急がば回れ
1600年と聞けば関ヶ原の戦いを頭に浮かべる読者諸氏も多いかと思う。この話はまさに関ヶ原の戦い直後の2人の若者の話である。とはいえ、その2人が関ヶ原の戦いに直接関わることは無い。
関ヶ原の戦いは、西軍の石田三成と東軍の徳川家康が豊臣秀吉死後の政権主導権を争って起きた戦いである。各地の大名らが東西どちらの派閥につくのが得策か頭を悩ませたのはもちろん、朝廷でも両者の争いが注目された。
時の天皇である後陽成院天皇は西軍に包囲された東軍細川幽斎を助けるとともに、本戦が行われる関ヶ原の戦場に密偵を放った。密偵の源蔵は安全面と情報面を考慮して、西軍小早川秀秋が布陣する関ヶ原南西部にぞびえる松尾山に身を潜めた。小早川家の主家に当たる毛利家と徳川家の密会を聞き知っていた源蔵は、小早川が勝敗の鍵を握っていると見たのだ。
7月7日早朝まだ霧が晴れず視界の悪い中、合戦の幕は開いた。この時、兵の数は西軍が東軍に勝っている。
開戦から2時間両者の勢力は拮抗していたが、西軍は動かぬ諸将が多く、石田は参戦を促す狼煙を上げ、応援要請の使者を出すのに忙しかった。小早川も動かなかった諸将の1人である。
動かぬ小早川に業を煮やしたのは石田だけではなかった。正午を過ぎると徳川は重い腰を上げ、内応の約束をしているにも関わらず一向に動かぬ小早川に威嚇射撃を加えた。威嚇された小早川が慌てて西軍に突撃したことで勝敗は決した。
小早川が西軍に突撃したのを見届けると、密偵の源蔵は急いで山を下り京都に向かった。しかし、運悪く肩に当たった徳川の威嚇射撃による出血のため近江国坂田郡にある醒井宿で動けなくなり倒れてしまう。
倒れた源蔵を見つけた村人は、応急手当をすると急いで村長宅に運び、村長と面会した源蔵は早口に頼み込んだ。
「私は急いで京に届けねばならぬものがある。しかしこの通り身動きがとれぬ。どうか私の代わりに動ける者をお貸しいただけないだろうか。報酬は必ずお払いする」
醒井宿では関ヶ原開戦前に西軍の手で食糧を奪われ、即急に村の食糧を確保する必要に迫られていた。そのため、源蔵の依頼は願ったりかなったりで、村の若者の大吾と喜助を急いで呼んだ。
大吾は村一番の力持ち、喜助は村一番の智恵者で、正反対の2人だったがどうも馬が合い、一緒によくつるんでいた。
この日も一緒に狩りをしていた2人は、連れだって村長宅に入った。村長から説明を受ける若者2人を見た源蔵は、懐から金の入った巾着と一本の短刀を取りだす。
「巾着に入った金は前金としてお受け取り下され。残った巾着と短刀には家紋が入っているゆえ、京の役人に見せれば案内してくれよう」
村長は金を、大吾が短刀を巾着に入れて受け取ると、残った喜助は源蔵に尋ねた。
「ところで、何を届ければいいんだい?」
慌てていて肝心な事を伝え忘れていた源蔵は「情報だ」と言い「東軍勝利の情報を伝えてくれ」と頼んだ。
源蔵の情報に驚いたのは他の3人である。大変な事を頼まれたと落ち武者狩りの開始を恐れ、大吾と喜助は押っ取り刀で村長宅を飛び出した。
大吾と喜助は健脚を飛ばして琵琶湖を陸路で南下し、何事もなく草津宿に到着した。草津宿から京に向かう方法は海路と陸路があり、2人はどちらを進むか相談していた。
「喜助、湖と陸どっちから行こうか?」
大吾の顔には近道の海路と書かれていたが、喜助は気付かぬふりをして尋ね返した。
「大吾、急がば回れ、ということわざを知っているかい?」
尋ねたはずなのに尋ね返された大吾は勉学があまり好きではなかった。
「いや知らないね、どう意味なんだい?」
大吾の返答に喜助は一度うなづくと「意味は今度教えるよ、違っていたら恥ずかしいからね」と返したが、いつものことだと大吾は気を悪くしなかった。
「で、結局どちらから行くね?俺は断然海路が速くていいと思うね」
煮え切らぬ喜助に大吾は自分の意見をはっきり伝えた。喜助も考えをまとめると大吾に答えた。
「僕は陸路を行くよ、大吾は海路を使ってくれ。先に大津に着いた方が相手を待たず京に向かうんだ」
別行動をとる喜助の提案に大吾は難色を示したが、考えあってのことだろうと納得した。
「なら喜助が預かった短刀を持っていけ。俺は巾着を持っていく。襲われた時は躊躇わず短刀を抜くんだぞ?喜助が死んだら親父さんに申し訳が立たん」
大吾の意見にもっともだと頷いた喜助は、短刀を受け取り陸路を急いだ。大吾は喜助を見送り、船着き場へ向かった。
結論から言うと、先に京に着いたのは喜助だった。
役目を終えて再会した2人は一緒に歓待を受けた。先に到着した喜助が大吾の到着を持ったのである。
宴が終わり用意された部屋で一服すると大吾は喜助に切りだした。
「そう言えば、急がば回れ、の意味はなんだったんだい?」
大吾の疑問に喜助は一度頷いた。
「室町時代の宗長って連歌師を知っているかい?」
「知らないね」
大吾の即答に喜助は顔をほころばせる。
「その人が言うには、草津から京に行く為に速くて危険な航路を使うと、思わぬ事態に巻き込まれて却って遅くなる。遠回りで橋を渡る方が確実で早く着くものさって事らしい」
「ふーん、それで喜助が先に着いたのか」
納得する大吾に喜助はおどけた口調で続けた。
「ま、天候が良ければ舟の方が速いってことだけどね」
「違いない」
2人は笑いあい、夜が過ぎていった。