青天の霹靂【3】
【3】
この私の馬鹿笑いの一件で丁度荷馬車を止めていたこともあって、私達は少しだけ休憩を取る事となった。
先ほど私が荷馬車の乗り心地で座っている所が痛いと(さすがに王女人前でが“お尻”だなんて言えない!)言っていたのを聞いてヘンドリックが、
「それなら俺が王女様の椅子になりますよ。だから御者の方は隊長がやって下さい。ーーさあ、王女様、遠慮せずに俺の膝にどうぞ!?」
そう言って胡座をかいて座ると自分の膝をポンポンと叩いて私を呼ぶ。
ーーすかさず、ヴァンデル隊長に頭を思いっきり叩かれていた。ものすごく痛そう…………。
その様子を呆れたように見つめながら母が適当な荷物の袋の中身を出して、その中にまた布袋を詰めて下に敷いてくれた。
「あれは放っておいていいから。ーーこれを下に敷いて。少しはマシになるから」
「ありがとう、母様。 ーーでも放っておいていいの? あれ?」
見れば私の目の前ではヴァンデル隊長がヘンドリックのこめかみに拳でぐりぐりと小突き回しており、ヘンドリックが「痛い痛い」と暴れている。
………本当にものすごく痛そう…………。
「いいのよ。いつものことだから。ーー全く、ヘンドリックは悪い男じゃないのだけれど、あの冗談なのか本気なのか分からない所はいまだに何を考えているのか分からないわね。ーーまあ、本気で馬鹿なだけかもしれないけど」
確かにあの人懐っこい青年は(いや、少年か?)間の抜けたような、それこそ人を脱力させるような空気を持っていて、彼の言動は真面目な事を言っている時も冗談を言っているのかな?と思う時もどちらも軽薄でふざけているように聞こえてしまう。けれど持ち前の爽やかな容姿や人好きのする笑顔でそれが不快にならないから不思議だ。
「でも、あれ、すごく痛そうよ? ーー隊長も少し大人げないのではないかしら? 彼まだ私くらいの歳でしょう?」
そうよ、まだあんなに若輩の若者にヴァンデル隊長も何もあそこまでやらなくてもーーと、彼に同情すると母が首を振る。
「リルディア、人は見かけにはよらないものなのよ。彼はね、あのような少年みたいな顔をしているけれど、あれでももう齢25歳の立派な大人なのよ」
「えええっ!!?」
思わず大きな声を出して驚いてしまった。いや、だってどう見ても、外見も話し方も10代の少年だ。母が嘘を言っているとは思わないが、本当に見た目は私と同じ年頃にしか見えない。驚きで目を見開いてヘンドリックを見ていると、ようやく隊長から解放された彼が私達を見てニコニコと微笑む。
「そうです。 俺、見た目すっごく若いでしょ? だから初めての人にはよく間違われるんですよ。最初は俺も隊長みたいに渋くて落ち着いた貫禄のある男に見られたいと思っていたから自分の容姿は嫌いだったんですけどねーーー。
でもその内、歳を重ねるごとに若く見られる方が何かと得をする事が多いことに気がつきまして、今では俺の大事な長所ですよ」
「…………彼、ヘンドリックは昔から外見が変わらないの。10代の時からあの姿なのよ。変わるのはせいぜい髪型くらいかしらね?」
「髪型くらいって…………俺だってちゃんとそれなりに成長してますよ。身長だってあの頃よりずっと高くなったでしょ?」
ヘンドリックは自分の頭の上で手をひらひらと振る。それを見た母はどこか恨みがましげに呟く。
「男のくせに。ずっと何の手も入れずに若さを保てるなんてずるいのよ。男のくせにーーー」
「エルヴィラ様、それ、男女差別的発言ですよぉ~。だけどエルヴィラ様だって十分にお若いじゃないですか。とてもこんなに大きな子供がいるようには見えませんよ」
すると、すかさず母は側にあったものをヘンドリックへ向けて投げ付ける。ちなみに当たっても大して痛くないような軽い物だったが、ヘンドリックは大袈裟に「痛っ! 」とか言っている。
「失礼ね! 十分じゃなく私はまだ若いのよ。子供だって産もうと思えば、まだ産めるんだからね」
確かに母は17歳で私を産んでいて現在は32歳。まだ現役で子供は産める歳だ。ーーしかし、母はああ言ってはいるが、私に弟妹を作る気は全くなかったらしい。自分は子供はあまり好きではないのだという。
しかも私が出来た時は大嫌いな男の子供なので、とてもじゃないが愛せる自信は全く無く寧ろ、さっさと自分のお腹から出して解放されたいと思っていたと言っていた。今にして思えば、その子供の私に対して酷い言い草だとは思うが、私が弟妹を欲しがったので、それを諦めさせる為に言ったのだと思う。
私のお願いならなんでも聞いてくれるはずの父も私を産む時に母が生死の境を彷徨った事もあって、もう二度と最愛の妻を失う喪失感を味わいたくないと言い、私にも「母を失うのは嫌だろう?」と言って諦めさせたのだ。
そうして全てが母の思惑通りになり一つだけ違ったのは、母は生まれてきた私の事を愛せる自信がないと言っていたのにきちんと愛情をもって育ててくれた事だ。確かに放任主義ではあったけれども。
「だからそういう意味の十分って意味でーーって、ーー痛っ、いっっ! エルヴィラ様っ!、ちょっ、本当、痛いって!!」
母は無言で今度は当たれば痛そうな重いものを次から次に投げつけている。
「ーーなんかムカつく。 あんたの顔見てると、なんかムカついてきた」
「ムカつくとかって、八つ当たりですっ。それにエルヴィラ様、第四王女様のお母上の使う言葉じゃないですよ~~王女様の教育的にもよろしくないで……って、痛っ、や、やめて下さいよ。そんなものでも当たったら痛いって!!」
「か、母様!?」
まるで子供のように物を投げ付けている母親に唖然とする。
「うるさい!! いいのよ! これが私の素なことぐらい娘にはとっくに分かっているから! 八つ当たりでもなんでもいいでしょ。こんな状況になって私だってストレスが溜まっているんだから!!」
「うっ、それなら俺だけじゃなくて隊長にも当たって下さいよ~うぅ、隊長~助けて下さいぃ」
助けを求め懇願する部下に隊長は明後日の方を向いている。
「………それは王族を守護する騎士であるお前の役目だ。存分に“的”になって差し上げろ」
「隊長、それちょっと意味が違います! ふ、不公平だ!!」
先ほどから私の中の今までのヴァンデル騎士団隊長とは大分印象が変化しつつある。私の認識ではヴァンデル第一騎士団隊長は、無口で無愛想で堅物でしかもその強面が怖くて子供の頃から決して近寄りたくなかった相手だった。だから今までも騎士団隊宿舎には一度も顔を出したことはない。
だけど今実際にこうして一緒に行動して観察していると、真面目は真面目だが堅物というほどでもなく冗談すら言っている気さくな面もあって結構面白い人物だ。
今まで自分達の周りにいたのは、媚を売ってへつらう貴族達や陰で嫌味を言ったり嫌悪の視線を向けて敵意を剥き出しにしてくる、そういった人間ばかりだった。
だからヴァンデル隊長やヘンドリックのような、こういった人達は新鮮だ。あの人一倍警戒心の強かった母が彼等を気に入るのも頷ける。私は今ではもう、ヴァンデル隊長のことは怖いとは全然思わない。寧ろ母と面白い会話をしている彼等を見るのはとても楽しい。
「リルディア、この男、こんなお馬鹿に見えるけれど本当はすごく頭が良いの。子供の時から頭脳明晰であの王立中央学習院をわずか6歳で入ってあっという間に様々な学科を修得して8歳で首席卒業したという『神童』と呼ばれていた男なの。
本当なら今頃は、国家機密枢機枢機院で枢機卿として政治に携わった仕事をしていてもおかしくないのに、この男、貴族のぼんぼんだから、ふらふらと諸国を遊び歩いて突然ふと戻って来たかと思えば何故か『枢機院』ではなく『騎士団』に入隊したのよ。
ーーまあ、いくら『神童』と呼ばれた天才でもこんなちゃらんぽらんなのに国の政治を動かされても困るから結果的には良かったけどーーー」
「ちゃ、ちゃらんぽらん………酷い言われようだ。俺はただふらふらと遊びに出たわけじゃないですって。だって学習院を卒業してしまったら、他にやることが無くなってしまったんですよ? まさか8歳で枢機院には入れないでしょうし、いくらなんでも子供に政治は任せられないでしょう? それに同年代の周りの子供達とも話が合わないから一緒に遊ぶ事もできないし。
そこで俺は、もて余した時間を外の世界で見物を広めて、いずれはお国の為になれればとーーー」
「あら、そうなの? じゃあ、私が聞いていた貴方の諸外国での数々の馬鹿息子所業の話は、ただの噂話だったのね?
だけど変ね? バラージェ伯爵夫妻が親子の縁を切りたいけれど一人息子だからそれも出来ないって。だけど恥ずかしいから、もういっそ、このまま帰って来なくてもいい。と言って嘆いていたのを聞いた覚えがあるのだけど?」
あ、そうか、バラージェって、あの貴族のバラージェ伯爵家のことか。どうりで聞き覚えがあったんだ。何度か城で夫妻にはあったことはあるけど、そういえばヘンドリックとは一度も面識はない。そのころは諸外国を放浪していたということなのね。
「………若い時は色々とあるんです。まあ、『若気の至り』と言うやつでーーあ、でもお家騒動になるような事はきちんと避けてましたから大丈夫ですよ。その辺はいくら俺でもちゃんとしてますんで………」
「ーーまあ、そうね………私も人の事をとやかく言えた立場じゃなかったわね。なにせ私はこの国の財政を食い荒らした最悪の女だし。そのせいでこんな事になっているんだから自業自得なのよね。
それなのに、何の関係のない貴方達まで巻きき込んでしまって貴方達にも貴方達のご家族にも本当に悪いことをしてしまっているわ。謝って済むことじゃないのは分かっているけれど、本当にごめんなさいーーー」
突然俯いて肩を落として力なく謝る母にヘンドリックは慌て出す。
「エ、エルヴィラ様、何を言っているんですか!? 元はと言えば国王が全て悪いのであって、エルヴィラ様だって被害者でしょ? 財政を食い荒らしたとか言われていますけど今だって国はこの通り、どこの国よりも財源豊かで栄えているし国王の妃が多少贅沢をするくらいなんだって言うんです? 第一、そんなもの何処の国にでもある話ですって!」
「いや、多少どころの話じゃ………」
ヘンドリックの言葉に母が否定をしようとするが、彼はそれを遮って首を大きく振る。
「いいんです! そんなことは! エルヴィラ様はその美しい外見に似合わず口は悪くて性格もあまり良しとは言えなくて、ご自分にかかってくる者対しては容赦がなくて、なんと言ってもあの国王に対してだって何度も脱走を試みようとしたというその逞しい根性!! まさに脱帽もの、尊敬に価します!!」
「………グレッグ、私、今の会話の中ではまるで尊敬されているようには、聞こえなかったのだけど………」
頭の水が沸騰したかのごとく一人、熱弁を振るうヘンドリック。そして、それとは対照的に彼を冷静に見つめる母と隊長とそして私………。
ーー確かに、私の耳にも尊敬されているようには聞こえなかったが………
「………いや、あれはあれなりに本気で尊敬している。あいつが貴女に陶酔しているのは、それが“要因”だったからな」
「………嫌だわ、そんな尊敬のされ方」
「ーー諦めろ。 ………もう遅い」
母達の会話もヘンドリックの耳には届いていないらしく彼はさらに熱弁を続ける。
「ーーそれに俺、知っているんですよ? エルヴィラ様は本当は優しくて思いやりがあって弱いものに対してとても慈悲深い方なんだって」
「え?」
思いもよらない言葉に母がきょとんとする。
「エルヴィラ様は密かに戦争孤児の施設や戦争で亡くなった兵士達のご家族に援助しているんですよね? 他にも生活困窮に陥った民達にも同じように救済していると聞きました。しかもご自分のお名前は伏せてこっそりとーーー」
え? 母様が??
するとそれを聞いた母が慌ててヴァンデル隊長を睨む。
「グレッグ!! 貴方!?」
「違う!! 俺は誰にも一言も話してはいない!!」
どうやら、その事を知っていたのはヴァンデル隊長だけだったようだ。隊長は大きく左右に否定の首を振る。するとその様子を見てヘンドリックはちっ、ちっ、とひと指し指を顔の前で振る。
「エルヴィラ様、違いますよ~。口の硬い隊長がそんな口止めされている事を簡単に人に話すわけがないじゃないですか。これは俺の情報網から知ったことです。あ、ちなみに第一騎士団隊の同僚達は皆、“この事”知っていますから。俺、教えちゃったんでーーー」
「な、なんですって!?」
「えーー? だって口止めされていたのは隊長で俺じゃないし、それにこんな良い話を黙ってなんかいられませんって。エルヴィラ様の本当の姿をもっと周りに知ってもらいたいし、いい機会かとーーー」
母は言葉を失い、ただ唖然としている。確かに母の性格からして、自分が慈善事業をしている事を周りに言いふらすなんて絶対にしない人だ。しかも逆に大っぴらに浪費家の悪妻ぶりを世間に公開するくらい評判最悪な悪女が、そのような生活に困っている人達に援助するなどとは誰が思うだろうか? 実際、娘である私さえ驚いている。まさか母がそんな他人の為に慈善をする人だったとは思ってもみなかった。
「………母様、そんな事をしていたの? ーーだって、母様は自分の事は自分で主義で、そんな他人のことなんて………だから母様が慈善事業をやっていたなんて初耳。母様、実はすごく良い人だったりする?」
私は信じられなくて母の顔をじっと見つめると、母は伐の悪そうな、なんとも言えない表情で私から目を逸らす。
「べ、別に、そんな大層な話じゃないわ。私がいくら贅沢をしてもあの国王には堪えないから、それなら逆にその財を国民に返してやろうと思っただけよ。そうすれば、もっと沢山お金を使う事になって、うまくいけば私も国王から解放されると思ったから。
だからこれはあくまで自分の為よ。決して純粋に他人を救済しようとか、そんな善良な目的からじゃないわ。グレッグが知っているのは私の事情を知っていて信用のできる協力者が必要だったからよ。………でも、こんな事になるのならヘンドリックにも協力させておけばよかった」
その言葉を聞いて母には悪いが少しホッとする。
ーーやはり、母は母だった。私がよく知っている例え転んだとしてもただでは起きない母が無償で他人に何かをするなどと、有り得ない話だ。
ヘンドリックが先ほど言っていた通り、母は口も悪く性格もお世辞にも良いとは言えない自分主義の人だから娘の私が知らない間に性格が変わってしまったのかと内心不安になってしまった。
善良になった母なんて想像もつかないし何より気持ち悪くて仕方がない。ーー自分の母親に対して酷い言い草だけれども………
「ーーいやいや、今更隠さなくてもいいんですよ? 何も恥ずかしがらずとも人には意外な一面っていうものがあるでしょう? ほら、俺が良い例ですって!
いいじゃないですか。これで世間がエルヴィラ様の事を浪費家だと思われていたものが、実は困窮に苦しんでいる国民を救済する為に国の財産を国民の為に使っていたのが知られれば、今までの悪い評判なんて一気に吹き飛んじゃいますよ!」
嬉々揚々として話しているヘンドリックだったが、残念なことに彼にはまだまだ母の人となりを知るには付き合いが浅いようだ。
彼の理想を打ち砕くようで悪いが母という人は先ほど貴方も言っていたではないか。そんなに性格はよろしくないと。そしてそれは付き合いの長いヴァンデル隊長も分かっているらしく、母と私と隊長とで三人三様、複雑な面持ちで顔を見合わせる。
「………ヘンドリック、理想を打ち砕くようで悪いのだけれど母様は先ほどご自分でも仰っていた通り、他人の為に無償で救済するような人じゃないわ。さっきの母様の言葉が全て真実よ。母様は昔からご自分主義なの。それは娘である私に対してもそうなの。だから善良という意味での優しさとか思いやりとかとは、ほど遠い所にいる人なのよ………」
娘である私がヘンドリックの言葉を訂正させてもらうと、彼は少しだけ表情を曇らせる。
「えっ~と? ………でも、戦争で親を失った子供達や生活に困窮している民達を救済しているんでしょ? 普通の貴族なら例え財力があったとしても、そんな事は考えもしないよ。例外がないとは言い切れないけれど一人一人に援助だなんて数が多すぎて切りがないからね。しかも国王は好戦的だから戦なんて日常茶飯事だし。
でもそれで言うなら、これが自分主義の人間なら自分の為にお金は使うんじゃない? もっといっぱい贅沢するとか有力貴族を自分の味方にする為に賄賂をばら撒くとか。でも、それをしないで敢えて弱い者に味方するのは、やっぱり優しさとか思いやりがあるからじゃーーー」
「はぁ………違うわよ、ヘンドリック。私は別に恥ずかしいから隠してたとか謙遜してとかじゃなくて、本当に自分の為に動いていただけなのよ」
母は深いため息と同時に長い髪を指にクルクルと絡めて弄りながら答える。これは少し罪悪感があると出る母のクセだ。私がこれを知ったのはつい数年前からだ。
ーーというのも、それまで私は罪悪感というものの存在すら知らなかったから…………
「貴方が私のことを本当は良い人とか、そういう風に見ていてくれたのは嬉しいのだけれどーーごめんなさいね、私はそんなに出来た人間じゃない。
自分の事は“自分で責任を取る”というのが私の主義なの。だから自分の娘に対してもそうしてきたわ。そんな私にとってよく知りもしない見ず知らずの赤の他人の事なんて正直どうなろうと関係ないのよ。私の人生に関わってこない限りは気にもならないわ。
先ほども言ったけれど、全てはあの国王に対しての対抗意識からよ。あの人は私が何をしようと全く動じないの。それは貴方達も分かっているでしょう?
私がこの国に連れて来られた時からどれだけあの男から逃げだそうとしてもすぐに捕まってしまうし、どんなに罵倒しようが物を投げつけようが逆に面白がられてしまうから、本当に寝首をかいて殺してやろうかとも思ったわ。でもそれすらもあの男の計算ずくだったのよ? わざと目の付く所に短剣を置いてね。
実際に武術訓練など受けたことのない女の私が、あの筋肉隆々の大男に、あんな短剣1つ持ったくらいで敵うわけがないのよ。だからそれでもいつかあの男を殺してやろうと思って、優秀な人材が揃っている第一騎士団隊に毎日通ったの。武術訓練を受ければ女の私でもどうにかなると思ってね」
母の話からようやく納得した。どうして母が第一騎士団のヴァンデル隊長やその部下のヘンドリックとこんなに親しいのか。しかし母の口から娘の私にとって驚くべき衝撃的とも言える発言が…………
まさか、母が父に対して殺意まで持っていたとは知らなかった。ーーでもそれは私が生まれる前の話だろう。母は私が出来てからは母曰く、なんか色々と諦めたと言っていたし、いくら大嫌いで殺してやりたいと思っていた男でも、それが子供の父親ならば産まれてくる子供から父親を奪うような真似はいくら母とて出来るわけがない。
しかも、当初生まれてくることを期待されていた王子ではなかったのに、娘だったのにもかかわらず母同様に私を溺愛している父親なら尚更だ。
「だけど、いくら毎日通っても、この無愛想で無口な堅物隊長は私に武術を教えてはくれないのよ。どんなにしつこく頼んでも、その度に「危ないから」とか「我々が貴女を守るから必要ない」とか言ってね。しかも護身術すらも駄目だと言うのよ? 今時、どこの貴族の令嬢だって護身術くらい自衛の為に習っているというのに」
母がその時の事を思いだしたのか眉間に皺を寄せて不愉快げに頬を膨らませる。ーー母様、本当に可愛いです。
「それでも、ようやく護身術を教えてくれるようになったのはリルディアを産んでからだったわよね? でも、もうその時にはあの男を殺す気も全く無くなっていたから、結局は目的が自分の護身の為になってしまったけれど」
「ーー当たり前だ。自分の主である国王殺害の為の武術なんか教えられるか」
「あら? 知っていたの?」
母はそんな隊長の様子に意外そうに視線を向ける。
「だって貴方、私があの人の暗殺を企てた時、国王の一番の側近である貴方が全然反応すらしていなかったじゃない。だからてっきり知らないのだと思っていたわ」
それを聞いてヴァンデル隊長は深いため息をついた。
「知らないわけがないだろう? ただ“あれ”が国王の計画だと知っていたからだ。あの陛下を貴女に殺害出来るとは毒でも盛らない限り無理だとは分かってはいたが、それても一応、警戒だけはするように陛下にも進言はしていた。
けれど陛下は貴女が自分に何をしても我々には「一切、手を出すな」との仰せだ。しかも、これは自分と貴女との『ゲーム』だからと言ってな。
ーー貴女の言っていた通りだ。陛下は貴女が次に自分に何をしてくるのかが楽しみで仕方なかったらしい。貴女はその陛下の思惑に踊らされるように次々と仕掛けてきたが、まさか自分の評判を世間に貶めてまでやるとは思わなかった。陛下は面白がっていたがな」
母はそれを聞いて苦虫を潰したように顔を歪めるが、やはりそんな顔も美人だ。 うん。
「ーーどうりで、国王の側近達、貴方を含め、誰一人として何も言ってこないのはおかしいとは思っていたのよ。今更だけど、私はあの男の掌の上で遊ばれていたのだと思うと悔しくて仕方がないわ!
ーーくぅっ、そうよ、手っ取り早く毒殺するという手もあったのに、どうしてあの当時、思い付かなかったのかしら? グレッグ!! 貴方もそういうことはもっと早くに教えてよね。機会を逃してしまったじゃないのっ!!」
「そんなこと、たとえ知っていたとしても貴女に教えるわけがないだろ!! 俺は国王の身を守る為の側近だぞ!? 貴女こそ陛下が面白がっていたのを分かっていたなら色々仕掛てなどこないで、陛下の興味が逸れるまで大人しくしていたらよかったんだ。
それでも俺は確か貴女にそれとなく進言したことがあったはずだ。あの陛下はいくら容姿が美しかろうが上品でただ大人しいだけの女にはすぐに飽きて興味が無くなると」
「し、仕方ないじゃない。貴族のご令嬢みたいに大人しくなんて酒場の家で生まれ育った私がそんなお上品な育ち方なんてしてないわよ! あ、だけど喧嘩なら得意だったわよ? そんなの酒場の家では日常茶飯事だったし。
それにいくら私が大人しくしていようにも、そうすると逆にあの国王が挑発してくるのだもの。売られた喧嘩はつい買ってしまうのよ、我慢できなくて!!」
母が言うなりヴァンデル隊長の口からは再び深いため息が零れる。
ーー確かにその気持ちは分かる。ーーええ、分かりますとも。私はなんと言ってもその母の娘。ーーだけど母のそれはもう、どうしようもないのです。それはもう母の性分なので。
ーー自分に理不尽に食って掛かってくる者には本当に容赦がありません。ーーたとえそれが国王のような権力者であろうとも。
【3ー終】