表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

物語の断片集

相容れぬ

作者: 風白狼

 岩の回廊をひたすらに走る。足場は悪く、何度も躓きそうになるが、懸命に足を動かした。その薄暗い土色を見飽きた頃、硬質な景色が目に入った。鈍く光る床は靴音を響かせ、白っぽい壁が光を反射する。洞窟の中だというのに清潔感があり、人の住まいかと錯覚するほどだ。

 青年はそこで足を止め、呼吸を整えた。付いてきた仲間達も追いついてくる。青年は大きく息を吸い、声を張り上げた。

「フィオンテ! 聞こえていたら返事をしてくれ、フィオンテ!」

 青年の声が硬質な廊下にこだまする。だが答える声はなく、不気味なほどに静まりかえってしまう。青年は小さく舌打ちした。真っ直ぐな廊下を走り進み、足音を反響させていく。部屋を見つけては開け、探し人の名前を呼ぶ。いずれの部屋にも人はおろか生き物の気配すらせず、それがかえって青年を焦らせた。


 やがて青年は突き当たりに小さな扉があるのを見つけた。入り口と思しきその扉は小さく、格子状の窓が付いている。固そうな鍵がかかっており、牢獄のようにも見えた。

「フィオンテ! いるのか?」

 青年は声をかけるが、返事はない。窓からのぞき込むと、暗い部屋の奥に何かがいた。長いブロンドの髪の毛が光を反射しており、女性の人影に見える。

 青年は扉に体当たりした。見た目より薄いのか、わずかにへこんだ感触があった。今度は仲間にも手伝ってもらい、体当たりを繰り返す。やがて金属がはじけ飛ぶ音がして、扉は壊れた。ひしゃげた鉄板となった残骸が音を立てて倒れる。

 暗かった部屋に明かりが灯った。同時に部屋にいた人影もはっきりする。だがその姿が明らかになると、青年は息を呑んだ。

 その影は確かに女性のように長いブロンドの髪の毛をしていた。だが背中には翼のようなトゲが伸び、固そうな鱗に覆われた尻尾も生えていた。体の色は全体的に黒く、悪魔か小さめのドラゴンにも見える。くるりと振り向いた顔はさながら獅子のようで、獰猛で厳つい印象を与える。人に見えたのは異形の存在、魔物だったのだ。

 長い髪の魔物はぎらりと双眸を輝かせた。その眼光に射すくめられ、青年は完全に硬直してしまう。

「う、わ……」

 何とか後退ろうとするが、上手く足が動かせなかった。バランスを崩し、固い床に尻餅をつく。

「レウ!」

 仲間が悲鳴をあげたのと、異形が飛びかかったのはほぼ同時だった。逃げることも受けることもできないまま、青年は魔物に組み敷かれる。背中に衝撃を受け、じんじんと骨が痛んだ。舐めるような吐息が間近にある。鋭い牙がきらりと光り、青年は死を覚悟した。


 だが、その時はいっこうに来なかった。訝しげに魔物を見やると、相手はなにやらぼそぼそと口を動かしている。

「レ、ウ……ごめん、なさい……」

 見かけに合わぬか細い声で、魔物は言った。かすれ気味であったが、聞き覚えのある声にレウと呼ばれた青年ははっとした。

「その声――まさか、フィオンテか!?」

 青年が問いかけると、魔物は小さく頷いた。申し訳なさそうに魔物は後退って青年から降りる。青年は体を起こすと、“彼女”のブロンドの髪を撫でた。細くやや癖のある髪質は、確かに彼女の物だ。姿はほとんど見る影もないが、青年はそれがフィオンテ本人であると確信した。

「せっかく会えたってのに、なんで、こんな……」

 青年は力なく座りこんだ。世間でたびたび起こっていた、人間が魔物に変えられる事件。自分の恋人であるフィオンテまでもが、その被害に遭ってしまった。事実の重さに、青年はただ呆然と目を泳がせることしかできない。そんな彼を慰めるように、魔物となったフィオンテは頬をすり寄せた。前足となってしまった腕を乗せ、形だけ抱きしめてみせる。青年はそんな彼女を反射的に抱き返した。回した腕が硬い皮膚と背中のトゲに触れてしまい、ますます悲しみが募る。

「おいおい、あんなに探してたフィオンテって奴が、まさか化け物の姿だったなんてよ……」

 仲間の一人が困惑の声を上げた。彼の言葉に、フィオンテは悲しそうにうつむいた。

「そう、私はもう人間じゃない。魔物にされてしまった」

 フィオンテは青年から離れ、彼の目を真っ直ぐ見つめる。

「お願い、レウ。私を殺して」

「なんだって――!?」

 彼女の言葉に、青年は目を見開いた。異形となった彼女の目を見つめ返すが、その光には揺らぎがない。

「私は、もうこの世にいてはいけない存在なの。この姿に変えられてから、理性が消えるようになった。さっきだって、あなたを襲ってしまった。また理性を失ってあなたを、ううん、関係のない人達だって襲ってしまうかもしれない。だから――」

 殺して欲しい。か細くもはっきりとした声で彼女はそう告げた。だがいくら愛しい人の頼みとはいえ、青年には受け入れがたい内容であった。できないとばかりに青年は小さく首を振る。

「そんなこと――」

「お願い。私の意識が残っているうちに、早、く……!」

 そう言って、フィオンテは頭を振った。奥歯を噛みしめ、苦しげにうめく。

――グオオオオッ!!

 魔物の咆哮が上がった。獅子の顔は険しく青年を睨む。それは先ほどの悲しみに満ちた瞳などではなく、獰猛な肉食獣の目だった。体勢を低くし、襲いかかる瞬間を窺っている。

 青年は立ち上がり、後退った。だが、狙われているというのに剣を抜くことができない。

「お願、イ、こロシ、て……」

 かすれたフィオンテの声が漏れる。獣の息づかいが混じり、わずかな理性であることを窺わせる。青年は剣の柄を握った。異形が跳び上がった。牙が光を反射する。構えが間に合わない。間近に迫るかに見えたとき、鋭い金属音が響いた。鎧で身を包んだ仲間の男性が、盾で攻撃を弾いたのだ。横から軽装の男が刃をたたき込む。ギンッと鈍い音が響いた。

「ぐっ、予想以上に固え!」

 上段から刀を振り下ろされたにもかかわらず、フィオンテだった魔物は傷一つ付いていない。余計に怒らせただけだったようで、魔物は鋭く吠えた。鱗で覆われた尻尾を振り回し、男を叩きつけようとする。男はそれを難なく避けた。

「フィオンテ!」

 青年が魔物に呼びかける。だが返ってきたのは彼女の声ではなく、魔物の咆哮。邪魔をするなとばかりに飛びかかる。青年は剣を抜き、体勢を低くした。自分から魔物の下に入り込み、剣を突き出す。肉を貫く感触が青年の手にまで伝わった。どろりとした赤黒い液体が辺りを濡らす。魔物は力なくうめいて倒れた。まだ息絶えてはいなかったが、もう戦う気力はないらしい。ただ浅く呼吸しているだけだった。

「レ……ウ」

 か細い声が青年の名を呼んだ。青年は彼女の傍にしゃがみ込み、ブロンドの髪の毛を撫でる。

「お前、これで良かったのか…?」

「うん。あり、が……と」

 かすれた声でそれだけ言って、フィオンテは目を閉じた。血はあふれ続け、吐息は途絶える。その体は硬くなっていき、ぬくもりは失われた。彼女が作った血だまりの中に、青年は膝をつく。

「フィオンテ――ッ! こんなの、冗談だって言ってくれよ!」

 青年の泣き声が部屋に響いた。変わり果てた恋人の亡骸を撫で、ぼろぼろと大粒の涙を流す。

「ひどい……」

「あのやろう、どこまで非道な……!」

 青年の後ろで仲間達が言った。誰の顔も苦痛に歪んでいる。




「悲劇だ。実に悲しい結末だ」

 淡々とした男の声が部屋に響いた。その場にいた誰もが声の主を見やる。いつの間にか、部屋の壁が開いていた。その先に、何体かの異形を従えた男が佇んでいる。くすんだ色合いの緑髪と、対照的に白い肌をした人物だ。

「ミラルバ……!」

 現れたのは、魔物を従えその頂点に君臨する魔王、ミラルバ。軍勢を率いて都市や町を支配し、世界を恐怖に陥れた男。そして何より、人間を魔物に変えた犯人でもある。

「いい加減にしろ。いつまでこんな悲しい事件を繰り返すつもりだ」

 青年はミラルバを睨んだ。魔王はそれには答えず、ため息を吐く。

「まったく、君たちは何もわかってないな」

 大げさな仕草でやれやれと首を振ってみせる。役者じみたその動きに、彼を見る視線がさらに鋭くなった。だがミラルバは気にした様子もなく、動かなくなった魔物の死骸を見やる。

「『魔物になったからこの世にいてはいけない存在』とは、まるで魔物が存在すべきではないとでも言いたげだな。何とも危険な思想だ。その思想を不審に思わないというのもまた、危険な風潮だ」

 亡骸に冷たい視線を投げかけた後、ミラルバは自分を睨む顔を見回す。

「何故だ? 何故魔物はこうも嫌われる? 人間と姿が違うからか? 言葉が通じないからか? それとも、人間を襲うからか?」

「人を襲うからに決まってるだろ」

 仲間の一人が反論する。その言葉に、ミラルバははん、と鼻で笑った。

魔物(かれら)が人を襲う? 言いがかりも甚だしい。奪っているのは貴様ら人間の方だろう。食料や住処、時には牙や角、皮と言った体の一部まで奪おうとするから、抵抗しているだけに過ぎん。そもそも危険だと知りつつ魔物の住処に突入する貴様ら人間が悪い。彼らはその被害者なのだよ」

「だが、人里に降りてくることだって――」

「それは貴様らの自業自得だ。人間が住処を荒らすから、生きるに苦しくなって豊かな場所を求めただけ。そうでなかったら、わざわざ危険な人里に降りる必要などない」

 魔王の声はやはり冷徹だった。と、彼の背後にいた一匹のドラゴンが吠えた。その声はやはりただの咆哮だったが、ミラルバは愛おしむようにドラゴンの喉を撫でた。

「同志よ、お前達の怒りはわかっている。住処を、命を蹂躙されて、黙っていられる訳がないものな。故に我らは我らの安住の地を求めた――そうだろう?」

 魔王の言葉に、控えていた魔物達が一斉に声を上げた。咆哮や金切り声や奇声が入り交じり、非常に不快な音の塊となって耳をつんざく。青年も彼の仲間も、思わず耳を塞いだ。ただミラルバだけは、満足そうに微笑んでいた。

「魔物はこんなにも豊かな感情を持ついきものだというに、多くの人間はそれを理解しようともせず、忌避して討伐を推奨する。まったくもって理不尽だ」

 はあ、と聞こえるようにミラルバはため息を吐いた。レウたちに背を向けたまま、大きなサソリのような魔物の頭を撫でる。

「魔物は人間と姿形が違い、おぞましい存在だと誤解される。その上言葉も通じない。だから私は考えた。同じ姿になれば――人間が魔物となれば、魔物に近づき、心を通わせ、その誤解も解けるのではないか、と」

 そこでミラルバは一度言葉を切り、真っ直ぐに青年を見据えた。

「私はね、君に期待していたのだよ、レウくん」

「どういう……ことだ?」

 言われた意味がわからず、青年は眉をひそめる。魔王はそんな彼に数歩近寄った。

「君とあの娘――フィオンテといったか。彼女との繋がりは深い。今まで困難にぶつかって、仲違いするどころか、むしろ絆を強めてきた。そして何より、君は優しい心を持っている。だからこそ、君に我らの願望を託してみたのだ。お互いの深い愛情をもってすれば、たとえ姿が変わり果てようとも受け入れると」

 ミラルバは自信たっぷりに熱弁した。それを聞く青年の方は、顔が引きつっている。驚いたというのもあったが、それ以上に言われたことが理解できずにいた。その反応をどう思ったか、ミラルバは後退って青年を見る目を細めた。

「だが実際はどうだ? 受け入れるどころか、その手でとどめを刺した! それも、『魔物になったからこの世にいてはいけない』という言葉を承諾して、だ。まったく、君には失望したよ。“指導者”などともてはやされようと、所詮は凡人だったということか」

 熱弁していたミラルバは最後にはトーンを落とし、冷たい声色で青年を見据える。今まで黙っていた青年は奥歯を噛み、剣を握る腕に力を込めた。

「お前のおかしな理想のために、俺達は、フィオンテは利用されたってのか!」

 青年は激昂し、その場で剣を振った。怒りに顔を赤くし、魔王を睨み付ける。

「ふざけるな! お前のせいでフィオンテは死んだ!」

「私のせい? はっ、奴を殺したのは貴様自身だ。責任転嫁はやめてもらおうか」

「やかましい! お前があいつを魔物になんか変えたから! だからフィオンテは苦しんだんだ!」

 青年は勢いよく剣を振り下ろした。鋭い金属音が響く。その一撃はドラゴンの角に受け止められていた。

「苦しんだ? 何を? 奴は魔物となった己自身を悲観しただけ。魔物となった自分を受け入れなかったのが悪い。それに貴様も貴様だ。あれだけ守ると豪語しておきながら、その覚悟はなく、一番楽な道に逃げた。本当に守るつもりがあるなら、彼女をどんな困難からも守ってみせるべきだ」

 魔王はやはり冷淡に言葉を並べていく。その手に淡い光が集まり始めた。青年は危険を察知し、足に力を込める。青年が跳び上がるより数瞬早く、魔法が発動した。光が青年に炸裂し、後方に吹き飛ばす。青年は背中から床に激突し、短くうめき声を上げる。魔王は苦しむ彼に侮蔑の視線を投げかけた。

「何故受け入れない? 私は人間が魔物に近づく機会を与えているだけ。だというに、それに気付くこともなく、ただ状況を悲観して絶望する。あげくに命を絶とうとまで考える。受け入れてしまえば魔物達とふれあえるというのに、愚かなものだ」

 魔王が見つめる前で、青年は仲間に助けられて起き上がった。青年は瞳に怒りを滾らせ、苦々しい口調で反論する。

「理性を失って親しい人もわからないほど凶暴に作りかえて、よくもそんなのんきなことが言えるな」

「私は凶暴な魔物に変えたつもりはない。モデルとなった魔物もかなり大人しい者達ばかりだ。故に、その凶暴性は貴様らが本来持っている性質に他ならない」

 ミラルバは悪びれる様子もなく言い放った。その態度に青年はますます怒る。

「お前のその迷惑な考えで、どれだけの犠牲が出たと思っているんだ!」

「革命に犠牲はつきものだ。今貴様らが主張出来る権利は先人の犠牲の上にある。そしてこれは我らの理想郷を勝ち取るための革命。そのために同志と抵抗者に犠牲が出るのは仕方のないこと」

「そんな理屈、納得出来るか! お前の勝手で命を、人生を弄ぶな!」

 青年は叫び、再び突進した。しかし今度はその剣が届く前に、猪の魔物に突き飛ばされてしまう。青年はまた短い悲鳴を上げた。鎧の男性が青年の前に立ちはだかり、追撃を防ぐ。その間に青年は立ち上がった。

「怒りにまかせて剣を取るか。やはり貴様は危険分子に過ぎない……。同志達よ、お前達の怒り、彼らに思う存分ぶつけるがいい」

 魔王が言うと、配下の魔物達が一斉に雄叫びを上げた。ミラルバ自身は興味を失ったとばかりに立ち去っていく。

「ミラルバ! 逃げる気か!」

 青年は叫び、駆け出した。だが魔物達にあっという間に阻まれてしまう。ある者は体当たりをし、ある者は炎を吐き、ある者は毒爪を向ける。その数は膨大で、とても相手出来るものではなかった。

「レウ! ここはいったん退くぞ!」

 軽装の男の言葉に青年は顔を歪めた。青年は横たわった“彼女”の亡骸に未練の目を向けた後、舌打ちして駆け出した。

 「#私が動かす悪役ってどんな感じになると思いますか」というハッシュタグで「冷静。かつ大胆」「強い信念を持ってそう」と言われたので書いてみた。

 何か微妙に間違えた気がしなくもない……

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ