八話 呪いの天能
反射的に、堅一は教室を飛び出していた。元凶である市之宮姫華の腕を掴んで、だ。
身体が疲れたなどと、躊躇している場合ではなかった。
廊下に飛び出してみれば、そこには生徒が少々集まり、ソルジャー4の教室を不思議そうに眺めている。
あれほど、騒いだのだ。それが原因なのは間違いないだろう。
そんな彼らは、大きな音を立てて扉から勢いよく出てくる堅一を訝しげに見つめ――次いでそのすぐ後ろから引っ張られて出てくる学年次席に目を丸くする。
「ど、何処に行くんですかっ?」
突然の堅一の行動に、姫華の慌てたような声が上がる。しかし抵抗はせず、ただ堅一にされるがままに続く姫華。
堅一は、その問いに返答せず、ただ走った。
廊下を駆け抜け、階段を上がる二人。すれ違う生徒達が、驚いたように足を止め、二人――特に姫華を見る。
そんな視線を嫌というほど受けながら。
そうして堅一がようやく足を止めたのは、学園の屋上だった。
人のいない場所、ということで堅一の頭に咄嗟に浮かんだのが、この場所。
屋上は、陽光の遮蔽物となるものがほとんどなく、特に夏はその暑さも相まって人がほとんど寄りつくことがないのだ。
果たして堅一の予想通り、扉の先には――屋上で弁当を広げる生徒の姿は見あたらなかった。
ハッハッ、と荒くなった息を吐き、額の汗を拭いつつ。開いた扉から屋上に足を踏み入れた堅一は、そこでようやく後ろを振り返った。
堅一に続いて扉を抜けてきた姫華の背後で、扉が閉まる。
屋上の入口部分のみは日陰になっているため、ギラギラとした日光が直撃することはない。
肩で息をする姫華が呼吸を整えるのを待ち、堅一は徐に口を開いた。
「……まあ、その……いきなりこんなことしたのは謝る」
まずは、謝罪の言葉。それと共に、堅一は軽く頭を下げる。
しかし姫華の反応は待たず、早速本題に入ろうとして。
「けどな――」
「あ、あの……」
だがそれは、戸惑いがちに上げられた姫華の声に遮られた。
「ん?」
「その……手を……」
チラチラと、自らの手元に視線を向ける姫華。そこには、未だ彼女の腕を掴んだままの堅一の手があった。
姫華の言わんとしたことを察した堅一は、その事実にようやく気付き、
「……あ、ああ、悪い」
パッ、と慌てて手を離す。
堅一に掴まれていたために赤みを帯びた箇所を、もう一方の手で擦る姫華。
「「…………」」
両者の間に、気まずい空気が流れた。
今まで勢いのままにここまで来ていた堅一は、しかし姫華の一言に気勢を削がれ、視線をあちこちに彷徨わせながら言葉を紡ごうとしては閉じるのを繰り返し。
姫華は姫華で、身じろぎ一つせず、堅一が口を開くのをただ待つかのようにじっとしている。
「……あー、その、もう一回確認させてくれないか?」
やがてその沈黙に耐え切れず。堅一はガシガシと乱暴に頭を掻くと、姫華を見据えて言った。
コクリ、と姫華が頷く。
「契約を申し込まれたってのは、まあ理解した。……それで、初めてってのは何のことだ?」
前者は教室で聞き返したとおり、納得はしていないが、理解はしている。
ただ、後者に関しては、堅一には全く心当たりがなかった。それこそ、欠片もだ。
それを聞いた姫華は、微かに目を見開き、静かに顔を俯かせる。
「仮契約です」
そうして発せられた内容の真意を、しかし堅一は瞬時に理解することができなかった。
「仮契約? ……って、あの仮契約だよな?」
「はい」
予想外の返答であったため、思わず堅一は意味のない確認をしてしまう。
「……まあ、確かに俺達での仮契約は初めてだったと思うが」
「はい。ですから、私の初めての仮契約だったんです」
何の意図もなく、口にした言葉だった。
そして、姫華の相槌をさらりと聞き流そうとして――。
――ん?
ふとした違和感に、堅一は首を傾げる。
そうして、今一度会話を脳裏で再生してみれば。どうにも互いの認識に齟齬があるように思えてならなかった。
「……まさか、仮契約そのものが初めてなのか?」
否定されるのを覚悟の上で、脳裏に浮かんだ考えを疑わしげに姫華に訊ねる。
なぜなら、それは普通に考えればありえないことだったからだ。
仮契約は、その手軽さ故に最も交わされることの多い契約である。そのため、仮契約を結んだからどうだ、ということもない。
先日の放課後に見たように、それこそ数々の生徒から契約をもちかけられるのであれば、少なくともその内の一人とは仮契約を結んでいていてもなんら不思議はないのだ。それに学年次席という立場上、数十、数百と誘いがあるはず。
ゆえに、堅一のように4クラスならまだしも、1クラスである姫華が仮契約を経験していないはずがない。
堅一どころか、恐らくは弐条学園のほとんどの学生が思い至る結果である。
「そうです」
しかし、そんな堅一の考えとは裏腹に、姫華はあっさりと肯定した。
その答えに、堅一は瞠目し、唖然としてただ一言問いを投げた。
「なんでだ?」
「確かに、仮契約には制約がありません。結んだことがあるのが当たり前なのでしょう」
姫華は、堅一の瞳を覗き込むようにして、言った。
「ですが私は、初めて仮契約を交わした方と、その後も契約を結びパートナーとなって欲しいと、そう常々思っていました。そしてそれは、私の家の教えでもあります」
「……教え?」
「はい。私の両親は学園で出会い、そして互いが初めての仮契約の相手でした。そしてそのまま契約を結んでパートナーになったと、そう聞いています」
「…………」
確かに、そんな考えはあったとされている。古めかしい格式だとか、過去に有能なジェネラル、ソルジャーを多数輩出してきた由緒ある家柄の出の人間などは、より能力の高い子孫を宿すために契約を婚姻の証とする場合もあったのだとか。
だが、それが一般市民にまで浸透しているかといえば、それは否である。
そのような設定を題材とした恋愛小説などは存在しているものの、一部の物好きを除き、ただの一市民にはこれといって関係のない話。
堅一は、胡乱な目で眼前の姫華を見た。
名は体を表すとはいうが、その名前に姫などと入っているあたり、なるほど随分華やかな思考の持ち主である。
学年次席の優秀生、というフィルターを通して姫華を見ていた堅一だったが、その認識をすぐさま改めた。
「そういうことか……」
つまり、教室において「迫った」などと姫華が漏らしたのは。
公園にて、戦闘のために堅一が仮契約を強要した、と解釈できるわけだ。
堅一は手を額に当て、ようやく合点がいったと頷く。
「とりあえず分かった。……といっても、完全に納得したわけじゃないが」
「では、契約をしていただけますでしょうか?」
渋々、といった堅一の様子に、期待と不安を織り交ぜたような表情を浮かべた姫華が近づく。
容姿端麗にして、1クラスの学年次席。変わった思考をしているものの、4クラスの堅一に対して偏見なく対等のように接しているから、性格に難のある捻くれた人間というわけでもない。そのどれをとっても有望株のジェネラルというのは明白だ。
普通の生徒であれば、諸手をあげてその提案を受け入れることだろう。
――そう、普通であれば。
「いや、そうだとしても、俺が相手ってのは運が悪かった。……申し訳ないけど、その願いは諦めてくれ」
「……っ」
堅一の答えは、否。
それを聞いた姫華の顔に、悲壮の色が浮かぶ。
「確かに、あの時市之宮がいて助かった。それは事実だが、それはお互い様だと思っている。そっちも、天能を失いたくはなかっただろうしな。それに――」
そこで一度堅一は言葉を止めると、探るように姫華を見た。
「――視たんだろ? 俺の天能。それでも、本当に俺と契約したいのか?」
堅一の天能である、呪い。
その珍しさだけには自信があると、堅一は自負している。
そして、常識の範疇外にある天能という力の中でも、これほど気味の悪い響きの物もそうないだろうとも。
「ええ、見ました。……ですが、『呪い』という天能は、今まで見たことがありません。差支えなければどのようなものか教えていただいても?」
眉一つ動かさず、冷静に問い返してきた姫華に、堅一は内心でほぅ、と感嘆の声を上げる。
もっとも、昨日にそれを知って尚、堅一の前に姿を現したのだから、それも覚悟の上なのだろう。
「……ま、簡単に言えば、対象の人物に状態異常をかけることができる天能だよ」
「状態異常……では、昨日の場合は、あの黒い影に状態異常をかけたということですか?」
姫華が、考え込むようにしつつも、口を開く。
おそらく、その脳内では昨日の戦闘の映像が流れていることだろう。
「いや、あれは俺自身にかけたんだ」
呪い、と聞けば一見バッドステータスのみのように思えるが、しかし堅一の天能においては、プラスの状態異常――つまり強化をすることもできる。
その上、かけられるのは他人だけでなく、堅一のそれは対象を自分にも設定することも可能。
「あの時俺がかけたのは、身体強化の呪い。だから、あんな動きもできたわけだ」
自らに呪いをかけるというのも変な話だが、しかしそういったステータスの変化などが、堅一の主戦力である。
――故に。
シュラハトにおいては、力と力のぶつかり合うような正攻法ではなく、様々な状態異常を駆使した邪道な戦法という、ますます悪役に近い立ち回りを余儀なくされる。
「そして、コイツには、他の天能にはないデメリットがある」
今まで見たことがないとの言葉通り、姫華は堅一の説明に真剣に――それこそ気味悪げな表情をすることなく、耳を傾けていた。
そんなの姫華の様子を見た堅一は、苦笑を浮かべて言う。
「コイツは、発動者……つまり俺の体力バーを消費することで、ようやく発動を可能とする」
そこで、一度言葉を切る。
しかし、すぅっ、と息を吸い込むと、間髪を容れずに言い放った。
「要するに、俺は――自分の天能を満足に扱えない、欠陥品のソルジャーってわけだ」