罪悪感と後悔
【4】
すると二人の会話を黙って聞いていたヘンドリックがガックリと肩を落とす。
「お二人とも、なんで今頃色々暴露しちゃっているんですか? しかも、暗殺だの毒殺だの。エルヴィラ様………王女様がいることを忘れてやしませんか?」
その言葉に二人はハッと我に返ったように同時にこちらを振り向く。
………あ、なんか既視感。先程も同じような事があったなそういえばーーそしてヘンドリック、ありがとう。貴方だけが私の存在を忘れてはいなかった。変な人だとは思っていたけれど、貴方がこの中では一番の空気の読める常識人です。
「リルディア………えっと、その、何と言うかーーごめん、なさい」
「ーー王女、決して貴女を傷つけるつもりは無かったのだが、その、すまない…………」
「いいわよ。 ーーもう慣れたわ」
再び申し訳なさげに声が小さくなる二人に私は手をヒラヒラと振り何でもないことを告げる。どうやら私の順応性は高いみたいだ。それにこの一晩で色々有りすぎて、もう今更何を聞かされも驚きはしない。
ーーと、現時点では思っていた。この少し後から明かされる事実を聞かされるまでは。
「全く、大の大人が何をやっているんだか。もしこれで王女様の性格が歪んでしまったら貴方達のせいですからね? それでなくともこの国の上の王女様達はそれぞれ個性が強くて性格も歪んでしまっているのに、第四王女様までがそうなったら俺、悲しくて泣きますよ。 ーーうぅっ」
そう言って泣き真似をして見せる彼は本当に芸達者だ。
「ヘンドリック、あのね? 私も自分の性格はあまり人様に誉められたものじゃないとは今では一応自覚してはいるのよ? なんと言ってもーーあの父と母の娘だし。
だけど、私の為に色々と気を遣ってくれてありがとう。貴方やヴァンデル隊長のように裏表なく私や母に敬意を払ってくれる人達は初めてよ? それでなくとも私達は世間では嫌われ者の悪名高い親子なのに。
それに貴方だって、母の実態を知って、とてもショックだったでしょう? けれど母はああいう人だけれど自分に正直なだけで決して悪い人ではないのよ? 私のことだって殺したいほど大嫌いな父の血を引く子供なのに、きちんと母親をやっているでしょう?
母は万人向けの善良な優しさは持ち合わせてはいないけれど、自分の親しい人間には本当に優しい人なの。自分主義だからどこか突き放したような所とか口が悪いせいで言動が意地悪に聞こえるかもしれないけれど、それも母にとっては親愛や愛情が含んでいるのよ。
だから母のことは今回の事で幻滅したかもしれないけれど、できれば嫌わないであげて欲しい。貴方はヴァンデル隊長と同様、母にとって無くてはならない人だから」
私が母の性格の釈明も兼ねてそう言うと、ヘンドリックは目を見開いて薄い緑色の綺麗な瞳で私のことをジッと見つめている。なんだかこそばゆくなって思わず視線をずらすと、大きな手が私の頭にそっと乗せられた。びっくりして顔を上げると、そこには驚くほどに優しく笑うヘンドリックの顔があった。
「ーー王女様はとてもご両親思いのお優しい御方ですね。大丈夫ですよ。 俺はエルヴィラ様を嫌ったりなんてしませんから。寧ろ本当に尊敬しているんです。
ご自分の性格をあそこまではっきり悪いのだと隠しもせずに言ってしまう所とか、あの強面で無愛想な隊長にさえ動じることなく逆に振り回している所とか、一緒にいるとすごく楽しいんです。
あのような女性は貴族のご令嬢達の中には、どこにもいません。俺がどうして『枢機院』ではなく『騎士団』を選んだのかと言うと、ヴァンデル隊長や貴女のお母上に出会ったからです。はっきりいって衝撃的でした。あの二人といれば毎日何が起こるか分からないし、面白いだろうなと思って第一騎士団隊に入団したんですよ?
しかもエルヴィラ様はあの諸国に恐れられている国王でさえも溺れるほどの、まさに傾国の美女。そんな普段では滅多に見られない美女のご尊顔を第一騎士団隊にいれば毎日拝めるのですから、この上なく眼福です! だからエルヴィラ様がどんなに性格が悪くとも口が悪くとも、本当は子供のように可愛らしい方なのだと分かっているので大丈夫。俺はエルヴィラ様が大好きですよ?」
その言葉にホッとして安心の笑顔を向ければ優しく頭を撫でられた。今までお父様以外で他の男の人に頭を撫でられたのは初めてだ。なんだか恥ずかしい。
「そして俺は王女様のことも大好きですよ?」
「え?」
思いもよらない言葉をかけられ目をぱちくりさせていると、そんな私に満面の笑みでニコニコしながらヘンドリックは頭を撫で続ける。
「俺、王女様がこんなに素直でお優しくて可愛らしい方だとは思っていませんでした。あ、勿論、お母上と同様、お姿もすごくお美しい我が国自慢の王女様だとは思っていましたよ?
ですがなにしろ、あのエルヴィラ様を見ていましたからね。王女様とはお言葉を交わしたことはありませんし、王女様が第一騎士団隊にお顔を出されることはまず無かったでしょう? だから俺、一度エルヴィラ様に「王女様を連れていらっしゃればよろしいのに」と言ったら、ご自分が騎士団隊に通っていることは秘密にしたいと仰られて、しかも、王女様を溺愛されている陛下が怖くないのなら連れてきてあげなくもないのだけど?
ーーと脅されたのでやむなく諦めました。さすがの俺も命は惜しいですから」
「脅すだなんて人聞きの悪い。この子が騎士団宿舎に行かないのはグレッグが苦手だったからよ。その強面は子供でなくとも恐れおののくでしょ? それに第一騎士団隊は私の唯一、素でいられる心の拠り所なのよ?
この子は本当に素直すぎて父親大好きな子だから、見聞きしたことを何でも父親に報告してしまうの。それなのに、もし連れていったりしたら国王に何を言われてしまうのか危険過ぎて、おちおち素にも戻れないじゃない。
この子は本当に危険なのよ。あの国王はこの子を目に入れても痛くないくらいに溺愛していたから、この子が喜ぶことは何でもやるし逆に泣いて嫌がることは徹底的に排除する。
だから私がいくら苦言しても、あの国王はこの子の言葉の方を余程の事がない限り全て優先するから、下手をしたらこの子の言葉一つで国が動いてしまうわ。だから何でも自分の思い通りになる娘が我儘放題に育ってしまって、皮肉にも国王や私のみならず娘までもが世間から非難されて今や嫌われ者の悪名一家。
それでも私達が安穏と今まで暮らしていけたのは国王という名の『最強の盾』があったから。だけど現在、私達はその最強の盾を失って、周囲が全て敵になった中での逃亡中。だから貴方方だけでも味方でいてくれるのは本当に心強いわ」
母はヴァンデル隊長とヘンドリックを見てホッと息をつく。私はと言うと母の言葉を聞いて「確かに」と数年前の自分を思い起こしていた。
そういえば昔の私は本当に何でも自分の思い通りになるのが当たり前だと思っていた。だって、お父様に言えば何でも私の言う通りになったから。
だから欲しいものは何でも手に入れた。それがたとえ婚約者のいる他国の王太子でさえも。そして嫌いなものはお父様に言えばすぐに私の前からいなくなった。
そんな私に苦言する母様でさえも、その度にお父様が私の壁になってくれていたので、私は聞く耳すら持たなかった。しかも周囲の大人や貴族達も皆こぞって私の顔色を伺っては高価な贈り物を贈って寄越し、連日、貴族達からのパーティーの招待で出向けば、どこへ行っても至れり尽くせりで、まるで女王様のような扱いに、
私はそれが父である国王へのご機嫌取りだとは子供心にも全く分からずに、皆が王妃様の産んだ姉様達よりも容姿も優れていて美しい歌声を持つ私のことが大好きで、お父様の前でもひれ伏すように私にもそうしているのだと思っていた。
だから私は自分のことを父である国王と同じ特別な存在なのだから偉そうに振る舞っても良いのだと思って、実際に身分が高かろうが年長者であろうがお構い無しに上から目線で物を言い、父親のみならず周囲にまで我儘を言っては通してきた。
そんな私の姿を見ても父はもちろんのこと周囲の大人達は何も言わない。だってそうだろう。皆、父が怖くて何も言えないのだから。
見かねた母がよく注意をしてきたけれど、私は自分が正しいのだと思って疑わなかったので一切聞かずに無視し続けた。
ーー今にして思えばあれはやり過ぎだった。あれは周囲を敵だらけにする原因だった。もしあの時に戻れるなら、あの頃の『私』に言いたい。もっと母様の言うことを素直に聞きなさいと。周りがちやほやするのは皆、父が怖くて、そのご機嫌取りだったのよ?ーーとか。そして数年後にはこんな風に命を狙われる程に嫌われて《お》われる羽目になるから、今の内にもっと周りから慕われるような国民から愛される王女になりなさいーーとか。
…………今更、後悔しても仕方がないが、母の言葉で言うならまさに『自業自得』自分で撒いた種だ。自分で刈り取るしかない。
…………そういえば、私がこんな風に自分の所業について物事を考えられるようになったきっかけはーーあの時からだった。
あれがなければ今頃だってきっと私は父親の権力を笠に着て我儘を増長し続け、父親である国王同様、暴君王女と化していたかもしれない。その時はきっといくら母でも私に愛想をつかして親子の縁を切られていただろう。
ーーあの事件以来、三年前に勉学の為に留学するという建前で、この国を出て行き一度も戻ってはこない『あの人』は、今頃どうしているのだろうか?
今でも私の事を恨んでいるのだろうか?『あの人』の人生を滅茶苦茶に壊したこの私の事を……………
………ずっと、ずっと、気にはなっていた。だけど今『彼』がどうしているのかその様子すら聞くのが怖くて、お父様にも母様にも他の誰にも聞けなかった。
最後に見た『彼』のあの時の冷たい氷のような視線と静かに語る侮蔑の籠った低い口調のあの声は今でも頭に残っている。
…………もしかしたら、今頃は隣国であの女性と結婚して私の事などすっかり忘れて幸せに暮らしているのかもしれない。ーーもし今、彼等と出会って、あの時のことを謝罪したとしても、きっと今更だと許しては貰えないだろう。
でもあの時はまだ子供で、しかも何でも許されると思っていたから、善悪の区別がまるでつかなかった。だから自分の癇癪でつい言った言葉が、どれだけ周りに影響を及ぼすかなんて考えた事もなかった。
しかもその自分の発言で、その人達の人生を壊すほどに事が大きくなってしまったことが怖くなって、自分で撒いた種なのに私は真っ先に逃げてしまった。
でも、もしあの時、私が逃げずにすぐにお父様に取り成しておけば自分の言葉を撤回しておけばこんな事にはならなかった。それなのに私は何もしないで、目も耳も口も全て塞いで逃げた。自分が原因なのに限りなく無関係を装って。
ーーそして、それは結局、父の怒りに触れた事件の当事者達が国を出て行くことになり、それと同時に『彼』も留学を理由にこの国を出て行った。
*****
最後に『彼』がこの国を出て行く前に私は母に引きずられて『彼』のところに連れて行かれた時のことだ。
母からきちんと謝罪をしなさいと言われていたのに『彼』の姿を見たら到底何も言えずに、私は視線を合わせずに無言を通した。代わりに母が自分の娘や国王に対して己が止められなかったことへの至らなさを謝罪したが『彼』は激することも怒りを面に出すこともなく、ただ静かに私に向けて言葉を発した。
『ーーリルディア。君はまだ子供だ。………今回のことは、子供である君の言葉を真に受けた国王に問題があるのであって、君に責任があることじゃない。
だが、君が今どういう立場にあって国王にとってどういう存在なのか、今の内にきちんと認識した方がいい。君が変わらなければ今回同様、いや、それ以上に大きな問題が出てくるだろう。今は子供で許されていても、あと数年が経ち大人になれば、それは許される事じゃない。
いつまでも国王や母上が庇ってくれると思って甘えていたら、君は本当に駄目な人間になる。君の周りにには反面教師で、決して人生の見本にしてはいけない人間が沢山いる。それを見て自分を振り返り学ぶんだ。自分が王家の人間としてどうあるべきか。自分に何ができるのか。
ーー今は私の言葉が君には分からないかもしれない。それでも覚えておいて欲しいとは思う。ーー君の為に。私の言葉は今の君にとっては口煩い小言でしかないだろうが、今、この国を出て行く私が叔父として自分の姪に“最後”に残してやれる助言だと思ってくれ』
最後!? 今……最後って言った?………と、言うことは、もう戻っては来ない………と、言う……こと?
それを聞いて慌てて顔を上げて口を開きかけて、私はそのまま凍りついてその場に固まった。そこで見たのは今まで一度も見たことのない『彼』の視線だった。
今までなら何を言ってもどんなに困らせても『彼』は怒るか呆れるだけで、こんな視線で私を見ることなど一度も無かった。それなのに今、私を見下ろしている『彼』の視線はまるで氷のように冷たく、私の存在すら否定するかのように何の感情も持たないような独特の深い青い瞳が私に突き刺さる。
『彼』は全てから逃げた私の事を責めるでもなく問い正すこともなく、逆に母と同じように今後の私の身の振り方について助言をしているだけだ。それなのにいつもとは違う怒りも苛立ちも見せない無表情なその顔は、あの第一騎士団隊隊長の強面の顔よりもずっと、ずっと恐ろしく見えた。
そう思うと今ほど私にかけられた『彼』の言葉も、別に私の事を怒るでも謗るでもなく何てことはない普通の助言で、その内容も私の今後を心配しての言葉なのに、やはりいつもとは違うその低く静かな口調は言葉とは裏腹にまるで侮蔑が含まれているようにすら感じて私は言葉を何も発することが出来なかった。
それは生まれて初めて経験する感情だった。すごく怖くて胸がギュッと締め付けられるように苦しくなって、心臓が頭の天辺までドキドキと鼓動を打っている。母様が何かを言っているようだが何も聞こえない。心臓だけが煩く鼓動を打ってもうその音しか聞こえない。
そうするとガクガクと体が震えだして、堪らず私はその場から走り去っていた。背後から母の呼び止める声は聞こえたが私は一目散にその場から逃げた。
そう、私はまた逃げたのだ。あの時のようにーーー
結局、それを最後に『彼』とは一度も顔を合わせることもないまま『彼』はこの国を出て行った。
私が初めて経験した感情はーー『罪悪感』
母はそう教えてくれた。母は今度『彼』が帰ってきた時には「きちんと謝罪をしなさい」と言った『彼』は子供のしたことで、その私を責めているわけではないと言っていたと。責められるべきは国王にあるのだと言っていたのだという。確かにあの時も『彼』は私にそう言った。そして私の今後をとても心配していたとも母は言っていた。
だけど母様。ーー『彼』はもうこの国には戻ってこないと思う。あの時、『彼』は“最後”と言っていた。それはもう、こんな私や国王がいる国には戻りたくないという意思だ。
ーー確かに自分の人生を滅茶苦茶にされ、さらにはそれに係わる他人の人生をも壊した酷い人間達がいる国になど、どうしてこの先、一緒に暮らしたいなどと思うものか。誰だって顔も見たくないはずだ。
ーーだから『彼』は私達を見限って出て行った。この先、余程のことがない限り、彼は自らの意思で戻ってはこないだろう。
ーーそうして、三年の月日が経ち、やはり『彼』は一度も戻っては来なかった。
私に気を使ってなのか父も他の誰も『彼』のことは話題には出さないので、『彼』が今、どうしているのか分からなかった。『彼』はいつかはこの国に帰ってくることがあるのだろうか? その時には、私は『彼』に心からの謝罪が出来るのだろうか?
そしてもし、またあの冷たい氷のような視線を向けられても、もし、侮蔑の言葉で拒絶されても、今度は逃げ出さずにいられるのだろうか? それは今までずっと私の心の中で反芻していた言葉だった。
あの時以来、私は初めて罪悪感というものを覚え、『彼』の言葉の通り自分の所業を考えるようになった。父は相変わらず私には甘く私のお願いは何でも聞いてくれた。
私は父に与えられるままに自分の欲求を満たし、いつもと同じように欲しいものは何でも手に入れ、父が城にいる時は、決まって強請って山や湖、城下町、隣国、などありとあらゆる所に連れて行ってもらった。(ただし、やはり第一騎士団宿舎には近付かなかった。 第一騎士団隊長の強面の顔を見るのが怖かったから)
ただ一つだけ気を付けるようになったのは、他人に対しての態度や言動の在り方だ。私は母の苦言を聞き入れるようになり、今までとは違い貴族や年長者に対しての態度を少しだけ改めることにした。それでも、やはり気に入らない相手には自分のプライドが許さずに我儘を言って、それでもほどほどにこき使ってやった。
そして父に対しても、なるべく他人のことは言わないように気を付けた。自分の言動一つで、父があんなに怒って事が大きくなる事を学んだからだ。父にとって私や母は絶対的な存在で特に娘の私に対する愛情は非常に強く私の言葉一つが凶器になり、私の愁いを取り払う為なら何でもする父はそれに係わる人達の人生をも壊してしまう。できればもう、あんな罪悪感は感じたくない。
ーーしかし、そんな私達に神様はもう、黙って見ているには限界だったようだーーー
あんなに強くて体が大きくて頑丈で今まで戦と名のついたものには絶対に負けたことがなくて、例えどんな暗殺者を向けられようが自分でいとも簡単に倒してしまうあの父が、
さらには各諸外国からも絶対的覇王として恐れられていた、あの史上最強のあの父が今まで味方だった近隣諸国全てに裏切られてあっけなくこの世を去ったのだという。
父が私に『土産を楽しみにしていろ』と言って笑いながら手を降って出て行ったあの日が、父との今生の別れになるとは思っても見なかった。
そして私達はそんな父の遺体を見ることも葬儀をあげることも最後のお別れすらもできずに、それどころか同じ遺体にされないように今は二人の協力者によって逃亡中だ。
ーーこれで二度とこの国には戻れない。しかもこの先私達親子は、周囲が敵だらけで生きていられる保証もない。
ーーもう、本当にこれで、この国を出て行った『彼』とは二度と会えなくなってしまった。………この先も決して会う事はないだろう。
ーー結局、私は『彼』に謝ることができなかった。その機会を永遠に失ってしまった。ーーだから、せめて『彼』が、たとえ身内の義理であったとしても
私の事を最後まで心配してくれた『彼』がこんな私の事なんかすっかり忘れてあの人と幸せになっていてくれればいいと心から願っている。
ーーあの時、言えなかった言葉………
ーー本当に、本当に、ごめんなさい
…………『クラウス』
【4ー終】