく眼福(がんぷく)です! だからエルヴィラ様がどんなに性格が悪くとも口が悪くとも、本当は子供のように可愛(かわい)らしい方なのだと分かっているので大丈夫。俺はエルヴィラ様が(だい)()きですよ?」



その言葉にホッとして安心(あんしん)笑顔(えがお)を向ければ優しく頭を()でられた。今までお父様(とうさま)以外(いがい)(ほか)(おとこ)(ひと)に頭を撫でられたのは(はじ)めてだ。なんだか()ずかしい。



「そして俺は王女様のことも大好きですよ?」



「え?」



思いもよらない言葉をかけられ目をぱちくりさせていると、そんな私に満面(まんめん)の笑みでニコニコしながらヘンドリックは頭を撫で(つづ)ける。



「俺、王女様がこんなに素直でお優しくて可愛らしい方だとは思っていませんでした。あ、勿論(もちろん)、お母上と同様、お姿(すがた)もすごくお(うつく)しい()(くに)自慢(じまん)の王女様だとは思っていましたよ?


ですがなにしろ、あのエルヴィラ様を見ていましたからね。王女様とはお言葉を()わしたことはありませんし、王女様が第一騎士団隊にお顔を出されることはまず無かったでしょう? だから俺、一度エルヴィラ様に「王女様を()れていらっしゃればよろしいのに」と言ったら、ご自分が騎士団隊に(かよ)っていることは秘密(ひみつ)にしたいと(おっしゃ)られて、しかも、王女様を溺愛(できあい)されている陛下(へいか)(こわ)くないのなら連れてきてあげなくもないのだけど?


ーーと(おど)されたのでやむなく(あきら)めました。さすがの俺も(いのち)()しいですから」



「脅すだなんて(ひと)()きの悪い。この子が騎士団宿舎(しゅくしゃ)()かないのはグレッグが苦手(にがて)だったからよ。その強面は子供でなくとも恐れおののくでしょ? それに第一騎士団隊は私の唯一(ゆいいつ)()でいられる(こころ)()(どころ)なのよ?


この子は本当に素直すぎて父親大好きな子だから、見聞きしたことを何でも父親に報告(ほうこく)してしまうの。それなのに、もし連れていったりしたら国王に何を言われてしまうのか危険(きけん)()ぎて、おちおち素にも(もど)れないじゃない。


この子は本当に危険なのよ。あの国王はこの子を目に入れても(いた)くないくらいに溺愛していたから、この子が(よろこ)ぶことは何でもやるし逆に()いて(いや)がることは徹底的(てっていてき)排除(はいじょ)する。


だから私がいくら苦言(くげん)しても、あの国王はこの子の言葉の方を余程(よほど)の事がない(かぎ)り全て優先(ゆうせん)するから、下手(へた)をしたらこの子の言葉一つで国が動いてしまうわ。だから何でも自分の思い通りになる娘が我儘(わがまま)放題(ほうだい)(そだ)ってしまって、皮肉(ひにく)にも国王や私のみならず娘までもが世間から非難(ひなん)されて(いま)や嫌われ者の悪名一家(いっか)


それでも私達が安穏(あんのん)と今まで()らしていけたのは国王という()の『最強(さいきょう)(たて)』があったから。だけど現在(げんざい)、私達はその最強の盾を(うしな)って、周囲(しゅうい)が全て(てき)になった(なか)での逃亡(とうぼう)(ちゅう)。だから貴方方だけでも味方(みかた)でいてくれるのは本当に心強いわ」



母はヴァンデル隊長とヘンドリックを見てホッと息をつく。私はと言うと母の言葉を聞いて「(たし)かに」と数年前(すうねんまえ)の自分を思い()こしていた。


そういえば昔の私は本当に何でも自分の思い通りになるのが当たり前だと思っていた。だって、お父様に言えば何でも私の言う通りになったから。


だから欲しいものは何でも手に入れた。それがたとえ婚約者(こんやくしゃ)のいる他国(たこく)王太子(おうたいし)でさえも。そして嫌いなものはお父様に言えばすぐに私の前からいなくなった。


そんな私に苦言する母様でさえも、その(たび)にお父様が私の(かべ)になってくれていたので、私は聞く(みみ)すら持たなかった。しかも周囲の大人や貴族達も(みな)こぞって私の顔色(かおいろ)(うかが)っては高価(こうか)(おく)(もの)を贈って寄越(よこ)し、連日(れんじつ)、貴族達からのパーティーの招待(しょうたい)で出向けば、どこへ行っても(いた)れり()くせりで、まるで女王(じょうおう)(さま)のような(あつか)いに、


私はそれが父である国王へのご機嫌(きげん)()りだとは子供心にも全く分からずに、皆が王妃(おうひ)(さま)()んだ姉様(ねえさま)(たち)よりも容姿(ようし)(すぐ)れていて美しい歌声(うたごえ)()つ私のことが大好きで、お父様の前でもひれ()すように私にもそうしているのだと思っていた。


だから私は自分のことを父である国王と同じ特別(とくべつ)存在(そんざい)なのだから(えら)そうに振る舞っても良いのだと思って、実際(じっさい)身分(みぶん)(たか)かろうが年長者(ねんちょうしゃ)であろうがお(かま)()しに(うえ)から目線(めせん)(もの)を言い、父親のみならず周囲にまで我儘を言っては通してきた。


そんな私の姿を見ても父はもちろんのこと周囲の大人達は何も言わない。だってそうだろう。皆、父が(こわ)くて何も言えないのだから。


見かねた母がよく注意(ちゅうい)をしてきたけれど、私は自分が正しいのだと思って(うたが)わなかったので一切(いっさい)聞かずに無視(むし)し続けた。



ーー今にして思えばあれはやり過ぎだった。あれは周囲を敵だらけにする原因(げんいん)だった。もしあの(とき)に戻れるなら、あの(ころ)の『私』に言いたい。もっと母様の言うことを素直に聞きなさいと。周りがちやほやするのは皆、父が怖くて、そのご機嫌取りだったのよ?ーーとか。そして数年後にはこんな(ふう)に命を狙われる程に嫌われて《お》われる羽目(はめ)になるから、今の内にもっと周りから(した)われるような国民(こくみん)から(あい)される王女になりなさいーーとか。



…………今更(いまさら)後悔(こうかい)しても仕方(しかた)がないが、母の言葉で言うならまさに『自業自得(じごうじとく)』自分で()いた(たね)だ。自分で()()るしかない。



…………そういえば、私がこんな風に自分の所業(しょぎょう)について物事(ものごと)を考えられるようになったきっかけはーーあの時からだった。


あれがなければ今頃だってきっと私は父親の権力(けんりょく)(かさ)()て我儘を増長(ぞうちょう)し続け、父親である国王同様、暴君(ぼうくん)王女と()していたかもしれない。その時はきっといくら母でも私に愛想(あいそう)をつかして親子(おやこ)(えん)()られていただろう。



ーーあの事件(じけん)以来(いらい)三年前(さんねんまえ)勉学(べんがく)の為に留学(りゅうがく)するという建前(たてまえ)で、この国を出て行き一度も戻ってはこない『あの人』は、今頃どうしているのだろうか?


今でも私の事を(うら)んでいるのだろうか?『あの人』の人生(じんせい)滅茶苦茶(めちゃくちゃ)(こわ)したこの私の事を……………



………ずっと、ずっと、気にはなっていた。だけど今『彼』がどうしているのかその様子すら聞くのが怖くて、お父様にも母様にも他の誰にも聞けなかった。


最後(さいご)に見た『彼』のあの時の(つめ)たい(こおり)のような視線と(しず)かに(かた)侮蔑(ぶべつ)(こも)った(ひく)口調(くちょう)のあの声は今でも頭に(のこ)っている。



…………もしかしたら、今頃は隣国(りんごく)であの女性と結婚(けっこん)して私の事などすっかり(わす)れて(しあわ)せに()らしているのかもしれない。ーーもし今、彼等と出会って、あの時のことを謝罪(しゃざい)したとしても、きっと今更だと(ゆる)しては(もら)えないだろう。


でもあの時はまだ子供で、しかも何でも許されると思っていたから、善悪(ぜんあく)区別(くべつ)がまるでつかなかった。だから自分の癇癪(かんしゃく)でつい言った言葉が、どれだけ周りに影響(えいきょう)(およ)ぼすかなんて考えた事もなかった。


しかもその自分の発言(はつげん)で、その人達の人生を壊すほどに事が大きくなってしまったことが怖くなって、自分で撒いた種なのに私は真っ先に逃げてしまった。


でも、もしあの時、私が逃げずにすぐにお父様に()()しておけば自分の言葉を撤回(てっかい)しておけばこんな事にはならなかった。それなのに私は何もしないで、目も耳も口も全て(ふさ)いで逃げた。自分が原因(げんいん)なのに(かぎ)りなく無関係を(よそお)って。


ーーそして、それは結局、父の(いか)りに()れた事件の当事者(とうじしゃ)達が国を出て行くことになり、それと同時(どうじ)に『彼』も留学を理由(りゆう)にこの国を出て行った。




*****




最後(さいご)に『彼』がこの国を出て行く前に私は母に引きずられて『彼』のところに()れて行かれた時のことだ。


母からきちんと謝罪をしなさいと言われていたのに『彼』の姿を見たら到底(とうてい)何も言えずに、私は視線を合わせずに無言(むごん)(とお)した。()わりに母が自分の娘や国王に対して(おのれ)()められなかったことへの(いた)らなさを謝罪したが『彼』は(げき)することも怒りを(おもて)に出すこともなく、ただ(しず)かに私に向けて言葉を(はっ)した。



『ーーリルディア。(きみ)はまだ子供だ。………今回のことは、子供である君の言葉を()()けた国王に問題(もんだい)があるのであって、君に責任(せきにん)があることじゃない。


だが、君が今どういう立場(たちば)にあって国王にとってどういう存在(そんざい)なのか、今の内にきちんと認識(にんしき)した方がいい。君が()わらなければ今回同様、いや、それ以上(いじょう)に大きな問題が出てくるだろう。今は子供で許されていても、あと数年(すうねん)()ち大人になれば、それは許される事じゃない。


いつまでも国王や母上が(かば)ってくれると思って(あま)えていたら、君は本当に駄目(だめ)な人間になる。君の周りにには反面(はんめん)教師(きょうし)で、決して人生の見本(みほん)にしてはいけない人間が沢山(たくさん)いる。それを見て自分を振り返り(まな)ぶんだ。自分が王家の人間としてどうあるべきか。自分に何ができるのか。


ーー今は私の言葉が君には分からないかもしれない。それでも覚えておいて欲しいとは思う。ーー君の為に。私の言葉は今の君にとっては(くち)(うるさ)小言(こごと)でしかないだろうが、今、この国を出て行く私が叔父(おじ)として自分の(めい)に“最後”に残してやれる助言(じょげん)だと思ってくれ』



最後!? 今……最後って言った?………と、言うことは、もう戻っては来ない………と、言う……こと?



それを聞いて慌てて顔を上げて口を開きかけて、私はそのまま(こお)りついてその()(かた)まった。そこで見たのは今まで一度も見たことのない『彼』の視線だった。


今までなら何を言ってもどんなに困らせても『彼』は怒るか(あき)れるだけで、こんな視線で私を見ることなど一度も無かった。それなのに今、私を見下(みお)ろしている『彼』の視線はまるで(こおり)のように(つめ)たく、私の存在すら否定(ひてい)するかのように何の感情(かんじょう)()たないような独特(どくとく)(ふか)(あお)い瞳が私に()()さる。


『彼』は全てから逃げた私の事を責めるでもなく問い正すこともなく、逆に母と同じように今後の私の身の振り方について助言をしているだけだ。それなのにいつもとは違う怒りも苛立ちも見せない無表情なその顔は、あの第一騎士団隊隊長の強面の顔よりもずっと、ずっと恐ろしく見えた。


そう思うと今ほど私にかけられた『彼』の言葉も、別に私の事を怒るでも(そし)るでもなく何てことはない普通(ふつう)の助言で、その内容(ないよう)も私の今後(こんご)を心配しての言葉なのに、やはりいつもとは違うその(ひく)く静かな口調(くちょう)は言葉とは裏腹(うらはら)にまるで侮蔑(ぶべつ)(ふく)まれているようにすら(かん)じて私は言葉を何も発することが出来なかった。


それは生まれて初めて経験する感情だった。すごく怖くて胸がギュッと()め付けられるように(くる)しくなって、心臓(しんぞう)が頭の天辺(てっぺん)までドキドキと鼓動(こどう)()っている。母様が何かを言っているようだが何も聞こえない。心臓だけが(うるさ)く鼓動を打ってもうその(おと)しか聞こえない。


そうするとガクガクと体が(ふる)えだして、(たま)らず私はその場から(はし)()っていた。背後(はいご)から母の呼び止める声は聞こえたが私は一目散(いちもくさん)にその場から逃げた。



そう、私はまた逃げたのだ。あの時のようにーーー



結局、それを最後に『彼』とは一度も顔を合わせることもないまま『彼』はこの国を出て行った。


私が(はじ)めて経験(けいけん)した感情はーー『罪悪感(ざいあくかん)


母はそう教えてくれた。母は今度『彼』が帰ってきた時には「きちんと謝罪をしなさい」と言った『彼』は子供のしたことで、その私を責めているわけではないと言っていたと。()められるべきは国王にあるのだと言っていたのだという。確かにあの時も『彼』は私にそう言った。そして私の今後をとても心配していたとも母は言っていた。


だけど母様。ーー『彼』はもうこの国には戻ってこないと思う。あの時、『彼』は“最後”と言っていた。それはもう、こんな私や国王がいる国には戻りたくないという意思だ。


ーー確かに自分の人生を滅茶苦茶にされ、さらにはそれに係わる他人の人生をも壊した酷い人間達がいる国になど、どうしてこの先、一緒に暮らしたいなどと思うものか。誰だって顔も見たくないはずだ。


ーーだから『彼』は私達を見限って出て行った。この先、余程のことがない限り、彼は自らの意思で戻ってはこないだろう。


ーーそうして、三年(さんねん)月日(つきひ)が経ち、やはり『彼』は一度も戻っては来なかった。



私に気を使ってなのか父も他の誰も『彼』のことは話題(わだい)には出さないので、『彼』が今、どうしているのか分からなかった。『彼』はいつかはこの国に帰ってくることがあるのだろうか? その時には、私は『彼』に心からの謝罪が出来るのだろうか?


そしてもし、またあの冷たい氷のような視線を向けられても、もし、侮蔑の言葉で拒絶(きょぜつ)されても、今度は逃げ出さずにいられるのだろうか? それは今までずっと私の心の中で反芻(はんすう)していた言葉だった。


あの時以来、私は初めて罪悪感というものを覚え、『彼』の言葉の通り自分の所業(しょぎょう)を考えるようになった。父は相変わらず私には甘く私のお願いは何でも聞いてくれた。


私は父に与えられるままに自分の欲求を満たし、いつもと同じように欲しいものは何でも手に入れ、父が(しろ)にいる時は、決まって強請(ねだ)って(やま)(みずうみ)城下町(じょうかまち)隣国(りんごく)、などありとあらゆる所に連れて行ってもらった。(ただし、やはり第一騎士団宿舎には近付かなかった。 第一騎士団隊長の強面の顔を見るのが怖かったから)


ただ一つだけ気を付けるようになったのは、他人に対しての態度や言動の()(かた)だ。私は母の苦言を聞き入れるようになり、今までとは違い貴族や年長者(ねんちょうしゃ)に対しての態度を少しだけ(あらた)めることにした。それでも、やはり気に入らない相手には自分のプライドが許さずに我儘(わがまま)を言って、それでもほどほどにこき使ってやった。


そして父に対しても、なるべく他人のことは言わないように気を付けた。自分の言動一つで、父があんなに怒って事が大きくなる事を学んだからだ。父にとって私や母は絶対的な存在で特に娘の私に対する愛情(あいじょう)非常(ひじょう)に強く私の言葉一つが凶器(きょうき)になり、私の(うれ)いを取り払う為なら何でもする父はそれに(かか)わる人達の人生をも壊してしまう。できればもう、あんな罪悪感は感じたくない。



ーーしかし、そんな私達に神様(かみさま)はもう、(だま)って見ているには限界(げんかい)だったようだーーー


あんなに強くて体が大きくて頑丈(がんじょう)で今まで戦と()のついたものには絶対に()けたことがなくて、例えどんな暗殺者(あんさつしゃ)を向けられようが自分でいとも簡単(かんたん)(たお)してしまうあの父が、


さらには各諸外国からも絶対的覇王(はおう)として恐れられていた、あの史上(しじょう)最強(さいきょう)のあの父が今まで味方(みかた)だった近隣(きんりん)諸国全てに裏切(うらぎ)られてあっけなくこの()()ったのだという。


父が私に『土産(みやげ)を楽しみにしていろ』と言って笑いながら手を降って出て行ったあの日が、父との今生(こんじょう)(わか)れになるとは思っても見なかった。


そして私達はそんな父の遺体(いたい)を見ることも葬儀をあげることも最後のお別れすらもできずに、それどころか同じ遺体にされないように今は二人の協力者(きょうりょくしゃ)によって逃亡(とうぼう)(ちゅう)だ。



ーーこれで二度とこの国には戻れない。しかもこの先私達親子は、周囲が敵だらけで()きていられる保証(ほしょう)もない。


ーーもう、本当にこれで、この国を出て行った『彼』とは二度と会えなくなってしまった。………この先も決して会う事はないだろう。


ーー結局、私は『彼』に謝ることができなかった。その機会を永遠(えいえん)(うしな)ってしまった。ーーだから、せめて『彼』が、たとえ身内(みうち)義理(ぎり)であったとしても

私の事を最後まで心配してくれた『彼』がこんな私の事なんかすっかり忘れてあの人と幸せになっていてくれればいいと心から願っている。



ーーあの時、言えなかった言葉………


ーー本当に、本当に、ごめんなさい

…………『クラウス』






【4ー終】


















































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