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我儘王女は目下逃亡中につき  作者: 春賀 天(はるか てん)
第一章 【青天の霹靂】
26/80

青天の霹靂【2】

【2】




リルディア 15歳。



ーーそれは突然のことだった。



夕食を終え、夜も更けたころ。自分の部屋で寛ぎながら明日の凱旋式に着るための新調したドレスを何着か並べてどれにしようかと悩んでいた。


明日は他国へ戦に出ている父王が帰ってくる日だ。今回は遠方での大きな戦で数ヶ月、城を空けている。それが数日前、当然の勝利報告と帰還する旨の文が伝書鳩で届いた。


きっと今回もまた父は沢山の戦利品を持ち帰ってくるに違いない。戦利品である他国の様々な貴重品を観賞するのはとても楽しみだ。この国には無い珍しい物とか綺麗な物とかがあって気に入った物があればそれを貰えた。しかも父王が帰還すれば、それから数日間は国中でお祭りが開かれ賑やかになる。今から楽しみで仕方がない。


そうだ、お父様が帰ってきたらお忍びで、また城下のお祭りに連れていって貰おう。それに約束していた綺麗な湖のある場所への遠乗りも。正直、毎日毎日、花嫁修行だの貴族の令嬢達との退屈なパーティーだの、もう飽々していたところだ。お父様ならきっと私が退屈しないように色々と楽しくなる事を考えてくれるはずだ。


そんな事を考えながらドレスを見ていた時、突然ノックも無しに部屋の扉が勢いよく開き、そこへ現れた母が素早く室内に入ると急いで扉を閉め、その後もしきりに扉の向こうを気にしている。そんないつもとは違う母の雰囲気に首を傾げた。



「母様?」



私が怪訝そうに声を掛けると、母はこちらに駆け寄ってくる。



「リルディア、説明しているヒマはないわっ!すぐに逃げるのよっ!!」


「えっ?」



ポカンとしている私の腕を母が引っ張る。



「時間がないのっ! とにかく今あるだけの宝石をこの袋に入れなさい。急いで!!」



何が何だか分からないが、母の尋常ではない慌てぶりで鬼気迫るものさえ感じる。そんな唖然とする私に苛立ちを覚えたのか、母は私の腕を離し鏡台にあった宝石箱の中身を片っ端から掴んで持っていた袋に入れる。そしてまた再び私の腕を掴むと扉の方まで強引に引っ張っていく。



「ちょ、ちょっと、母様!?」


「しっ!」



母は唇にひと差し指を立て声を出さないよう促すと再び扉の前に立ち、今度は静かに扉を少しだけ開けて廊下の様子を伺っている。



「まだ、大丈夫なようね。さあ、行くわよっ」



母はそう言うと、周囲を警戒しながら私の腕を引いて廊下を小走りに走る。



「か、母様!? 一体どうしたの!? なにが……」


「しっ、大きな声を出さないで。 見つかったらおしまいよ」


「お、おしまいって……」



小声で話し掛けるが、今まで見たことのない母の切羽つまった様子からしてただ事ではない。夜間なので、もう休んでいる使用人もいて働いている人の数は少ないが、それでも人の気配を感じると母は近くの部屋に隠れるを繰り返す。そうして人目を掻い潜って屋敷の裏側に通じる通用口までくると、周りを警戒しながら外へと出た。


するとそこには一人の騎士が立っていた。



「待たせたわね。状況は?」


「ああ、城の方では(すで)に大騒ぎになっている。だが、まだこちらまでは気が回っていない。逃げるなら今しかない」


「そうとなれば急ぎましょう。 リルディア、急いで!!」



なにやら母と親しげな感じの事情を把握しているらしいこの騎士には見覚えがある。


ーーというより、よく知っている。


彼は父である国王の右腕とも言われている全騎士団隊随一の剣客であり強面で無口で無愛想でしかも女嫌いという40歳を過ぎても独身のーー


国王直属第一騎士団隊隊長、 グレッグ=ヴァンデル。


でも彼は確か父と一緒に遠方の|戦に同行していたはず。それがどうしてここに?



「リルディア!!」



母の声にはっと我に返ると、この第一騎士団隊長の言う通り城の方では大勢の人達の騒ぎが上がっていて、離れにある私達の別邸にまで聞こえてくる。


急いで母の側に行くと第一騎士団隊長は私達の前に立ち、周囲に細心の注意を払いながら私達を先導して歩き出す。そして庭師の小さな小屋の前まで来ると、これに着替えるようにと麻袋を渡された。


その中には騎士の雑用や身の回りの世話をする小姓が主に身に付ける作業服が一式……


それを見て私は愕然とする。



「なっ、まさかこれに着替えろっていうの!? この私が!?」



ーーこんな薄汚れた粗末な衣装なんて!!しかも男物の衣装だなんて!!生まれてこのかた、こんなもの身につけたことなんかあるわけがない!! ましてや農民や平民が着るようなものを王女であるこの私が!?



私はわなわなと拳を握り締め、第一騎士団隊長に詰め寄った。



「こんなもの着れないわよ!! 無礼にもほどがあるわ!!私はこれでも第四王女なのよ!? その私がどうしてこんな薄汚れた男物の衣装なんか身につけるのよっ!!絶対にこんなもの着るものですかっ!!」



そんな憤慨する私を見ても第一騎士団隊長は動じることもなく母に話しかける。



「……説明していないのか?」



すると母は少し申し訳なさそうな表情を浮かべる。



「そんな状況じゃなかったのよ。こちらも無事に逃げられるかどうかの瀬戸際だったんだもの。とりあえず、貴方はそこで待っていて」



そう言うと母は私を引っ張って、小屋の中へと私を無理矢理押し込める。そして扉を閉めると、まるでひん剥くように私のドレスを脱がせ始める。



「ちょ、なにをするのよっ、母様!?」


「いいから、着替えなさいっ!!」



母は私の抵抗を無視して尚、ドレスを脱がそうというより剥がそうとする手を止めない。



「い、嫌よっ!!こんなもの着れないわっ!!どうして母様はあの男の言う通りにするのよっ!? あの男はお父様の臣下じゃない!!今だってお父様と一緒にいるはずなのにどうしてここにいるの!?」



すると母は私の肩を掴み真剣な表情で私に詰め寄る。



「リルディア!!時間がないからよく聞きなさい!? 私達はもうここには居られないの!! ここにいたら殺されてしまうわ!!彼は私達の味方なの。私達を助ける為にこうして危険を冒してまで助けようとしてくれているのよ!? だから大人しく言うことを聞いてちょうだい!!」



え……、殺され…る?



「え……殺され……るって? ど、どういう事?……だって、お、お父様が……」


「リルディア……お父様はもういないの。国王は……死んだわ。だから私達を庇護してくれる者はもうこの国には誰もいないのよ」



母の言葉に私は耳を疑った。



父が、あの父が……死んだ??


⋯⋯嘘よ。そんな事有り得ない。だって父は誰よりも強くて、今だって一度も戦に負けたことの無い百戦錬磨の最強の覇王と呼ばれていて、諸国からも畏怖されている存在で……



「……う、嘘よ、そんな……の嘘。あの、あのお父様が……死、死んだなんて有り得ない。 ……だってお父様は最強で……」



呆然とする私を母はぎゅっと抱きしめる。



「リルディア、全て本当の事よ。いくら最強であってもお父様も生ある人間である以上、死は免れないわ。そしてそれは私達にも言えること。だから今は、自分が生き延びる事だけを考えて」



ーーそれからは頭が真っ白で母の言葉を覚えていない。私はいつの間にか母に着替えさせられていて、着替え終わった母と同じように着替えた第一騎士団隊長に支えられながら無意識に歩いていた。


そうして人目のつかない所で私達と同じような格好をして荷馬車と共に待っていた若い男性が一人いて、私達が来るとまず母と私を第一騎士団隊長と二人で荷台に乗せると若い男性が荷馬車の手綱を握り、その隣には第一騎士団隊長が座った。


私達は荷台に積まれた他の荷物に挟まれながら、荷物運びの小姓として乗り込み、物資を調達しに行くように見せかけて、城中が騒然とする混乱に乗じて堂々と正面の城門へと向かう。そして門番に通行証を見せると、驚くほど簡単に何の問題もないまま城門を通過できた。


こうして私達を乗せた荷馬車が城下町を通過すると、夜が更けているにもかかわらず城内の異変を何事かと慌てふためく民衆がまるで昼間の時と類似したざわめきで騒然としている。それを尻目に荷馬車は城下を抜けて街道に出るとただひたすらに走った。


まるで後ろ髪を引かれるかのように、ゆっくりと後ろを振り返った私は、だんだんと遠くに離れて行く自分が生まれ育った城をただぼんやりと無言で見つめていた。



*****



どのくらいの時間が経ったのだろうか? 荷馬車は(ほとん)ど休むことなく月明かりだけの真っ暗な森の中の林道を走っていた。母と第一騎士団隊長は時折、何か話をしているようだったが、それすら頭に入ってはこない。


私は荷馬車にあった厚手の布を被りながら小さくうずくまる。夜の冷たい風が頬を掠めて冬が近いことを実感する。私が落ち着いたのを見計らってか、母は袋から飲み物が入った瓶を取り出し、私に差し出してきた。



「リルディア、水よ。 寒いだろうけど何もないよりいいわ。もう少し行ったら国境を出るから、そうしたら休憩も出来るからそれまで我慢してね」



……国境?



差し出されるままに水の入った瓶を受け取り、母の顔を見上げる。



「……国境? 出る?」


「そうよ。 私達がいない事が知れるのも時間の問題。もしかしたらもう追っ手が掛けられているかもしれないわ。だから急いで今晩中に国境を出るの。国を出ても周りは属国ばかりだから安心は出来ないけれど、さすがにこんな夜更けに他国の領地にまで追っ手を掛けてはこないはずよ」



母はそう言って私を気遣うように背中を何度も擦る。



「それを飲んだらあんたは少し眠りなさい? 心配しなくても大丈夫よ。私達には国王の右腕とも称された国一番の剣客でもある第一騎士団隊長のグレッグがついているし、何も怖いことなんてない。彼が私達を守ってくれるわ」



私は母の言葉を聞きながら、荷馬車の御者の隣に座っている第一騎士団隊長を見つめる。



どうして国王直属の第一騎士団隊長である彼がここにいるんだろう? 彼が守るべき主は国王であり、もしくは王妃やその姉王女達ではないだろうか? しかも第一騎士団隊長は他の騎士団隊全ての統率役として重鎮の立場にあるはずなのに。



「……ヴァンデル第一騎士団隊長、どうして国王の傍にいるはずの貴方がここにいるの? 一体何が起こっているの? 母様の話は本当なの? 本当に父は亡くなったというの? 父の一番の側近である貴方なら全てを知っているのよね?」


「リルディア、今はその話は後にして、もう少し落ち着いてから……」


「母様、私は知りたいのよ! こんな突然、お父様が死んだとか、わけも分からないのに逃げるとか、殺されるとか。私にも分かるように説明してよ!じゃないと頭がおかしくなりそうよ!!」



いくら大丈夫だとか守ってくれるとか言ったって、なぜこんな事になっているのか分からなければ、頭は混乱したままで不安に押し潰されそうになる。


すると今まで黙していた第一騎士団隊長が静かに口を開いた。



「ーーエルヴィラ、彼女も、もう物事が理解出来ない子供じゃない。……リルディア王女、俺から説明しよう」



第一騎士団隊長の言葉に母はそれ以上何も言わなかった。ただ一つ気になったことは、母は愛妾とはいえど彼にとっては主の妻だ。


彼が敬語を使わないのは元々からで、国王である父に対してもそうだったから慣れてはいるが、普段なら母のことは「奥方殿」と呼んでいるはずなのに、今は名前呼びで、その母までが彼の事を名前で呼んでいる。母は今まで国王の臣下や貴族達の事は姓や役職で呼んでいたのに。


それに先程からの母の態度といい、随分と親しげなのも気になる。そもそも彼は女嫌いのはずではなかったのか?



「……国王が亡くなったのは本当だ。数日前のことだ……だから俺は一足早く国へ戻って来た。貴女達親子に知らせる為に」


「そんなはずないわ!届いた文には戦に勝利したって。だから帰還すると書いてあったのよ!?」


「確かに戦には勝利した。だがそれは初めから仕組まれていた計画だった。国王はあの通り戦の度にその武力でもって他国をねじ伏せて従わせてきたが、その傍若無人な侵略行為に属国とされた各諸国の同盟国が一念発起し立ち上がった。


だから彼等はこの度の戦の中でその戦の相手国と密かに手を結び、計画的に敗戦を仕組んで、国王が勝利の余韻に浸っているその隙を狙って今まで一緒に戦ってきたはずの属国で構成された連合軍が敗戦したと思われていたその国と共に一気に反旗を(ひるがえ)した。


それにはいくら最強と恐れられた国王であっても孤立してしまえばひと溜まりもない。ーーあっという間だった」



彼は静かに語り肩を落とす。私は唖然とその姿を見つめる。



⋯⋯この男は何を言っているのだろう? 同盟国が裏切った? これまで散々お父様に守ってもらっていながら、そんな卑怯な真似を使ってお父様を⋯⋯?ーーくっつ、ふざけないでよっ!!



私は堪らずに被っていた布を第一騎士団隊長に向かって投げつけると、怒りの感情の動かされるままに捲し立てた。



「ふざけないで!!しかも裏切りですって!? 恩知らずも甚だしいわ!!今までずっとお父様を盾にして守ってもらっていた軟弱者達のくせに数が揃えば怖いものなしって事!? 


しかもあんたがついていながらお父様を守れなかったというの!!? あんたはお父様の右腕と呼ばれるほどの側近で国一番の剣客じゃないの!!そして国王直属の第一騎士団隊長なのでしょう!!? その国王の直属の騎士であるあんた達が何をおいても国王を守るのは最優先事項じゃないの!!それなのに一体何をしていたのよ!!それともまさか、あんたまでお父様を裏切ってーー」



そんな私の言葉を遮るように母が会話の間合いに飛び込んできた。


「リルディアっ! 違うわ!! 落ち着いて聞いて頂戴!彼はそんなことは絶対にしないわ。何より彼は国王が唯一信頼の置いていた他の誰よりも忠実な臣下なのよ。それはあんただってずっと父親の側で見てきたのだから分かってるはずでしょう?」


「わかってたらなんだって言うの!? 結局結果は同じじゃない!! 一体なんの為の国王直属の騎士団なのよ!!本来はは身を挺にしても主君を守るのが忠実な臣下のあるべき姿でしょう!? それなのに、どうしてそんな裏切り者達を放置したまま、こんなところにいるのよ!!」


「⋯⋯すまない。」



顔を伏せたままポツリと謝罪を口にする第一騎士団長の様子に益々怒りがこみ上げてくる。



「はっ? すまない、ですって!? 謝ればそれで済むと思ってるわけ? そもそも、あんたがもっと、しっかりしていればーー」



今にも掴みかからんばかりの私の体を私の体を母が押さえ込んだ。



 「リルディアづつ!!やめて!!お願いだから話を最後まできちんと聞いて。彼を責めては駄目よ。彼がここにいるのは国王の勅命で私達を救出しに来てくれたのよ。それにあの国王が大人しく臣下達に守られているような質じゃないでしょう? 元よりあの男は戦馬鹿で自ら手を下すことを何より楽しんでいる好戦的な暴君なんだから。


だから今まで散々好き勝手にしてきたツケが今になって返ってきたのよ。こうなったのも全ては己が招いた自業自得。それでなくとも敵が多い事をわかっていながら油断した本人が一番悪いわ。


これを言うのは酷だけれど、あんたには甘くてすごく優しい父親でも、その一方では、自ら戦を起こして多く他人の命を奪い、その家族を不幸にしてきた人間でもあるの。そんな人間が内にも外にも敵が多くて当然でよ!恨みを持たれない方がおかしいわ。


リルディア、あんたはとても賢い子よ。だから何が正しくて何が悪いのか、自分でもわかるでしょう? この第一騎士団隊長は主君の命令を忠実に実行している一臣下にすぎないわ。だから彼個人を一方的に責めるのは間違ってる。それに彼は私達にとって大事な命の恩人よ。それを仇で返すような暴言は、あんたの母親である私が許さないから」



そう言う母の体が少し震えているのに気付いた。それは寒いから震えているのではなく、一見、非常に気が強くて物事に動じないように見える母でさえ、この突然降って湧いたような出来事に不安を覚えているのだろう。けれど大人として子供の手前、何とか平静を保っているようにも見えた。



(ーー母様も何を言っているの? あの誰よりも強いお父様が敵に簡単にやられるはずないじゃないーーだから、これはきっと第一騎士団隊長の質の悪い冗談なのよ⋯⋯)



第一騎士団隊長が項垂れたまま大きく首を横に振る。

 


「いや違う。俺は第一騎士団隊長でありながら国王を守りきれなかったばかりか、自分の怠慢から守るべき主を失ったのだ。それなのに俺は今もこうしておめおめと生き恥を晒している。


しかもそのせいで大切な家族である父親を失った王女には本当に申し訳なかったと思っている。だから俺を恨んでくれて構わない。だが今だけは亡き主が大切にしていた貴女達親子を俺に守らせて欲しい」



第一騎士団隊長はそう言うと私達親子に向かって荷台に頭を押しつける様に頭を下げた。



(ーーだから何を言っているのよ!やめてよ!!これ以上、悪い冗談なんて聞きたくないわ!聞きたくない!聞きたくない!聞きたくない!!)



すると私の中で声が聞こえる。



(ーーリルディア、騙されては駄目。誰の言葉も信じては駄目よ。周りは皆嘘つきだわ。お父様も仰っていたでしょう。己の眼で見たものが真実なのだと。なぜかって人は簡単に嘘をつく生き物だから。


だからお父様の事もこの目で見てはいないのだから信じない⋯⋯大丈夫、大丈夫よ。リルディア、何も考えないで。考えなくていいの。私を脅かすものなんて奥底に沈めてしまうのよ。⋯⋯そう、何もかもーー)



一度、冷静にならなきゃ。自分の置かれている状況だけに集中しないと。何が自分にとって有益なのか的確に判断する必要がある。だから、この男をこれ以上責めても仕方のない事はわかってる。そして母様の言う通り、お父様が唯一信頼していた臣下だということも。



確かに今のこの状況下で私達親子が無事に逃げきるには彼の手助けが必要よ⋯⋯全てを信用するわけじゃないけれど、母様の様子から見ても大丈夫と判断して、この男の忠義がどこまで本物なのかを見定めさせてもらう。



「ヴァンデル第一騎士団隊長、頭を上げて下さい。貴方は王命を受けて、私達の為にここまで駆けつけてくれたのですね。それなのに事情も聞かず一方的に酷い事を言ってしまって、ごめんなさい。貴方は自分も巻き添えになるかもしれない危険を冒してまで、こうして助けに来てくれた、その忠義には本当に感謝しています。


ヴァンデル第一騎士団隊長。これまでの非礼をお詫びいたします。大変申し訳ありませんでした。そして助けに来てくれてありがとうございます。今一度、改めて私からもお願い致します。私達親子が無事逃げ切れるまで、この先もどうか、お力をお貸しください」



私はそう言うと相手に向けて礼儀を欠かない様、深々と頭を下げた。本来ならば王族が臣下に頭を下げるなど常識ではあり得ない事で、ただ命ずるだけで事が済む。しかし今となってはそれも難しいだろう。


自分は王女とはいえ母は市井出身であり、今まで強い後ろ盾など国王以外にはなく、国王無き今となっては私達に今まで親しげに寄って来ていた貴族達など日和見で直ぐに次の権力に寝返ってしまうのが往々にしてよくある話だ。だから今は私達親子にとって信頼のおける強い味方がとにかく必要だった。



(ーーそうよ、私達の為になるならば、利用出来るものは何でも利用する。だから王女である私が臣下に頭を下げる事も必要とあらば、いくらでも下げるわよ。それで百人力が手に入るのならば、お安いくらいだもの)

 


そんな打算的な事を暗黙の内で娘が考えている事も露知らず、隣では、どんな時でも、いつでも気丈に振る舞い涙一つ滅多に見せることのない母が、なんということだろうか。今にも泣き出しそうな顔で私をぎゅっと力強く抱きしめてきた。



「リルディア⋯⋯あんたって子は」


「母様?」



母の様子に戸惑う私を第一騎士団隊長がその強面が崩れるくらいに驚いたような表情で見つめいたが、突然姿勢を正し片膝をついて正式な騎士の礼をとった。



「リルディア王女。どうかそのように頭を下げるのはやめて下さい。貴女は何も酷いことなど言ってはおりません。全ては俺……いえ、私の力不足から招いたこと。己の不甲斐なさを悔やんでも悔やみきれません。


そんな私は主君を守る使命を果たせず、こうして生き恥を晒す覚悟で戻りました。王女のお怒りは最もであり、私を恨むのも至極当然の事です。


にもかかわらず、そんな私を信じてくれた事を心より感謝すると共に貴女方の御身はこのグレッグ=ヴァンデル。我が一命を賭してでも必ずや守り抜くことを御前に誓います。


ですから、どうか不快ではありましょうが、二人の安全が確実に確認されるまで、この先の行動を共にすることを今一度、お許し願いたい」



今度は私の方が先ほどのヴァンデル隊長とは同じ表情をしてるに違いなかった。



……開いた口が閉まらない。め、珍しいものを見てしまった、と言うか、聞いてしまった。いつも気丈な母の泣きそうな声も全くもって珍しいが、それよりなにより問題なのはこの第一騎士団隊長が敬語を使って話しているという事実だ。しかも15歳の小娘相手に!!



この人、敬語使えたんだ……



私の記憶にある限り彼がきちんとした敬語を使って話している所など過去見たことがない。国王の前ですら友人に話すかのように話しているくらいだ。(事実、彼は父の唯一の友人とも呼べる存在なのだけれど)


いや、そんなことよりもだ。一体、どうしてしまったの?? ヴァンデル第一騎士団隊長??



打算的に相手を見極めるはずだった思惑が、思わぬ展開のこの珍事にあっけにとられて、大きく目を見開き彼を見つめたまま、ただただポカンとするばかりだ。


母につられて泣きそうになっていたのもいつの間にかどこかに引っ込んだ。今はこの珍事に呆気にとられて大きく目を見開き彼を見つめたまま、ただただポカンとするばかりだ。そんな私を知ってか知らずか、母は母で私を抱きしめたまま、まるで小さな子供にでもするように頭をしきりに撫で撫でしている。



「ああ、ずっと子供だと思っていたのに、いつの間にか成長して大人になっていたのね。今までは手の付けられない我儘で自分のことしか考えられない自己中心で実際父親がいなければ何も出来ない他力本願で、さらには自分一番の自意識過剰な本当に困った子だったのに。


しかもセルリアの王子が欲しいと言い出した時は、もう本当に親子の縁を切ってやろうかしら? ーーと思ったくらい、あんたの将来を心配したものよ。だけど、そんなあんたがまさか他人に対して感謝の意を表したり他人の気持ちを考えて自分の言動の非を認め謝罪ができるようにまでなっていたなんて。


親が心配せずとも子供ってきちんと周りから悪い所だけじゃなくて良い所も吸収して成長しているのね。親としてこんなに嬉しいことはないわ」



ーーなんだか褒められているような感じはしないでもないけれど。あの母がすでに半泣き状態で私の頭を何度も何度も撫でて感動している所を見ると、よほど私の将来を心配していたのだと再認識する。


たとえ嫌いな男の血を引いてはいても、やはりそれは自分が死にかけながらも、お腹を痛めて産んだ我が子。セルリアの王子の一件ではそんなことを考えていたのかとは思ったが、現在もこうして親子の縁は切らずに私を連れて一緒に逃亡を謀っているので、母は私に対する母親の愛情はきちんとあるのだと実感する。


まあ、それはさておき……



「あの、二人ともどうしてしまったの? なんかおかしいわよ?」



戸惑いながら言うと母は涙を布で拭いながら「何が? 」と首を傾げる。



「だって、珍しいと言うか、あり得ない? でしょう? いつも気丈で、しかも転んだってタダでは起きない図太くて逞しい神経の持ち主の母様が泣く所もそうだけど、


あの強面で無口で無愛想でしかも女嫌いだと言う堅物の国王にすらも敬語なんて使わないことで有名なヴァンデル第一騎士団隊長が、こんな15歳の小娘に敬語を使っているのよ? 何か悪いものでも食べたのか、お父様のことがショックで頭が少しおかしくなっているとしか思えない。ねぇ、二人ともほんとに大丈夫? お医者様に見てもらったほうが良いのではなくて?」



私としては本気で二人を心配しているつもりなのに、二人は顔を見合わせ、先ほどの私と同じようにポカンとしている。そしてその隊長の隣では荷馬車で手綱を握っている御者の彼が何故か笑いを堪えるかのようにその体を震わせていた。



「……血は争えないな。つくづく二人は親子なのだと実感する」


「……だから言ったじゃない。この子は実のところは私似なのよ」



何が血は争えないの? それに私が母似なのは誰から見ても|外見からして一目瞭然だというのに。



母が呆れたようにため息をつく。



「グレッグ、貴方が似合わない事をするからこの子が戸惑っているじゃないの。私も貴方の敬語なんて聞いてて気持ち悪いから素に戻ってよね」


「ーー気持ちが悪いとは何だ。俺は自国の王女に敬意を表しただけだ。 ……が、貴女の時と同様、その娘にまで病人扱いされては困るからな。元に戻させてもらう。だが、人の事は言えんだろう? 貴女が泣く所など想像もつかなかったぞ? 誰かを泣かせているのはよく見るがな」


「なによ、失礼ね。私だってこう見えても一応母親なのよ? ずっと心配していた我が子の成長が見られて、感動するのは当たり前でしょう。それに泣かせていたとは人聞きの悪い。あれは私に食ってかかってきた女達にちょっと図星をついてみたら勝手に泣き出していただけじゃない。そもそも、そんな泣くくらいなら喧嘩を売る相手は、よく考えればいいのに」



母の態度に、今度は隊長が深いため息と同時に首を横に振る。



「外見に似合わず貴女の口の悪さには普段言われ慣れていない貴族の令嬢達にとっては毒にしかならん。少しは自分の印象というものを気にしたらどうだ? 一応王家の一員なんだ。王家の淑女としてだな、一方的に言われて我慢しろとは言わないが、せめて言葉を選んで物申したらどうだといつも言っているだろう。


それなのに貴女ときたらその辺が全然無頓着で周囲に敵を作るばかりだ。だから見てみろ、そんな貴女を見て育った王女が口の悪さまで貴女に似てきてしまっているじゃないか。母親なら少しは子供の教育上、自重しろ!」


「はっ、子供を持ったことない男に教育をどうこうと言って欲しくはないわね。第一、私は元は市井の酒場の娘よ。そんな貴族の習慣なんて知らないし、自分が淑女だなんてこれっぽっちも思ってないわ。好き好で王族になったわけでもないしね。


それにもう今更じゃない? 私はあの悪行高い国王を誑かして国の財を食い潰し続づけた今や国内外に知れ渡るほどの悪妻で通っているのよ? でもそれは自分のしてきたことだから否定するつもりはないし、それに対しての批判は甘んじて受けるけるわ。だからこそ今更印象なんて気にする意味が無いわよ。


それにリルディアの性格は私に似ていて当然よ。あの子には私の血が流れているんだから。こればっかりは多少口が悪くなっても仕方ないわ。


それに貴族の女が淑女に見えるのは上辺だけよ。普段言われ慣れてないですって? 笑っちゃうわね。裏での彼女達の毒舌だって、かなりのものなのに、男は単純だから、そうやって直ぐ外面にだまされちゃうのよ。


で、後々本性を知った所で時すでに遅し、後悔する羽目になるんだから。それなら私みたいに初めっから本性隠さず明け透けな物言いする方がかえって誠実だとは思わない?」



いつの間にか私に関しての喧嘩と言えなくもない言い争いが二人の間で始まっている。私としてはこの状況にすら驚いているのだがーー


……二人はいつからこんな喧嘩をするほどまでに仲が良く?なったんだろう? 二人が王城で顔を合わせた時にだって、こんなに親密に言い争う事など絶対にないし、彼は母のことは決して名前などではなく臣下らしく「奥方殿」と言っていた。


しかも彼は無愛想でいくら女性が話し掛けても適当に相槌を打つだけで、あとは機嫌の悪そうな強面でだんまりだ。


なので周囲からいつしか女嫌いと言われて、外見は決して悪くはないのに寧ろ鍛えられている筋肉が逞しく、いかにも頼りがいのある大きな体格をしていて、


混じりけの無い茶色の髪色と緑色がかった茶色い瞳の精悍で整った男らしい顔付きで、本来なら女性が黙ってはいないような人なのだが、


何せその表情はいつも不機嫌で、心臓の悪い人なら睨み付けるだけでその心臓が止まってしまうような強面なので、女性達からは敬遠されてしまっている。


(これが母のような気性の女性であれば、そんなものは関係ないのだろうけれど)


しかも本人も畏まって気取った女性も、お喋りで口煩い女性も嫌いだと言っているようなので女嫌いと言われてしまっても仕方がない。


ちなみにに私も小さい頃から、どっちかというと彼が苦手だった。なので彼と同じ場所にいる時にはできるだけ距離を取り、視線を合わせないよう避けていた。


(だって子供心にも、あの強面がすごく怖かったから)


しかも口数が少なく仕事以外の関係のない会話は極力することがないので、とにかく今、私の目の前でその彼が母とこんな風にそれもお互い個人的なことで言い争っているのが驚きでしかない。


ーーはっ、まさか二人は、父の一番の臣下とその父の最愛の妻でありながらも、お互いに愛し合ってしまった決して許されることのない関係……とか? いや……でもどう見ても二人のやり取りを聞いている限りでは、そんな感じは微塵もしない。


だってこのように相手に気を遣うでもなく逆に相手の欠点とかを平気で言い合うなんて、とてもじゃないが、どう考えても恋人同士の会話とは思えない。


しかも彼は口煩い女性は嫌いだとも言うではないか。それなら母のような自分でも口が悪いと指摘している口煩い女性など到底、彼の好みではないはずだ。


ーーいや、でも母にはそれを差し引きゼロにするだけの美貌と類い希な美しい歌声がある。あの父ですら虜にしたその美貌だ。中身はともかくとしても、うっかり心を奪われてしまうこともあるかもしれない。


眉間に皺を寄せながら一人悶々と二人の関係を思案しつつ、目の前の二人のやり取りを見つめていると、御者の彼が間に入って声を掛ける。



「お二人とも、そこまでにしては如何です? 王女様の前ですよ。お可哀想に、一人置いてきぼりでお寂しそうではないですか」



その言葉に二人の視線が同時に私に向けられ、なんとも言えない気まずいような気がして慌てて首を振る。



「あ、いや、その、なんと言うか、その驚いていただけで、寂しいなんて事は……」



すると二人はお互い一瞬だけ顔を見合わせると、なんとも伐の悪そうな表情で私に向き直る。



「ーーすまない。 決して放っておくつもりでは……」


「ご、ごめんね。 リルディア。どうもこの男と話していると、つい……」



そんな二人の様子に御者の彼は今度は笑いを堪えずに声をあげて笑っている。そして私の方にも話し掛けてきた。



「王女様、この二人は顔を合わせればいつもこうなんですよ? だから心配しなくても大丈夫です。ほら、喧嘩するほど仲が良いと言うでしょう? ああ、でも仲が良いとは言っても俗にいう“禁断関係”の恋人同士ではありませんから安心して下さい。まあ、今現在は……ですけどね?ーー」


「なっ!!」



「ヘンドリック!!お前は安心して下さいと言っておきながら、逆に不安を煽るような事を言うな!!それは王女に対して不敬にもほどがあるぞ!!」



御者の彼の言葉に母が一瞬言葉に詰まり、第一騎士団隊長は彼の言葉に怒り出す。しかしヘンドリックと呼ばれた御者の彼は、それも慣れているのか全く意に介した様子もなくニコニコとしている。



「不敬だなんて、あはは、隊長がそれを言いますか? でも、王女様だって気になっていたはずですよ? 隊長は不安を煽るなとおっしゃいますが、お二人のその様子を見ていれば逆に不安にもなるでしょう? 普段は俺達の騎士舎内でしか絶対に見せないお二人のやり取りを王女様はご存じないはずですからね?」



そう言うとヘンドリックは私に向けて人懐っこい微笑みでニッコリと笑う。それを見て私はさっきまで一人悶々と考えていた事を見透かされたような感じがして思わずドキッとしてしまった。


どうやら彼はその会話の中から分かるように、ヴァンデル第一騎士団隊長が率いる騎士団所属の部下のようだ。見たところ彼はまだ10代後半くらいという感じだ。


明るい栗色の髪は短くツンツンと立っていて、薄い緑色の瞳はまるで春の新緑を思わせるような綺麗な色だ。そんな彼はどちらかというと大人の男性というよりも、まだやんちゃな少年という方がしっくりくるような、笑顔の似合う爽やかな青年だった。


こんなに見るからに年若い彼が私達の逃亡の為に隊長と共に手助けをしてくれる。きっと彼は若いながらもヴァンデル第一騎士団隊長からはよほど信頼の厚い人物なのだろう。



「王女様、ご挨拶が遅れて申し訳ありません。俺は第一騎士団隊所属のヘンドリック=バラージェと言います。この度は隊長のお供で奥方様と王女様の護衛を賜りました。俺も隊長同様、お二人の事を騎士魂にかけてお守りしますので隊長ほど自信満々とは行きませんが、まあ、小舟に乗ったつもりで安心して下さい」



……バラージェ? どこかで聞き覚えがあったような……?



「ヘンドリック、それなら貴方の舟には尚更乗りたくはないわね。あちこち穴が空いていそうだから、乗った途端に沈没しそうで怖いわ」


「相変わらず酷い人だなぁ、エルヴィラ様は。そんな事はないですって。でももしそうなってもその時は俺自身が舟になって、この体を張ってでもお二人を背負って泳いで見せますから大丈夫ですって!」


「絶対に嫌よ。それならリルディアはグレッグに任せて私は自分で泳ぐわ」


「えー? 大丈夫なのに。だけどエルヴィラ様なら、本当にご自身で泳ぎそうですよね?」


「泳ぎそうじゃなくて、泳ぐわよ。これでも泳ぎは得意なの」



そ、そうなのか……知らなかった。まさか母様が泳げるなんて初耳だ。でも、さっきのヴァンデル第一騎士団隊長の時もそうだったが、母はなんだかこのヘンドリックともとても親しげな感じだ。こうした母の人間関係を初めて知り、それは娘である私が知らない事ばかりで当然だが唖然としてしまう。



「おい、そこまでにしておけ。お前がさっき俺達に言った言葉を今、そのまま返してやる」


「ああ、王女様、申し訳ありません。自分で言っておきながら、王女様にはお寂しい思いをさせてしまいました。お詫びに退屈しのぎに隊長と共に歌いますから、どうか許して下さい」


「……どうしてそこで俺が出てくる。しかもお前、『夜光の歌姫』相手にいい度胸だな。


ーーそうだな、歌うならお前一人で歌え。俺はそんな大それた度胸はないからな。お前の勇姿は隊長である俺が見届けて後で皆に報告しておいてやる」


「え、そんなぁ、俺だってそんな度胸ないですよ。でも隊長なら度胸がないなんて謙遜でしょ。だから俺、隊長と一緒なら恥を忍んで歌っても大丈夫かなーって」


「恥と分かっているなら初めから言葉に出すな! 全くお前と話していると第一騎士団隊の品位が疑われる」


「本当にそうよねぇ。この緊張感のなさ。どうしてこんなのが騎士団隊に入隊出来たのか。しかも中でも優秀な人材だけが入れるはずの第一騎士団隊になんて、いまだに疑問だわね」


「お二人は本当に俺に対して冷たいです。ーーねっ、王女様もそう思いますよね? 俺、いつも騎士団でこの最強の毒舌を持った二人に虐められているんですよ? お二人とも俺よりも年長者のくせに酷いですよね。だから俺の繊細な心臓がもうボロボロなんですよぅ……」


「毛が生えた頑丈な心臓の間違いでしょ?」

「毛が生えた頑丈な心臓の間違いだろ?」



おお、なんと二人の言葉がぴったりと揃った。


そんな目の前で目まぐるしく展開する茶番劇のようなやりとりをぼんやりと見つめながら、私はというと色々考え悩む自分がなんだか馬鹿馬鹿しくなってきていた。


先ほどまでは自分に起こっている突然の出来事が何もかも信じられなくて、当然気持ちの整理も付くはずもなく、しかも追っ手に捕まったら殺されるとか物騒な事にすらなっていて、


それでなくてもまだ成人にすら満たしていない子供である私は、ただ流されるままに母親に連れられ、こうして必死に逃亡している。こんな事が自分に起こるだなんて誰が予測できるというのだろう。


ーー私がこの世に生を受けて15年。上質な絹布で作られた特注の高級ドレスしか身に付けたことない私が、今はこんな薄汚れた粗末な男物の衣装を着て、


貴族用の立派な馬車にしか乗ったことのない私が今はこんな古ぼけた荷馬車の積み荷の隙間で埃っぽくて土臭い薄汚れた厚手の布一枚にくるまって夜の冷たい風を凌いでいる。


しかも林道の舗装もされていないガタガタ道を走っているので、長時間荷台に乗り続けているせいか、さっきからお尻が痛くて仕方がない。これでは目的地に着いたとしてもきっと一人では歩けないだろう。


そんな最悪の状態に置かれ、私の頭の中は徐々に限界を迎えていたのかもしれない。突然、自分の生まれ育った国から逃げねばならず、裏切り者から命を狙われているかもしれなくて、


少し前まで当然のようにあった幸せな人生が足元からガラガラと崩れ落ちていくことが到底耐えられなかった。


するとまた頭の中で声が聞こえた。



《ーーリルディア、考えては駄目。何も考えてはいけないわ。ーー壊れる。壊れてしまう。だから奥底深くに何もかも沈めてしまいなさい。私を不安にするものなんて全て消してしまうのよ》



ーーパチン



何かが自分の中で弾け飛んだ⋯⋯ような気がした。



本当に一人で馬鹿正直に考えるなんて無駄な時間の浪費にすら思えてきたわ。なのに人の気も知らないで⋯⋯


それもこれも!!母様と第一騎士団隊隊長とその部下のまるで緊張感のない会話のやり取りのせいよ!!


そもそも母様がこの二人とこんなに親しかっただなんて聞いてない!!今まで全然そんな素振りは一度だって見せなかったくせに、どうして、よりにもよってこんな時に見せてしまうのよ! おかげで私が知らない母様や第一騎士団隊長の意外な一面を見せられて、戸惑うやら唖然とするやらで色んな衝撃を受けたわ!


それにあの第一騎士団隊長のもっとも信頼の厚い部下が、あんな道化師みたいな変わった人で、何も知らない私をそっちのけで、三人でまるで言葉遊びのような会話をしているんだもの。あれじゃ、どこまでが本気で、どこまでが冗談なのか分からないじゃない!!


私達って逃亡中なのよね? それとも今起こっていることが何かの冗談なの? って、子供が一番まともに考えてる事自体どうなの!


ううっ、どうしよう。色んな事が積み重なったせいなのかしら? 何だか、どんどん笑いが込み上げて可笑しくなってきたわ。怒りも不安も頂点を通り越してしまえば、最後には笑いが込み上げてくるものなのね。


フッ、フフ、ーーいや、ダメよ。 こんな時に笑うだなんて異常だわ。しかも不謹慎よ。ダメ、笑っちゃ……だ……め。



突然私が俯いてお腹を押さえていることに気付いた母が慌てて私に話しかける。



「リルディア?どうしたの!? 具合が悪い? お腹? お腹が痛いの!?」


「……う、ぅ」



お腹をギュッと押さえ、小さく唸りながら体を小刻みに揺らす私のその様子に、母の血の気の引いたよう声が聞こえた。



「大変!! ヘンドリック、今すぐ馬車を止めてっ!!リルディアの様子がおかしいの!グレッグ!!薬はある!? この辺に医者はいないのっ!?」



母の声にヘンドリックは慌てて荷馬車を止め、ヴァンデル第一騎士団隊長が鞄を持って私に近づいてくる。



「リルディア王女、大丈夫か!? 今どういう状態なんだ!? 腹が痛いのか!?」


「………ぅ」



私の体調を窺う隊長に、ヘンドリックも辺りを見回しながら急ぎ地図を開く。



「隊長、どうしますか!? この辺は林道だから医者は勿論のこと、民家も無いようです。ですが多分もう少し行ったら国境沿いには町があるはずですよ」


「そうだな、取り敢えずこのまま少し待ってろ!王女の容態を確認する方が先だ!!」



すると母が何かを思い出したように口を開く。



「そうだわ!グレッグ!!貴方、確か少しは医術に携わっていたわよね!? だったら貴方の見立てで、どうにかして治せないの!?」



その問いにヴァンデル隊長は首を横に振る。



「それは外傷に関してってだけだ。さすがに体内疾患までは俺にも分からん!」



そしてヘンドリックも片手を上げて同じく首を横に振った。



「はいっ!俺も!!残念だけど隊長と同じく外傷医術の資格しか持ってないんだよな。う〜ん、こんなことになるのなら体内疾患医術も学んでおけばよかったな。でもあれって、すっごく、すっごーーく難しくて大変なんだよね」



そんな軽い調子の部下にヴァンデル隊長は呆れ混じりの小さなため息をついた。



「ああ、そうだな、だがお前の頭ならきっと大丈夫だろう? お前はどうしようもないくらいお調子者の馬鹿だが、その頭脳だけは誰もが一目置くほどに優秀だからな。全く馬鹿と天才は紙一重とはよく言ったもんだ」



え? 天才って、この人が? 本当に? それであんな道化師みたいな人が第一騎士団隊に入れたんだ…う、うう、……っ



そしてまた、見ているだけで脱力してしまうような茶番劇が始まる。



「隊長~~それって褒めてます? なんだか軽く(けな)されているようにも聞こえるんですけど~?」


「いや、褒めている。 だから騎士団隊の訓練も全て休んでいいから、その分医術を極めたらどうだ? そうして騎士ではなく『軍医』になれっ!」


「ええっ~~? 隊長、何言ってるんですか! しかも今更軍医だなんて面倒くさいし絶対嫌ですよ〜」



……軍医って⋯⋯いや、それってまずいんじゃ……もし彼が医者になったとして、あんな調子で診られても……くっ



「ちょっと!グレッグ。恐ろしい事を言わないでちょうだい。あれが医者になったら、きっと被検体同様、例え生きている患者だろうと自分の好き嫌いで切り刻むに決まっているわよ。あんなんでいて嫌いな人間には全く容赦ないんだから」


「……ああ、そうだったな」



母様と隊長の会話に、なぜか背筋に冷たい何かが走る。


ーーあ、は、はは⋯⋯彼って

実は危ない人だった?……あんな虫も殺さぬような爽やか青年って感じなのに、人って見かけによらないな⋯⋯でもほら、世間的にはそんな珍しい事でもないのよ、きっと⋯⋯フッ、フフッ。



「………うう、ひどい。人をなんだと思っているんですか~? 貴方達の方がよっぽど俺なんかよりもずっと怖いくせに、よく言うよ。〜俺なんて、まだ可愛い方ですから。そもそも『熊』と『虎』の猛獣コンビに向かう敵なしって、もっぱらの噂なのに〜」


「は? その『熊』と『虎』って何よ?」



母の冷たい視線にもヘンドリックは慣れているらしく、母の問いに小首をちょこんと傾げながら答える。



「それは勿論!『熊』は俺達の隊長で『虎』といったら、もう奥方様しかいないじゃないですか〜ちょっとカッコいいですよね。いいなぁ〜」



と、ヘンドリックはどこか羨ましそうな顔をしている。しかし一方の母はぶち切れたようだ。



「はああ? なんですって!? 私が『虎』!? しかももっぱらの噂って、そんなくだらないこと言ってる馬鹿は一体どこのどいつよ!?」



⋯⋯確かに、母様が怒って声を上げる姿は『虎』に見えるかも⋯⋯



そしてヴァンデル隊長の方はというと「ふむ⋯⋯『熊』か。俺は周りにそう見られているのか⋯⋯そうか」と、どことなしに、まんざらでもない表情でぼそぼそと呟いている。



⋯⋯まぁ、ヴァンデル隊長は大きいし強いし、確かに『熊』がぴったりかも。それに本人も、なんだか嬉しそうだしね。


ーーああ⋯⋯なんかもう、そうとしか見えなくなってきたわ。⋯⋯怒る『虎』となぜか得意げな『熊』⋯⋯そうね、さしずめヘンドリックは『狐』ってところかしら?



⋯⋯ククッ、クククッ⋯⋯なんだか急に可笑しくなってきたわ。⋯⋯だって、あの人、私だけ悩んでるなんて馬鹿みたいじゃない。


⋯⋯フッ、フフフッ、笑って何が悪いの? そうよ、だってもう笑うしかなんじゃないの。それでなくても馬鹿馬鹿しくて、やってられないわ!!



「……くく、っ」



突然、私が笑い出したことで母とヴァンデル隊長がギョッとした表情を浮かべた。



「!? リルディア!」

「王女!?」



そして二人の声が再び重なった時、とうとう私の我慢の堰が崩壊して、それは一気に解放された。



「あーははははっ、あーはっはっはっ」


「リルディアっ!!? どうしたのっ!!」


「お、王女!?」


「王女様!?」



三人の驚いた声も顔も何もかもが可笑しいから不思議だ。。



「あーっはははははっ、あははははっーー」



いつまでも笑い続ける私に三人はオロオロするばかり。それでも今まで我慢してお腹に溜めていたせいか何故か笑いが止まらない。どうやら私の中で何かがぷっつんと切れたらしい。今は何を見ても何を聞いても笑える。 ああ、涙出てきたーー



「ーーああ、とうとう王女様が 壊れてしまったぁぁ!」


「「勝手に壊すな!!」」



ヘンドリックの叫びにまた二人の声が重なる。ーー本当に仲が良いな。



*****



散々笑い続けた私は、ようやくお腹の中から笑いの虫が出て行ったらしい。ただ笑い過ぎてお腹が痛い。笑い過ぎた……



「あーやっと止まった。笑い過ぎて死ぬかと思ったわ」



そんな私の様子を見て母はまだ焦っている様で私の顔を覗き込みながら心配げに見つめる。



「リ、リルディアだ、大丈夫なの!? お腹が痛いんじゃないの?」


「え? 痛いわよ?笑い過ぎてだけどーー」



きょとんと首を傾げる私に母は私の額に手を当てる。



「熱は……ないようだけど」


「王女、私達が分かるか?」



ヴァンデル隊長も心配げに問いかけてくる。



「え?  分かるかって……」



問いかけられている意味が分からず、首を傾げると、母達の後ろにいたヘンドリックがすかさず説明してくれた。



「二人は王女様が突然何かにとり憑かれたみたいに馬鹿笑いし続けるから、色々あった事だし、ショックで頭がいっちゃったと思っているんですよ~? 俺も正直焦りました。「ああぁ、王女様が壊れたぁぁ!!」って、……で、俺のことも分かります?」



なんだかんだ言ってもヘンドリックも心配してくれている。確かに自分でもあんな馬鹿笑い? なんて今の今まで経験したことがないから正直驚いている。  


自分でも分からないが、何故かあの瞬間は気分が高揚してしまって、風で草木の葉が揺れても母達が私を心配して焦っているのを見るのも可笑しくて仕方がなかった。



……確かに、私、大丈夫なのかな?……



「えっと……母様と、グレッグ=ヴァンデル第一騎士団隊長と、その部下のヘンドリック=バラージェ」


「……はぁ、どうやら大丈夫なようだな」



私の様子を見てヴァンデル隊長は脱力した様に肩を落とす。



「本当に!? リルディア、あんた本当に大丈夫なの!?」



しかし母はまだ安心出来ないのか、困惑の眼差しで心配そうに問いかけてくる。そう言えば母がこんなに狼狽しながら私のことを心配する姿は初めて見るかもしれない。


母は昔から己の行動は己で責任を持てという考えがあるらしく、それは私に対してもそうだった。


だから端から見れば我が子に対しての情が希薄で放任しているように見えていただろうが、それでも私の行動に対して心配になった時には、さすがに親として黙ってはいられずに、よく注意を促してきたものだ。


けれど私はそんな母の心配など、どこふく風だとばかりに気にすることもなく、あまりに煩い事を言ってこようものなら、いつも父側に逃げていたので、母は諦めたのだろう、私の事はほぼ父親に任せ、よほど目に余るような事が無い限り客観的な立ち位置に徹したようだった。


しかも私は母が嫌っている父の血を引いている為、我が子とはいえ無関心になってしまうのもある程度仕方ないとは思っていたのだが、今、こうして目の前で私をこんなに心配している母の様子を見ると、やっぱり母も人の親なのだと実感する。ちょっと嬉しい。



「心配をかけてごめんなさい。もう本当に大丈夫だから。ーーでも、元はと言えば母様達が悪いのよ? こんな時なのに貴方方三人で本気とも冗談ともとれない変な会話を始めるのだもの。


しかもいつもの母様や隊長からは到底考えられない会話のやり取りに、あまりにも信じられなくて、やっぱりヘンドリックの言う通りショックからなのかしら? 何故か自分でも分からないけれど笑わずにはいられなかったのよ。


ああ、でも本当に信じられないわ。王女の私があんなはしたない笑い方を人前でするなんて。しかも突然国を追われて荷馬車の乗り心地は最悪で風は冷たいし、長い時間ガタガタ道に揺られて座っている所は痛いしで、これじゃあ立ち上がることもできそうにない。


そんな気分はもう人生最悪最低で不安に打ちひしがれている、そんな娘の前で大人の貴方達がまるで緊張感のない会話を展開するから、なんだか一人で落ち込んでいるのが馬鹿馬鹿しくなってしまったじゃない」



私は素直に思っていたことを口にすると、それを聞いた三人はそれぞれに複雑そうな表情を浮かべている。



「えっと……王女様、ごめんね?」



と、先にヘンドリックが私の様子を伺うように謝る。



「……本当に申し訳なかった、王女。もっと貴女の気持ちを考えるべきだった。確かにこんな大変な時に我等は年長者であるにもかかわらず、誠に不謹慎極まりなかった。深く反省している」



続けて眉間に皺を寄せ至極真面目な表情で謝るヴァンデル隊長。



「本当に大丈夫なようね。ーーごめんなさい。 本当に悪かったわ、リルディア。そうよね。 私はともかく、あんたにとっては一晩で世界が一変して、幸せからどん底に突き落とされたのだもの。しかもあんたは最愛の父親を失ったのに私は母親のくせして我が子に対して無神経だった。本当にごめんなさい」



母はどうやら私の言葉を聞いて大丈夫だと判断したのか心底ホッとした表情を浮かべるも、すぐさま落ち込んだ様子で、まるで少女の様にしょぼんと肩を落とす。ーーなんか可愛いです。 母様。



(⋯⋯母様は一体何を言っているのかしら? 私は何も失ってなどいないのに⋯⋯)



「それはもういいの。今更落ち込んだ所で、何が変わるというわけでないのだもの。要は子供である私が『大人』になればいいだけなのよね。だって、まともに状況判断ができる人間が一人でもいないと、この先『不安』でしょうがないから」



私は所々の言葉に皮肉を込めて言うと、にっこりと微笑んでみせた。それに対して大人達が、どこか気まずそうに顔を見合わせている。



「……王女様。その笑顔怖いです………」

「……さすがは貴女の娘だ」

「どういう意味よ」



そしてどうやら、またこの仲良し三人組の会話が私そっちのけで始まりそうだ。私はその光景をぼんやりと達観していた。



ーーそしてまた、声が聞こえる。

ーー誰かが泣いている。



(⋯⋯やめて⋯⋯やめて。⋯⋯何も聞きたくない⋯⋯聞きたくないの。⋯⋯私から奪わないで⋯⋯お願い)



私は胸の内から込み上げてくる『何か』が苦しくなり、無意識にそれを宥めるように胸元を両手で強く押さえていた。





【2ー終】





























































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