第1話:人生サイアクの経験
ストックしている分もまだ少なく短いですが、ご感想等いただけたら嬉しいです。
20部辺りまでは連続更新予定。よろしくお願いします。
「あぅ……うぇっ……うぁ…………」
『人生最悪の経験をした』……なんてことを、軽々しく口にするものじゃないなぁと、最近痛感している。……なぜって? そりゃもちろん、俺の中でその『人生最悪の経験』ってのが幾度となく更新されていくからだ。
ゴブリンのゲロまみれになった時なんて、最悪以外の何でもなかった気がした。最悪を連発してもう人生やってらんねーぜ(……というのは少しオーバーな気もするが)ってなったのは懐かしい記憶だ。……けど、今となって思えばあれはまだマシな方だな。めっちゃ臭かったし気持ち悪かったけど、洗えば済んだし、毒とかに犯されなかっただけ幸運だったとすら言える。
次に思いつくのは…………そう、何度となくその場を歩いた、死臭の漂う戦場か。血のと肉の腐った臭いが混じったあの場所は、人間が生きてゆく環境ではない。この世にある地獄とは、まさにアレだ。……でもそれも最悪の経験ではないな。
魔物の血肉や骨が体にベットリ付いた時は確かに最悪だ。ただでさえヤツらの血は落ちにくいのに、戦地にいたからそのまま何日間もサバイバル、結果的に装備一式をオシャカにしてしまった……なんてこともあったな。
確かにそれらは、嫌な経験だった。でも人間いつしか『慣れ』が来る。感覚が麻痺していく、と言った方が正しそうだけど。まぁともかく、そのうち気にしなくなって……確かに嫌は嫌だけど、あまり苦じゃなくなる。
だってゴブリンを切り刻む度に最悪だとかやってらんないとか、そんなことを思っていたら精神がいくつあっても足りるはずがない。
要は慣れ。慣れてしまえばそれで解決するんだ。……しかし、今のこの状況を慣れでどうこうしろっていうのは土台無理な話だ。
そういう意味で言うなら俺は今、間違いなく『人生最悪の経験』をしていた。
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────遡ること五分ほど前。
意識が遠退いていくような不快感の後、ふと気が付いた時に俺が居た場所は、真っ白な霧の中だった。
……アレおかしいな……俺は確かアイツらと一緒に少数遠征に出てたはず。ここはどこだ?
霧が酷くて視界が悪く、景観だけでは場所の検討がつかない。……王国の外で、しかも出発してまだ数日のはずだから国境近辺で……霧の出る場所って言うと、ちと不味いな。ゲルビドの谷にでも落ちたか?
頭でも打ったのか、それともショックが大きいからか、事が起こる前の記憶が全くない。軽い混乱状態の中、他に霧や靄が濃くて有名な所は……とか、そんな思考を巡らせながら、とりあえず起き上がろうとして……気付く。手や腕を地面につこうとしても、触れない。
だがそれもそのはず、俺が地面だと思った場所は、ただの霧だった。
基、そこには何もなかった。
視界内に地面などが映り込まなかったので、てっきり仰向けになって寝ている体勢なのかと思ったら……違った。地面などなく、この空間には白い霧しかない。寝ていると錯覚してしまったことも鑑みると、上下感覚も失ってしまっているらしい。
なんじゃこりゃ。
声も出ない。
自分の置かれている状況を再確認して行くなかで、考えられる可能性を挙げては秤に掛けて有り得るのかどうかを判断していく。
身分上、こういう状況には慣れてるからな。
まぁパッと見判断するに現実空間じゃないし、……なかなかヤバそうじゃね。俺ですら見たことのないタイプの幻術魔法か? まぁそれに準ずる何かしらだと思うけど、幻術魔法の空間となると、魔法を掛けられている側からは干渉が出来ない。
……まぁゲルビドの谷よりはよっぽど状況はマシなのが救いか。
幻術だとすれば対処の方法は知れている。
あの谷に落ちた場合は色々と面倒なので、解決策が分かるだけこっちの方がマシだろう。
まぁとにかく。
対処法と言えば、体力切れと集中力切れ。
術師の体力が切れて、幻術そのものが中断されるケース。
術師の集中が途切れ、幻術続行に支障が出るケース。
大きく分けて、この二通り。
簡単に言うなら、時間の解決を待つか、術師に攻撃して気を逸らす、もしくはサクッと倒しちまうってのが解決法のオーソドックス、テンプレートってことになる。
ちなみに俺は後者を圧倒的に推奨する。ちんたら待つのは性に合わない。
幻術魔法なんてものを掛けられてる現状を鑑みると……大方、寝込みを帝国の悪魔連中にでも襲われたんだろうなぁ。……まぁアイツらの事だ、全く心配はしていない。
何せこの俺の仲間なんだ、俺なしでやりあっても敵なんてこの世界のどこにもいない。
負けるだとか殺されるだとか、そういう点は全く心配していない。……のだが……俺は待つのが大嫌いだからな、さっさとここから出してくれ。さっさと。
術を掛けられる直前の記憶が曖昧ってことや、俺本体との意識の繋がりが完全に途絶えてるってところを見ると……相当高度な幻術魔法だ。相手さん、相当の手練れなんだろう。特に記憶が曖昧って言うのは大きい。それはつまり、脳に記憶の混乱などの《強い影響》を与えるほど、高度な魔法ってことになる。
そしてそんな魔法を使いこなせる術師ってことは……かなりの訓練を積まれてるってことは容易に想像がつくわけで。体力切れを待つのは億劫そうだから、ちゃっちゃと倒してくれた方が……ん?
唐突に視界が開け、霧が晴れて行く────。
おぉ! 流石は俺の仲間達! 仕事が早くて助かる!
早々に術師を撃退してくれたであろう、頼れる仲間達に称賛の言葉を用意しつつ、俺は再度意識が遠退いていくのを感じ目を閉じた────。
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「────で、いったい全体これはどういう状況だよ」
感情のままに言葉を吐き出す。いや、実際は言葉にはなっていない。ねっとりとした唾液が口いっぱいに溢れているのと、未発達で短すぎる舌が災いして全く呂律が回っていないのだ。
結果、口から出たのは『あぅ』とか『うぇっ』とか、そんな奇声紛いの、異様に高い変な声。
きちんと思い返してみたものの、この通り状況は何も変わっていない。最悪そのものだ。
涙腺が脆くなっているのか、それともパニックになっているからなのか、少し気を抜くと大声を上げて泣き叫びそうだった。
……そんなわけで俺、救国の英雄【漆黒のジズ】は、気が付くと赤ん坊になってしまっていた。
────いやどんなわけだよ。
閑話休題。……が出来たら苦労はない。
話題転換は出来るのであればしたいところだが。
……あれからしばらく時間が経ったが、結局状況は変わらなかった。わけが解らない。
判断能力も鈍っているのか、感情に流され掛けている。正直なにも考えずとにかく泣きたい。……それを必死に堪えつつ、必死に状況を整理していく俺。
まずは俺の今いる場所の再確認だ。
回りを見てもらえればわかる、言わずもがな……ここは森だ。鬱蒼と生い茂ってるわけでもないが、そこそこの規模はあるだろう。見覚えはないが、戦争相手のアスモデウス帝国ではないと思う。魔物の姿を見掛けない────わんさか魔物がいたりはしないだけで、丸っきりいないわけではないだろうが……敵国に赤ん坊の状態で置き去りにされてるとか、そういうことではなさそうだ。……しかし、自然動物は普通にいるので泣き出して刺激するような真似は避けたい。
次に本題。なんで赤ん坊になってんのか。
……ホントなんで? 俺が聞きたい。いきなりすぎてわけがわからない。これも相手の幻術? んなわけねぇな、流石に掛けられてる時間が長すぎる。術の中で体感時間を延ばしているとしても、だ。
そもそもこんな現実っぽい幻術なんて聞いたことがない。せいぜい判断力を低下させて惑わすだとか、意識の中に相手を閉じ込めるとか、幻術魔法が出来ることはその程度のはずだ。
……じゃあ何だこれは。
時間逆行魔法は白魔法だから敵には使えない。
使えたとして、使い手なんて我らがイブリース王国の国王様くらいしか思い浮かばないし、使い手が相当な素質を持つ人に限られてしまうこの線はないだろう。そんな奴がアスモデウスにいれば嫌でも耳に入る。
一番考えたくないのは…………転生か…………。
え? まさかの俺死んじゃったパターン? ……いやこれが一番可能性的にないだろ。俺が死ぬ? はっ、あり得ない。最強の俺が死ぬとかジョークにしたって笑えねぇ。
となると相手さんの新魔法だろうな。俺の見たことのないタイプの。効果は……そうだな、そこら辺の赤ん坊に一時的に意識を移すとか? 赤ん坊限定じゃないだろうが意識交換とかはあり得そうだ。そしてそんな高度な魔法が何時間ももつはずがない。
ってことはもうすぐ効果切れで元の体に戻れるはずだ。よっしゃ、後はこんなうざったい真似をしてくれた連中を切り刻んでお仕舞いだ。ブッ殺してやる。
「ブッ殺してやるだなんて、寝言にしたって物騒だよ。エルくん」
あぁ? セルファは今関係ないだろ黙ってろよ! 元の体に戻ったら気が済むまでは絶対に剣を手離さないからな! 絶対だ!
「むにゃむにゃ言ってないで起きなよ~、御天道様はとっくにのぼってるよ?」
「んん!?」
聞き慣れた誰かの声がする。
誰かじゃない、幼馴染みの声だ。
毛布を押しやり跳ね起きた俺を、窓から差し込む日光が射抜く。まぶしッ!
「……」
──────あぁ……くっそ、またこの夢か……。
『人生最悪の経験』というのは、否応なしに脳裏にこびりついてしまうものだ。本当に嫌なことは忘れたくとも忘れられないし、思い出さずとも……この様に夢にだって出てくる。
きっと多分、そういうのがない内は最悪の経験なんてしてないってことなんだろう。
────もう何度見たかわからない『転生したあの日』の夢。──完全に目の覚めた俺は、またいつものように大きく溜め息をつく。
そう、言うなればこれは、英雄転生記。────英雄から転生した俺の、無様で残念で最悪な……きっと、そんな物語。